猫をなでるだけの日々

道端ノ椿

文字の大きさ
18 / 23
大学編

十八話「愛」

しおりを挟む
「ねえ」とあやは眠そうに言った。
「あの時、わたしからほおにキスされて、どう思った?」

「それは、もちろん……嬉しかったよ」

「そっか……」
 綾は繋いだ手を見つめた。
「あの続き、する?」

 その言葉に驚き、横を向くと――――綾は僕に口づけした。

 僕は呼吸を忘れ、彼女の閉じたまぶたを見つめて硬直した。



 あれから、どれくらいの時間が経っただろう?
 僕が『綾とキスしている』という状況を理解した頃、彼女はようやく唇を離した。綾の顔は夕焼けのように赤く染まり、荒い呼吸が胸を上下させていた。綾は透き通った瞳で僕を見つめ、何度も、何度も口づけした。僕たちはそのまま二人だけの世界に溶けていった。
 今、僕は好きな人と繋がっている。世界一の幸せ者だ。綾は陽だまりのように温かく、僕の全てを包み込んでくれた。綾は僕に愛を教えてくれた。



 ◇ ◇ ◇



 六畳の部屋は落ち着きを取り戻していた。エアコンが静かに稼働して、部屋の暖かさを保っている。

「わたしは最低よ」
 綾は天井を見つめた。

「どうして?」

「だって……」と綾は言いよどんだ。
「わたしは寂しさを埋めるために、あなたを利用したのよ」
 彼女は口元まで深く布団を被った。

「綾は自分に厳しすぎるかもしれないね」と僕は言った。
「電車の中で、僕も同じようなことを考えてたんだ。動物愛護のつもりが……まあ、これは今度話すよ。それにさっきだって、綾が彼氏と別れたって聞いた時に、僕は喜んでしまったんだ。これで僕にもチャンスがあるかもしれないって。だから、最低なのは僕の方なんだ」

 彼女は少し考えた後、クスクス笑った。
「綾って呼んでくれた」

 確かに、僕は頭の中で彼女を『綾』と呼んでいたが、声に出してしまったらしい。
「なんだか照れくさいな」

「どうしてよ? さっきは何度も情熱的に呼んでくれたじゃない」
 綾は体を寄せ、僕の頬に口づけした。まるで雲の上に寝転ぶような気分になった。
 気がつくと、綾はスヤスヤと寝息を立てていた。僕は彼女の柔らかい頬に指で触れたあと、眠りについた。



 僕はヨルシカのライブに来た。今は『斜陽』が演奏されている。僕が最も好きな曲のひとつだ。

――――――――――

頬色に茜さす日は柔らかにぜた
斜陽も僕らの道をただ照らすのなら

もう少しで僕は僕を一つは愛せるのに
斜陽に はにかむあなたが見えた

静かな夕凪の中
僕らは目も開かぬまま

――――――――――

 曲が終わると、僕の拍手だけが鳴り響き、静寂に圧倒された。そこで僕は目を覚ました。どうやら夢を見ていたらしい。綾は台所にすらりと立っていた。お椀をスポンジでこすりながら、『斜陽』の鼻歌を口ずさんでいる。

 僕は寝返りを打った。斜陽のように温かい綾の香りが布団に残っている。彼女は十秒ほど鼻唄を続け、ようやくこちらを振り向いた。僕と目が合うと、彼女は水を止めて微笑んだ。
「おはよう」

「おはよう」と僕も言った。
「素敵な歌だったよ」

 綾は顔を真っ赤にしてよそを向いた。ジャックが撫でろと言わんばかりに歩いてきて、僕の手に体をなすりつけた。

「はい、どうぞ」
 綾は水を入れたグラスをローテーブルに置いた。

『綾と結婚したら、こうやって朝を迎えるのかな……』と想像しながら、冷たい水でのどを潤わせた。

「僕も片付けを手伝うよ」

「ありがとう」と綾は言った。
「でもその前に、犬の散歩へ行きましょう?」

『散歩』という綾の言葉に反応して、ジャックの大きな耳がピクッと動いた。ジャックは壁にかかっている首輪をくわえて取り外し、綾の前に運んできた。僕は犬の賢さに感心した。高齢の犬とは思えないほど軽やかな動きだった。

 外の気温は10℃を下回っているが、風は穏やかだ。今は肌寒いが、散歩すれば体は温まるだろう。
 綾は黒のコートを羽織り、茶色のマフラーを巻いていた。歩き始めると、僕と綾は当たり前のように手を繋ぎ、指を絡めた。僕はノスタルジックな気分で、昨晩のことを少し思い出した。

 散歩コースは大きな川から始まった。夏なら子どもが入りそうなんだ川である。そこを三羽のカルガモが気持ちよさそうに川の中央を泳いでいた。ジャックは興味津々に近づき、綾が慌ててリードを引いた。

 真冬にも関わらず、不思議と植物はいきいきして見える。大げさに言えば、まるで綾が生命を創り、世界に色をつけている気がした。彼女は太陽であり大地なのだ。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

黒に染まった華を摘む

馬場 蓮実
青春
夏の終わりに転校してきたのは、忘れられない初恋の相手だった——。 高須明希は、人生で“二番目”に好きになった相手——河西栞に密かに想いを寄せている。 「夏休み明けの初日。この席替えで、彼女との距離を縮めたい。話すきっかけがほしい——」 そんな願いを胸に登校したその朝、クラスに一人の転校生がやってくる。 彼女の名は、立石麻美。 昔の面影を残しながらも、まるで別人のような気配をまとう彼女は——明希にとって、忘れられない“初恋の人”だった。 この再会が、静かだった日常に波紋を広げていく。 その日の放課後。 明希は、"性の衝動"に溺れる自身の姿を、麻美に見られてしまう——。 塞がっていた何かが、ゆっくりと崩れはじめる。 そして鬱屈した青春は、想像もしていなかった熱と痛みを帯びて動き出す。 すべてに触れたとき、 明希は何を守り、何を選ぶのか。 光と影が交錯する、“遅れてきた”ひと夏の物語。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

『総理になった男』

KAORUwithAI
現代文学
この国の未来を、誰かに任せたままでいいのか。 将来に希望を持てず、社会に埋もれていた一人の凡人――坂本健人(31歳)。 政治家でもなければ、有名人でもない。 それでも彼は決意した。 「自分が変えなきゃ、何も変わらない」と。 無所属で立候補し、泡沫候補と嘲笑されながらも、 一つひとつの握手、一つひとつの言葉が、やがて国を揺らす波になる。 腐敗した政界、動かぬ官僚、報道を操るメディア、利権に群がる財界。 立ちはだかる巨大な壁に、彼はたった一人で挑む。 味方は、心を動かされた国民たち。 言葉と覚悟だけを武器に、坂本健人は“凡人のまま”総理へと駆け上がる――。 希望は、諦めなかった者の手の中に生まれる。 すべての“変わらない”に立ち向かう これは、「総理になった男」の物語である。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら

瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。  タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。  しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。  剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。

処理中です...