あんぽんたんの皆様へ

ちみあくた

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「やっぱり、この家、俺ぁ売らねぇ!」

「い、今が絶好のチャンスなんですよ! これを逃すなんてバカです」

 必死で訴えてみるものの、浅子の焦りは募るばかり。切り札になるべき慈愛の微笑が虚しく空回りしていく。

「バカでも何でも、な。今の俺にゃ家族の思い出が残る、この家しか守るものが無いンや」

「あなた自身の借金はどうするんです? 更に638万円が載っかるのに」

「働くわい」

「その御年で?」

「内職でも、トイレ掃除でも何でも良ぇ。爪に火ぃ点すような手間と、長~い時間が掛かるだろうがよ、生まれ変わる覚悟で俺ぁ返してく」

 中庭から向き直った末松の目は気力に満ち溢れ、憑き物が落ちたようだ。生まれ変わるという表現にせよ、あながち大袈裟に聞こえない。

「そしたら、あの世へ行った時、女房もちったぁ俺を見直すかもしれねぇ」

 屈託のない笑みを末松は浮かべた。

 浅子からすれば、まさに青天の霹靂。陰険極まる骸骨オヤジに、まさか、こんなにも殊勝な心境が訪れようとは。





「なぁ、あんた、そう思わねぇか?」

 表に出かけた落胆をやっとこさ呑みこみ、浅子はいつものポーカーフェイスを作った。

「……ん~、そうですねぇ」

 末松の問いかけに思案顔で立ち上がり、両腕を組んだまま、浅子は部屋の中をウロウロ歩きだす。

 一見、行き詰った交渉の打開策を頭の中で巡らせているかに見えたが、

「敬一君が実家へ戻り、あなたの庭を見る事で遺恨は消えるかもしれません。同時にご近所との関係も修復へ向かうなら、実に喜ばしい限りです」

 と半開きだった障子を全て開け、庭を眺める素振りをしながら、枠へ凭れていた金属バットを床に転がす。

 末松の注意がそちらへ引き付けられた瞬間、片足の爪先を素早く床の間へ滑らせ……

 懐から愛用のスマホを取り出したのは、警備機器の配線が束ねられているケーブルタップを蹴飛ばし、コンセントから引き抜いた直後である。

「でも、それじゃ困るんだよね~、ボクのお仕事上」

 ニッコリ笑って、軽やかに登録済の番号をタップ。

 唐突な挙動に困惑している末松から顔を背け、しばらく待つと甲高い声の女性が出た。

「あ、お隣の三好さん、ボク、先ほど、あなたと番号を交換した浅子です」

「あ~、無事かね、あんた?」

「ぶ、無事じゃありません。ピンチです」

「え?」

「末松さんにバットで襲われて、このままじゃボク……助けて下さい。殺されるっ!」

 ドタバタとその場で足踏みし、最後は絶叫して電話を切る。

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔で聞いていた末松は、心配そうに浅子へ訊ねた。

「おい、どうした、あんた? 頭がどうかしたんじゃねぇの?」

「いえ、ボクは冷静です。何せ、当初の計画を大幅に修正しないと目的が果たせそうにありませんし」

「だから言ってる意味がわかんねぇって」

 浅子は苦笑した。

 丸ぽちゃの顔に似合わぬ深い皺を眉に寄せ、細い瞳が俄かに冷たい光を放ち始める。





「実はですね、末松さん」

「……何?」

「病院へあなたの息子さんを訪ねた時の話、もう少し続きがあるんです」

 足元の金属バットを拾い上げ、浅子は何気なく末松へ差し出した。訳が分からぬまま受け取る末松へ更ににじり寄り、そ~っと耳元で囁く。

「次の日の夜、彼、急に自殺しちゃいまして」

 その言葉の意味がすぐ理解できず、末松はきょとんとして浅子を見返す。

「いじめられっ子だった過去を共有し、ボクと心が通じたと思ったんでしょうね。無防備になった所へ、債務延滞の恐ろしさと連帯保証人の親がどれだけ苦しむか、たっぷり説明してあげたんです」

「け、敬一を脅したんか!?」

「心に深い傷を抱き、回復不能の障害を背負う若者を絶望の淵へ追い込むなんて、赤子の手を捻るようなモンで」

「あんた、何故、そんな!?」

「勿論、父親へ泣きつかせる為ですよ。そして、海外企業へ高く売れる不動産を一刻も早く手放して貰う為」

 末松はよろめき、手にした金属バットを杖代わりに辛うじて体を支えた。

「それにしても何てヘタレでしょう、敬一君って奴は!」

 浅子は庭の方へ耳を澄まし、ざわめき始めた隣家の気配を伺いながら、更におどけた声を上げる。

「ボクの忠告通り、実家へ手紙を書いたまでは良いが、肝心の要件を一切伝えず、直後に首を吊るなんてね」

 佇む末松の口元からキリキリと耳障りな音がした。

 唇から血が滲むほど歯ぎしりをするとこんなにも大きな音がするものかと、浅子は興味深げに耳を傾け、

「病院側も大変困っていましたよ。彼、実家との連絡方法を伝えておらず、あなたも周囲と絶縁してたでしょ。ボクが彼の死を伝えると申し出たら、喜んでご依頼頂けました」

 と、笑って末松の正面に立つ。

「……黙れ」

 喉の奥から押し出す末松の声が酷く掠れていた。
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