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アナの場合。【2】
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「……どうしたのアナ? 何だか元気ないけれど」
「え? やあね、私はいつもと同じよ」
居間で私がソファーに寝転がり、お腹に乗っかったアズキを撫でていると母様の声が聞こえた。顔を起こすと、仕事がいち段落したのか母様とルーシーが居間にやって来ていた。
ルーシーがミルクティーを淹れてくれるというので起き上がり、ソファーに座り直す。アズキを床に下ろすと、ほてほてと母様の足元に向かって丸くなった。
「この子も我が家にやって来てもう十五年は経っているわねえ。段々と眠る時間が増えているし、いつかはお別れが来ると思うと切ないわ……貴女たちもそれぞれ独立して家を出てしまうし、仕方のない事とはいえ、屋敷から家族が減るのは寂しいものよねえ」
母様がアズキを踏まないよう少し足をずらすと、私を見る。
「アナはもしや、マリッジブルーなのかしら?」
「え? ……やだ、そんなんじゃないわよ」
「リーシャ様、アナ様にだって稀にアンニュイな時もございますわよ」
ルーシーがミルクティーを運んで来てテーブルに置く。ルーシーは母様が温めのミルクティーを好むので、我が家のミルクティーのイメージはいつも人肌より少し高めである。子供の頃はもっと熱々な方が好きだったが、今ではこれが一番美味しいと思えるようになった。
「ルーシー、稀に、って酷くない? まるで私がいつも能天気で悩み一つないみたいじゃない」
「まあ、それは申し訳ありません。アナ様はクロエ様と違って、眠って起きたら全てリセットされている印象しか。一番リーシャ様と似ておいでですけれども」
「あらさりげなく主人へのディスりをねじ込んで来たわねルーシー。アナ位の年頃には、私だってダークへの恋を成就させようとあれやこれや苦難の日々だったわよ。アンニュイよアンニュイ」
「夜這いをかけて既成事実をもぎとろうと画策したり、ルイ・ボーゲン様の前で自分の顔を切り刻もうとしたのがアンニュイという概念なんですか。わたくし勉強不足でございましたわ」
「どうしてピンポイントでろくでもない所を切り取るのかしらね貴女は」
「捏造はしておりませんが」
「乙女というのはね、時にアンニュイにもアグレッシブにもなるものなのよ──あら、ダーク、お帰りなさい! 早かったのね」
母様がぱああっと笑顔になって立ち上がった。振り返ると父様がジャケットを脱ぎながら、駆け寄って行った母様を抱き止めた。
「ただいま。今日は仕事が早く片付いたからね。俺の大切な家族はご機嫌いかがかな?」
母様の頬にキスをすると、父様は私にも笑みを見せた。
「父様お帰りなさい」
「うん。──少し元気がないかアナ?」
「やだわ父様まで。アンニュイなのよアンニュイ」
私は誤魔化すように笑って、ふと思い立つと質問してみた。
「ねえ父様、父様は母様と結婚して後悔した事はある?」
「お? いきなりだな」
向かいのソファーに母様と腰を下ろした父様は苦笑した。
「そうだなあ……」
「ちょっとアナッ、心臓に悪い質問はやめてちょうだい。母様だってそんなにダイレクトに聞けないわよ怖くて」
母様が慌てたように手を振った。
「結婚前の娘は気になるものなのよ。たまには許して」
「後悔は……ないと言ったら嘘になるな」
「え……?」
母様も私も真顔になった。こんな仲の良い夫婦でも後悔している事があるものなの?
ルーシーがいつも以上に無表情になった。
「……旦那様。わたくしの大切にお育てしたリーシャ様のどこに不満が? まあ中身はたまにラッパーが憑依したりオイチャンになったり腐女子だったりと色々と問題がございますけれども、補って余りある傾国の美貌、料理の腕前、後悔する要素がどこにございますか」
「っ? いや、違う違う! そういう後悔ではなくてだな……俺がもっと若くて、リーシャと年齢が近ければ、もっと早く出会えてもっと早く結婚出来たという意味での後悔だ。まあ贅沢な願いなんだがな」
「ダーク……」
「リーシャとの結婚生活での後悔などは勿論何一つないぞ? 勘違いしないでくれ」
「……父様ったら、驚かさないでよもう」
私は胸を撫で下ろした。
「ルーシー、私の旦那様ったらとんでもなく男前よねえ。何で見た目も素晴らしいのに中身がそれを超えて来るのかしら」
「見た目が素晴らしいと思っているのはリーシャだけだぞ? もう五十過ぎのジジイなんだからな」
「見た目は四十そこそこにしか見えないわよ。鍛えている人はいつまでも若いのね。私なんて筋力落ちすぎて軟体生物だわ」
「リーシャは何十年経ってもどこもかしこも可愛い。未だに二十代にしか見えないぞ」
「そこまで言うと嫌味だわよ」
「俺が嘘を言った事があるか」
「すみません、イチャコラするのは寝室でお願い出来ますか」
「あ、すまんアナ」
私は娘を前にお互いを褒めたたえる両親をしっしと追い払うと、残っていたミルクティーを飲み干した。
(うちの両親みたいにいつまでも仲良く出来るといいんだけれど……でも、私がレイモンドの妻になっても、役に立てる事って万が一の時に彼の盾になる位だものねえ……落ち込んでる場合じゃないわ、もっと鍛えなきゃ)
