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第5話 : 入学者説明会
しおりを挟む帝国学園、高等部の教室──
帝国学園は、帝国中の名門子弟や優秀な平民が集まる、帝国最高の教育機関だ
そこへ、異物がやってきた
重厚な扉が軋むように開き、二人の生徒が姿を現した。一人は白銀の髪と碧眼を持つ少女。静謐なる気品と魔力をまとうように、芸術的な人形や正確な機械を彷彿とさせる少女──デウス・エクスマキナ
そして、もう一人は、彼女とはあまりにも不釣り合いな存在だった
髪は乱れ、制服の着こなしも不格好。表情には緊張も緩みもなく、ただ無関心に空間を漂うように歩く少年──アノセウス
彼らの入室と同時に、教室内の空気が変わった
「……なんで“あんなの”がここに?」
囁きが漏れる。貴族としての誇り高き面々の視線が、まっすぐアノセウスに突き刺さっていた
「全黒?奴隷だろ?」「いやでも…制服……まさか学籍を与えられてるのか?」
苛立ち、軽蔑、そして恐怖。それぞれの視線に混じった感情は、理解不能な存在に向ける、無意識の拒絶反応だった
しかし、階級的に中途半端な貴族たちにとって、デウス・エクスマキナの存在はやっかいだった
「なんであんなの連れてるんだよ…」「高貴な方のお遊びはよくわかんないなぁ」
声を潜めながらも、彼女の権威に対して一切表立って反論できない彼らは、せいぜい小声で悪口を並べる程度
しかし、それは彼らよりも上位──伯爵などの、地位の高い家の者たちにおいても同じだった
「社交界に一切出席しなかった幻の公爵家…なんでいきなり現れて“愚者”を学園に?」
この学園は建前こそ“学問の府”だが、実際には次世代の政争の場でもある
その舞台に、素性も不明なはるか昔に存在した王を騙る少年と、沈黙を貫いてきた公爵家の当主が揃って登場したことに、上位貴族の学生たちは深い警戒を示していた
その緊張を切り裂くように、カツカツと硬質な足音が響いく
「──ご機嫌麗しゅうございます」
現れたのは、一人の美しい令嬢。金糸のような髪を波打たせ、長い睫毛の奥に冷たい蒼を宿した双眸が、まっすぐにエクスマキナを捉える
笑顔の奥に気品と計算、そして毒を秘めたその令嬢の名は――ローゼリア・エルネスト
帝国三大公爵家のひとつ、『青のエルネスト家』の嫡女だった
「初めまして。わたくしはローゼリア・エルネスト。かねてより、デウス・エクスマキナ様のお噂は耳にしておりました」
ローゼリアは、完璧な貴族の礼儀作法に則った挨拶を口にした
その声音には穏やかな笑みが宿っていたが、どこか冷ややかな温度を感じさせる
「このたび、同じ学び舎にてご一緒できますこと、たいへん光栄に存じます。どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます」
周囲の視線が集中する。帝国で最高の地位にある公爵家同士、帝国を代表する二つの名家が対峙する様に、他の生徒たちは息を呑んだ
ローゼリアの制服の肩に刺繍された紋様が、光を受けてはっきりと浮かび上がる
それは、完全なる“青”──すなわち、全青
魔法の才能を持つ者が持つ希少な血統色
それは、エルネスト家が“青の公爵家”と呼ばれる所以の一つだった。エルネスト家は、その血統の才能を活かし魔術・政治・学術の分野において常に帝国の頂点を支えている
同じ公爵という地位を持ちながらも、現役当主であるエクスマキナとは異なり、ローゼリアはまだ“継承候補者”に過ぎない
