俺達の百鬼夜行 堕ちればきっと楽になる

ちみあくた

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ある社畜の肖像

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(1)

「生きててゴメンなさい……生きててゴメンなさい……生きててゴメンなさい」

 葛岡聡は、そう呟き続ける自分の声が、狭く暗い空間の中で虚しく響くのを感じた。

 25才になったばかりの細い体を窮屈に折り曲げ、惨めなセリフを口にしつつ、頭を床へ強く擦り付けている。
 




 ここは何処だろう?

 彼はふと疑問を抱いた。

 仕事の打上げで会社のみんなと飲み屋へ行った記憶があるから、その座敷かもしれない。ひどく酒に酔っていて、それ以上のディティール、前後の経緯は良く判らなかった。

 頭の中で自問自答してみる。




 
 え~と何で、俺、こんな事してんだっけ?

 土下座したまま、バカみたいに何度も何度も同じ言葉を繰り返してさ。




 
 考えをまとめようとし、彼はすぐ諦めた。

 酒の酔いもさることながら、蓄積したひどい疲れを感じ、体が重くて仕方ない。

 きつい仕事の後だからか?

「生きててゴメンなさい……生きててゴメンなさい……生きててゴメンなさい」

 半ば自棄になり、念仏みたいなノリで繰り返す彼の言葉に、ふっと女の甘い吐息が混じって来た。

 土下座する彼の頭上、髪の毛に熱い息遣いが触れ、少しだけ顔を上げると、

「頭が高ぇ、このゴミが!」

 そう罵り、誰かの分厚い足の裏が聡の頭を踏みつけ、座敷の畳へ再び押し付ける。

「お前、会社に迷惑をかけた反省の弁、俺らの迷惑の分も入れて百回唱えろって言ったろ? まだ半分もいってねぇぞ、コラ」

 足の裏の圧力に逆らい、辛うじて片目を上へ向けると、直属の上司である木崎悦治のにやけた笑みが見えた。

 全く、嫌な奴だ。

 業界人風のチャラい極薄ジャケットを着こみ、いかにもジムに通ってますって感じのごっつい体をひけらかし、容赦なく踏む足へ力を込めてくる。

 そして、その胸には……彼にとっての高嶺の花、江田舞子が抱き寄せられていて……

 甘い吐息は彼女のものらしい。

 木崎の長い指が舞子の体を這い、細い体の割に豊かな胸を揉みしだく度、清楚な白いシャツがはだけ、素肌が露わになっていく。

「聡君、見ないで」

 頬を真っ赤に紅潮させ、舞子が言った。彼女を離せと叫ぼうとしたが、声なんか出てこない。

 踏みつける木崎の足首をつかむ程度が精一杯で、もがく度、周囲に佇む数名の人影からあざ笑う声が聞こえる。

「どうよ、目の前で惚れた女を玩具にされる気分。泣こうが喚こうが、役立たずのお前にゃど~にもならん」

「……やめてくれ」

「恨むんならよ、自分の無能を恨みな」

「おう、この世は基本的に力のある奴が弱い奴を踏みつけ、餌食にする事でなりたってンだわ。弱肉強食!このルールだけは、永遠に変わらねぇ」

「やめて……やめて下さい」

 幾多の罵声を浴びる内、すっかり気持ちが折れ、踏みつけてくる足首へ縋りつこうとした時、足元が崩れてポッカリ穴が開いた。

 果てしなく深い穴。

 聡はただ、その奥へ落ちていく。

 頭上から、更に激しくあざ笑う声がし、彼はそちらへ必死に手を伸ばした。誰も助けてくれないのを承知で、それでも虚しく手を伸ばし……





 次に訪れたのは、いつもの朝の唐突な目覚めだ。

 惨めな展開の途中から、ろくでもない夢の中にいるのは、自分でもわかっていた。

 よくあるパターンと言いかえても良い。

 職場で飲み会があった夜は大抵悪酔いし、嫌な夢を見てしまう。それでいて最近は朝方の眠りが妙に深く、目覚めが悪いのだ。

