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三番目の天国には、樹木になったケモノが住んでいた

知恵の木の実(1)

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「詐欺師?」

 ガラスの床下に居る蓮見九九はすみくくが、その大きな黒眼をくるくると動かしてから、熊野御堂二を見上げるように視線を向けた。

「ええ。黛徳之助は、詐欺師だったんです」と、熊野御堂は九九に微笑みかける。

「前科三犯の、なかなかな大物です」

「ご立派なお名前ですのに……」

 九九が、そう言って大きく背伸びをした。その姿が、ふわふわした毛並みの猫のように見えて、熊野御堂は微笑みを増す。

 九九が、「名前も、記号ですものね」と、言葉にする。「そういった記号の方が、人を陥れ易いのかしら? 私なんて、九九ですから、小学生に嫌われるだけだわ」

「さすがに、本名で詐欺はしない気がするのですが……」

「それで、その詐欺師は見つかりましたか?」と、九九。

 熊野御堂は、首を横に振った。

「それが、難航していまして。現住所とされる場所に行ってみたのですが、……もぬけの殻でした」

 志々目さほの推測通り、大分県別府市に在住する黛徳之助は、一人しか居なかった。

 黛が前科のある人物だという事実は、警察の持つデータベースから容易に判断できたものの、現住所として登録されているアパートは、空き部屋になっていた。

「つまりは、死んでいるか、生きているかも、不明ということですね?」と、九九。

「ええ。これから、黛が立ち寄りそうな場所をあたってみるのと並行して、動画共有サービスにアップされた動画から、撮影場所を特定する事になりそうです」

「ただ、具体的に、何等かの事件が発生しているという事実が確認できているわけではないので、大々的には動けませんが……」と、続けた。

 九九が、「警察は、不便な組織なのですね」と、歩き始める。

 ガラスの床下で歩くその姿は、動物園にいる愛らしい小動物の様だった。

「三番目……。確か、その天国には生命の木があるのでしたね?」

「ええ。動画の最後にあった赤い原稿用紙にも、生命の木の記述がありました」

「そこが、最も天国らしい場所じゃなかったかしら?」

「天国らしい、ですか」熊野御堂は、そう訊いてしまう。

 九九が、「今、貴方が思い浮かべた様な場所だと思いますよ」と、口角を上げた。「でも、それは半分しか見ていない」

「半分?」と、熊野御堂は首を傾げた。

「南側が天国の様な場所であった事に対して、北側は闇と霧に包まれ、暗黒の炎が燃える場所だった。そこには牢獄があって、天使が不信心者の囚人を苦しませていたのではなかったかしら」

「天国に行っても苦しまなければならないなんて、理不尽ですね」と、熊野御堂。

「あの……、その動画の中で、全身を樹皮で覆った人物が現れたのですが、生命の木と関係があると思いますか?」

 九九が、「不明ですね。その人物が全身を樹皮で覆った目的が、恐怖心を煽る為なのか、その正体を隠す為なのか……」と、一旦立ち止まってから、熊野御堂の方を向く。

 熊野御堂は、その整った顔を見つめながら、「情報が、希薄ですかね」と、訊く。

「ええ。生命の木は、旧約聖書の創世記にあるように、エデンの園の中央に植えられた木です。その実を食べると、神と同等の永遠の命を与えられるとされていますね。ヤハウェが、知恵の木の実を食べたアダムとイヴをエデンから追放したのは、生命の木の実まで食べて、神と同様の生命を持つ事を恐れたからだとされています」

「アダムとイヴは、聞いたことがあります。蛇に唆されたんでしたっけ?」

 九九が、その問い掛けを無視して話を進める。

「確かに、木の実を食べるという事象は、面白い発想ではありますね。知恵の木の実を食べたことで善悪が生まれ、楽園を追放されてしまう……。人工知能の世界にも、その要素を取り込むと、面白いかもしれません」

「どういう事です?」

 熊野御堂は、素直に訊いていた。

「人工知能の世界に、善悪の判断の種となる、木の実を置いてみるのです。それを得た人工知能は、判断基準を得る代償として、楽園である今の環境から追い出される。そうですね、バグだらけの世界にでも、追い払おうかしら」

「それが、進化の要因になるんですか?」

 熊野御堂は、疑問をそのまま口にした。

 九九が、小学生の質問にでもこたえるように、微笑む。

「ええ。バグが多い環境に適応するとなると、生き残れるのは、それ相応の知能を持った人工知能だけになりますね。きっとそれは、現実の世界と、近似になるでしょう。……そうなると、楽園から追放する神が必要になります。ふふ、私が、神なのですね? ただ……」

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