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第二部〜オールディス公爵家〜
あなたの子が欲しい
しおりを挟む幸せな結婚から約一年が経過した。
アドルフは学園卒業後、王太子の推薦を受け宰相の末席に加えられ忙しい日々を過ごしていた。
マリアンヌは身体と相談しつつ、最低限の社交をこなし家政を取り仕切り領地経営に関しての補佐を努めていた。
穏やかな新婚生活を送る中、王太子妃となったフローラからお茶会の招待状が届いた。
それはマリアンヌとフィーネのみを招いた特別なもの。
フィーネはマリアンヌの紹介でフローラと出会い、恐縮しながらの付き合いは学園を卒業しても続き、この頃になると侯爵夫人として少しずつ度胸を付け始めていた。
「マリアンヌ、フィーネ、よく来てくれたわね」
日頃から多忙極めるフローラは、少し痩せ気味になり顔色も良いとは言えなかった。
「本当なら天気も良いし庭でしたかったのだけれど」
「体調悪いの?顔色悪いわ」
「ええ、でも大丈夫よ。悪い事では無いから」
フローラはお腹に手を当て、微笑んだ。
いち早く気付いたフィーネは口に手を当て嬉しい悲鳴を押さえる。
対してマリアンヌはどくりと鼓動が鳴った。
「おめでとうございます!フローラ様」
「ありがとう、フィーネ」
目の前の二人が繰り広げる会話が耳に入らない。
それはマリアンヌにとっては得られぬ喜びで。
分かってはいても、いざその時になれば動揺してしまった。
それでも己を奮い立たせ微笑んだ。
「おめでとう、フローラ」
「ありがとう、マリアンヌ」
フローラが懐妊した。
それは友人としてとても喜ばしい事。
王太子妃として未来の国王を産む事を望まれるフローラにとっては、成婚から約一年で身篭るのは良い事だ。
本来ならば手放しで喜び、祝福をしなければならないとマリアンヌは思ってはいるもの、心の底ではドロドロ淀んでしまっていた。
貴族夫人としての鍛錬の賜物か、貼り付けた笑みは崩さないが、フローラとフィーネが楽しそうに話す様はマリアンヌの耳には入らない。
(早く帰りたい……)
ボロが出る前に。
友人たちを傷付けないうちに。
このお茶会の時間が早く過ぎるのを、マリアンヌは願ってしまっていたのだった。
「マリアンヌ、王宮から帰って来て元気が無いって聞いたけど、何かあった?」
お茶会を恙無く終え、自分でも気付かないうちにいつの間にか帰宅していたマリアンヌは、自室のソファに座ったままぼーっとしてしまっていた。
そこへ帰宅したアドルフが執事から聞いたのか真っ先にマリアンヌのもとへやって来たのだ。
妻の前に跪き、額や首筋に触れ体温を確かめる。
「熱は無い様だね。……夕食は入るかい?」
心配そうにする夫に、力無く頭を振った。
アドルフはなおも俯いたままの妻の隣に座り、手を取る。
「マリアンヌ。君が元気が無いと邸内の灯火が消えたようだ。嫌なら事でもあった?
