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8月31日朝、苫小牧にて「コラムスタート」

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『自由時間720hours~北の大地ののんびりコラム~』

8月31日朝、苫小牧にて「コラムスタート」

蒼井輪といいます。
もちろんペンネームです。
29日から30日の長期休暇をもらったので、大阪の門真を出て、北海道にオフロードバイクで来ています。

日頃はアルファポリスでもちょこちょこ書いてる「某ゴーストライター」で「フリーのコンサルタント」のA先生の仕事を手伝っています。
29歳のバイク乗りです。
独身です。

5年前に、年齢を問わず人材登用をすることで有名な「某人気アパレル店」で、年下の女上司のパワハラに会い、心を病み、2年間閉じこもりをしていました。
「自分を振った男に似てる」という理由だけで、理不尽ないじめや嫌がらせを1年にわたり受けました。

会社の本部にも女上司の行動について申し立てしたり、自分自身の「異動願い」を出そうとしましたが、システム上、書類は店長である女上司の手元を一度は通ることで、すべて握りつぶされました。
今、考えれば、本部の「社医」や「コンプライアンス委員」に相談すれば、よかったのですが、そんな簡単なこともわからないくらい心が追い込まれていました。

1年にわたる嫌がらせで、1か月の有休消化、3か月の休職を経て、「依願退職」の形をとりました。
そこから、「閉じこもりライフ」の始まりです。

毎日「死ぬこと」か「元年下女上司への復讐」ばかり考えてました。
しかし、元来「ビビり」な僕には、どちらもできませんでした。
まあ、それでよかったのかな?

24歳の閉じこもりです。
超面倒な奴ですよね(笑)。
それも2年間も…。
今、思うと大事な時間を無駄にしたと思いますが、結果的にはその引きこもりがきっかけでA先生と知り合うことができました。

弁護士をしている父も、専業主婦の母も、「うつ病」を理解してくれ「働け」とか「がんばれ」と言われることはありませんでした。

労災認定は、労基署に行って「経緯」を説明をする気が全く起きなかったので、申し訳ないとは思いながら、当時の社医と社会保険労務士が勧めてくれた健康保険の任意継続と合わせて手続した「傷病手当金」で1年半は収入がありました。

閉じこもっているので、多額の残業手当がない、基本給の6割でも問題なく生活はできました。

就業時から家に毎月5万円を生活費(まあ、それまでにかけてもらった学費等も含めてかな?)に入れて、あとはほとんど使わなくなった携帯電話代とインターネットのプロバイダ料金くらいでほとんどお金を使うことはありませんでした。
あー、あと、ネットで自分の部屋用の冷蔵庫と電子レンジ、アマゾンで飲み物は買ってたかな?

部屋から出るのは、トイレと風呂に行くくらいで、ずっと、部屋でユーチューブばっかり見てました。
そんな中、それまで興味のなかった保守系の「政治系ユーチューバー」と学生時代まで趣味をふと思い出して「ミリタリー系ユーチューバー」の番組ばかり見てました。

1年も引きこもっていると、次に「傷病手当金が切れること」が、次に、「心の負担」になってきました。
最低限、月6万円稼がないと「引きこもり生活」にも支障が出るからです。
引きこもりながらできる仕事として、がんばって(笑)、「ユーチューバー」を目指すことにしました。

「政治系」と「ミリタリー系」で2チャンネル登録後、一日1本を目標に毎日アップさせていきましたが、どの番組も再生回数は、10回とか20回で、チャンネル登録者数は一桁で数か月が過ぎました。
収益化なんて夢のまた夢です。

父はそんなダメダメ「ユーチューバー」の僕に「ダメもとですごいコンサルタントが知り合いにいるから、いっぺん話聞いてみるか?」と声をかけてくれました。
「50台のおじさんで口は悪いけど、経験豊富なコンサルだから、お前が心を開けると感じたらいろいろと相談したらいい。」
と言われ、出会ったのがA先生でした。

引きこもってから、父と母と医者以外に会う「20か月ぶり」の人でした。
最初は、「うまく話せるかな?」と心配しました。
一人称が「おいちゃん」と少し甲高い声でニコニコ話すA先生の話は面白かったのを今でも思い出します。

初日は、仕事の話は何もしませんでした。
きっと、父がいろいろと忖度してくれてたのだと思います。
趣味の話や、僕の部屋にある漫画やDVDの話をしただけでした。
それから2か月の間、毎週2時間、うちに通ってくれました。

3回目の面談で「ユーチューブで収入が上がるようになりたいんですけど…。」とようやく言えました。
「あぁ、ええよ。「じっくりコース」と「プチインチキ速攻コース(笑)」とどっちがええ?」
と聞かれました。

「3か月後に傷病手当金が切れるので早いほうでお願いします。」と頼みました。
「おっしゃ、「プチインチキ速攻コース」やな?ところで蒼井君は「月刊ムー」読んだことあるか?」
と聞かれました。

正直、「ムー」は名前を知ってるだけでした。
A先生は「真実はいつも「ムー」の中にある。」と言って、カバンからその月の「ムー」を取り出すと、ページを繰り、「これや!」と「ポルターガイスト」の記事を指さしました。
「???」

2か月後には再生回数もチャンネル登録数も一気に増え、広告収入が入るようになりました。
確かに「プチインチキ」でした。
詳細は、またそのうちに(笑)!

まあ、こんな感じで始まったA先生との付き合いですが、今はA先生が「G」の仕事と表現する、「ゴーストライター」の仕事を手伝っています。
「パニック症候群」とかつての女上司に似たような女性に対する「対人恐怖症」は残っているのですが、何とか自分の部屋を出られるようになって2年が経ちました。

A先生から「2年勤めたら「1か月の休み」あげるからやりたいことを考えときなさいよ。」と言われてました。
今月、予定してなかった「G」の脚本が2本売れた(笑)のでボーナスをもらいました。
(※昨日知ったのですが、「僕が売った呈(てい)」にはなっていましたが、それはA先生がクライアントに忖度してくれていてたそうです。自分の成果を部下に譲る、「ハンス=ウイルリッヒ・ルーデル」みたいな人です(笑)。本人は「レッド・バロン」のリヒト・フォーヘンになぞらえたペンネームにしてるんですけどね(笑)!)

A先生の勧めもあり、1か月のツーリングに出かけることにしました。
125ccのオフロードバイクとオフ用の用具とキャンプ道具一式も貸してくれました。
タイヤも新品にしてくれてました。
面倒かけてすみません…。

29日の朝、敦賀港を出発し新潟、秋田を経由して、昨日苫小牧に到着しました。
港から国道に出てすぐにあった無人販売所でトウモロコシを買い、海沿いに出て拾ったワカメとペットボトルに汲んだ海水で、トウモロコシ入りワカメスープを楽しんで砂浜で北海道初日のキャンプの朝を迎えました。

昨晩寝るときに、A先生におれのメールを入れようかとも思いましたが、日々の報告や感じたことをコラムにして不定期で上げていくことにしました。
人様に読んでもらうに値しないことばかりになると思いますが、お暇な方は、お付き合いください。

これから、どんな旅になるのか楽しみでーす!

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