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横たわる怨念
しおりを挟む地下室のフロアに降りると、奥にもう一つ裸電球が下がっていて、それを点けた瞬間、取り敢えず襲われる心配は失せた。
典江は確かにそこにいる。
ゾンビのメイクが施された顔は怖すぎて、正孝も直視したくなかったのだろう。
顔から足の先まで青いビニールシートをすっぽり被せられ、大きなテーブルに横えられたまま微動だにしない。
恐る恐る、夕実は近づき、そっとビニールシートの端っこをめくってみる。
半ば陥没した丸い傷、夕実と争った時に付いた傷跡が生々しく残っているが、そこからの血は止まっているようだ。
青白い化粧や人造皮膚の類は半分剥がれているものの、肌が土気色に変じた為か、一層不気味なリアリティを帯びている。
このままホラー映画に出演させても主役を張れそうなド迫力だが、メイクの下から覗く落ちくぼんだ目に夕実はその時、切なさを感じた。
この人に泥棒猫って言われても、仕方ない事をあたしはした。
明確な自覚と罪の意識が押し寄せてくる。
同じ男を愛した女……でも、あたしには出来っこない。この人みたいに捨て身で愛し続けるなんて……
奇妙な敗北感は、いつの間にか奇妙なシンパシーへ変わり、典江を傷つけた事実の重さに直面して、
「まさか、この人、本当に死んでるんじゃ?」
思わず夕実は彼女の左胸に触れた。微かな心臓の鼓動を確認し、ほっと安堵の溜息をつく。
「……良かった。生きてるわ」
「そう思うのは、まだ早いかも」
「え?」
「僕がこの小屋へ運んだ時、典江の心臓は確かに停まっていた」
「え~っ!?」
「そして、しばらく経ってから、もう一度、動き始めたんだ。ホラー映画のワンシーンみたいに」
「……じゃ、典江さんは怪物……マジでゾンビになったって言うの!?」
呆然としたのも束の間、一度ポケットへ入れたスマホを反射的に取出し、夕実は110番をプッシュし始める。
正孝は慌てて、その肩を掴んだ。
「おい、警察へ通報してどうする!?」
「だって……ゾンビよ、ゾンビ! 緊急事態も良いトコじゃない」
「お前、自分の立場わかってンのか? 殴って気絶までさせた典江が、もし人間のまま死んだら傷害致死で逮捕される。最悪20年、塀の中だ」
夕実はゴクリと唾を飲み込んだ。刑務所行きのリスクの前に、一時の殊勝な気持ちは吹っ飛び、何とか逃げたい気持ちばかりが胸一杯に溢れ出す。
「もし普通に生き返ったとしても、お前への恨み、ハンパじゃないぞ。どんな濡れ衣を着せられるか、わかったもんじゃない」
「あ、あなた、フォローしてくれるよね」
「いや、何をしようと限界がある。それならば、いっその事……」
正孝は地下室の片隅に置かれた工具箱から古い金槌を出し、夕実の前に差し出した。
「こいつで典江の頭を砕いてくれ」
夕実はポカンと口を開けて男を見た。
何を言われたか、そのとんでもない内容が、中々、頭の中に入ってこない。
「当然だろ? 彼女を、こんな状態にしたのは君だからな。この際、最後まで責任を取って欲しい」
ゾンビ映画のお約束、定番の展開に夕実は言葉も無く、血の気が失せた顔で金槌を見下ろす。
「……嫌よ……だって、あたし、ホントの人殺しになっちゃうじゃん」
「今の典江は怪物だ」
「そんなの信じられない!」
「良いか、良く聞け。完全に目覚める前に呪いの術者へ止めを刺せば、開きかけた地獄の扉は閉じる」
「つまり、他のゾンビは蘇らなくなる訳?」
「典江自身がそう言うのを、僕は聞いたんだよ。君の行動で、日本が……いや、世界の人類が救われるかもしれない」
正孝は熱を込めて言い放ち、夕実の手へ強引に金槌を握らせる。
何、このムチャクチャな理屈!? もしかして、狂っちゃったのは奥さんじゃなく、この人の方……
恋人への不快な疑惑が夕実の胸の奥でざわめき、騒ぐ。
しばらく不毛な押し問答を繰り返した挙句、結局、夕実は金槌を手に典江のすぐ側、眉間を殴りやすい位置へ立たされてしまった。
「さぁ、夕実、勇気を出して!」
「……あなたがやれば良い。だって、自分の奥さんじゃない」
「僕には無理だ。仮にも五年、一緒に暮らしてきた女に手を下すなんて」
「あたしだって、無理よ!」
「大丈夫。さっきだって、典江を殴り倒したろ」
「……あれ、突然だったから」
「心の奥に殺意があったよな?」
「えっ!?」
「自分で意識しなくても、その要素が全く無いと言い切れるか? 何せ僕を手に入れる為、妻は最大の邪魔者だからね」
俯く夕実を後ろから抱き締め、正孝が優しく囁いた。
髪を撫で、体温を伝える、彼お得意のルーティン……
「殺れるよ、僕を愛しているなら」
夕実の中の依存心が疼く。
余りの成り行きに、頭の中はもうグチャグチャだ。
何もかも男の言いなり、いっそ思考を止めてしまった方が楽と、彼女の中のひ弱で暗い部分が囁く。
「……僕はもう一度、フィールドを見回ってこよう。戻る迄に終わらせて欲しい。死体の始末なら、僕も力を貸すから」
放心状態の夕実が我に返った時、正孝はもう地下室の階段を駆け上っていた。
ガチャリ……錠前の音がする。
まさか、この地下室に典江さんと私を閉じ込めたの!?
慌てて階段を駆け上り、夕実は樫の扉へ飛びついて愛する男の名を呼んだ。
答えの代わりに遠ざかる足音がし、続いて甲高い声が夕実の背後、仄暗い階段の下で響き始める。
ひどく掠れた声音で、唐突に発したかと思えば、その後は何度も、何度も……間断なく続く女の絶叫。
声の出処は明らかだった。
地下室の大きなテーブルの上、典江が寝かされている所、被せられたビニールシートを振るわせ、それは聞こえてくる。
耳を塞いでも止まらない。
夕実は、正孝が残した金槌を震える両手で握り締め、覚悟を決めて、ゆっくり階段を降り始めた。
どうやら奥様はお目覚めらしい。
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