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しおりを挟む「ホラ、次は何をする? えぇっ、言うてみい! どんなペテンでわしを騙すンや?」
末松は浅子の腹を蹴り上げ、メタボ気味に弛んだ喉から、ヒュウヒュウと窒息気味の呼吸音が漏れた。
更に蹴る。
廊下の方へ這いずる動きが止まった。
更に蹴る。
潰れた蛙のように床へ突っ伏していた体が丸まり、胎児に似た姿勢を作った。
どうやら意識が薄れかけているらしい。
こいつ、このまま、ぶっ殺したろか?
殺意の誘惑が胸中へ溢れ、白目を剥いて痙攣する浅子の顔面へ向けて、末松は大きくバットを振り上げるが……
虎縞のおばちゃんこと三好さん率いるご近所の面々が末松家へ乱入して来たのは、その直後だ。
一部は玄関を破り、一部は板塀を乗り越え、手に手に箒やモップを握りしめていて、怒涛の勢いと言うに相応しい。
「オラ、待たせたなぁ、浅子の兄ちゃん。いざ、鎌倉じゃ、覚悟せぇや、クソジジィ!」
けたたましい援軍の声に反応し、薄目を開けた浅子の頬に微かな冷笑が蘇る。
時代錯誤をものともしないおばちゃんの号令一下、長年にわたるご近所トラブルに終止符を打つべき戦いは火蓋を切った。
末松も金属バットで応戦するものの、どうあがいた所で多勢に無勢。
圧倒され、後ずさっていく骸骨オヤジを追跡する形で居間から縁側、更に中庭へ舞台を移しつつ、バットと箒、モップが打ち合い、憎悪と喧噪の火花を散らす。
「おい、逃がすな!」
「毎日毎日、でっかい音立てやがって、この野郎……積年の恨み、思い知れ」
もつれにもつれた感情を背景にするご近所さんの攻撃は、呵責なく執拗だ。
息を切らし、言葉にならない喚き声を上げてバットを振う末松は、次第に追い詰められていった。
小さな池の縁で足を滑らせ、前のめりに転んだ末、泥が口へ入って咳き込む背中をおばちゃんのモップが襲う。
一発当たれば、滅多打ち!
一人殴れば、みな殴る!
ほんの数日前、池へ放ったばかりの錦鯉が、あえぐ末松の目の前で腹を上にして浮いていた。
最早、そこは戦場。
板塀付近のセンサーは電源切れで動作していないのか、誰が何処に触れてもスピーカーから爆音BGMが飛び出す事は無い。
でも高齢者同士が憎悪を剥き出し、罵りあいながら争う様は、まさに元ネタ『地獄の黙示録』さながらだ。
それから、若干の時が流れ……
要領良く争いの渦中から抜け出した浅子は、庭外れの縁石に腰掛け、額の傷から滲む血をハンカチでのんびり拭っていた。
頬に涼風を感じる。
夕刻が近づくにつれ、烈火の如き太陽も大きく傾き、周囲の影が伸びるにつれて残暑も幾らか弛んだ様だ。
血と汗を拭う度、彼がしかめ面するのは傷のせいと言うより、バットの先を押し付けられた掌の痛みのせいだろう。
誰か通報したらしく、遠くからパトカーのサイレンが迫って来ていた。
そろそろ引き上げる頃合いかな?
もう末松武弘が逮捕されるのは間違いない。
今度は迷惑条例違反なんて軽微な罪ではなく、暴行と傷害の併合罪となり、しかも現行犯である。
スマホが潰されて音声記録は失われたが、ご近所の面々が証人だし、逮捕が二度目である以上、執行猶予はつかないだろう。
傷害罪で有罪が確定すると懲役を課されるのが日本の通例で、初犯でも一年は臭い飯を食う事となる。
即ち、末松家の不動産管理能力は消滅したとみなされ、債権者による処分手続きが始まる訳だ。
無論、他の債権者への根回しは既に行っている。
想定外の連続に見舞われたものの、ようやく仕事の目途がつき、浅子は胸を撫で下ろす心境だった。
地方自治体の財政難を隠蔽する為、奨学金債権等は今や外郭の第三セクターへ幾重もの「トバシ」処理がなされており、どんな手を使っても回収せよ、との厳命が上司から出ている。
それに中国の大富豪へ首尾よく売り渡した時点で、彼らと癒着する浅子へのバックマージンも期待できる筈だ。
それなりにリスクと見合う美味しい仕事ではあるのだが、
「やれやれ、ボク、痛いの苦手なのにさ。こんな危ない橋、もうカンベンしてもらえないかなぁ」
ハンカチの乾いた赤い染みを見つめ、浅子は仕事の顛末を振り返って、小さな溜息をもらす。
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