うまのほね

ちみあくた

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 南蛮渡来の馬を賭け、博打を始めてから半刻……亥吉の側からすれば順調な滑り出しと言えるだろう。

 盆御座抜きで差しの対面、おまけに相手は侍と言う妙な具合の壺振りだが、丁半博打は飯の種。経験値が全く違う。

 更に何度か負けを重ね、大袈裟に顔を顰めながら、内心、亥吉は上機嫌だった。
 
 初手で派手に負けて見せ、相手が調子に乗った所で一気に潰す。これだけ腕の差があれば、いかさまの必要は無い。
 
 で、へこんだカモを脅しに脅し、お宝を巻き上げれば一丁上がりという訳だが、
 
「下郎め、賤しく笑いおって」

 更に一刻半の後……綺麗に懐が空となり、多田は奥歯を噛んで歪んだ口元から、か細い呻きを漏らした。
 
「勝ったら笑うが道理でしょ」

「勝ちは負けの始まり、それこそが道理よ。いずれ、お主も骨身に沁みよう」

「いやはや、お侍の負け惜しみは偉くみっともねぇモンで」

 思惑通りの展開に頬を緩ませ、亥吉は多田の顔を覗き込んだ。

 勝利の余韻を味わういつもの悪癖だが、その際、微かな違和感がある。俯く多田から能面の如く表情が失せ、渦巻いている筈の失意が読めない。

 何を考えているか判らない。
 
 眼鏡の奥で底光りする双眸が、亥吉は急に恐ろしくなった。或いは苛立ち任せに不意打ちを仕掛け、斬って捨てる腹積もりかもしれない。

 思わず内懐に忍ばせている匕首を握った時、多田の態度は豹変した。まさかの土下座をやらかしたのだ。

「おい、亥吉とやら、あの馬だけは勘弁してくれぬか」

「何を今更……」

「あれはなぁ、本来、俺の一存では処分が叶わぬ藩の持ち物。これから江戸へ売りに行く所でのう」

 聞く耳持たぬ、とばかりにそっぽを向いて立ち上がった途端、多田は後ろから亥吉の腰へ縋り、泣き落としで食い下がる。

 へん、腰抜け。差した刀が泣いてらぁ。

 ほっとした反動で、亥吉は多田を素っ気なく突き離した。

「多田さんとやら、あんたにも事情はあろうが、勝負は勝負。払うもんは払わにゃ」

「なら、せめて暫くの間、馬を売りには出さず何処ぞへ隠してくれぬか」

「どうして、そんな面倒な真似をしなきゃならねぇ」

「何とかして言い訳を取り繕い、藩の上役へ根回しをせねば俺は腹を切る羽目になる。お主とて、藩が差し向ける追手に血眼で探されたら困るだろう」

「そりゃまぁ……」

「腕利きの刺客ばかりじゃ。お主の如き、うまのほねは一溜りも無いぞ」

 一気に畳みかけてくる多田の脅しに気押されつつ、正直、妙な言いぐさだと亥吉は思った。

 どんな良い訳をしようが、藩の上前を撥ねれば只では済まない。いや、進んで自らを処する事こそ武士の倫理ではないか。

 何か、おかしい。しかし、馬を手に入れるのが先決だと割り切り、しばらく売りに出さないと亥吉は約束した。
 
 これだけの馬が土産なら、左兵衛の親分も数日の遅れはとやかく言うまい。追手の憂いが無くなる分、むしろ好都合だとさえ思えたのである。
 
 後は尻に帆をかけ、廃寺から逃げ出せば良い。

 隠れる場所の目当てはあるのだ。あそこに潜んでいれば、追手が何者であろうと、まず見つかる恐れは無いだろう。





 小寺の本堂を出て、軒下を横へ伝って行くと、欄干に手綱で括られた馬が相変わらず空を見上げていた。

 月は山の端へ落ち、代りに、仄かに白んだ光を瞳が映している。

 もう朝か?

 あっさり多田を騙したつもりでいたけれど、酒をかっ食らって博打に興ずる間、思ったより時が過ぎてしまったようだ。

 改めて巨体を目の当たりにし、改めて亥吉は圧倒された。

 初対面の折り、闇の中で佇む姿は怪物じみていたが、淡い陽光に照らされる威容はむしろ神々しい。

 南蛮渡来の宝玉もかくや、と思える大きな澄み切った瞳の中で朝日の赤味が見る見る鮮やかさを増していく。

 およそ信心の無い亥吉でさえ、近寄りがたい物を感じ……いやいや、このチンピラ、そんな殊勝な心掛けでは無さそうだ。

「おい、お前ぇ……暴れんじゃねぇぞ。何たって、俺はよ。もうお前の御主人様なんだからな。いきなり蹴っ飛ばすなんて、つまらねぇ料簡は……うぉっと!?」

 ほんの少し、馬が身じろぎしただけで、肝を冷やして飛び上がる。

 この先、俺、まともに道中できんのか。

 心の底でぼやきつつ、やたらと重い手綱を引くと、馬は一瞬こちらを見て、すぐに空へと瞳を戻した。

 少なくとも御主人と見なされちゃいねぇな。でも、一先ず、言う事を聞いているだけで今は御の字……
 
 亥吉は急ぎ足で街道口を目指した。

 小寺から離れるまで、何処か得体の知れない若侍の眼差しを背中に感じたが、先を急ぐ博徒も馬も、もう振向こうとはしなかった。
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