ラスト・アニバーサリー

ちみあくた

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 押し問答が続き、埒が明かないと思ったのだろう。

 義弟が端末を操作し、タブレット画面に世界の主要都市を次々と映し出す。大手マスコミの放送ではなく、より個人的な媒体、ネットの有志によるライブ中継だ。
 
 やはり義弟はネットの接続環境を独占。スマホ、テレビ等、他からの情報が入らない状況を作り上げていたらしい。

「ほら、町の様子を見てご覧よ」

 交通機関は停止。どの通りも人影が無く、繰り返された争いの痕跡のみ目立つ。

「プライベートな殺し合いのみならず、国家間の衝突や紛争の頻発で、既に世界人口の五割近くが失われた」

 未だ暴動も散見されたが、全体を通してみると大都会の多くは静けさに包まれ、ゴーストタウンさながらだ。

「泣き熱は一番執着する人間を最優先の攻撃対象とする。人間は他の動物より何かを愛する能力、それに殺す能力が傑出しているだろ。その両方が暴走した結果、愛が強ければ強い程、相手を殺したくなってしまう」

「そんな状態……私なら大事な人を傷つける前に死にたくなるだろうな」

「だから、安楽死の薬が大量に必要となるのさ」

 画面上の義弟は、これまで決して私に見せなかった悲痛な表情を浮かべている。

「国や民族の単位ではなく、人という種全体が背負う罪を償う時が来たのかもね」

「まるで歴史の終着点みたいな言い方をするな」

「そう、全てが終わる記念日さ。今日の正午、大国が保有する核ミサイルを全弾、主要都市へ同時発射する事で」

 即ち、核ミサイルによる地球全土、人類全体の集団自殺……
 
 常軌を逸した話だが、今の私は素直に頷く事ができた。
 
 殺すより先に死ぬ。人が連綿と積み重ねてきた歴史、絶え間ない殺戮の連鎖に比べれば幾らかマシな選択かもしれない。
 
「驚かないんだね、義兄さん」

「私と妻は、その時まで殺しあわずにすむよう、昨夜、薬を飲んだんだな」

「ストレスを一旦クリアする薬の効力で、泣き熱発症のリスクはかなり小さくなる。あの若い二人もそこに賭けたのだろうし、同じ選択をした人が世界には沢山いるよ」

「君は何故、飲まなかった?」

「僕は漫画家だからね、最後まで作品を描き続けたい。ここに籠っていれば、僕が狂った所で誰も傷つけないだろ」

「……なるほど」

「僕だけじゃない。ネット中継している奴、ジャーナリストの生き残りは決して未来に残らない無駄な記録を続けている」

「たとえ夕べに死すとも、朝、林檎の木を植える、か?」

「そこまでかっこよくないけどさ」

 斜に構えた義弟の微笑が、その時初めて好ましく思えた。

 こいつのこういう面、もっと早く知っていれば、いい関係を作れたかな?

 手遅れになってから知る事実を口の奥で噛み締め、私はテーブルの椅子に腰かけて、壁にかかった時計を見る。

 この世の終わりまで、あまり時間は無さそうだ。
 
 ポケットの中に残ったカプセル錠を口に含み、呑み込もうとして……階上で何か、大きな物音がした。

 続いて、女性の悲鳴。
 
 妻だ。
 
 タブレットに連動した監視カメラを操作して、何が起きているかをすぐ理解した。

 若者同士の争いが終わり、生き残った方が次の獲物を探して、妻のいる寝室のドアを開けようとしているのだ。

 先程、私が投げつけた火かき棒を使い、力任せに叩いているとしたら、木製の扉など保ちはすまい。

 咄嗟に口へ含んだカプセル錠を吐き、私は地下室を飛び出す。

 後ろで弟が何か叫んだが、何にせよ、もう確かめる意味は無い。





 階段から居間へ行き、そこで息絶えている若い男を見つけた。

 彼女より遅れて発症した分、彼には僅かな理性が残っており、攻撃を躊躇ったのかもしれない。
 
 二階へ上がり、廊下から妻が籠った寝室の方を見る。
 
 声にならない呻きが漏れた。鍵をかけておいた筈のドアが半開きで、生臭い匂いがそこから漏れてくる。
 
 私は寝室へ飛び込み、血だまりの中に伏す若い女の姿を見て息を呑んだ。
 
 上にのしかかっているのは妻だ。
 
 小ぶりなフルーツナイフを振り下ろし、既に息絶えた女の体を何度も、何度も、繰返し切り刻んでいる。
 
「あなた……ごめんなさい」

 土気色の顔が泣きながら、私を見た。

 おそらく女が寝室へ押しかけ、恐怖にかられた妻も又、泣き熱を発症してしまったのだろう。

 そして女が寝室へ飛び込む隙をつき、刺殺したのだ。
 
 激しい衝撃に打ちのめされ、動揺の波に溺れながら、床へ落ちている火かき棒を私は拾い上げた。

 妻がこちらへ向って来る。窓の逆光を背に立つ彼女は、血塗れでも美しい。

 そして、私もまた、

「許してくれ……どうか、許して」

 自分の頬を伝う涙を感じた。

 まだ辛うじて理性は残っている。

 妻を傷つけたくないと心が叫んでいる。
 
 でも、同じくらい強烈な衝動、目の前に立つ生き物を只の血肉になるまで叩き潰したいという渇望の嵐にも抗いきれない。





 義弟は今、狭い部屋で一人きり、この様子を見ているのだろうか。愛する姉が、その夫と殺しあう映像に耐えられるのか。

 それとも、あの狭いパニックルームに閉じこもったまま、奴も又、狂気に呑まれているのだろうか。





「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 泣きじゃくる妻は右手に刃物を、左手に切断した女の手首をぶら下げていた。その五本の指は関節の所で器用に皮一枚を残して切られ、不規則に揺れている。

 ぶらぶら。

 糸で操る人形のようだな。

 そう言えば、妻は最近、可愛いマリオネットを作り始めたんだっけ。

 最初に仕上げた奴を誕生日に貰った。あの女の手首と同じ、真っ赤な色の奴。

 あれ、今は何処にあるんだっけ?





 おそらく今、同じ事が世界中の街の、ありふれた家の中で無数に起きている。

 薬の力で何もかも忘れたまま、ありふれた日常が続くと信じて過ごす幸せな家族だって、きっといるに違いない。

 そして、歯を食いしばって恐怖に耐え、誰も見ない記録を残し続ける人々……

 こんなにも大きな光と闇を共に抱く命の奇妙さを改めて感じる。





 私は祈った。

 この手が妻へ届く前に、空から光が落ちてきて、何もかも焼き尽くしてくれ、と。

 妻も又、そう感じている事がわかる。

 それでもお互い凶器を振りかざし、襲い掛からずにいられない。一歩進むごとの時間が恐ろしく長く感じられ、そして……

 あぁ、私にもまだツキがあったらしい。

 刃が届く寸前、轟音と共に窓から光が飛び込んできた。

 人と言う種が滅ぶ瞬間の輝き。

 意識が消滅する刹那、私はそれを美しいと思った。
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