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第二部〜オールディス公爵家〜

マリアンヌの事情

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「ソレール嬢、先程の講義はどういう了見だ?」

「あらオールディス子息様、ごきげんよう。私は思った事を述べたまでですわ」

「君の意見は的を得ていない。あれはこうしてそうしてこうだから……」

「まあ、それならばああしてこうしてそれそれこのように……」

 毎日、毎日。
 王太子ユリウスとその婚約者フローラは二人の言い合いと言う名のいちゃいちゃを見ていた。
 最初は言いがかりだの何だのとフローラがマリアンヌを庇う事もあったが、負けん気の強いマリアンヌはフローラの前に出てアドルフと言い合いを始める。
 それを見てフローラは投げた。
 それでもマリアンヌを慮り、言い争いが終わるまでじっと側で控えているのだ。

 ユリウスもフローラが動かないからその場に留まっている。
 先日、フローラにマリアンヌの件を聞いてみた。

『ええ、その通りよ。調子良さげに見えても気が抜けないわ。幼い頃から何度も倒れるさまを見てきたの。油断はしたくない』

 フローラはマリアンヌを心底心配していたのだ。
 ユリウスは親友を心配する婚約者を慰める。
 だから彼女の側を離れない。
 自身の側近が言い争いの相手だからというのもあるが、二人が終わるまで欠伸を噛み殺して待っていたのだ。


「全く、有意義なのか無意味なのか分からん」

 ようやく言い争いが終わり、(とはいえ次の授業の開始を告げる鐘が鳴らなければまだ続いただろうが)教室に戻り席に座っても悶々とした表情のアドルフを、ユリウスは気怠げに見上げた。

「お前、マリアンヌ嬢と言い合いする時いい顔してるよなぁ」

「はぁ?殿下は何を言ってるんですか。腹立たしいことこの上ありませんよ」

 だがユリウスは知っている。
 アドルフは普段は無表情なのだが、マリアンヌの前では百面相になるのだ。
 本人に自覚は無いが、マリアンヌを見かけると途端に瞳に熱がこもる。言い合いしている間も、怒りと言うより楽しそうだとユリウスは思っていた。
 そう。傍から見ればただの痴話喧嘩である。

「まぁ、いいや。彼女を婚約者に据えるわけじゃないならあまり親しくしない方がいいんじゃないか」

「え……」

 ユリウスの言葉にアドルフは驚いたように目を見張った。
 親しくしたつもりは無いし、婚約者など以ての外だからだ。

「べ、別にそんなつもりじゃ……」

 マリアンヌとの事を否定したいが歯切れが悪くなる。その理由に気付かない。

 名門公爵家の唯一の跡取り息子であるが、アドルフには未だ婚約者はいない。
 高位貴族はだいたい幼い頃から決まっているのが大半で、いない方が珍しい。その為アドルフは気付いていないが彼を狙う女性徒は意外にも多い。
 だがアドルフは休憩時間や空き時間をマリアンヌと過ごす事が多い為、当初の目的を忘れていた。

「ま、お前にその気があっても無理だろうけどな」

「……?殿下、それはどういう…」

 ユリウスの呟きに引っ掛かりを覚えたが、授業の講師が来た為その先を聞けなかった。


 だが、その答えは意外と早く知る事になる。


 いつものように休憩時間を使いマリアンヌと言い合いをしていたアドルフ。
 だが今日はいつものような手応えが無い。
 普段であれば威勢良く返事が返って来るのに歯切れが悪い。
 違和感を感じたアドルフは、初めてマリアンヌを見た。

「……っ、君はっ」

 マリアンヌは気丈に振る舞っているが、顔色が悪かった。

「な、なに、よ……どうしたの…」

「体調が悪いならそう言えばいいだろう!?バカなのか君は!!」

「は……はぁ?わ、悪いわけっ、無いでしょ…ふざけないで……」

「ふざけているのは君だろう!?失礼」

「きゃあ!?」

 アドルフはひょい、とマリアンヌを横抱きにした。彼は無表情ではあるが、された側は心臓が痛いくらいに跳ねた。

「ちょ、降ろしなさい!淑女になんて事!」

「救護室に行くんだ。落ちたくなければ大人しくしろ」

 先程まで白くなりかけていた顔に赤みが差す。だが、身体が重たいのもまた事実。
 マリアンヌは落とされても嫌だし、しぶしぶ抵抗を止めた。


「あら、マリアンヌ嬢、今日はキツかったかしら」

「先生……すみません」

 救護室に着くと、救護員は慣れたようにベッドを準備した。整えられたベッドにそろりと降ろす。
 少し汗ばんだ白い肌は透けるようで、アドルフの背に汗が伝う。

 救護員から渡された薬を飲み込み水と一緒に流し込むと、マリアンヌはふぅと息を吐き身体を横たえた。

「……君は」

 小さく声を出すアドルフを、胡乱げに見やる。彼は動揺しているのか、瞳を揺らしていた。

「……あなたの前で失態を見せたくなかったわ。…見てのとおり、私はこんな身体よ」

 ふい、とアドルフの視線から逃れる。知らずに目頭が熱くなった。

「いつからなんだ?」

「産まれた時から。最近は良いかと思ってたんだけど、ざまぁないわ……」

 己の弱さにマリアンヌは歯噛みした。
 昔から自分の身体が嫌いだったのだ。
 大半をベッドの上で過ごしていた彼女は、周りのように満足に遊ぶ事も学ぶ事すらできなかった。
 調子の良い時に文字を習い、勉強はしていたが、マナーなどは付け焼き刃であった。
 両親や周りはそんな彼女を甘やかしてはいたが、マリアンヌはそれを良しとはしなかった。

 フローラと出会い仲良くなってからは彼女から少しずつ教えて貰ってはいたが、それでも及第点には程遠い。

「だからか……」

 ぽつりと、呟く。
 その後沈黙が続いた為マリアンヌはアドルフの方をちらりと見た。

「すまなかった。君の状況を何も考えずに色々失礼な事を言った。申し訳無い」

 アドルフが頭を下げたのを視界に捉え、マリアンヌはぎょっとした。

「あ、頭を上げてください。別に気にしてませんから」

「……少し、顔色が戻ったようだな」

 ホッとしたような表情のアドルフを見て、マリアンヌは気まずくなった。

「ありがとう……」

 そう言って掛布に包まる。

 マリアンヌの鼓動は早く、顔も熱くなっていた。
 アドルフの表情が今まで見たより優しかったから。

 けれど、惹かれてはいけないと自分に言い聞かせた。
 マリアンヌとてアドルフの事は知っている。未だに婚約者がいない事も。
 だが身体が弱い自分はアドルフの隣に立てないだろうという事も感じていた。

 だから、『絶対に無い』と言われた時腹立ちはしたが悲しくもあり、同時に諦めもついた。

 しかしそんなに優しい顔を見せられたら決心も鈍るではないか。

 ぽたりとシーツに吸い込まれるものはきっと苦しいせいだ。
 自分に言い聞かせながら、マリアンヌは眠りについた。

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