497グラム

ちみあくた

文字の大きさ
2 / 5

しおりを挟む

「……何だよ、変な目で見ンなよ」 

「いや、心配してくれてるんだ、と思って」

「当然だろ。それが意外?」

 真奈美はフッと薄い笑みを浮べ、俺の横を通り抜けてベンチに座った。

 ホントの所、俺達は内縁の間柄で、まだ籍を入れてはいない。

 一緒に暮らして四年。何度も喧嘩し、何度も別れ話が出て、それでも別れきれない腐れ縁って奴だ。
 
 
 
 
 
「……あの子は?」

「ICUで治療を受けてる。ちょっと前に手術をして、その後はずっとここ」

「危ないの?」

「どうかな? 手術は成功したって聞いたけど」

 真奈美は、ICUの鉄の扉を睨み、奥歯を噛み締めた。

「ねぇ、中の様子は?」

「そんなのわかる訳ないだろ? 医師や看護婦しか立ち入れない場所だぞ」

 又、真奈美はキョトンとした眼差しを俺に向けた。親なら、無理にでも子供の容体を調べるべきだと言いたいのか?

 安心させてやりたいが、俺が言えるのは、ほんの僅かな事柄だけだ。

 言葉を選び、ポツリと呟く。
 
「俺さ……子供の顔、見たよ」

 真奈美は俺から視線を逸らし、又、鉄の扉を見つめだす。

「ちっぽけでさ、弱々しくて、なんか……何と言うか、その……」

「人間に見えなかった?」

 扉から目を離さず、冷めた声の響きで俺の心を突き刺す。真奈美は、確かに俺に対して苛立っているようだ。

 後々の為、御機嫌をとっておく方が得策だろう。

「いや~、可愛かったわ、一応。俺の子だもん、見るだけで胸が熱くなると言うか」

「……嘘」

「嘘じゃね~よ、目が大きくてつぶらな感じ、ちょっとお前に似てて」

「殆ど目を開けないのに、つぶらも何もないじゃない」

 真奈美は、チラリと横目で俺を見た。

「本当に可愛いと思った?」

「そりゃもう。ただ、さ」

「ただ……何?」

「何ンか、いかにもつらそうなのよ。体中に太い管突っ込まれて、小さく震えてンの」

「……そう」

「あのサイズで震えが判るんだから、実際は全身ガタガタ揺らしてんだろな。俺だったら絶対我慢できねぇ。実際、生きてるのが信じられない位で」

 真奈美の瞳から皮肉めいた輝きが失せ、代りに苦悩の影が満ちる。

「生き残る可能性、どれ位あるんだろな?」

 俺がそう訊ねると、真奈美はしばし沈黙し、胸の中で答えを探していた。感情的にならないよう、自分を律しているのだと思う。

 何しろ、こいつの仕事は看護師だ。

 俺より一つ年上で、31才。看護師としてのキャリアも10年近い。

 母親という立場を離れれば、それなりに状況の正確な判断ができる筈だが、その分、口から洩れた言葉は一層重く響いてきやがる。

「可能性で言うとね、三割も無いと思う」

「つまり、七割死ぬって事?」

 真奈美は頷かなかった。

 三割無い……あいつの言い回しからして、実際には一割か、それ以下か……まぁ、十中八九死ぬのだろう。

 別に今更驚かない。あの楕円形の不格好な頭を見た瞬間、素人の俺にも大体見えていた事だ。

「それなら、むしろ……」

 ふと口から洩れた言葉に、俺のツレは鋭く反応した。

「むしろ、何!?」

「早く死んじまった方が、幸せかも」

 思い切って本音を口に出すと、真奈美は俺を睨んで、すぐ小さな溜息をついた。

「どうせ、親が望んだ子じゃないものね。あなただけじゃない、私の両親まで心の底じゃあの子を厄介物だと思ってる」

 抑えた声の奥、絶望と怒りが滾っている。日頃、物静かな分、真奈美が思い詰めた時には表情に妙な迫力が宿る。

「まぁ無理もないわ。もし、ICUで生き延びたら凄くお金が掛かるし」

「治療費の事?」

「それもあるけど、入院費だけだって馬鹿にはならない」

「お前、確か、俺に隠して、分娩費用を貯金したって言ったよな?」

「普通の分娩で、今は大体55万かかる。で、親にもお金を借りて70万ちょい用意したんだけど、全然足りないわ、それじゃ」

「へえ、子供を生むって、そんなに金が要るのかよ?」

「低く見積もって、の話よ! あなたにそういう相談した事ないものね。どうせ、お金の事じゃ役立たずだし」

