蛇と刺青 〜対価の交わりに堕ちていく〜

寺原しんまる

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アパートは引き払え

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 慌ててジェイの店から飛び出した鈴子だったが、他に行く当てもなく少し街中を彷徨う。元々社交的ではないので、友人も居ない。アノ事件のせいで、仲良く話していた同僚も皆離れて行ったのだ。「一晩泊めて」等と言える相手もいないので、結局は自分の神戸のアパートに戻った。


 久しぶりに帰る家は少し湿気が籠もっており、慌てて鈴子は窓を開けた。


「やだなあ。カビ生えてそう……。ここは古いし」


 窓を開けた先には風俗街のネオンが光っており、その煌びやかで少し大袈裟な看板を見て鈴子は「ぷっ」と笑いがこみ上げてくる。


 しかし、その笑いの後にもの悲しくなり、鈴子はボーっとネオンを見つめていた。ジェイと奈菜の事を思い出し、二人が楽しく談笑している映像が頭の中に浮かんでいる。二人は美形同士でお似合いで、自分とジェイはでこぼこでしかない。


「べ、別に……ジェイのことなんか……。関係ない」


 そう言いながらも鈴子の胸は、ギュッと摘ままれたような痛みが家を出てから続いている。時々、グッと息が出来ないような気がするくらいだった。


「やだぁ……、どうして……痛いのよ」


 そんな時、窓から身を乗り出している鈴子に気が付いたのか、通りに居た酔っ払いが鈴子に話しかけてきたのだ。

 
「なあ、そこの姉ちゃん! あんた、幾らや! なんぼでヤラしてくれるんや?」


 中年の酔っ払いは千鳥足でフラフラ歩きながら、鈴子のアパートに近づいて来る。目は虚ろで視点は定まらないが、一直線に鈴子に向かってくるのだ。


「は? 私はそういう仕事はしてないです。それ関係のお店はアッチ」


 鈴子は男に風俗店の方向を指さして教えるが、男はニヤニヤして聞いていない。


「ワシはあんたみたいなんがええのんや! 童顔やのにデカパイの! へへへ」


 男は一歩一歩鈴子のアパートに近づく。鈴子は怖くなり、窓を閉めてカーテンも閉めた。しかし、男には部屋はバレていたようで、あっという間に部屋の前に到着したようだ。


 ドンドンドン ドンドンドン


 鈴子の部屋のドアを男が叩く。


「姉ちゃん、開けてくれよ! 俺のマグナムでヒイヒイいわしたるで~!」


 ドンドンドン ドンドンドン


 男はしつこく何度もドアを叩く。その内、苛立ってきたのか「開けろいうとるやろ!」と怒鳴りながらドアを蹴り出し、ドアノブをガチャガチャと回しだした。


 鈴子のアパートは古くてセキュリティーなんて無いも同然で、ドアも簡単に壊れそうな古い物だった。逃げる場所もない鈴子は、泣きながら布団を被り、部屋の隅でブルブル震えるしかない。


「あ? 誰やお前? うわー、やめてくれ! うぎゃーーーー!」


 男の断末魔の叫び声が聞こえ、ドーンという大きな音が外から聞こえた。鈴子はビクッとして布団から出て、恐る恐るドアのスコープから外を覗き見る。


 そこにはあの男の姿は無くなっていた。代わりに見覚えのある大きな人物が立っている。


「ジェイ……」


 ドアの外にはジェイが立っており、苛立ったように鈴子を呼ぶ。


「鈴子。俺だ、もう大丈夫だからココを開けろ!」


 鈴子はドアをソーっと開けると、隙間からグッと腕を伸ばしたジェイがドアの隙間からグッと中に入り込んでくる。そのままドアを閉めて、ガチャリとジェイは鍵を掛けた。


「オイ! どう言うことだ! 危ないからココには戻るなって言っただろ?」

「あ、危ない目に遭ったのは今日が初めて……。今までは無かったんです」


 頭に手をやり「オイオイ」とジェスチャーをするジェイは笑い出す。


「今までは、ただ運が良かっただけだ! こんなことがまた起きるぞ! ココはそういう町だ。もし、俺が間に合わなかったら、アイツに襲われていたぞ!」


 先ほどの酔っ払いを思い出し、ゾッとする鈴子は、身体をガクガクと震わした。それを見たジェイが、スッと鈴子を抱き寄せる。大きな身体のジェイに抱きしめられて、小さな鈴子は完全に包み込まれた。


「鈴子、俺に余り心配を掛けさせるなよ……」


 暖かいジェイに包まれてポッと火照った鈴子だったが、直ぐに奈菜の事を思い出し、ジェイをグッと押しのけて後退る。


「止めて……。私なんかほっといてください。早く、あの女性の所に戻ればいいじゃないですか?セフレなんでしょ?」


 プイッとそっぽを向く鈴子に、ジェイは「はあ?」と呆れていた。離れた鈴子を再度抱き寄せるジェイ。嫌がる鈴子を無視して、抱きしめたまま畳に座り込む。暫く暴れていた鈴子だったが、ジェイには全く歯が立たなく、次第に大人しくなった。


「鈴子、奈菜は別にセフレじゃない」


 鈴子は黙って聞いている。


「それに、ここ数週間は誰ともヤってないし……」

「……どうしてですか? いっぱいセフレが居るんでしょ?」

「ハハハ……。どうしてだろうな」


 ジェイは鈴子の頭の上に顎を乗せる。鈴子の顔がジェイの胸の辺りに近づく。ジェイの胸からドクドクと速い心臓の音が聞こえ、鈴子はスッと手を伸ばして胸を触る。


「心臓の音が速い……。どうして?」


 少し顔の赤いジェイが顔をくしゃっと崩して笑い出す。鈴子はどうしてジェイが笑っているのか分からなく、頭を斜めにしてジェイを見つめた。


「鈴子はわかんないか……。でも、俺もあんまり分からないんだ。こんな風に人のことを思うのは初めてだから……」


 暫く抱き合っていた二人だったが、ジェイが「俺の家に帰るぞ」と立ち上がる。鈴子はまだ少し戸惑っていたが、ジェイがピシャリと言い放った。


「ココは直ぐにでも引き払え。戻ろうなんて二度と思えないように。荷物は日曜日にでも取りに来よう。家具は殆ど無いし、荷物も少なそうだな」

「え、そんな勝手な……」

「何言ってる。鈴子は俺と一緒に居るんだよ。……もう何処にも行かさない」


 最後の部分は小声で聞き取りづらく、鈴子は「え? なんて?」と聞き返すがジェイは無視をして、鈴子の手を引っ張りながら部屋を後にしたのだった。


「ジェイ、あの酔っ払いは何処に?」

「ん? ああ、アイツ? ゴミ箱に突っ込んどいたから、明日の朝まで起きないよ……」


 ジェイの予想外の返しに、驚き辺りを見回すが、鈴子はゴミ箱を見つけることは出来なかった。


 卑猥なネオンが光る街を二人で手を繋いで歩く。駅まではそう遠くないはずだが、何故か時間が遅く流れているように感じる鈴子は、何度もジェイの顔を下から覗き見る。


 ジェイは彫りの深い顔立ちでネオンによって顔に影が出来ていたが、ハッキリと見えにくい中でも、少しジェイの顔が赤いように感じた鈴子だった。
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