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まだ「そこ」にいる 5

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「エドワード・エミル・ケンパーの事件に似せたヒッチハイカー殺しも、中々良いよね。一人の被害者の首だけバスルームに置いておく辺り、視聴者の評価も高かったんだよ」

「貴様、本当に生きてンのか!?」

「できれば、もう一度、君と直接話したい」

 一転、沈んだ声音になる。

「今、君はどんな顔をしているのかな。怒りと憎しみ、恐怖……それは想像に難くないが、それだけかい?」

 隅は椅子から立ち上がった。

「ここから先、私は一人の心理学者として語らせてもらう。ある患者の症例につき、君のセカンド・オピニオンを聞かせてくれ」

 赤いレインコートを脱ぎ、奥の絵画の横にあるフックへ掛ける。昔、隅の診療所を訪ねた時とそっくり同じ動作だ。

「その患者と言うのは、私さ」

 下は見慣れた白衣姿で、その点も昔と同じだ。

 赤いコートが言わば心理的ペルソナの役割を果たし、隅の犯罪者の側面と学者としての側面を明確に仕切っているのかもしれない。
 
「私の過去を、もう君は調べただろうね。凡庸と言うだけで、何ら特筆すべきものを持たない、実につまらない子供だった」

 隅は笑ったが、それは挑発的な先程までの笑みと違い、明らかな自嘲の色を含んでいる。

「私のような、他人と共感できず、反省や後悔の念に乏しいタイプは精神病質者、或いは反社会的パーソナリティ障害とカテゴライズされる」

「近頃の流行りじゃサイコパスと呼ぶがな」

「正直、怖かったよ。周囲の子供が理解できず、ただ合わせていくしかない。この日本と言う国で集団からはみ出す事が如何に危険を伴うか、本能的に察知していたんだと思う」

「お前が……怖い?」

「酷い劣等感を抱いたものさ。幼い頃の私は、人を真似る事でそれから逃れようとした」

「真似?」

「公園で遊ぶ子供の誰か一人を指標とする。特に優れた子、リーダーシップを示す子供は対象外。凡庸な、あまり印象に残らないタイプが好ましい。最初はさりげなくその子を模倣し、周囲に『溶け込む』ふりをした。それで違和感が薄れ、前より少しだけ安心する事ができた」

 画面の中の隅はらしからぬ溜息をつき、過去を懐かしむ遠い眼差しで宙を見上げる。

「だが、何時しか窮屈さを感じ始めた。偽りの凡庸に埋没する事が鬱陶しくなった。そのきっかけは海外のシリアルキラーの記事を読んだ事。自身との共通点を感じ、私は初めて一人じゃないと感じたんだよ」

 おそらく後に隅が模倣犯となったのは、この過去の事件に対する共鳴が原点なのではないか、と五十嵐は思った。

「その代り思春期に入った頃、一つ問題が生じた。私の中にも同様の願望が生じたのさ」

 即ち殺人衝動の芽生えだ。

 もしかしたら15才当時の両親の事故死は、世に知られざる最初の犯行だったのかもしれない。
 
 隅が特に強い思い入れを持つ殺人者エド・ケンパーの最初の犠牲者が祖母と祖父である事実が五十嵐の脳裏を過る。

「私が外科医を志したのは、日々強まる衝動を抑え込む為だった。治療の場で肉体を切り刻む事が代償行為になると思ったし、私は実際、優秀だったと思う」

「でも、それじゃ物足りなかったんだろ?」

 五十嵐が画面へ問う。

「私は自分が何者か、何故こうなったか、如何なる結末が必然なのか、知りたかった。
そして長い旅を経、理解したのは、反社会的パーソナリティ障害を潜在的に抱える同朋が如何に多いか、だ」

 隅は最初、彼らを一同に集め、グループセラピーでケアする事を考えたのだと言う。

 それで幼い頃からの孤独、疎外感と縁を切り、衝動を隠す事なく昇華していく十分な代償行為を得られる筈だったのに……

「結局、私は手を血に染めた。そうせずにはいられなくなってしまった。もう破滅まで走り続けるしかない。そう覚悟を決めた頃、彼に出会った」

 重く沈んだ口調が急に弾みだす。

「命を奪う寸前まで追い詰め、私はいつも相手の目を覗く。奥底に特有の色合いが現れてね、一人として同じじゃないんだ。個々の生き様、人生が、その刹那に反映されるのだと私は思う」

 昔、隅に床へ押さえ込まれ、メスをつきつけられた時の事を五十嵐は思い出し、背筋に寒気が走る。

 あの時、殺されなかったのは隅の気紛れだろうが、守人の場合、

「彼は特別さ」

 隅は歌うように言った。

「彼の反応は個性と言うレベルでは説明できず、根本的に他の誰とも違う。完全な空虚だったんだ」

 当時の守人はまだ9才だった。完成した感情の器が無いのは当然の事だろう。

 しかし、隅の言う空虚には別の意味合いが含まれている。

「精神的な危機に瀕した子供が解離性健忘や人格障害に見舞われたり、本能的に恐怖の対象を模倣するケースは稀ではない。しかし、それが固着し、成長後も長く定着するか否かは別問題だ。大抵は時を経、元の人格へ回帰していくものだが」

「高槻守人は違う、ってのか?」

「彼は元々、極度に他の影響を受けやすい感性の持主なのだろう。でも、あの瞬間に見せた稀有な反応は『受けやすい』なんてレベルでは無かった。死に瀕し、狂笑する彼の目の奥に、私はまごう事無き己の分身を見出したんだよ」

 隅は笑った。

 手を振り回し、大声で笑いだした。
 
「本来、ごく普通の感性を持つ少年の中に、私の合わせ鏡とも言うべき狂気が宿るなんて、心理学者として興味深い事例だろ?」

 五十嵐も認めざるを得ない。

 サイコパスが脳の機能障害による生まれながらの病質者だという見方を、ノーマルな少年がシリアルキラーへ育成されていく過程を検証する事で、完全に打破できる可能性があるのだ。

 先天的か、後天的か、長きに渡る心理学上の論争にも、この実験が決着を付けるかもしれない。

「私は決めたのさ。彼をもう一人の『赤い影』にする。彼の中に生じたサイコパスの芽を守り、育み、私と同等か、それ以上の怪物に仕上げてみせるとね」

 蘇るとは、そういう意味か?

 隅の笑い声は、何時しか号泣へと変化していた。

「その時、私は生まれて初めて真の『家族』を持てる。DNAを介していなくても、血を分けたと言える『我が子』を得る」

 隅は椅子の上で体を丸め、「この気持ちを君にだけは打ち明けたかったんだ」、そう切々と訴える。

 赤い仮面の殺人鬼としての隅、冷静で感情を表わさない学者としての隅。

 五十嵐が知る、そのどちらとも違う顔がそこに在る。

「私は確かに怪物かもしれない。でも哀しみ、孤独、絶望、全ての感情を私なりに持っている。何一つ、欠けてはいない。それを理解してほしかったんだよ」

 訴える声は続くが、五十嵐は以前より一層、隅の真意がわからなくなっていた。

 サイコパスは他人の同情を利用し、操る為に悲哀や苦悩をひけらかす事が有ると言う。だが、この違和感はそれだけか?

 もっと大きなフェイクの存在を感じる。

 そして、しばらく沈黙した後に再び語りだす内容は、更に五十嵐の想像を絶していた。

「私が得た家族は高槻守人一人ではない。その広がりについて話さなければ、何もかも打ち明けた事にはならないだろうね」

 涙を拭い、隅は本来の冷酷な微笑を取り戻して、画面の奥からそう囁いたのだ。
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