「……そういう男と承知で、お前、俺とつきあった癖に」

「子供ができたら、少しは変わってくれるかと思った」

「悪いけど、俺、生れついてのアーティスト。小なりと言えど、下北で一座を構える劇団の座付き作家なんだからさ」

「赤字続きで、今にも潰れそうな劇団のね」

「おうよ! それがどうした?」

 真奈美の言い方があんまり刺々しいモンで、俺もついキレた言葉を返してしまう。

 まずいな。

 深夜の病院で、それも新生児用ICUの扉の表で、夫婦喧嘩なんかしたくない。

 でも一度、気持ちに火が付いたら真奈美は止まらないんだ。日頃、大人しい分だけ……火が付いたら、最後……。
 
「バカだった! もう、大バカだったわよ、私! できるものなら、あの日から全部やり直したい!」

「お前、つきあってくれたら苦労させないって約束したよな。看護師で稼いで、俺が芝居でメジャーになるまで、何が何でも支えるって言ったぞ、確かに」

「……昔は、それが私の夢だったの」

「今は?」

「今の私の夢は、あの扉の向こうで死にそうになってる」

 激しい口調から一気に冷め、真奈美の言葉は最後は聞き取れないほど小さくなった。

 哀れだと思う反面、奇妙な嫉妬が俺の中で湧き上ってくる。

 ずっと俺の事だけ見つめていたのに。

 初めて会った日、真奈美は俺のファンだと名乗って、舞台の打ち上げパーティに参加した。

 下っ端劇団員の高校の先輩だそうで、最初は誘われて芝居を見に訪れ、その内、のめり込んでしまったのだと言う。
 
 一緒に飲んで、酔っ払って、その日の内に俺達は寝た。

 ファンと出来ちまうのは良くある話だ。

 前にも何人かつまみ食いしたが、真奈美の側にいると妙に落ち着く。で、何時の間にか一緒に住むようになって四年。
 
 避妊には結構気をつけていたつもりだ。それにピルを呑んでると彼女は言ってたのに、いきなり妊娠を告げられて……。

 罠にはめられた、と正直思った。
 
 そして、それ以来、二人の間を流れる空気は変わってしまった。

 何をするにも反りが合わず、わだかまる喪失感が、言わなくて良い言葉を口から吐き出させる。
 
「……お前さ、十中八九死ぬ子に、夢を託しても虚しいだけだぜ。もう少し、現実を見た方が良い」

 自分でも嫌になる位、俺の言葉は冷たく、暗い廊下に響いて聞こえた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

あなたのサイコパス度が分かる話(短編まとめ)

ミィタソ
ホラー
簡単にサイコパス診断をしてみましょう

女子切腹同好会

しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。 はたして、彼女の行き着く先は・・・。 この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。 また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。 マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。 世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。

意味がわかると怖い話

邪神 白猫
ホラー
【意味がわかると怖い話】解説付き 基本的には読めば誰でも分かるお話になっていますが、たまに激ムズが混ざっています。 ※完結としますが、追加次第随時更新※ YouTubeにて、朗読始めました(*'ω'*) お休み前や何かの作業のお供に、耳から読書はいかがですか?📕 https://youtube.com/@yuachanRio

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

10秒で読めるちょっと怖い話。

絢郷水沙
ホラー
 ほんのりと不条理な『ギャグ』が香るホラーテイスト・ショートショートです。意味怖的要素も含んでおりますので、意味怖好きならぜひ読んでみてください。(毎日昼頃1話更新中!)

処理中です...