編む。ー消える白パンの謎ー

苺 迷音

文字の大きさ
34 / 40
晩餐会の幽霊

晩餐会の幽霊 19 沈黙の誇りと記憶

しおりを挟む
「旦那様は……オルノー領の……港に停泊している商船に居られます」

 それだけ言うとオーエンは俯き、唇をきつく結んだ。

「……ああ、チュリの港か?」

 ルシアスが確認するように尋ねる。しかしオーエンは答えない。それ以上を語ることは、主の意志を越えることになる。

 その誇りが、彼に沈黙を選ばせた。

 再び顔を上げた彼の表情には、その矜持が滲んでいた。

 長い沈黙の末に告げられた、たった一言。その重みを、彼らは理解していた。

 だからこそ、その沈黙は従属ではなく、アルノー候への誇り高き忠誠の証だった。この面々の前で、沈黙を貫くことには勇気が必要であろう。それでも、彼は主への忠誠を貫いたのだ。

 ステラは、微かに眉尻を下げ「話してくださって、ありがとう」と呟いた。それは話してくれたことへの感謝。そして、オーエンがきっと一人で抱えようとした辛さを、思いやる言葉だった。

 ルシアスは、オーエンの肩に優しく手を置いた。強くはなくただ軽く。勇気を持って告白してくれたことへの、敬意として。オーエンはルシアスを瞳に映し、頭を深く下げた。

 誰もその先は、話す事を続けなかった。言葉はもう十分だった。



 それから数日後、ステラたちはアルノー領の港町・チュリにいた。皇都から馬車で三時間ほどの距離だ。

 チュリは貿易港で、市場には珍しい加工品や調味料、生鮮な魚介・野菜・果物や菓子などの趣向品、果ては宝飾品や布まで、様々なものが所狭しと並んでいた。

 港の喧騒に紛れながら、ライオネルは視線を巡らせた。貿易港チュリには現在、二隻の商船しか停泊していない。

「……この二隻のどちらかだろうな」 

 ヴィクトルも頷く。

「それにしても……思ったより人が多く、賑やかだな」

 普段とは違う恰好をしたルシアスが、興味深げに辺りを見回しながら興奮気味に話す。

 ステラも町娘風の姿で、歩くとふわっと広がる薄黄色のワンピースを身に着ていた。髪はツインテールに括られていて、普段とは違う溢れる可愛らしさがあった。その姿に、シュベルアンが目を細めた。


 岸辺には荷を積み下ろす商人たち、港湾作業員、遠巻きに交渉を進める貴族らしき姿もある。人の流れに紛れながら、五人はゆっくりと歩を進めた。

 ライオネルは鋭い視線を投げた。

「船の様子を見る。お前は違う角度から確認しろ」

 ヴィクトルは軽く顎を引き、港の建物側に回った。

 風に乗って、海の匂いと混じる食材の香りが漂う。市場の喧騒にまぎれながら、ライオネルは船に積まれた木箱の刻印を見つめた。貿易品の印だ。

 その時、視界に入ったのは、船の側で話している男だった。洗い立てで撫でつけられていない茶髪が風に揺れ、口元には特徴的な口髭があった。

 視線を別の方へ移そうとしたが、ふと、ライオネルは眉を顰めた。

 「……あの男、どこかで……」

 だが、すぐには思い当たらない。

 ヴィクトルが戻ってきた。

「そっちに手がかりは?」

 ライオネルは髭の男の動きを目で追いながら答える。

「……いや、あの男。ただの商人かもしれんが……」

 男が商談が終わったのか、こちらへ歩いて来た。何かが胸に引っ掛かるライオネル。だがそれが”何か”がまだわからない。どんどん近づいてくる髭の男性。すれ違うその時、ふわり……桃の香りがした。

