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第二部〜オールディス公爵家〜

幸せな日々

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「最近、何か変なんです」

 体調を考慮しながら子作りを始めて一年以上が経過したある日。
 休日を二人で過ごしていると思い出したかのようにマリアンヌは呟いた。

「変ってなにが?」

「料理は美味しいのです。けれど、以前好きだったものが何だか味気なくて……」

 料理長に聞いても、料理の味付けが変わったわけでは無いようで。こんな事もあるのかと、マリアンヌは不思議に思っていた。

「そう言えば最近やたらとおやつにスコーン食べてるね」

「そ、そうなんです。何か無性に食べたくて、つい……」

「好きなら沢山食べたらいいよ」

「む……。沢山食べたいのは山々ですが、すぐお腹周りに付いちゃうので」

「大丈夫だよ、そんな君も愛しているから」

「んなっ、もっ、アドルフ様、なに、もっ」

 きゃー、と叫びながらばしばしとその背を叩く妻。それを笑顔で甘んじて受け入れる夫。
 傍から見れば大変に仲睦まじい夫婦である。

「うーん、でも気になるなら一応医師に診て貰おう。ちょうどそろそろ次の検診近かっただろう?」

 次の検診、つまり、二人が愛し合う為の期間の前準備である。
 改めて言われると照れくさいのか、マリアンヌはつい顔が緩むのを手で押さえたが、自然に緩む頬は止まらなかった。


「……へっ?」

「おめでとうございます、奥様。懐妊ですよ」

 定期検診の日、医師から告げられたのは思いがけない一言だった。
 マリアンヌはしばし言葉を失った。

 おもむろに薄いお腹へと手を当てると、まだ実感は無いが不思議と涙が出てきた。

「あ……ホントに……?」

 それは徐々に喜びへと変わっていく。

「あ、アドルフ様に知らせに行かなきゃ!フリッツ、馬車を回して!」

 そうと決まれば真っ先に伝えたいのは愛しの夫。
 だがアドルフは仕事中である。しかも職場は王城で、王太子に近い存在である。いきなり押し掛けて会えるとも限らない。
 そして何より夫人の体調をくれぐれも気にかけてくれと主に言われている執事のフリッツは、当然ながらマリアンヌを止めた。

「奥様、落ち着きなさいませ。妊娠初期は無理をしてはいけません。安定するまではおとなしくして下さい」

「そんな!アドルフ様にいち早くお伝えしたいの。お願い行かせてちょうだい」

「なりません。当主様には早馬を出します。おそらくすぐにお戻りになるでしょう。それまでお待ち下さい」

 フリッツは控えていた侍従に告げると侍従はすぐに飛び出して行った。
 その様子を見ながら、マリアンヌは腑に落ちない表情になる。

「……私の身体が弱いから反対するの?」

 身体が弱いから、特別扱いされるのをマリアンヌは嫌っていた。普通に過ごしたい。普通に接して欲しい。それは幼い頃からのささやかな望みだった。

「いいえ、奥様。例え奥様が健康な御方でもお止め致しました。妊娠が分かる頃はただでさえ身体に変化が表れる頃で不安定です。
 はしゃぎ過ぎて転んだりしてはそれこそ大変です。
 ゆったりとお過ごし下さる事をご了承頂きたいのです」

 フリッツの優しい言葉に、マリアンヌは唇を引き結んだ。
 本来ならば馬車に揺られて夫に何と言って報告しようか考えているはずだった。
 だがフリッツの気持ちを無碍にするわけにもいかない。
 マリアンヌはおとなしく夫を待つ事にした。


 陽の光が高い位置に来た頃。
 バタバタと玄関先が騒がしくなった。

「マリアンヌ!!」

 息を切らせて走って来たのは王太子の制止を振り切って帰宅したアドルフだった。

「アドルフ様」

 柔らかに微笑む妻を見て、しかし照れたような仕草が愛おしく、アドルフは妻を抱き締めた。

「マリアンヌ、報告があると聞いて、急いで帰ってきたよ」

 本当は侍従から聞いて知っていた。
 だが妻から直接聞きたかったのだ。
 だから敢えて、妻に問い掛ける。

「もう、侍従の方から聞いたのではありませんか?」

「君の口から聞きたいんだ」

「まぁ……。アドルフ様、えっと。
 赤ちゃん、が、来てくれた、みたいです」

 実のところ、直接伝える内容を考えておらず、少しばかり幼子のような言い方になってしまった事をマリアンヌは恥ずかしく思った。だが、アドルフにはしっかり伝わったようで。

「そうか……。ありがとう、マリアンヌ……。
 二人の子だ。身体を大事にしてくれ」

「……はい。お任せください」


 それは間違い無く幸せな瞬間。
 身体を考えると最初で最後になるかもしれない。そうすると弟妹を作ってあげられない。
 だから、寂しくならないように。
 この子が愛されている事を実感できるように。
 たっぷり愛情を注いでいこうと、マリアンヌは決意した。
 この瞬間から、彼女は母親としての心持ちでいたのだ。


 それから始まる悪阻は空腹時以外にはさほど無く、軽い症状である事に安堵していた。
 ただ、スコーンが無性に食べたくなりおさまるまでは体重の増加を気にしながらであった。

 二ヶ月過ぎる頃には悪阻もおさまり、足元に気を付けながら庭を散歩したり、休日には赤ちゃん用品を買いに出掛けたりもした。

「あっ、動きました!」

「そうか!私も触っていいかな」

「ぜひどうぞ。あなたはお父様なのですから」

 少しふくらんだお腹におそるおそる手を当てるが、アドルフにはまだ良く分からなかった。だがマリアンヌはポコ、ポコと動いているのを感じるのだ。
 そうして毎日触れ合うときを設けていると、ようやくぼこん!とお腹が動いた。

「こ、ここっ、動いたぞ!……元気な子なんだなぁ」

 アドルフは飽きもせず、ずっとお腹に手をあて生命の胎動を感じていたのだった。

「名前は何にしましょう?」

「君は候補はあるかい?」

「女の子であれば、なら」

「何ていうんだい?」

「カトリーナ、ですわ」

「カトリーナか。いい名前だね」

「私がベッドの上で孤独に過ごしていた時に読んでいた絵本の主人公の名前なの」

「どんな話?」

「……最初は悲しい事もあるけれど、最後は王子様に愛されて幸せになるお話ですわ」

「女の子が好きそうな内容だね」

「ふふっ、そうね。大好きなお話だわ。愛し愛される子になって欲しいのです」

「男の子ならどうするんだい」

「ん~~~~、男の子は……アドルフ様が考えて下さい」

「そうだなぁ……ん~~、……」


 そうして産まれたのは、マリアンヌによく似た、ふわふわの金の髪と空色の瞳を持つ、女の子であった。


 だが、出産時に想定以上の出血があり、これが原因として、マリアンヌは再び身体が弱ってしまったのだった。

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