497グラム

ちみあくた

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 人の魂の重さは21.3グラム。

 昔、誰かに聞いた事がある。

 アメリカか何処かの医者が、死んだ奴の体重を測ったら、死ぬ間際よりそれだけ体重が減っていたそうだ。
 
 まず最初に言っておくけど、俺は、霊とか魂とか、そんなの信じるタイプじゃない。

 仮に、百歩譲って真実だとしても、そいつはどんな人間にも当てはまる話なのか?
 
 例えば体重500グラムに満たない生れたばかりの未熟児に、それだけの魂が詰め込まれているモンだろうか?

 心臓全部の重さだって、20グラム無いかもしれないのに……





 今から約二時間前、11月3日に日付が変わり、午前一時を少し過ぎた頃だったと思う。

 俺の子は、千葉の大学病院の、新生児室に並べられた透明なカプセルの中でひどい発作を起こした。

 敗血症って言ったっけ?

 あと水頭症も併発してて、一刻も早い手術が必要とか……。

 看護婦がそんな事をツレの両親に説明していたけど、俺には良く判らない。
 
 で、緊急オペの後、目の前にある分厚い鉄の扉の向こう、新生児ICUへ運びこまれていったんだが、その時、ほんの一瞬、子供の顔を見た。
 
 俺は分娩に立ち会っておらず、子供の方も体重497グラムの超未熟児で、分娩室から人工呼吸器へ直行したから、対面したのはそれが最初で最後だ。
 
 顔っていうか、母親の子宮で十分育っていない分、そいつの頭は霊長類というより鼠に近い楕円形に見えた。直径はテニスボールより少し小さいくらい。
 
 なぁ、想像つくかい、そんなサイズの人間の体?
 
 俺の子……昨日生れたばかりで、まだ名前もついてないんでこう呼ばせてもらうけど、正直、ピンク色でブヨブヨした肉の塊にしか見えなかった。
 
 泣いてなかったから、痛みを感じていたかどうかは判らない。きっと痛みを感じるまで脳が発達してないんだろう。
 
 ま、そっちの方がまだマシだわな。
 
 何せ、ボールペンくらいの太さの腕に何本も管をぶちこまれ、お歳暮のロースハムみたいな胸を切り開かれて、アレコレ弄られてんだから。
 
 
 
 
 
 でも、これでも俺の子、運が良い方なんだそうだ。
 
 一才以下の子供を受け入れるICU……新生児に対応できる集中治療室の数は日本中探しても多くない。
 
 で、俺のツレ、真奈美が早産した時、偶然、ここに受け入れる余地があったから、やっとこ今でも子供の命がある。
 
 急を聞いて駈けつけてきたツレの両親に、若い医者の一人が、そう説明していた。
 
 確かに、ここへ入院を希望する患者の数はとんでもなく多いらしい。
 
 真夜中だってのに、30分に一度は救急車が到着し、ちっぽけな瀕死の命を鉄の扉の向うへ運んで行く。
 
 その度に巻き起る大騒ぎと、次の救急車が来るまでの息がつまりそうな静けさと……。
 
 ツレの両親は少し前に帰宅し、残された俺はそのギャップを一人っきりで味わう羽目になった。
 
 俺の方を見ようともせず、声を掛けても無視したまま、憔悴した顔で帰って行った夫婦の背中が今も目に焼きついている。
 
 二人にしたら、俺は一人娘の人生を台無しにしたロクデナシだ。何と思われても仕方ないけど、もし説明する機会があったとして、多分、あんた達に俺の生き方なんて理解できないさ。
 
 これでも一応、アーティストだからな。
 
 
 
 
 
 暖房が訊いている筈なのに、廊下は寒く、11月の風が窓枠を絶え間なく揺らしていた。
 
 非常口を示す緑色のライトで照らされた暗い廊下。
 
 わざと居心地悪く作ってんじゃね~かと思うくらい、固い作りのベンチ。
 
 震えながら分厚い鉄の扉を見つめ、只、待つだけの時間は恐ろしく長く感じる。
 
 時々、廊下を走る看護婦の足音が遠くから響いた。子供の泣き声が聞こえる時もあったが、それはほんの一瞬だ。数秒で甲高い声の反響は消え、すぐ静寂が戻る。
 
 あれはどういう仕掛けなんだろう?
 
 ガキの夜泣きが簡単に止む筈はない。それぞれの部屋の防音がよほどしっかりしているのか?
 
 それとも、近くに親がいない環境だと本能的に悟り、子供が、早々に泣くのを諦めてしまうのか?
 
 あり得るんだぜ、そういう事。
 
 俺もとびきり寂しいガキだったから、その辺の気持ちは良くわかる。
 
 このさい取材してみようか。次の芝居のネタに使えるかもしれない。
 
 
 
 
 
 そんな事をボンヤリ考えながら、俺は廊下を歩いて、窪んだ一画に設置されている飲み物の自動販売機の前に立った。
 
 ディスプレイのガラスに、みすぼらしい姿が映る。

 薄汚れたジャージの上下にサンダル、無精ひげが緑のライトにくすんで見え、実に貧相な男の顔だ。
 
 昨日の夕方、真奈美が急に産気づき、着の身着のまま救急車で運ばれてきたから、不格好なのは無理も無い。
 
 でも、ここへ来た前後の記憶は曖昧で、はっきり思いだせなかった。
 
 いや、曖昧と言うなら、ツレが妊娠を告白して以来、俺の頭は、ずっとまともに働いていない。
 
 次の芝居の公演に向けて、もうとっくに台本を書きあげてなきゃならないのに、ろくに手がつかないまま。
 
 子供が出来たプレッシャーだけで、ここまでうろたえるとは自分でも思わなかった。
 
 
 
 
 
 やれやれ、情けない……。
 
 ガラスに映った貧層な男が唇を歪めて笑う。
 
 ジャージのポケットに手を突っ込み、俺は缶コーヒー分の小銭を探した。
 
 残念ながら空振りだ。財布もパス入れも、携帯電話さえ、アパートへ置いてきちまったらしい。
 
 一縷の望みを胸に、お釣りの返却口を探ってみたが、当然、空振り。
 
 飲めないと思うと却って飲みたくなって、この際、自販機下の隙間でも覗きこんでやろうと深く身を屈めた時、背後から人の動く気配がした。
 
「ねぇ、何してんの?」

 人気の無い夜の病院でいきなり声を掛けられたら、大抵の人間がギョッとする。

 のけぞって尻餅をつき、後ろを振返ると、真奈美が廊下に立っていた。

 病院の寝巻姿で手すりをつかみ、ゆっくりとこちらへ近づいて来る。

「そんなトコ覗いても、お金なんて落ちてないわよ」

 真っ青な顔色でふらついている割に、声は力強かった。皮肉と、微かな反感の響きを言葉尻に滲ませ、真奈美は俺の顔を覗き込む。

 「お前……大丈夫なのか、こんな所へ来て」

 えっ、と小さく呟いて、真奈美の眼が円くなった。キョトンという感じで、こちらを見つめる。
 
「早産って母親の方も大変なんだろ? 俺、てっきりお前は病室で寝込んでるモンだと思ってた」

「そりゃまぁ、確かにずっと静かな所にいましたけどね……」

 言葉を止め、尚も、真奈美は不思議そうに俺の顔を覗きこむ。
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