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いい夫婦の日【全3話】
おもいあい
しおりを挟む「……ふぅ」
床に転がる女を一瞥して、俺は手に付着したゴミを払った。独特の臭いが残って不快で眉を顰めた。
(俺をどうこうしようなんざ考えるからだ)
「クラーク」
「ここに」
「これ片付けといて」
「かしこまりました」
「お前とガスパー減給」
「申し訳ございません」
ハニトラ対策で雇った側近の不甲斐なさに溜息しか出ない。
そして女の移り香に吐きそうになる。
愛する妻の気持ちが離れたらどうしてくれよう?
ただでさえ色濃く残る幻影に毎日嫉妬して毎日愛を伝えても足りないというのに。
「王太子殿下のとこがダメだったからってここに来るとは安易がすぎる」
以前王太子殿下を襲い牢屋に入っていた女。
芋虫になったはずだが、脱皮してここに来たらしい。処刑してなかったのが悔やまれる。
殿下がだめなら俺を、という浅はかすぎる考えに怒りが増して来る。
なので殿下と同じく芋虫にしてやった。また脱皮する前に潰しておかねば。
ついでに虫除けハーブも増やしておこう。
「お帰りなさい、アイザック様」
「ただいま、エヴェリーナ」
上着をメイドに預けて最愛の妻を抱擁する。それから頬に、額に、唇に口付け、最後に髪に口付ける。
「はぁ、癒やされる」
「まあ……。ほら、早く食堂に行きましょう。子ども達が首を長くしてるわよ」
「奥さんがツレナイ……」
くすんと泣き真似をすると、エヴェリーナは目をまんまるにしてふふっと笑った。
ああ、癒やされる。
この笑顔の為なら何でもできそうな気がするな。
恙無く一家の晩餐が終わり、子どもたちも交えての団欒に心が落ち着く。
エヴェリーナとの間に子は二人。
長女クラリッサと次女ヘレナ。
二人とも妻によく似た可愛い娘だ。
今もソファで母親を真ん中にして絵本を読んでもらっている。
「…そうして、二人は仲良く暮らしました」
「素敵なお話だったわ」
「お母様次これお願い」
うん、控え目に言っても女神と天使。
癒やされる。目の保養だ。
娘は嫁にやりたくないな。
そうすると、政略結婚なんか考え無くて良いように地位を盤石にしないといけないな。
だが、俺の隣に誰もいないのは寂しいな。
「クレアとヘレナ、お父様の相手もしておくれ」
「待ってね、ご本読んでもらってからよ」
「今大事なとこなの。真実の愛にざまぁするところよ!」
何と言う本を読んでるんだ!
情操教育に良くないではないか。
「クレア、真実の愛と言うのはだな」
「知ってるわ。ウワキっていうんでしょ!」
ゔっ、娘が胸を張って答えている。可愛すぎる。
クラリッサはミニエヴェリーナだ。将来絶対美人になる。
「でも不思議だわ。毎回身分が低い女性に現を抜かして婚約者を傷付けて、皆さん言い訳が『婚約者はつまらない』って言うんだもの。これお妃教育を見直した方がいいわよ」
ゔっ、ヘレナは冷静に分析している。俺似か?
俺似……将来は才女だな。引く手数多だろう。
「そうね。どうしたらいいかしらね」
「婚約者の前ではニコニコしてたらいいのよ」
「でも公の場ではしゃんとするの。ギャップでころっころよ!」
……おかしいな?
うちの娘が男を手玉に取る悪女に行ってないか?