それでも表舞台に姿を表さず貴族としての支持がないエクスマキナに比べ、彼女は、帝国内では名実ともに“エルネストの貴族”と目される存在だった
しかし形式上はエクスマキナが格上である
そのことを、貴族であるローゼリア自身もよく理解していた
だからこそ、彼女の言葉遣いには一切の隙がなかった。丁寧であり、尊敬を示し、あくまで“礼儀”として接していることを強調していた
だが、微笑の奥に隠された感情は、明らかに純粋な敬意ではなかった
わずかに目元が吊り上がり、視線が──エクスマキナの隣に立つ、アノセウスへと滑っていく
その視線には、嘲笑と疑問と、わずかな敵意が混じっていた
ローゼリアの口調は丁寧であったが、その声音には氷のような冷たさが含まれていた。一礼を終えると、彼女はさりげなくアノセウスの方へと視線を流す
「失礼ながら──この神聖なる学び舎へ、奴隷を伴ってお越しになるのは、まだご冗談として受け流せましょう。けれど、その者に学生という身分を与えるなど……さすがに、いかがなものかと存じますわ」
発言の内容に、教室内が再びざわめく
貴族たちは自らの本音を露わにすることを避けていたが、ローゼリアの言葉を皮切りに、それが正当化される空気が生まれた
「ローゼリア様が言ってくれたわね」「さすが青の名門……」
小声で交わされる会話は、ほとんどがアノセウスに対する否定的なものだった
だが、それはエクスマキナを明確に否定できないための代理批判だ
エクスマキナは眉ひとつ動かさず、ローゼリアの視線を受け止めた
「ご心配なく。彼は、どなたの奴隷でもありませんよ」
淡々としたその声は、強い確信と冷静な断絶を帯びていた
「まあ……それならば、万一、不慮の事故でそこの“愚者”が消えたとしても、問題はございませんのね?」
ローゼリアは針を忍ばせたような笑みを浮かべ、再び確認の形で問いかけた
皮肉と揶揄、それにわずかな挑発
そのどれもが、王族や公爵家の場では表面上のみ交わされる“戦争”のようなものだった
「ええ。ご自由にどうぞ」
エクスマキナの返答は静かで、なおかつ徹底的だった。その言葉に、ローゼリアは一瞬だけまばたきを止め、笑みを引きつらせた
楽しい楽しい学園政略の幕開けである
そんな中、教室の扉が開かれ担任教師が入室してくる
若い女性でありながら、その鋭い目つきと姿勢からは、学生たちへの遠慮のなさが感じ取れた
「お静かに。ここは社交の場ではありません」
一喝が飛ぶ。ピリついた空気が教室全体に広がり、緊張の糸が瞬時に張り直されていった
若い女教師――肩までの黒髪をすっきりとまとめ、目元に眼鏡をかけた端正な女性が、教室中央に立った
「私はこのクラスを担当するアイリス・クラヴィーア。今日から、皆さんに基礎魔導論と礼儀作法を教えることになります」
その一言で、先ほどまでざわついていた教室内がぴたりと静まり返る
貴族たちも、名家の娘であるローゼリアすらも、仕方なく席へと戻る。教師の前では、表の礼儀を保つのがこの学園でのルールだった
エクスマキナとアノセウスも、それに倣って空いている席へと腰を下ろした
アイリス教師の声は落ち着いていたが、その内容はアノセウスにとって未知の言葉ばかりだった
「本学園の建学理念は帝国精神に基づき──」
「貴族とは、名誉と責任を──」
話の節々に出てくる『理念』『伝統』『公共』といった語は、アノセウスにとってまるで別の言語だった。
(……ケンガクリネンって、なんだ? 食べ物か?)
