ジョニーは洗い場へ行った

ちみあくた

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 ビュンっと唸りを上げ、新鮮な牡蠣の貝殻が目の前へ飛んできても、笠森譲二は表情一つ変えなかった。

 66才と言う年齢の割りに素早い反応で頭をずらすと、白髪交じりのもみ上げを掠め、貝殻は真新しいキッチンの白壁へ激突する。

 カンと金属っぽい音を立てて跳ね返り、床へ落ちた途端、磯の香りと共に粘液が飛び散った。

 身は半ば潰れたようだが、この後、どうするつもりなのか?

 綺麗好きの譲二は僅かに眉をしかめたものの、尋ねるまでも無い。大きな抗菌まな板に向かい、たった今、牡蠣を宙へ舞わせた張本人が振り返って声を上げた。

「おい、ジョニー、そいつを拾って、持ってきてくれ」

「まだ使うのか?」

「ったりめ~だろ。そいつはな、今日の為に広島から直送で取り寄せた極上品だぞ」

 言いつつ、次の牡蠣へ調理用のハンマーを振り下ろす。

 先程は狙いがずれて斜め横へすっ飛んだが、今度はうまく割れた。

会心の笑みを浮かべる小杉慎吾は譲二と同じ66才。牡蠣ならぬ蟹に似た四角い顎と、恰幅の良さが印象的な男である。

 やや下腹の目立つ体形をプロ仕様の胸当て付きエプロンで包み、台所に所狭しと並んだ食材を粉砕……いや調理しているのは、彼が今夜、ホームパーティのシェフを気取り、腕を奮っているからだ。

「お~、ひでぇ。牡蠣が床でベチョッとなってらぁ」

 そう言って台所を覗き込んできたのは、やはり同い年の竹ノ内忠。

「おう、お前でも良い、忠。そいつを拾って持ってこい」

 新鮮な分、牡蠣の水気が多く、まだ床に水気を散らしている。

 見た目の悪さに閉口し、忠は譲二の隣で牡蠣を見下ろして、
 
「ま~、中身をぶちまけた訳じゃね~し、料理にゃ使えるだろうけど。ちょい貧乏臭くね~かな」

 とぼやく。

 そんなツッコミに慎吾は動ぜず、牡蠣の殻をまた一つ叩いて曰く、

「貧乏? 俺が料理をする時点で、リッチ&ゴージャスはお約束なのよ」

 などと嘯く。

「お前の場合、そのセレブ気取りがいっちゃん鼻につくわ。なぁ、ジョニー」

 俺にふるな、と言わんばかりに譲二は忠から目を逸らした。





 ちなみにジョニーとは、彼が慎吾達と知り合って間もなく付けられたあだ名である。

 名前の漢数字を音読みする安易な代物だが、クールで素っ気ない譲二の印象に合っており、仲間内で定着している。





「ゴージャスが前提とは言え、無駄はいかんだろ。我々の世代は、もったいないお化けを背中にしょって育った世代だぞ」

「ねぇ、小杉さん、別に世代のせいにしなくて、良いンじゃないの?」

 貝殻の前で佇む忠の代りに、彼の妻である友里恵が台所を覗き、慎吾へツッコミを入れた。壁を隔てたリビングルームに座っていて、男達の会話が耳に入ったと見える。
 
「招待された立場でナンだけど、あたしは嫌よ、落ちた貝を料理に入れるなんて」

「そうかい? それパエリアに使う奴だからさ、後で良く熱を通すんだぞ」

「パエリアなら貝殻ごと鍋に入れちゃうでしょ? 見たとこ、他にシーフードも山ほど有るんだし、無理して使わなくても」

「そこはホラ、勿体ないお化けが」

「だ~から、大丈夫とかじゃなく、嫌だって言ってるの、あたし」

 ムッとして友里恵は髪をかき上げた。

 妻の手が上がった途端、忠が条件反射的に両の掌で頭を抱えたのは、彼の恐妻家の側面と、普段の弱~い立場が偲ばれる。

「ねぇ、智代。あんたも自分のダンナに何か言ってやって」

「ええ……まぁ、そうね」

 曖昧な声が聞こえた後、友里恵に促され、地味だが上品なアイボリーのワンピースで小柄な体を包んだ慎吾の妻・智代も台所へ入ってくる。

 良く言えば豪快、悪く言えば大雑把に処理された食材や散らばった台所を眺め、

「あのぉ……これ、今夜は使わないで、私達二人の時に何か工夫しますね」

 と、牡蠣の貝殻を拾い上げ、小皿に乗せて冷蔵庫へ入れる。許可を求める前に動いたのは、頑固な夫と長年暮らし続けてきた妻の経験値の賜物だろう。

「そうやっていつも首を突っ込むなよ。今日は俺に任せるって約束だろ」

「ええ……」

 相変わらず荒っぽい手際で食材を扱う慎吾に、智代はそれ以上口答えできない。二人が並ぶと巨漢の慎吾の肩の下に智代の顔があり、所謂ノミの夫婦の趣がある。

「慎吾、お前のやり方を見てりゃ奥さんだって黙ってられないぜ」

 見るに見兼ね、珍しく譲二が横から他人の会話へ口を挟んだ。
 
「牡蠣の殻を向く時、お前、硬い奴を叩いて強引にこじ開けてるだろ。最初に少しナイフを入れる手順を加えれば、そう荒っぽくしなくて良いんだ」

「ナイフだけ? ハンマー抜き?」

「そう、まず牡蠣を皿に置き、キッチン鋏で先端の方をちょこっと切って、その隙間からナイフを……」

「そいつぁ、面倒臭ぇや。俺は本場スペインの住人から教わったんだ。皆、もっと大雑把にやってた」

「少なくとも日本の流儀にあわんと思う。何なら俺が一つやってみせようか」

 譲二は慣れた手さばきで牡蠣を続けて開けて見せ、その手際に忠は唸り、友里恵は思わず拍手した。

「やっぱり凄いのね、ジョニーさん」

「一人暮らしにも慣れたから、これくらいはね」

「ウチの亭主と大違い」

 友里恵の冷たい視線を浴び、忠は肩を竦めて笑う。

「まぁ、俺、世の使えないオッサン、代表だから」

「そうやって、す~ぐ開き直る」

「多分、掃除も洗濯も何~んもしないで、家はゴミ屋敷になっちまうんだろうな、俺、女房に逃げられたら」

 忠の言葉は実に呑気なトーンだが、「女房が逃げる」辺りのフレーズで傍らの友里恵がハッとし、表情を曇らせた。

「あ、こらっ!? そういうNGワードを使っちゃ」

「え、あ、いやその……逃げられたとかじゃなく、ジョニーの場合はあれね、円満離婚、綺麗さっぱり後腐れなく」

 と忠はゴチャゴチャ言い出し、

「あんた、全然フォローになってない」

 友里恵が漫才のツッコミ宜しく夫のオデコを叩き、言葉を止める。でも、一旦生じた気まずい雰囲気は変わらない。

「いいよ、俺が定年そうそう、妻に出て行かれたのは厳然たる事実だから」

 忠が肩身の狭そうな顔で頭を下げた。
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