「そうね。印象に於いてギャップは大事ね。
お勉強苦手なクレアが頑張ってたり、ダンスが苦手なヘレナが上手に踊れたらお母様嬉しいもの」
エヴェリーナは慈愛の眼差しで娘たちにキスをすると、娘たちは「えへへっ」と照れくさそうに笑った。
王太子殿下では無いが、何だこの幸せ空間は?というくらいの幸せ。
だが、俺は欲深いからな。
「クレア、ヘレナ。そろそろ寝る時間じゃないか?」
「え~~、もっとお母様に本を読んでもらいたいわ」
ヘレナは口を尖らせて可愛い抗議をする。くっ、このままではいつまでも居て良いぞ、と言いたくなるではないか。だが。
「ヘレナ、お姉様が絵本を読んであげるわ。一緒に行きましょう」
クラリッサが助け舟を出した。
まだ不満気ではあるが、ヘレナはやがてクラリッサと一緒に自室に戻って行った。
「もう、大人げ無いですわよ」
「妻と二人きりになりたかったんだ。ダメかな?」
緩くウェーブした妻の髪を手でサラリと流し、一房取って口付ける。
エヴェリーナも満更でも無いようで、お返しとばかりに手を絡めてきた。
「私、あなたの手、好きだわ」
両手で俺の手を包み込み骨ばった手に指を這わせる。
先程娘達を見る目とはまた違った感じで愛おしそうに撫でる。
「また好きなものが見つかったのかな」
「元々好きだったわよ?でも、改めて、好きだと思ったの」
「どんな感じに?」
エヴェリーナを膝に乗せ、軽く口付ける。
「私を抱き締める手。子どもたちを撫でる手。
王太子殿下を支える手。全てを包み込む温かい手だから、大好きよ」
……まいったな。
そんな事を言われたら敵わないじゃないか。
「俺は君の手も好きだよ。俺を癒やす手。子どもたちを撫でる手。領地を支える手。全てを包み込んで幸せにしてくれる手だ」
エヴェリーナの手に口付ける。
「でもね」
少し声が固い?と、思いながら様子を伺う。
「抱き締める手は私だけにして」
ふいに悲痛な顔をする。
急にこんな事を言い出すのは──。
「移り香は、私だけのにして……」
──ああ、そうか。
芋虫の臭いが移っていたのか。自分では気付かなかったが、帰宅した時にエヴェリーナは感じていたのかと思うとやるせない気持ちになる。
「すまない、エヴェリーナ。これは執務室に来た芋虫の臭いだ」
「芋虫?」
「殿下を狙って返り討ちにあって俺に狙いを変えた芋虫を潰す時に移った臭いだ。
臭くてすまない。─…まだにおうか?」
「いえ、湯浴みなさったのでしょう?」
「不快だったからな。……エヴェリーナ。
俺や殿下はそういうのに狙われる可能性は高い。だが君を裏切るような真似だけはしない」
エヴェリーナは瞳を揺らす。
夫から不快な臭いが漂っても毅然とし、子どもが不安になるように取り乱したりしないのは素晴らしいけれど。
「不安なら言って。全て受け止めるから。
嫌な気持ちを飲み込まないで」
頬に伝う涙を指の腹で拭う。
「あなたは私の夫よ」
「ああ」
「私からあなたを奪うのは許さない」
「ああ」
「愛しているわ、ザック」
俺を押し倒すようにして、口付ける。
その深い愛情に背筋がゾクゾクとした。
「リーナ、ここじゃ君を愛せない」
最愛の妻を堪能するにはソファじゃ狭すぎる。
俺はエヴェリーナを横抱きにし、ベッドにそっと降ろした。
「愛しているよ、エヴェリーナ。俺だけの光。
例え君でも、俺から君を奪わないでくれ」
挑戦的な瞳を向けられ、俺はエヴェリーナに深く口付けた。
隣で眠る愛しい女性の頬をそっと撫でる。
エヴェリーナから嫉妬して貰えるのは嬉しいが、芋虫の臭いが移った上着は捨ててしまおうかと考える。
「嫉妬を煽る為に他の女を使うと最愛を失うのは書物の王道だしな」
「ん……」
身動ぎした妻を抱き寄せ、額に口付けてから俺も目を閉じた。
彼女から香る安らぎの匂いに愛おしさを感じながら。
~~~~~~~~
※クレアはクラリッサの愛称です。
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