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我々は何処へ行くのか? 12

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 ささやかな思い出に浸る内、意識が遠のくのを晶子は感じ、死の前にやっておくべき事があるのを思い出した。

 隅の骸の正面、机上に置かれたPC型の端末を起動させ、操作する。

 すると画面にダークウェブ版『タナトスの使徒』のHPが開き、『赤い影』の動画ウィンドウが再び姿を現した。

 かの忌々しき『スポンサー』の代行者。

 先程までと同じ白い診療室で主は仮面を取ったまま『隅』の素顔を晒しており、ウィンドウの中の時間が止まっていたかの様だ。





「先程は失礼したわね。私の教え子が、あなたのライブ中継をいきなり中断してしまったみたい」

「確かに困った事をしてくれたが、なら、君の方はどうかね?」

「私?」

「長年費やした計画が破綻した割に、気落ちしていない様だが」

「ふふっ……それはどうかしら?」

 小首を傾げる晶子の素振りを、『隅』は興味深げに眺める。

 校長室にも中の状況をモニターするカメラが設置してあり、こちらを監視しているのだろうが、

「成程、君の狙いがわかったよ」

 動画ウィンドウの中で、『隅』は小さく頷いた。

「君は高槻守人を守ろうとしたのだね」

「あなたが……いえ、あなた方がこれまでの計画を放棄し、彼を葬ろうとしなければ、こうはならなかったわ」

「葬る? それは心外だ。普通の少年の中でシリアルキラーの芽を育てる実験に我々も期待していたんだよ。只、進捗が伺えなかったからね」

 動画ウィンドウの中で『隅』は、大仰に嘆いて見せる。

「我々スポンサーの立場からすれば、投資効率の低いプロジェクトは打ち切られて止む無し、だろ?」

「費用対効果……まさにそちらの行動原理そのものね」

「譲歩はしたよ。君の提言を受入れ、隅亮二が十年前に我々へ売り込んだ計画を破棄するか、否か。判断材料として気仙沼市、荒生岳での殺人実験を許可した。サイコパス・ネットワークの反応データも収集しておきたかったからね」

「私は志賀を含むネットワークの連中を使ってあの事件を起こし、十分な成果を得たわ。高槻守人の中で隅亮二とのシンクロは進み、夢の中で殺人を自分が犯したものと認識するに至った」

「でも、彼自身が手を下すには足りない」

「もう少しの所だったのよ。なのに、あなた方は計画を放棄し、サイコパス・ネットワークを含むあの人……隅亮二が残した全てを破壊しようとした」

「おいおい、忘れないでくれ給え。私が『隅』だよ。彼の残した知識、経験の全てを私が引き継いだのは知っているだろう?」

「あなたは只の幻に過ぎない。本物の彼は、今、ここにいる彼だけ」

 晶子は、傍らの亡骸を抱きしめ、干からびた顔に頬刷りした。

「ふふ、何にせよ、志賀進の想定外の暴走が無ければ、我々だってすぐ手を引こうとは考えなかったさ」





 本来、志賀進はサイコパス・ネットワーク参加者の中から、最終的に全ての罪を引き受けるスケープゴート役で、晶子がピックアップした男である。

 薬物依存の傾向があった志賀を釣る為、ダークウェブで流通している違法薬物を餌に使った。
 
 1970年代への憧憬を持つ志賀が最も強い関心を示すPCPを最新の成分で強化、一層強い幻想症状と依存性を備えた錠剤を渡し、『タナトスの使徒』管理人に仕立て上げたのだ。

 気仙沼の事件でPCPを現場へ残しておいたのは、志賀を犯人に仕立て上げる下準備である。高槻守人の中の隅亮二を目覚めさせた後、志賀をどう処理するかも段取りは出来上がっていた。

 にも拘らず、恋人とのトラブルで志賀は彼女を殺害。現場に多くの証拠を放置したまま逃亡してしまう。
 
 それは晶子にとっても思わぬアクシデントだった。

 先程、富岡刑事が披露した推理の中では、事件全体を晶子がコントロールしていると結論付けていたが、志賀の事件以降、事実は違っているのだ。

 隅亮二が残した計画に『スポンサー』と言う外部要素が強く関わり、途中から裏方ではなく、『スポンサー』自らプレイヤーとして参加していた事を富岡は知らないのだから、無理も無いのだが……





