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8話「悠久の生け花」
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赤黒い視界に、空の無い世界。
壁や床から生えた植物は、まるで血でも吸ったかのように爛々と嗤っている。
「ねえ、縁」
「どうしたの、ユン?」
懐かしい聲が、優しく響いた。
目を開けて振り向けば、悪戯な笑みを浮かべた縁がそこに居る。
「えっと……」
聞かれていないと思ったからこそ問いかけたのに……。
むしろ、話したいことがあったわけでもないからと、返す言葉に困ってしまった。
「……」
「……仕方がないなぁ、ユンは」
そのまま背を向けて、縁は立ち去ろうとする。
口元が苦しさに歪み、手に持った刃物を隠そうともしない縁の姿に、俺の目は見開かれて揺れた。
(そうだ、止めないと──!)
ハッとして駆けだした脚に、鋭い痛みが走る。
地面に縫い付けるほど深く突き刺さった銀色の刃が、その身を鮮やかな赤に染めていく。
「縁、待って!!」
力いっぱいの叫びが、縁に届いたのかどうかは分からない。
そんな声より、止まらない君の足音の方が遥かに大きく、重く感じられた。
*****
「ユン、違うんだよ……」
悪夢に苦しむ青年を見て、白い服を着た少年は心配そうな顔をする。
その声は、青年には届かない。
「違うんだ、僕はそんな──!!」
その後悔を、もうどれほど嘆いただろう?
俯瞰した場所に向けて、見かねた少年は思わず手を伸ばす。
「ダメですよ」
それを止めるように抱きしめたのは、同じく悲しそうな顔をした一人の少女だった。
「だって……」
「恐れていた出来事を想像して、心の中に生み出してしまう。
でもそれは、ひと時の思い込みなんですよ」
「だけど……」
「いつか必ず、辿り着く時が来ますから」
「……うん」
少女は、よしよしと少年の頭を撫でる。
そして、自分の中の悲しい気持ちを掻き消すために、ぎこちない笑顔を作った。
(彼ならきっと、大丈夫。)
*****
秒針の音だけが鳴り響く、静かな部屋。
窓の外では、万緑が風でざわついている。
炎天は鮮やかな蒼色に染まり、色の濃い日陰を生み出していた。
見慣れた部屋、見慣れた空、見慣れた世界。
なんとなく、解っていた。
いつか、そんなことを考えてしまう日が来るのだと。
「縁。……寂しいよ」
ぼんやりとした視界には、窓から見える外の様子が映っている。
そういえば、最近、蝶を見ていない。
大方、一匹残らず蜘蛛に食べられてしまったのだろう。
まあ、大した問題でもないか。
所詮、全ての生命は世界に囚われている。
誰かの腹の中だろうが、外だろうが──
遥か遠い場所には果てがあって、俺たちはその一部として存在しているに過ぎない。
「ねえ、縁」
絞り出した声は、震えていた。
何に怯えているのかは解らない。
ただ君が隣に居ない時間が、どこまでも続いてしまう気がして──
「縁、返事をしてよ……」
感情が溢れ、頬を伝った。
それと同時に、何故か少しだけ穏やかな気持ちになるんだ。
「縁……」
だけど……本当はその激情を失うことすら、惜しい。
俺の中で、君に繋がるまで燃えていてほしい。
そう、"永遠"に。
「……」
雨の降る日が、悪夢と過ごす夜が……忌々しい。
それは薄暗いからとか、怖いからとかではなく、君が遠くに行ってしまうような漠然とした感覚の所為だ。
「……怖いよ、縁」
空も、風も、太陽も、大嫌い。
ここはきっと、とてつもなく大きな怪物の中なんだ。
得体の知れないなにものかが俺を呑み込んで、閉じ込めてしまったに違いない。
(もう、眠ろう……)
突っ伏した机の上に置いた意識が、また沈んでいく。
途切れた時間の続きが、君の隣から始まればいいのに──。
そんな思考とは裏腹に、断絶の間際で何故か口元が半月型に歪むのを感じた。
机の上には、一冊の本が投げ出されている。
乾ききったインク壺から、カラリと音を立ててペンが崩れ落ちた。
*****
「……終わりだね」
夜色に染まった髪は太陽を嫌い、そっとカーテンを閉じた。
今し方眠りについたアイツが辿り着いた回答に、気が済んだとでも言えばいいだろうか。
予想通りで、期待外れの結末だった。
結局、それが運命だと言うのならばそうなのだろう。
より近くで、縁と長い時間を共にした"もう一人の俺"にすらどうすることもできなかった。
これで、諦めもつくというものだ。
「縁……」
写真立ての中にある絵に、話しかけた。
その中で笑う君が、決して存在することのない記憶が生み出した産物だと知りながら。
かつて、この一枚の絵の為にどれだけのものを投げ出しただろう?