 通り過ぎようとする男性の腕を、ライオネルは慌てて掴んだ。

「待ってくれ!」

 思わず叫び、腕を掴まれた男性が振り返った。

 陽の光が髭の影を淡くし、浮かび上がるのは、かつて見たあの穏やかな眼差しだった。視線が合う。

 茶色い瞳がこちらを捉えた。

 その瞬間、潮風にふと混じる、まだ青い桃の実が揺れる春の風に乗って漂うありえないはずの桃の香り。あの日の香りが鼻腔を刺す。

 記憶の中で、微笑む髭の男。

「そうか。そうだったんだ……あなたでしょう?」

 髭の男は慈愛を込めた茶色の瞳で見つめ、ふっと微笑んだ。その笑顔は、あの日と同じ……眩しい、夏の日差しのような笑みだった。



 髭の男性は笑みを深め、ゆっくりと手を動かす。 

「よければ、船に招きましょう」

 連れてこられたのは、停泊中の船舶の中。船に乗り込むと、男が宿泊しているのだろう部屋に、ステラ達は通された。部屋の中は、海の上とは思えないほど揺れが無く、窓から見える波が乱反射して目映く輝いていた。

 執務用の机の上には、書類が整然と並ぶ。 侯爵はその一角に腰を下ろし、わずかに目を伏せた。

 そして、穏やかに口を開く。

「……では、話しましょう。私の事を」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

帰国した王子の受難

ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。 取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。

【完結】婚約者なんて眼中にありません

らんか
恋愛
 あー、気が抜ける。  婚約者とのお茶会なのにときめかない……  私は若いお子様には興味ないんだってば。  やだ、あの騎士団長様、素敵! 確か、お子さんはもう成人してるし、奥様が亡くなってからずっと、独り身だったような?    大人の哀愁が滲み出ているわぁ。  それに強くて守ってもらえそう。  男はやっぱり包容力よね!  私も守ってもらいたいわぁ!    これは、そんな事を考えているおじ様好きの婚約者と、その婚約者を何とか振り向かせたい王子が奮闘する物語…… 短めのお話です。 サクッと、読み終えてしまえます。

【完結】離縁など、とんでもない?じゃあこれ食べてみて。

BBやっこ
恋愛
サリー・シュチュワートは良縁にめぐまれ、結婚した。婚家でも温かく迎えられ、幸せな生活を送ると思えたが。 何のこれ?「旦那様からの指示です」「奥様からこのメニューをこなすように、と。」「大旦那様が苦言を」 何なの?文句が多すぎる!けど慣れ様としたのよ…。でも。

私を家から追い出した妹達は、これから後悔するようです

天宮有
恋愛
 伯爵令嬢の私サフィラよりも、妹エイダの方が優秀だった。  それは全て私の力によるものだけど、そのことを知っているのにエイダは姉に迷惑していると言い広めていく。  婚約者のヴァン王子はエイダの発言を信じて、私は婚約破棄を言い渡されてしまう。  その後、エイダは私の力が必要ないと思い込んでいるようで、私を家から追い出す。  これから元家族やヴァンは後悔するけど、私には関係ありません。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】

星森 永羽
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

完結 若い愛人がいる?それは良かったです。

音爽(ネソウ)
恋愛
妻が余命宣告を受けた、愛人を抱える夫は小躍りするのだが……

私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。

小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。 「マリアが熱を出したらしい」 駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。 「また裏切られた……」 いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。 「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」 離婚する気持ちが固まっていく。

『噂が先に婚約しましたが、私はまだ“練習相手”のつもりです(堅実護衛が半歩前から離れません)』

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全8話+後日談1話⭐︎ 舞踏会が苦手な伯爵令嬢ルシアは、社交の“空気圧”に飲まれて流されがち。 ――そして致命的に、エスコートされると弱い。 そんな彼女の“練習相手”に選ばれたのは、寡黙で堅実、おおらかな護衛隊出身の男ロアン。 半歩前を歩き、呼吸の乱れを見抜き、必要なときだけ手を差し出す彼の優しさは、甘い言葉ではなく「確認」と「対策」でできていた。 「怖くない速度にします」 「あなたが望めば、私はいます」 噂が先に婚約しても、社交界が勝手に翻訳しても――守られるのは、ルシアの意思。 なのに最後の一曲で、ルシアは言ってしまう。 「……ロアンさんと踊りたい」 堅実すぎる護衛の甘さに、流され注意。 噂より先に“帰る場所”ができてしまう、異世界ほの甘ラブコメです。

処理中です...