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晩餐会の幽霊
晩餐会の幽霊 18 ひび割れた迷い
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ステラの私室では、メイドが彼女の長いプラチナ・ブロンドを丁寧に整えていた。櫛が静かに髪をすき、艶やかな束がひとつにまとめられてゆく。
そのとき、扉の向こうから控えめなノックが聞こえた。
「ライオネル様からのお言付けをお預かりしております。執務室へお越しくださいとのことです」
「そう。ありがとう」
ステラは軽く頷き、襟元を整えると立ち上がった。
執務室に入ると、すでにルシアス、シュベルアン、ヴィクトル、そしてライオネルが集まっていた。室内には、まだ一日の重みが積もっていない、朝の空気が残っていた。
「あら、朝から皆そろって。何かあったの?」
ステラが椅子に近づくと、ルシアスが少しだけ口元を緩めた。
「昨日の帰りにね、オーエンにヴァーレンシュタイン邸へ来るよう伝えておいたんだ」
「なるほど」
シュベルアンは小さく鼻を鳴らし、ライオネルが腕を組んだまま言う。
「今、応接室に通してある。どうする?」
「スティが前に出て話した方が、オーエンも構えずに済むと思う」
ルシアスがそう言えば、ヴィクトルも無言で頷く。
「そうだな。それでいこう」
皆で視線を交わし、意思を通わせた五人。ステラは静かに立ち上がり、廊下へと歩を進めた。
応接室の前に着くと、彼女は扉の取っ手に指先を添えた。
そして、ためらいなく扉を押し開けた。
扉を開くと、応接室の片隅でオーエンが背筋を伸ばし、静かに佇んでいた。
「お待たせしました。どうぞ、お座りになってください」
ステラは微笑みながら、椅子を示した。
オーエンは一瞬、躊躇したようにも見えが、深く頭を下げると、静かに腰を落ち着けた。
「まずは、ご足労頂いて、感謝いたします」
ステラの柔らかな声が響く。
「これから話すことは、あくまでも私たちの推測です。事実と違っていましたら、ご指摘くださいませね」
短い沈黙。オーエンは微かに瞬き、一言だけ答えた。
「はい」
「私たちは、侯爵は誘拐されたのではなく、自ら姿を隠されたと考えています。違いますか?」
返事は急がない。黙ってオーエンの返事を待つ。静かな応接室の中で聞こえるのは、時計の秒針が時を刻む音だけ。
少しの寂の後、ステラはゆっくりと問いかけた。
「あなたの主への忠誠に、心から敬意を。私にも大切な人がいますもの。お気持ちはよくわかりますわ」
オーエンの瞳がわずかに揺れる。
「侯爵の行方をご存じなのですよね?」
部屋の空気が凍りつくように張り詰める。
だが、ライオネルが切羽詰まるように、急に身を乗り出し
「……スティ? 大切な人って……誰なんだ?」
堪えきれなくなったように、声を上げた。その声に、ステラが微かに眉を顰める。
「決まってるでしょ? 俺にね」
すかさずルシアスは、当然のように言い切る。
「黙れ」
シュベルアンが、そんな二人に「お前たちな訳がないだろう?」とでも言うような、冷ややかな視線を向ける。
ライオネルは瞳を潤ませたように、じっとステラを見ており、ルシアスはなぜか勝ち誇ったように口に弧を描いている。
ヴィクトルが軽く微笑みながら言った。
「まぁまぁ、話が進まないだろー? スティ、こいつらは放っておいて、続けて?」
ステラは苦笑しながら、少し驚いた顔のオーエンに目を向けた。
「ごめんなさい。いつものことなのでお気になさらないで。お話を戻しますわね……捜索願を出されたのは……イレーネ様ですよね?」
静かな問いかけが落ちる。オーエンの唇がかすかに動いた。しかし、言葉は出てこない。まるで、何かが喉に絡まり、押しとどめられているようだった。指先がほんのわずかに動き、何かに迷っているのが伺い知れる。
ステラが、さらに言葉を重ねる。
「今、侯爵が姿を隠されている。それはきっと理由のあることなのでしょう。ですが……それは本当に、侯爵のためになることでしょうか?」
空気が見えない重さで押し潰されそうなほどに、ズシンと沈む。
オーエンは口を少し開き、何かを言おうとしている。
瞼が閉じては開き、唇も微かに震えたが……声にはならなかった。オーエンの迷いと沈黙が痛いほどに、応接室に居る誰もが感じていた。
オーエンの息を飲む音が、小さく聞こえ、瞳が僅かに動き、やがて
