緋の残像 伝説の殺人鬼が恋人の心の奥で蘇る

ちみあくた

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我々は何処へ行くのか? 5

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 文恵と交わした会話の内容を富岡が明らかにする内、臨の全身は戦慄で凍り付いていった。

「あたしが『作られた』!?」

 もはや素顔を隠そうとしない晶子の微笑は、富岡の指摘が正しい事を示しており、その冷たい瞳の輝きも臨の心を凍らせる。

 教室の中だけではなく、プライベートでも相談にのってもらい、心から敬愛して来た恩師だ。シニカルな口調でからかわれ、掌の上であしらわれた事は数えきれないけれど、そんな言動の全てが晶子独特の愛情表現に思えていた。

 時には母性さえ漂わせる確かな温もり……だから、未だに信じられない。

 晶子へ猜疑心を向けようとするだけで、足元の大地が崩れ落ち、無限の深淵へ落ちていく様な気がする。





 富岡は、身を寄せた臨の身体が震えているのを感じながら、晶子へは追及の手を緩めなかった。

「来栖先生、地下鉄で移動中に話した時、あなたは能代さんのトレーニング・アナリストを引き受け、催眠療法を含む様々な治療法を患者の立場で実際に体験させたと言いましたよね」

「ええ、他の生徒と同じように」

「同じ? 指導のディティールと方向性は大違いでしょう。睡眠療法の反復で、能代さんの記憶を一部作り変え、更に高槻守人へ強い興味を持つよう暗示を与えておいたんですから」

「そこまでストレートな手法じゃないわ。もっと、ずっとエレガントだけれど、大筋は正解、かも」

「どうして、そんな!?」

 教え子の悲痛な叫びを受止め、晶子は淡々と言葉を返した。

「能代さん、昔、あなたのご近所さんだった向井という殺人犯ね、実は隅亮二の患者だった事、知ってる?」

 驚きに臨は言葉も出ない。

「サイコパス・ネットワークを構成する試行錯誤の最中、隅は宮城の病院で働いていて、患者の一人に向井がいたそうよ。妻への猜疑心に苛まれ、不眠症に陥っていた。実際、浮気されてたんだから、当然だけどね。自分の心がおかしくなっていると向井は思い、隅は根本的な解決法の一つを御指南した訳」

「殺人をそそのかしたのか!?」

「軽く背中を押しただけって、あの人は言ってたわ。だから驚いた。その事件に影響を受けた女子学生が私のゼミに来た時は」

 臨へ向けた今の晶子の眼差しは、モルモットを観察する研究者そのものに見える。

「高槻守人を目覚めさせる生贄として、まさにベストだと思った。だって能代さんも或る意味、隅に『作られた』一人なのだから」

「それを、あんたが更に作り変えた」

「ええ、面白かったわ。隅……あの人が高槻守人を見出し、夢中になった気持ちが理解できた」

 晶子を見つめる臨の頬に、涙が伝う。

 それは師との決別の涙なのか、記憶を作り変えられ、弄ばれた怒りから来るのか、彼女自身にも良く判らなかった。

「それにしてもついてないわね。能代さんを連れて東京へ行った夜に刑事二人が五十嵐を訪ねてきた上、東京駅で出くわすなんて」

「五十嵐さんを殺し、部屋の爆破で証拠を消し去る事。同時に高槻守人の手で能代さんを誘拐させるまでがあんたの計画だったんだよな?」

「ええ」

「残念だよ、あの時の無駄話、結構楽しかったのに」

「ふふ、妙に馴れ馴れしいあなたの態度、あれ、既に私を疑っていたから、なのね」





 無言で聞く臨にも、あの夜を思い出し、気づいた部分がある。

 五十嵐と会う為にラボを抜け出す際、晶子に見つかり、同行すると言われた時は強引だと感じたし、何よりマンション内での行動が改めて考えると不自然だ。

 爆弾のスイッチボックスを手に守人が玄関から飛び出す直前、臨の呼びかけに彼は一度だけ強く反応している。

 自身を『僕』と呼び、凍り付いた様に動かなくなったのだが、あの瞬間、おそらく守人の人格に突発的な揺り戻しが生じていたのだろう。

 彼を取り戻すチャンスだったのは、間違いないと思う。

 だが、近寄ろうとする臨を押しのけ、強引に二人の間へ割り込んだ晶子はわざと言葉で挑発、守人の攻撃を暴発させている。挙句、晶子は負傷する羽目になったのだが……

 あれは守人本来の人格が呼び覚まされる兆しを感じ、晶子が咄嗟に臨の妨害をしたと考えれば腑に落ちる行動だ。同時に腰の負傷を口実にして大学を休み、守人の精神操作へ専念する時間を作り出す事もできる。

 晶子には好都合だったろう。犯罪者は、常に事件の成り行きを最前列で見届けたいものなのだから。





「悔しかったでしょう、富岡さん。そこまでわかっているのに、証拠が無くて、私を捕まえられなかった事」

「い~や、泳がせておいたら、こうしてボロを出してくれた」

「あら、絶体絶命はあなたの方だと思いますけど」

 爆弾のスイッチボックスを、晶子は富岡の前で大きく揺らして見せた。

 それが合図だったのだろうか。

 講堂の照明が全て消える。
 
 蠢くスポットライトの眩さに慣れていた目は視界を奪われ、その隙をついて、無防備になった富岡の背後から、誰か音も無く近づいた。

 そして、再点灯した照明が赤い仮面とレインコートをまとう、もう一人の『赤い影』を照らし出す。
 
「お前……高槻守人か!?」

 咄嗟に絞り出した声に力は無い。

 真っ赤な異形が密着している富岡の左胸、丁度、心臓辺りから噴き出す血に半身が染まっていた。

「富岡さんっ!」

 臨の叫びが虚しく響く中、もう一人の『赤い影』は仮面を脱ぎ、何の感情も伺えない高槻守人の顔が、崩れ落ちていく富岡を見下ろす。

 もう『僕』に揺り戻しが起きていた時の迷いは微塵も感じられない。

 スイッチボックスを持つ晶子へ近づく彼の手に光るのは、隅亮二が十年前に富岡を刺した、あの錆びたメスだった。

 同じ刃が時を超え、再び同じ肉を抉り、同じ血を啜ったのだ。
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