一体、何人の画家を雇っただろう?
満足の行く一枚を手に入れるまでに、どれだけの作品を否定してきたのだろう?
そして、それを得た上で俺の何が満たされたというのだろう?
「でも大丈夫。もう、君を独りにはしないから」
優しい声色で、縁に向かって話しかける。
これでいいんだ。
俺であって俺ではない、俺の代わりに君を想い続けられる心が完成したのだから。
即ち、全てを諦めて月下縁との思い出だけを追い続ける綾辻ユンこそが、俺の求める一つの結果だった。
アイツは色褪せることなく、縁との叶わぬ再会を願うだけの存在となった。
物語の結末に辿り着いた末に、結局は俺と同じ選択を取ったんだ。
違いがあるとすれば、俺なんかよりもずっと近くで縁を見ていたことくらいだろう。
それでも、未来永劫、ただ君に寄り添ってくれる存在ができたことが俺にとっての救いだった。
『何がヒーローだ。そんなもの、初めからいなかったじゃないか』
俺は、誰にも届かない声で呟き、悔しがる様子を隠すこともなく歯を食いしばった。
正直、それは成功するかどうかギリギリの計画だったのかもしれない。
目を覚ました綾辻ユンが、生きる術に困ることくらいは想定していたが……、
見落としていた点はいくつもあった。
まさか、本気で空や太陽すら知らないとは思わないだろう?
まあ、そこは使用人──「黒服さん」がうまくやってくれたようだが。
最悪、そのまま死んでしまう可能性もあったと考えれば悪運には恵まれていた。
俺は満足そうに笑い、再びベッドに寝そべった。
今日はいい夢が見られるだろう。
壁や床から生えた植物は、まるで血でも吸ったかのように爛々と嗤っている。
「ねえ、縁」
「どうしたの、ユン?」
懐かしい聲が、優しく響いた。
目を開けて振り向けば、悪戯な笑みを浮かべた縁がそこに居る。
「えっと……」
聞かれていないと思ったからこそ問いかけたのに……。
むしろ、話したいことがあったわけでもないからと、返す言葉に困ってしまった。
「……」
「……仕方がないなぁ、ユンは」
そのまま背を向けて、縁は立ち去ろうとする。
口元が苦しさに歪み、手に持った刃物を隠そうともしない縁の姿に、俺の目は見開かれて揺れた。
(そうだ、止めないと──!)
ハッとして駆けだした脚に、鋭い痛みが走る。
地面に縫い付けるほど深く突き刺さった銀色の刃が、その身を鮮やかな赤に染めていく。
「縁、待って!!」
力いっぱいの叫びが、縁に届いたのかどうかは分からない。
そんな声より、止まらない君の足音の方が遥かに大きく、重く感じられた。
*****
「ユン、違うんだよ……」
悪夢に苦しむ青年を見て、白い服を着た少年は心配そうな顔をする。
その声は、青年には届かない。
「違うんだ、僕はそんな──!!」
その後悔を、もうどれほど嘆いただろう?