「……旦那様は」
喉の奥から出ただろう掠れた声が、静寂にヒビを入れ、そして
破った。
そのとき、扉の向こうから控えめなノックが聞こえた。
「ライオネル様からのお言付けをお預かりしております。執務室へお越しくださいとのことです」
「そう。ありがとう」
ステラは軽く頷き、襟元を整えると立ち上がった。
執務室に入ると、すでにルシアス、シュベルアン、ヴィクトル、そしてライオネルが集まっていた。室内には、まだ一日の重みが積もっていない、朝の空気が残っていた。
「あら、朝から皆そろって。何かあったの?」
ステラが椅子に近づくと、ルシアスが少しだけ口元を緩めた。
「昨日の帰りにね、オーエンにヴァーレンシュタイン邸へ来るよう伝えておいたんだ」
「なるほど」
シュベルアンは小さく鼻を鳴らし、ライオネルが腕を組んだまま言う。
「今、応接室に通してある。どうする?」
「スティが前に出て話した方が、オーエンも構えずに済むと思う」
ルシアスがそう言えば、ヴィクトルも無言で頷く。
「そうだな。それでいこう」
皆で視線を交わし、意思を通わせた五人。ステラは静かに立ち上がり、廊下へと歩を進めた。
応接室の前に着くと、彼女は扉の取っ手に指先を添えた。
そして、ためらいなく扉を押し開けた。
扉を開くと、応接室の片隅でオーエンが背筋を伸ばし、静かに佇んでいた。
「お待たせしました。どうぞ、お座りになってください」
ステラは微笑みながら、椅子を示した。
オーエンは一瞬、躊躇したようにも見えが、深く頭を下げると、静かに腰を落ち着けた。
「まずは、ご足労頂いて、感謝いたします」
ステラの柔らかな声が響く。
「これから話すことは、あくまでも私たちの推測です。事実と違っていましたら、ご指摘くださいませね」
短い沈黙。オーエンは微かに瞬き、一言だけ答えた。
「はい」
「私たちは、侯爵は誘拐されたのではなく、自ら姿を隠されたと考えています。違いますか?」
返事は急がない。黙ってオーエンの返事を待つ。静かな応接室の中で聞こえるのは、時計の秒針が時を刻む音だけ。
少しの寂の後、ステラはゆっくりと問いかけた。
「あなたの主への忠誠に、心から敬意を。私にも大切な人がいますもの。お気持ちはよくわかりますわ」
オーエンの瞳がわずかに揺れる。
「侯爵の行方をご存じなのですよね?」
部屋の空気が凍りつくように張り詰める。
だが、ライオネルが切羽詰まるように、急に身を乗り出し
「……スティ? 大切な人って……誰なんだ?」
堪えきれなくなったように、声を上げた。その声に、ステラが微かに眉を顰める。
「決まってるでしょ? 俺にね」
すかさずルシアスは、当然のように言い切る。
「黙れ」
シュベルアンが、そんな二人に「お前たちな訳がないだろう?」とでも言うような、冷ややかな視線を向ける。
ライオネルは瞳を潤ませたように、じっとステラを見ており、ルシアスはなぜか勝ち誇ったように口に弧を描いている。
ヴィクトルが軽く微笑みながら言った。
「まぁまぁ、話が進まないだろー? スティ、こいつらは放っておいて、続けて?」
ステラは苦笑しながら、少し驚いた顔のオーエンに目を向けた。
「ごめんなさい。いつものことなのでお気になさらないで。お話を戻しますわね……捜索願を出されたのは……イレーネ様ですよね?」
静かな問いかけが落ちる。オーエンの唇がかすかに動いた。しかし、言葉は出てこない。まるで、何かが喉に絡まり、押しとどめられているようだった。指先がほんのわずかに動き、何かに迷っているのが伺い知れる。
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「今、侯爵が姿を隠されている。それはきっと理由のあることなのでしょう。ですが……それは本当に、侯爵のためになることでしょうか?」
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オーエンは口を少し開き、何かを言おうとしている。
瞼が閉じては開き、唇も微かに震えたが……声にはならなかった。オーエンの迷いと沈黙が痛いほどに、応接室に居る誰もが感じていた。
オーエンの息を飲む音が、小さく聞こえ、瞳が僅かに動き、やがて
「……旦那様は」
喉の奥から出ただろう掠れた声が、静寂にヒビを入れ、そして
破った。
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