じっと聞いていても意味はさっぱり分からず、やがて彼の視線は天井へとさまよい、椅子の上で足をぶらぶらと揺らしはじめた
エクスマキナがちらりと横目でそれを見たが、何も言わなかった。彼にとってはこれが“平常運転”だと分かっていたからだ
「なあ、さっき俺の話してた?」
唐突に、アノセウスはエクスマキナに顔を寄せて尋ねる。教師の説明中とは思えない声量で、堂々と
エクスマキナはちらりと教師を確認した後、アノセウスに視線を向ける
「ええ、していましたよ」
彼女の声は小さく、アノセウスだけに聞こえるように調整されていた
それでもアノセウスはまったく遠慮しない
「でさ、さっき言ってた『どれい』ってな──」
その瞬間、アイリス教師がピシャリと指を鳴らした
「そこ!今は説明の最中!私語は慎みなさい」
教壇から飛んだ声は、まるで魔法のごとく教室の空気を制した。アノセウスの存在が注目される中、彼はきょとんとした顔で教師を見返す
「いや、さっきからお前、何言ってんのか全然わかんねーんだけど」
本人は至って真面目な返答だった。だがその言葉に、教室内は再び騒がしくなる
教師の説明に混じって出てくる言葉――『歴史』『伝統』『名誉』
アノセウスには意味すら通じていかった
アノセウスの感覚のズレは、教室にいる誰一人として想像すらできないほど根本的だった
彼が生きていた世界に、貴族制度などなかった。学園も、秩序も、制度も、そんなものは存在しなかった
だから「理解できない」のではなく、「前提が存在しない」――それがアノセウスだった
「貴様……エクスマキナ様の奴隷だからといって、図に乗るなよ」
アイリス教師の声が再び教室に響く
先ほどまで淡々と進行していた表情は、今や明確な敵意を帯びている
彼女は伯爵家出身。血統と階級を何より重んじる貴族主義者だった
その価値観の中で、奴隷の身分にあるはずの少年が入学、貴族である自分に平然と話しかけ、口答えまでしてきたことは――彼女にとって看過できない侮辱だった
「私語は禁止」と注意する以上の感情が、確かにそこにはあった
だが、それはアノセウスにとっても同じことだった
“女”が、“男”に対して――しかも、怒鳴るように――口を挟んでくるという行為に、彼の価値観は強く反発を覚えた
階級制度と男尊女卑、2つの価値観がぶつかる
相手が女教師だろうが関係ない、なにせこの少年は、つい数時間前に王族教師を半殺しにした存在なのだ
「テメー、口の──」
アノセウスが睨み返し、言葉を荒げようとした、その瞬間
――カァァァン……カァァァン……
始業終了を告げる鐘の音が、重たく教室に鳴り響いた
あまりにタイミングの良い音に、教室全体が肩透かしを食ったような空気になる
遥か過去から来たアノセウスは立ち上がりかけたまま、初めて聞く鐘の音にきょとんとした顔を向けていた
「アノセウス様、これから授業に参ります。付いてきてください」
アノセウス様──
それは、公爵家当主の口から出る場合、強い意味を持つ敬称だった
帝国の三大公爵家、その一角を担うデウス家の当主が“様”付けで呼ぶ相手は、本来なら王か、それに準ずる存在のみ
教室のざわつきはすぐに広がり、教師ですら口をつぐんだ
「エクスマキナ様……!お戯れもほどほどになさってくださいませ!」
教室の中央から、ローゼリア・エルネストが立ち上がった
その表情には驚きと困惑、そして一抹の苛立ちが混じっている
「ご自身のご立場を、今一度お考えあそばせ。貴女様が敬称をもってお呼びできるお方とは、王か、それに準ずる存在のみと定められております。そのことを“ご存じなかった”とは……まさか仰いませんわね?」
その言葉には、社交界へ現れないことへの疑念と皮肉、そして遊びでは済まないという警告が混じっていた
彼女は形式に忠実な貴族であり、公爵家の矜持を体現するような少女だ。その彼女が“あのエクスマキナ”に真っ向から言葉を重ねる――その時点で、空気は張り詰めていた。
だがローゼリアもまた、この異様な事態に黙っていられなかった。教室内の全員が、エクスマキナの返答を固唾を呑んで待った
教師も、他の生徒も、ローゼリアすらも
そして彼女は、淡々と、揺るがぬ声で告げる
「王……ならちょうどいいと思います。この方は『愚者の王』、そう皆に認められている存在なのですから」
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