俯瞰した場所に向けて、見かねた少年は思わず手を伸ばす。
「ダメですよ」
それを止めるように抱きしめたのは、同じく悲しそうな顔をした一人の少女だった。
「だって……」
「恐れていた出来事を想像して、心の中に生み出してしまう。
でもそれは、ひと時の思い込みなんですよ」
「だけど……」
「いつか必ず、辿り着く時が来ますから」
「……うん」
少女は、よしよしと少年の頭を撫でる。
そして、自分の中の悲しい気持ちを掻き消すために、ぎこちない笑顔を作った。
(彼ならきっと、大丈夫。)
*****
秒針の音だけが鳴り響く、静かな部屋。
窓の外では、万緑が風でざわついている。
炎天は鮮やかな蒼色に染まり、色の濃い日陰を生み出していた。
見慣れた部屋、見慣れた空、見慣れた世界。
なんとなく、解っていた。
いつか、そんなことを考えてしまう日が来るのだと。
「縁。……寂しいよ」
ぼんやりとした視界には、窓から見える外の様子が映っている。
そういえば、最近、蝶を見ていない。
大方、一匹残らず蜘蛛に食べられてしまったのだろう。
まあ、大した問題でもないか。
所詮、全ての生命は世界に囚われている。
誰かの腹の中だろうが、外だろうが──
遥か遠い場所には果てがあって、俺たちはその一部として存在しているに過ぎない。
「ねえ、縁」
絞り出した声は、震えていた。
何に怯えているのかは解らない。
ただ君が隣に居ない時間が、どこまでも続いてしまう気がして──
「縁、返事をしてよ……」
感情が溢れ、頬を伝った。
それと同時に、何故か少しだけ穏やかな気持ちになるんだ。
「縁……」
だけど……本当はその激情を失うことすら、惜しい。
俺の中で、君に繋がるまで燃えていてほしい。
そう、"永遠"に。
「……」
雨の降る日が、悪夢と過ごす夜が……忌々しい。
それは薄暗いからとか、怖いからとかではなく、君が遠くに行ってしまうような漠然とした感覚の所為だ。
「……怖いよ、縁」
空も、風も、太陽も、大嫌い。
ここはきっと、とてつもなく大きな怪物の中なんだ。
得体の知れないなにものかが俺を呑み込んで、閉じ込めてしまったに違いない。
(もう、眠ろう……)
突っ伏した机の上に置いた意識が、また沈んでいく。
途切れた時間の続きが、君の隣から始まればいいのに──。
そんな思考とは裏腹に、断絶の間際で何故か口元が半月型に歪むのを感じた。
机の上には、一冊の本が投げ出されている。
乾ききったインク壺から、カラリと音を立ててペンが崩れ落ちた。
*****
「……終わりだね」
夜色に染まった髪は太陽を嫌い、そっとカーテンを閉じた。
今し方眠りについたアイツが辿り着いた回答に、気が済んだとでも言えばいいだろうか。
予想通りで、期待外れの結末だった。
結局、それが運命だと言うのならばそうなのだろう。
より近くで、縁と長い時間を共にした"もう一人の俺"にすらどうすることもできなかった。
これで、諦めもつくというものだ。
「縁……」
写真立ての中にある絵に、話しかけた。
その中で笑う君が、決して存在することのない記憶が生み出した産物だと知りながら。
かつて、この一枚の絵の為にどれだけのものを投げ出しただろう?
一体、何人の画家を雇っただろう?
満足の行く一枚を手に入れるまでに、どれだけの作品を否定してきたのだろう?
そして、それを得た上で俺の何が満たされたというのだろう?
「でも大丈夫。もう、君を独りにはしないから」
優しい声色で、縁に向かって話しかける。
これでいいんだ。
俺であって俺ではない、俺の代わりに君を想い続けられる心が完成したのだから。
即ち、全てを諦めて月下縁との思い出だけを追い続ける綾辻ユンこそが、俺の求める一つの結果だった。
アイツは色褪せることなく、縁との叶わぬ再会を願うだけの存在となった。
物語の結末に辿り着いた末に、結局は俺と同じ選択を取ったんだ。
違いがあるとすれば、俺なんかよりもずっと近くで縁を見ていたことくらいだろう。
それでも、未来永劫、ただ君に寄り添ってくれる存在ができたことが俺にとっての救いだった。
『何がヒーローだ。そんなもの、初めからいなかったじゃないか』
俺は、誰にも届かない声で呟き、悔しがる様子を隠すこともなく歯を食いしばった。
正直、それは成功するかどうかギリギリの計画だったのかもしれない。
目を覚ました綾辻ユンが、生きる術に困ることくらいは想定していたが……、
見落としていた点はいくつもあった。
まさか、本気で空や太陽すら知らないとは思わないだろう?
まあ、そこは使用人──「黒服さん」がうまくやってくれたようだが。
最悪、そのまま死んでしまう可能性もあったと考えれば悪運には恵まれていた。
俺は満足そうに笑い、再びベッドに寝そべった。
今日はいい夢が見られるだろう。
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