 泥のように眠る……

 今朝、東駒形の裏通りにあるチンケな木造アパートの自室で、葛岡聡が貪っていたのは、まさにそんな感じだった。

 体の芯に重く溜まった疲労の塊が、泥濘へ沈み込むような深い眠りへ聡を誘う。

 目覚まし時計のベル程度なら、そのまま二度寝を決め込んだ事だろう。

 だが、昨夜は着の身着のままベッドへ倒れ込んでいた為、褪せたデニムパンツの後ろポケットに古い型のかさばるスマホが入ったままだ。

 その不快な振動が、悪夢の闇の中で転落し続ける聡の意識を否応なく現実へ呼び覚ました。
 




「……ハイ、葛岡ですが」

 そう声に出した後、携帯が着信したのは通話ではなく、公共機関か何かの緊急信号であるのに気付く。

 地震の緊急速報なら珍しくない。最近増える一方で、鬱陶しさも二倍増。聡はあまり気にしなくなっていた。

 寝ぼけ眼を開き、取り合えず画面を覗くと、表示されているメッセージは少々風変わりな代物だ。

 『ルール変更のお知らせ』

 ただそれだけ。真赤な文字で液晶画面の中央へ映し出され、点滅を繰り返している。

「……何だよ、これ。地震じゃねぇの?」

 一人つぶやき、周囲を見回すと、壁のアチコチにあるヒビが目に入った。

 都営浅草線の駅から徒歩10分弱の距離にして、西向き、六畳一間、家賃3万5千円足らず。

 高校卒業後、プログラマーを目指して栃木から上京、この部屋を借りて、もう7年が過ぎた。

 格安の代り、築30年を軽く越す老朽アパートを、もし大地震が襲ったら一たまりも無いだろう。

 時々、それでも良いかなと思う。

 先行きに何の希望も見えない以上、何時の間にか死んでた、なんてのは意外と悪くない終り方かもしれない。

 ここ数年、スケールのでかい異常気象や災害が世界中で頻発し、被害を広げている。

 地球温暖化のせいか、それとも逆に氷河期が迫っているせいなのか、ネットじゃ好き放題に色々言われているが、本当の所は誰にも判らない。

 楽に死にたい、なんて願いは、多数の災害被害者が連日出る状況を思えば、不謹慎だと自分でも思う。

 でも一人不幸でいるより、皆まとめて不幸になった方が……いや、むしろ誰も彼も不幸になってしまえば良いと、思ってしまう夜がある。

 胸の奥の不安やら、嫉妬やら、苛立ちやら、ドス黒い感情が餓えた怪物さながら、膨れ上がって抑えきれなくなる暗い夜。
 




 そう、昨日もそんな夜だった。

 嫌な夢を見ちまったけど、取り敢えずさっさと眠れたのは、不幸中の幸い……

 聡が物思いに囚われ、虚ろな目で携帯電話を見つめている内、液晶の表示は長い文字の羅列に変わった。
 
『地球環境の急激な悪化に伴い、広域保護対象の霊長類Ⅰ類・区分Aを区分Dへ変更。精霊指定駆除が許可されます。混乱回避の為、禁漁解除地区は随時拡大されますので、詳細は各地の担当委員までお尋ね下さい』

 同じ文章が何度か点滅、消えては再び現れる。周囲を縁取る枠は蒼く光り、ジャパニーズ・ホラー定番の鬼火みたいだ。

「……へっ、意味わかんね」

 今時、難解な漢字を繰り返すメッセージなんか、まともに読む奴はいない。

 ルール変更? どこのお役所が作ったか知らンけど、相変わらずズレてるわ。

 聡は苦笑し、携帯電話をポケットへ押し込んだ。

 できればもう一度ベッドへ戻りたい所だが、時計を見ると9時過ぎだ。急いでメシを食い、シャワーくらい浴びとかないと、会社に遅刻してしまう。

 そうなりゃ、アイツに……あのクソ野郎どもに、なんて言われるやら……
 

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