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第二部〜オールディス公爵家〜
小さな英雄
しおりを挟む『リーゼロッテは覚えていないらしいんだ』
そう、確かに目の前にいる養父になるはずの男はそう言った。
ランドルフは意味が分からなかった。理解できなかった。
自分はあの時の約束を覚えていて、リーゼロッテとの将来の為に公爵家へ養子となる事を決めたのだから。
『いつか迎えに来るから待ってて』
『……うん』
たったそれだけの、幼い彼の約束。
それを、覚えて無い。
ランドルフの心は沈んでしまった。
彼を中心として辺りは重い空気に包まれる。
そこへコンコンと小さく扉を叩く音がした。
オスヴァルトが控えていたメイドに指示するとゆっくりと扉が開かれる。
現れたのは大きな紫の瞳を持つ少女だった。
「お呼びでしょうか、お義父様」
「ああ、リーゼロッテ、こちらへおいで」
どこか虚ろな表情のまま、とことこと義父に近寄り、挨拶をした。
その様子をランドルフは黙ったままじっと見ている。
以前会った時の彼女もおとなしくはあったが、ここまで表情も暗くはなかった。その為ランドルフは戸惑った。
「ようこそいらっしゃいました。リーデルシュタイン辺境伯が義娘のリーゼロッテでございます」
「…オールディス公爵家当主のアドルフです。丁寧な挨拶をありがとう」
「私のような者に勿体なきお言葉にございます」
リーゼロッテの表情は浮かない。
アドルフとランドルフは顔を見合わせた。
「辺境伯令嬢、お久しぶりです。覚えてらっしゃいますか?ランドルフです。
今はオールディス公爵家へ養子に行ってランドルフ・オールディスになりました」
緊張しながらランドルフは問いかける。
覚えていると信じて。
リーゼロッテはゆっくりと……いや、ぎぎぎと音が鳴りそうなぎこちなさでランドルフを見やった。
「イエ、全く、覚えテいまセン」
「いやその態度覚えてるよね!?」
「実は記憶喪失デシテ」
「記憶無くてもいいよこの際!」
ランドルフは本気だった。
幼い頃の気持ちなんか大人からすれば微笑ましく見られるだけだが、本人からすれば大真面目なのだ。
覚えていて欲しかったが、記憶の有無などこの際どちらでも良い。
「リーデルシュタイン辺境伯婿様、婚約の手続きをお願いします」
「なっ!待ちなさい!あなた、後悔するわよ!?」
「何でそんなに嫌がるの?」
リーゼロッテはぐっと唇を噛んだ。
そして絞り出すように口を開く。
「だって、私は、不義の子なのよ」
「……っ!?」
リーゼロッテの微かな声はランドルフだけでは無く、オスヴァルトの耳に届く。
「リーゼ、何をバカな事を!君はルトガー義兄上とアンネリーゼ義姉上の娘だよ」
言いながらリーゼロッテに近寄り、目線を合わせた。
オスヴァルトはリーゼロッテが産まれた当時辺境伯領にいなかったが、事情は妻のテレーゼから聞いている。
義娘は間違い無くアンネリーゼが産んだ、テレーゼの姪だと言っていた。
『お義兄様の瞳の色と同じなのよ』
母方の由来だと言うその色を、リーゼロッテは持っていた。
テレーゼは懐妊が分かった時の二人を見ていたし、リーゼロッテが産まれた時、産室の外にいた。
だからリーゼロッテが自分の兄の娘だというのを確信しているのだ。
「でも……義父様。私の亡くなったお父様とお母様は愛し合って無かったのでしょう?
私が産まれなければ、アーベルはお母様と結ばれたのでしょう?」
「リーゼ……、君のご両親が愛し合っていないと君は産まれていないよ」
「愛が無くても貴族の家には子どもが産まれるわ」
泣きそうなリーゼロッテに、オスヴァルトは口をつぐんだ。
時に子どもは大人以上に深く考え傷付く。
親の因果が子に報いてしまうのだ。
オスヴァルトは堪らず義娘を抱き締めた。この小さな肩にどれほどの思いを抱えていたのだろうと思うといたたまれなかった。
抱き締められたリーゼロッテは肩を震わせ、義父の胸に顔を押し付けた。次第にオスヴァルトの服がじわりと湿って来る。
それに気付きそっと頭を撫でるのだった。
「すみません、オールディス公爵殿、ランドルフ。でもリーゼロッテは間違い無く辺境伯家の血を受け継いだ子です」
「分かっている。……すまないな、リーゼロッテ嬢」
リーゼロッテは義父の胸に顔を埋めたまま緩く頭を振った。
「ランドルフ、今回の婚約の話は……」
「おい、お前はそのままでいいのか?」
ランドルフはリーゼロッテに問い掛けた。
瞬間、リーゼロッテの肩がぴくりと跳ねる。
「はっきりさせればいいじゃないか。そもそも何で不義の子って思ってんだ」
リーゼロッテはぎゅっと義父の服を掴んだ。
「私は……私のお父様には、恋人がいた、って」
その言葉にオスヴァルトは息を飲んだ。
「だ、誰がそんな事を!?」
「以前、噂で聞いたもん……」
「どこでそんな噂……っ、いいか、リーゼ。確かにいたかもしれないが、それは婚約前の事でちゃんと別れている」
「叔父さん、その事知ってんの?」
慌てるオスヴァルトに、ランドルフは詰め寄った。
「ああ、テレーゼから聞いた話でしか無いが」
「…ねえ、何か残ってない?リーゼロッテ嬢のお父様の。手紙とか日記とかあれば、当時の事が分かるかもしれない」
オスヴァルトは目を見開いた。
あまりにもランドルフの眼差しが真剣だったから。
彼がまだランゲ姓を名乗っていた時の記憶の名ではランドルフは一人大人しく本を読んでいる少年だった。
それがたった数年しか経っていないのに、いつの間にか頼もしく成長しているのだ。
その原因が義娘にあると思えば少し面白くないが、誰かの為に強くありたいと願う少年の気持ちは良く分かっていた。
(さながら小さな英雄だな)
「分かった。テレーゼに聞いてみよう。
許可が出て、遺品を見る際は俺も立ち合う。いいな?」
「仕方ない。子分は必要だ」
「こぶ……。……公爵様は」
「私はここで待っているよ。行っておいで」
アドルフはランドルフの背中をぽんと叩いた。
「行って参ります、義父上」
しっかりと挨拶をしたあと、ランドルフはリーゼロッテの手を取った。
「行くぞ。お前の両親の真実を探しに」
リーゼロッテは力強く握られた部分の温かさに、少しばかり心臓が騒がしくなったのだった。
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