この声は秘密です

星咲ユキノ

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拒絶

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(まさか、あの時のトミやん君が蔵上君だったなんて)

思い返せば確かに、雰囲気や話し方などは同じだったかもしれないが、劇的に変わった彼の見た目と、あの時のトラウマで記憶が曖昧になっていたせいでわからなかった。

(…どうりで、惹かれるはずだよね)

最初にK高校の中庭で会った時から、話しやすい人だと思っていた。
初対面の理恵子の話を笑わずに聞いてくれて、年が離れているのにそれを感じさせないほど雰囲気が大人びていた。
あの後、彼が理恵子の陰口を言っているのを聞かなければ、綺麗な思い出だったはずなのに。

正直、裏切られた気分だ。
好きになりかけていた人が、過去に自分の悪口を言っていた人だと気付いて、冷静でいられるわけがない。

(もう、何を信じたらいいかわからない…)

ショッピングモールから帰ったあの日の夜も、いつものように蔵上から電話があったが、声を聞くのが怖くてメッセージだけを送った。

『村田君に写真を見せてもらって、蔵上君がトミやん君だって気付いた。ごめん。少し混乱してるから、しばらく考えさせて下さい。落ち着いたら、こっちから連絡します』

それに対して彼の返信は『わかりました。連絡、待っています』だった。

9年前にいい人のフリをして陰では悪口を言っていたトミやんと、理恵子だけでなく菜穂にも優しい蔵上。
どっちが本当の彼なのだろう。

考えても答えは出なくて、彼と連絡しなくなって3日が過ぎた頃だった。

「ママ、そうや君だよ!」
「え?」

いつものように仕事帰りに菜穂を学童まで迎えに行き、帰ってきた自宅のドアの前に居たのは、蔵上だった。
仕事帰りなのか、いつもは見ないスーツ姿にドキリとする。

(こうして見ると、真面目な社会人って感じ。だけど…)

過去のことを知ったからか、これも真面目に見せるためのポーズなのではと疑ってしまう。

理恵子の戸惑いをよそに、彼はいつもの丁寧な口調で言った。

「突然すみません。どうしても、会って話がしたかったので…。あ、菜穂ちゃん、プリンは好き?よかったらこれ食べる?試作品だけど」
「やったぁ、そうや君の手作りプリン!ありがとう!」

(こっちから連絡するまで待ってって言ったのに。なんで来たんだろう)

まだ考えはまとまっていないが、彼にも言い分というものがあるのだろう。

「…とりあえず、中にどうぞ」

本当は中に入れるのも迷ったけれど、来てしまった以上この場で話すのも近所の目がある。
すでにプリンを受け取ってしまった菜穂とともに、理恵子は蔵上を部屋に招き入れた。

***

菜穂が自室で宿題をしている間、防音室で話し合うことにしたが、いざ話そうとすると何を話したらいいのかわからない。
先に口を開いたのは、蔵上だった。

「…すみませんでした。俺、どうしても理恵子さんに謝りたくて…」

ただ謝って終わりにされるのは嫌だった。
どうして隠していたのか。なぜ9年前にあんなことを言ったのか、それを知りたかった。

「それは、何に対して?今まで自分がトミやんだって黙ってたこと?それとも、9年前に『あんなおばさんの喘ぎ声、想像するだけで無理』って言ったこと?」

苛立ちを隠せず、つい責めるような言い方をしてしまった理恵子に対し、蔵上は静かに声を出した。

「…両方です。どっちにしろ、俺はあなたを傷つけた。…俺は、最初に中庭で会った時からずっと理恵子さんが好きでした」
「は?」

自分でもビックリするほど冷たい声が出た。
信じられるわけがない。
好きな相手に、あんな暴言を吐けるわけがないのだから。

「言い訳になるかもしれないけど、あの頃の俺はガキだったんです。理恵子さんとの時間も、あなたの可愛さも俺だけが知っていればよかったのに、あいつがあなたの連絡先を聞くなんて言うからムカついて、諦めさせるためにとっさにあんなことを…。まさかあの会話をあなたが聞いているなんて思わなかったんです」

(ふざけるな)

彼にとっては大したことがない言葉だったかもしれないが、理恵子にとっては心に残るトラウマになった。
それを、ガキだったの一言で済ませられると思っているのだろうか。

(仮にそれが本当だとしても…)

「じゃあ、自分が『トミやん』だって、隠していたのは何で?今までいくらでも言う機会はあったよね?6年も一緒に仕事をしてたんだから!」

なのに彼は何も言わなかったどころか、初対面を装い、高校時代はバスケ部だったと嘘をついた。
再会したとき、理恵子は気づかなかったとはいえ、蔵上から話す機会はいくらでもあっただろう。
それこそ、こんな関係になる前に。

「それは…。怖かったんです。だって、あなたの年下嫌いの原因は間違いなく俺でしょう?俺が『トミやん』だってバレたらきっと、もう理恵子さんは俺に笑ってくれなくなる。俺が『蔵上草哉』だからこそ、あなたは俺を信用して笑顔を向けてくれた。だから言えなかったんです。あなたに嫌われたくなかったから」

そんなの勝手すぎる。
理恵子はぎゅっと唇を噛んだ。

「…悪いけど、私はやっぱりあなたの事は信じられない。9年前のあの日、私はあなたと仲良くなれたと思ってた。私の話を聞いて笑ってくれて嬉しかった。なのに、ひどい陰口を聞いた私の気持ちがわかる?おばさんだって馬鹿にされてどんなに悔しかったか!『好きだった』なんて、誰が信じると思ってるの?」

突き放すような言い方に、彼は苦しそうに俯いた。

「…確かに俺は、過去にあなたを傷つけました。自分勝手な理由で本当のことも言えなかったし。でも、俺があなたを好きなのは本当であの夜のことだって嘘じゃない。俺があなたを抱けてどんなに嬉しかったか…」
「やめて!」

聞きたくない。
彼とそういう関係になってしまった事実が、今はただ怖かった。

「理恵子さん…」

勝手に涙が溢れてくる。
もう心の中がぐちゃぐちゃだ。
でも、これだけはハッキリとわかる。

「恋愛なんて、もううんざり!私が一番大事なのは、菜穂なの!今まで一人であの子を守ってきた。恋愛なんかして、一番大事なものを見失うわけにいかない!これ以上私を惑わせないで!」

そう。自分はもう恋愛に自由な立場じゃない。
命に代えても守らなければいけない存在がいる。
くだらない一時の恋愛感情で、菜穂を苦しめることだけは絶対にしてはいけない。

「…っ、お願い。帰って。あと、もう連絡してこないで…」

断ち切らなければ。
自分を惑わすこの感情と共に彼の存在も。

彼はその言葉に何か言いたげに口を開いたが、すぐに耐えるようにぎゅっと唇を噛む。
少しの沈黙の後、彼が静かに言った。

「…わかりました。今日のところは帰ります。また、連絡しますから…」

その言葉には何も答えずにいると、パタンと扉が閉まる音と彼が靴を履いて玄関から出ていく音が聞こえた。

座り込んで背中を壁に預けてしばらくぼんやりと部屋を見ていると、ふといつも収録で使っているヘッドフォンが視界に入る。

『あ。このヘッドフォン、俺も使ってるんですよ。おそろいですね』

言葉と共に彼の笑顔も思い出してしまう。

蔵上と過ごす時間は楽しかった。
だからこそ、これ以上彼と一緒にいてはいけない。

「うう…ひっく…もう、やだ…」

床にポタポタと雫が落ちるのをぬぐうこともせず、理恵子はただ、泣き続けていた。

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