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三番目の天国には、樹木になったケモノが住んでいた

これ(1)

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 そこは、桜の園と呼ばれている場所だった。

 土地は斜面になっており、枯れたキツネ色の草が生え揃っている。そこに、自分達が主役だと言わんばかりの無数の桜の樹が、規則正しく並んでいた。

 今は葉さえないそれらも、春になれば、桃色の景色を求めて花見客が訪れてくれる。

 大分県別府市を見下ろすように鎮座する大平山おおひらやまの麓に、その場所はあった。

「ここ、寒いね」

 明日葉春が、羽織っているコートが無意味だと語る様に、胸の前で腕を組んでいた。「山から、風が吹き下すのかな」

 それでも寒いのか、細かく足踏みしていた。

 熊野御堂二は、表情も変えずに、背筋を伸ばしていた。「確かに寒いな……」

鶴見岳つるみだけから吹き下す強風の事、なんて呼ぶんだっけ。ああ、鶴見おろし?」と、春。

「別府市の冬は、その風のせいか、気温よりも寒く感じるよな」そう言った熊野御堂の吐く息が、白く染まる。

 鑑識課の志々目さほから、動画共有サービスにアップされていた動画の撮影場所が特定できたとの連絡があったのは、一時間ほど前の事だった。

 桜の園は、別府警察署から車で移動すると、二十分間ほど掛かる場所だ。

 熊野御堂と春は、さほからの連絡を受けて、二人でそこに向かった。

「まだ、雪が降っていなくて良かったよ」と、春。「この辺り、真っ白に染まるものね」

「そんな状況でなくても、こんな場所に放置されていては、凍死してしまいそうだ」

 そう言った熊野御堂は、枯れ草で覆われた斜面に一歩踏み出す。その後ろに、春が続いた。枯れ草の砕ける乾いた音が、静かな空間に響く。

 暫く斜面を歩いた所で、「この辺りか?」と、熊野御堂は振り返った。

 その場所は、等間隔に植えられた桜の樹々に囲まれていた。

 幹がむき出しになっているそれらは、閑散としていて、世界から取り残された様な気持ちにさせる。

「うーん、動画が撮られた時間帯とは違うだろうからな。なんとも言えない……」と、春。

「どうする?」

 熊野御堂は、「視界に入る範囲では、何もなさそうだけれど……、念の為、周辺を手分けして探すか」と、春の方に向く。

 春が、小さな顔を熊野御堂に向けて、顎を引いた。「じゃあ、私は、あっちの方に行ってみるわ」

 春が歩いていく方向とは逆側に、熊野御堂は斜面を降り始めた。

 この寒さでは、ここに居るとしても息をしていないかもしれない……。流石に、蓮見九九の推測もハズレだろうか、と考えている時だった。

「熊野御堂!」と、春の高い声が聞こえた。

 熊野御堂は、その声のする方に向かう。

 枯れ草が革靴に纏わりつき、滑りそうになった。春の姿を探しながら、しっかりと地面を踏みしめる。斜面は起伏があり、その段差を超えないと、先を見通せなかった。

 春の声を頼りに、桜の樹々を抜けていく。躰を支えるように、その幹に触れた。そこで生まれた、肌に食い込むような感触を嫌悪し、すぐに体勢を戻そうとしてしまう。

 春が立っている目の前に、大きな亀裂が出来ていた。

 その部分が、斜面に沿うように大きく抉れている。そこには枯草さえなく、大地が剥き出しになっていた。

 春の視線は、その亀裂の中に向かっている。熊野御堂が近づいても、その視線を変えようとはしなかった。

、なんだと思う?」と、春が呟く。

 それは、剥き出しになっている土の部分に、横たわるように置かれていた。一見すると、そこだけ季節が先走りし、春の訪れを拒否出来なかった様だ。

 枯れ草色と、大地の褐色、それらの存在を否定する様に、眩しい新緑がそこに集まっていた。

 樹皮に覆われ、微動だにしないその物体は、蔦で拘束される様に巻かれている。それどころか、掌ほどの大きさがある葉が、生き生きとしていた。

 よく観察すれば、それが、人の形をしている事に気がつく。両手、両脚が真っ直ぐ伸びていた。頭部は、緑一色になっている。僅かに見える肌にあたる部分は、樹皮に覆われていた。

「……救急車と、鑑識を」と、熊野御堂。

 その言葉に反応が遅れた春が、神妙に頷いていた。
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