 晶子が志賀の暴走へ如何に対処するか苦慮する間、『タナトスの使徒』背後に控えるスポンサーは独自の行動を起こした。

 『赤』を名乗って志賀と直接連絡をとり、陸奥大学へ向かわせたのだ。
 
 高槻守人を志賀の手で殺させ、その後、自殺を偽装して志賀、サイコパス・ネットワ―くのメンバー中、特に隅へ心酔している一部も処分。

 『赤い影』が関わる事件の全てを彼らの仕業として演出する事で、後腐れの無いプロジェクト終了を目論んだ訳だが、

「志賀が死んだのは計算通りよね。でも高槻守人は生き延び、大学から逃走した。さぞ、あなた方は困ったでしょう」

「その後のケアは完璧だったろ?」 

 画面の中で『隅』は笑った。

「我々の指示に従うネットワークのメンバーを動かし、今度こそ高槻を捕らえた。あの時点では君が裏切りを企んでいると思いもしなかったがね」

「計算違いはもう一つ。あなたが使った連中も都市伝説の熱狂的信者に過ぎず、頼まれてもいない二人のヒッチハイカー殺しを勝手にやってしまった事」

「あぁ、それは確かに誤算だったが、後々、サイコパス・ネットワークをカルト集団へ仕立て、葬るプランには好都合だった」

「守人が五十嵐のマンションを襲ったのは、志賀進が背負えなくなった殺人の容疑を彼に被せ、ついでに知り過ぎた五十嵐の口を封じようとしたのよね。
で、最後の仕上げが今回のイベント。私や守人、臨の友人が、ネットのライブ中に残らず死んでしまえば、カルトの同士討ちに見せかけられる。あなた方の関与は誰にも突き止められない」

「罪を背負う役の君から見ても、良い計画だろ?」

「そうね……但し、この先に起こる事が何もかも、あなた方の予想通りとは限らない」

「例えば、監視とイベント後の『掃除』をさせる為、我々が派遣したネットワーク・メンバーから連絡が無い。彼らはどうなった?」

「パトロールへ出て行く時、濃縮したPCP入りの珈琲を飲ませてやった。幻覚のせいで無暗に野犬を攻撃し、返り討ちにあったみたい」

「まぁ、そいつらも処分する予定だったから構いはしない。高槻にせよ、いずれ必ず追いつめる」

「そう、うまく行くかしら?」

 晶子の言葉を負け惜しみと思ったらしい。動画ウィンドウ中の『隅』は憐れむ仕草で、首を横へ振った。

「愚かな女だ、来栖晶子。高槻守人や、その干からびた亡骸に拘らず、隅亮二の全データを受け継ぐこの私を愛し、忠実に仕えていれば、こんな事にはならなかったのに」

「あなたが隅を受け継ぐ?」

 晶子は衰弱しきった体で何とか立上り、掠れた笑い声を上げた。

「データ的には確かにそう。でも、所詮、あなたはデジタルのハリボテ。隅の……私が愛したあの人の、何が理解できていると言うの?」

「つまらん感傷だな」

「人の心を0と1のデータで完全再現できると思うあなた方の方が、ずっと哀れよ。何時か、その傲慢を、あの人の真の後継者が断罪する日まで、ネットの奥で怯えながら待ちなさい」

 尚も質問を重ねようとする画面の『隅』は、パソコンのシャットダウンと同時に晶子の前から消え失せた。





 これで良い。今の会話は全て、陸奥大学・ラボのパソコンにだけ転送され、視聴できるよう設定してある。

 あの子……増田文恵って言ったっけ?

 変に目敏い彼女なら、高槻守人の無罪を証明する今の会話の内容を有効に使ってくれるでしょう。

 それから先は、守人の中で生き残った『赤い影』の残像に何もかも任せれば良い。

 さぁ、最後の仕上げよ。





「我々は何者か……」

 高槻守人の目の前で人を殺して見せる時、歌うように口ずさんできた言葉を、彼女は声にした。

「我々は何処へ行くのか……」

 そして愛する人の亡骸にもう一度頬ずりし、爆弾の起爆スイッチへ指先を伸ばして、

「私は……何処までも、あなたと」

 躊躇わずに押す。
 
 その瞬間、彼女の視界を覆った白い閃光の中に果たして何が見えたのか知る由は無く、只、転送された動画データの末尾に艶やかな笑みが刻まれていたのみである。
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