ぽん、と膝を叩くと立ち上がり、お風呂の前に素振りでもするか、と庭へ向かうのだった。
「え? やあね、私はいつもと同じよ」
居間で私がソファーに寝転がり、お腹に乗っかったアズキを撫でていると母様の声が聞こえた。顔を起こすと、仕事がいち段落したのか母様とルーシーが居間にやって来ていた。
ルーシーがミルクティーを淹れてくれるというので起き上がり、ソファーに座り直す。アズキを床に下ろすと、ほてほてと母様の足元に向かって丸くなった。
「この子も我が家にやって来てもう十五年は経っているわねえ。段々と眠る時間が増えているし、いつかはお別れが来ると思うと切ないわ……貴女たちもそれぞれ独立して家を出てしまうし、仕方のない事とはいえ、屋敷から家族が減るのは寂しいものよねえ」
母様がアズキを踏まないよう少し足をずらすと、私を見る。
「アナはもしや、マリッジブルーなのかしら?」
「え? ……やだ、そんなんじゃないわよ」
「リーシャ様、アナ様にだって稀にアンニュイな時もございますわよ」
ルーシーがミルクティーを運んで来てテーブルに置く。ルーシーは母様が温めのミルクティーを好むので、我が家のミルクティーのイメージはいつも人肌より少し高めである。子供の頃はもっと熱々な方が好きだったが、今ではこれが一番美味しいと思えるようになった。
「ルーシー、稀に、って酷くない? まるで私がいつも能天気で悩み一つないみたいじゃない」
「まあ、それは申し訳ありません。アナ様はクロエ様と違って、眠って起きたら全てリセットされている印象しか。一番リーシャ様と似ておいでですけれども」
「あらさりげなく主人へのディスりをねじ込んで来たわねルーシー。アナ位の年頃には、私だってダークへの恋を成就させようとあれやこれや苦難の日々だったわよ。アンニュイよアンニュイ」
「夜這いをかけて既成事実をもぎとろうと画策したり、ルイ・ボーゲン様の前で自分の顔を切り刻もうとしたのがアンニュイという概念なんですか。わたくし勉強不足でございましたわ」
「どうしてピンポイントでろくでもない所を切り取るのかしらね貴女は」
「捏造はしておりませんが」
「乙女というのはね、時にアンニュイにもアグレッシブにもなるものなのよ──あら、ダーク、お帰りなさい! 早かったのね」
母様がぱああっと笑顔になって立ち上がった。振り返ると父様がジャケットを脱ぎながら、駆け寄って行った母様を抱き止めた。
「ただいま。今日は仕事が早く片付いたからね。俺の大切な家族はご機嫌いかがかな?」
母様の頬にキスをすると、父様は私にも笑みを見せた。
「父様お帰りなさい」
「うん。──少し元気がないかアナ?」
「やだわ父様まで。アンニュイなのよアンニュイ」
私は誤魔化すように笑って、ふと思い立つと質問してみた。
「ねえ父様、父様は母様と結婚して後悔した事はある?」
「お? いきなりだな」
向かいのソファーに母様と腰を下ろした父様は苦笑した。
「そうだなあ……」
「ちょっとアナッ、心臓に悪い質問はやめてちょうだい。母様だってそんなにダイレクトに聞けないわよ怖くて」
母様が慌てたように手を振った。
「結婚前の娘は気になるものなのよ。たまには許して」
「後悔は……ないと言ったら嘘になるな」
「え……?」
母様も私も真顔になった。こんな仲の良い夫婦でも後悔している事があるものなの?
ルーシーがいつも以上に無表情になった。
「……旦那様。わたくしの大切にお育てしたリーシャ様のどこに不満が? まあ中身はたまにラッパーが憑依したりオイチャンになったり腐女子だったりと色々と問題がございますけれども、補って余りある傾国の美貌、料理の腕前、後悔する要素がどこにございますか」
「っ? いや、違う違う! そういう後悔ではなくてだな……俺がもっと若くて、リーシャと年齢が近ければ、もっと早く出会えてもっと早く結婚出来たという意味での後悔だ。まあ贅沢な願いなんだがな」
「ダーク……」
「リーシャとの結婚生活での後悔などは勿論何一つないぞ? 勘違いしないでくれ」
「……父様ったら、驚かさないでよもう」
私は胸を撫で下ろした。
「ルーシー、私の旦那様ったらとんでもなく男前よねえ。何で見た目も素晴らしいのに中身がそれを超えて来るのかしら」
「見た目が素晴らしいと思っているのはリーシャだけだぞ? もう五十過ぎのジジイなんだからな」
「見た目は四十そこそこにしか見えないわよ。鍛えている人はいつまでも若いのね。私なんて筋力落ちすぎて軟体生物だわ」
「リーシャは何十年経ってもどこもかしこも可愛い。未だに二十代にしか見えないぞ」
「そこまで言うと嫌味だわよ」
「俺が嘘を言った事があるか」
「すみません、イチャコラするのは寝室でお願い出来ますか」
「あ、すまんアナ」
私は娘を前にお互いを褒めたたえる両親をしっしと追い払うと、残っていたミルクティーを飲み干した。
(うちの両親みたいにいつまでも仲良く出来るといいんだけれど……でも、私がレイモンドの妻になっても、役に立てる事って万が一の時に彼の盾になる位だものねえ……落ち込んでる場合じゃないわ、もっと鍛えなきゃ)
ぽん、と膝を叩くと立ち上がり、お風呂の前に素振りでもするか、と庭へ向かうのだった。
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