緋の残像 伝説の殺人鬼が恋人の心の奥で蘇る

ちみあくた

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トラウマ 2

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 その日の内に守人は様々な心理テストを受ける事となった。

 『ラボ』の診察室で約三時間、オーソドックスなロールシャッハ・テストに始まり、与えられた素材で箱庭を作り、樹木の絵などを延々と描き続けていく。

 こちら側からは鏡に見え、向こう側からは丸見えになる特殊防音ガラス製の大きな窓を気にしないよう心掛けながら……





 その時、窓の向うにいたのは晶子だけでは無い。むしろ強い眼差しをテスト中の守人へ向けていたのは、晶子の隣に立つ能代臨の方である。

 その拘りの強さに関心を抱き、晶子は「能代さん、ちょっと良いかな」と話しかけてみた。

「高槻君について聞きたいんだけど、彼、ネットの陰惨な動画を目撃した直後に退行現象を起こしたんだんだって?」

「はい。あの時の高槻君、ものすごく無防備で、体を丸めた姿は生まれたばかりの赤子みたいに見えました」

「意識を取り戻すまでは、どれ位かかったの?」

「え~と、4時間程度です」

「ほう」

 悪戯っぽく晶子は臨の瞳を正面から覗き込む。

「な……何ですか?」

「つまり、君は夜中に男性の部屋で二人きり、殆ど朝まで寄り添っていた訳だ。恋人でもない彼を本気で心配し、時には優しく耳元で囁き、抱きしめたりして」

「べ、別に抱きしめたりしてません」

「ほう」

「……何ですか?」

「君達の関係性、面白いと思ってね。いや、君達と言うより彼に拘る能代さんの立ち位置が独特と言うべきかな」

 遠慮の「え」の字もなく、相手を見据えるのは晶子の悪癖だ。彼女のゼミに通う臨は前にも体験していたが、この日の視線は何時にもまして熱がこもっている。

 もしかして、あたしもテストの対象になってるの?

 トレーニング・アナリストの精神分析を晶子から受けた事を思い出し、内心で臨はぼやくが、師の関心は窓の向うへ移ったらしい。

 ラボ内で大きく枝を広げる樹木を描き上げ、満足げな守人の表情を常設のモニターカメラが捉えている。

「私の見る限り、彼の問題点は記憶の混乱より、むしろ……」

 晶子は既に終了したロールシャッハ・テストの結果や、守人が作り上げた箱庭の写真等を机に広げた。

「心理テストの結果、悪いんですか?」

「いや、その逆」

 肩を竦め、晶子は箱庭の写真を臨の前に掲げた。

 家があり、庭があり、そこで遊んでいる子供や見守る両親の人形があり、如何にも平凡な作例に見える。

「どう思う?」

「……あの、特に際立った個性は感じられない、としか」

「うん、一理ある。幼少時、酷いトラウマを受けたにしては、彼の反応が健全過ぎる」

「健全……それ、良い事ですよね」

「でも、彼の状況からして明らかに幼少時のトラウマが影を落としているのに、その辺りが心理テストに何ら影響を及ぼさないのはおかしいよね?」

 言われてみれば、普段の守人の凡庸ぶりと、合コンの夜に暴発した異常なテンションとの間にあるギャップは大きすぎる。

 別人のよう、と臨も感じたし、それ自体が彼の心の傷を反映した症状にも思えてくる。

「解離性同一性人格障害、という事は無いんでしょうか?」

 臨の答えを晶子は予想していたのだろう。微笑み、首を傾げた。

「つまり高槻君は二重人格者で、今の彼が示す一見安定した人格だけをテストしても答えは出ないって事?」

「可能性、ありませんか?」

「確かに一理ある。でも、可能な限り多角的に分析した後、考慮すべきだと思う」

「実は私、高槻君の部屋へ行く前に、この研究室で『タナトスの使徒』のHPを見たことがあるんです。誰かが、備品のパソコンで勝手にアクセスしたらしくて」

「誰の仕業か判ったの?」

「いえ、如何わしいサイトだから、閲覧した人が名乗り出たくないのは当然でしょうけど」

「それ、私も見たかったなぁ」

 見損なったのが悔しいらしく、舌打ちし、晶子は腕を組んで頬を膨らませた。日頃、落ち着いて見える分、落差のある素顔を垣間見せる事が、学内での彼女の人気に結び付いている。

「すぐ消えてしまったから確認できませんが、オカルトっぽいコーナーもあって、見た時、ぞっとしたんです。その内容は……」

 途中まで言いかけ、臨は口ごもった。

「何なの、能城さん?」

「過去の有名なシリアルキラー……既にこの世にいない殺人鬼が若者に憑依し、蘇るって言うんです」

「はぁ? 何ですと?」

「憑りついたシリアルキラーは若者を操り、生前に犯した犯行をそのまま再現するそうで、若者はその間、行動を覚えておらず、最後は体を完全にのっとられてしまう」

「ははっ、陳腐な怪談」

 晶子は軽く笑い飛ばす。

 でも臨は笑えず、窓の向うの守人を見つめて体を震わせた。
 
「馬鹿馬鹿しいです。あたしもそう思いますけど、高槻君の状態がその怪談と似すぎていて」

「あ、能城さん、まさかソレ、信じてんの!?」

 呆れた調子で晶子が言う。

「信じてません。だから高槻君にも、その事は言ってないんです。でも……怖い。彼を見てると時々」

 俯く姿に、いつもの明るさは影を潜めている。

 研究室へ来た時、守人を励まし、時に挑発的な物言いでハッパを掛けたのは彼女なりのカラ元気かな、と晶子は思った。

「あ~もう、しっかりして。あなた、初心を忘れてる」

「……初心?」

「ウチのゼミの選抜試験の時、私との面接で何と言ったか、覚えてますか?」

「あたしが? 先生に?」

「何よ、もう忘れたの? 心の闇と真っすぐ向合う覚悟、そこだけは誰にも負けないって、あなた、大見得切ったじゃない」

「……ああ」

 ようやく思い出したらしく、臨の頬が赤く染まった。

「ヒヨッコが偉そうに、そう思いましたけどね。あの前のめりのド迫力を認め、私はあなたを合格させた」

「……先生」

「前向きバカ、大いに結構。今のあなたには、それが必要よ、あそこにいる彼の為にも」

 晶子はポンと臨の肩を叩いて、守人が待つ隣室へ向った。

 穏やかに語らう二人を特殊ガラスの先に眺め、臨も覚悟を決めなきゃ、と改めて思う。幼い頃から密かに抱く彼女自身の心の傷から目を背けない為にも……
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