俺に話してくれないか?」
マリアンヌはドレスを握り俯いたままだ。
アドルフは話す気配の無い妻の頬を自分に向けさせた。
憂いを帯びた瞳は、少し赤みが差していた。
「おいで」
アドルフは妻を引き寄せ抱き締めた。
背中を擦ってやると、次第に胸元がじんわりと温かくなる。
震える妻の背を優しく叩き、言葉を待っていた。
「今日」
やがて涙声で彼女は話し出す。
「今日、フローラの事を、聞きました」
その言葉で、アドルフは全てを理解した。
王宮勤めのアドルフは、王太子から直接知らされていた。
まだ極秘事項ではあるが、友人として喜びを分かち合いたかったユリウスは、真っ先にアドルフに報告した。
驚きはしたが王太子夫妻に子ができた事は喜ばしい事。アドルフは友人として、また臣下として王太子を祝福した。
自身の子が持てぬ事を何も思わないわけではない。
だが婚約時にも、結婚してからも、愛する妻といる幸せを優先したいとアドルフはマリアンヌへの風当たりの盾になっていた。
愛を分かち合う行為は月に数回、体調を見ながらするが、二人して避妊薬を飲み事に及ぶ。
それは決して無理はせず、ただ、愛を伝える手段としてのもの。
回数は少なくても、触れ合うだけで満たされ、腕の中に愛する妻、夫がいるだけで満足していたのだ。
例え実を結ぶ事が無くても。
二人でいれば、幸せだった。
しかし身近な友人に子ができると、少しの羨ましさはあった。
だがアドルフは妻が生命を落とす事の方がよほど怖かった。
まだ見ぬ我が子。
きっとマリアンヌの子ならば可愛いだろう。
だが、まだ見ぬ我が子より、妻といる方を優先させたかったのだ。
「アドルフ様……私も、子どもが欲しい……」
縋るように、絞り出すように発せられた言葉にアドルフは息を飲んだ。
「マリアンヌ、それは」
「私はっ、あなたの子が欲しいのです」
夫の服の裾を握り締め、悲鳴にも似た声をあげた。
女性として産まれ、愛する人と結婚したならば殆どが望むであろう事。
それが出来ぬ自身の身体の弱さをこれ程恨めしく思った事は無い。
何度となく話し合った。
公爵家に嫁いでからも、マリアンヌは不安だったのだ。
その度アドルフは妻を安心させるように愛を囁き紡いできた。
だがどこかで諦めきれない燻る想いが、親友とも呼べるフローラの懐妊により淀みとなって溢れてしまった。
また、いつまで生きれるか分からない彼女にとって、『自分が生きた証を遺したい』と思うのは自然な事だった。
例えそれで生命を縮めようとも、愛する人の子をこの手に抱けるなら、と、マリアンヌは望んでしまったのだ。
そんな妻の想いを、アドルフは汲み取る事も無視する事も出来ない。
誰よりも、彼女に生きて欲しいと願っているのはアドルフだからだ。
妻の願いを叶えるか、己の願いを叶えるか。
アドルフは二択を唱えた時、前者しか選べない自分を呪った。
「マリアンヌ、子を作る事は君の生命を縮めるかもしれないよ」
「分かっています」
「早くに授かっても、子の成人まで君は生きれないかもしれない」
「生きるわ」
夫の胸から顔を上げ、マリアンヌは意志の強い瞳で見据えた。
「私は生きるわ。貴方と一緒に、子どもの成長を見届けるわ。
息子ならしっかり教育するし、娘なら、一緒にお出かけしてお揃いで色々買うの。
結婚式だって出たいし、孫の抱っこもするわ。きっとみんな元気にはしゃぐから、今から体力付けなきゃ」
ぽろぽろと、眦から涙を伝わせこれからする事を語る。
その言葉は前向きで、随分先まで見据えたものだった。
あまりにもそうなると信じて疑わない希望しか無い展望に、アドルフもそうなるような予感がした。
そうなって欲しいと、願わずにいられなかった。
「……分かったよ。但し、医師の診断を受けてからだ。隅々まで調べて、大丈夫とお墨付きを貰ったら、だ」
「アドルフ様……」
「もしだめだと言われたら諦める。いいね?」
こくこくと頷き、喜びからマリアンヌは夫に抱き着いた。
それから医師の診察を受け、状態が安定している事を告げられた二人は子ができやすい時に行為に及ぶ事にした。
但し、それだけに囚われず、あくまで愛し合う延長での事にした。
回数をこなせない為、一回を大切にした。
王太子妃フローラが男児を出産した。
デーヴィドと名付けられ、生後半年が経過してからお披露目された。
我が子を慈しむように抱く王太子夫妻を、アドルフとマリアンヌも祝福した。
この頃にはもう心の淀みは無かった。
そうして、ゆったりと月日は流れていった。
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