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第480話 ホワイト・サイレント・ナイト(5) at 1996/2/18
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「な――なにを――っ!!」
――ざぶり!
慢心ゆえの油断があったのか、はたまた勝利へのゆるぎない自信があったのか、大月大輔は僕の手元から放たれた保温ボトルの中身をまともに全身に浴びることとなった。
だが――それだけだ。
「はは……」
ステンレスの保温ボトルとはいえ、もう僕らが家を出てから数時間はゆうに経過している。淹れ立てなら自他ともに認める猫舌の僕には到底飲めも舐められもしないシロモノだったが、今であればもうそこまでの温度ではない。
「ははは……なんだよ、これ」
不意をつかれ、激しい動揺をあらわにした大月大輔だったが、その落差に苦笑しはじめた。
「おい、少年? これがなんだっていうんだ? ただの少し熱いお茶じゃないか。これで――」
「ちなみに、さっきロコと飲んでいたのはミルクココアの方な」
「そんなことは聞いていない! ……まあ、どうでもいいことか。君はもうここで終わり――」
「まあまあ。少し落ち着こうぜ。化学のハナシとかしながらさ?」
そう気楽な調子で言葉をかけた僕は、大月大輔のカラダをハグするようにして抱き留めた。
「お、おい! 僕に、この僕に、貴様のような不届き者とこのようなことをするような――!」
「いいから、いいから。……あのさ? 『ムペンバ効果』って知ってるかい?」
囁くような僕のセリフが耳元に届いたのか、大月大輔は、びくり、とカラダを震わせた。
いや――大月大輔の誇りと名誉にかけて、それは訂正しておかなければなるまい。
彼のカラダは、現実の寒さに耐えかねて、ぶるぶると激しく震えていたのだから。
「いやね――?」
見る間に苦痛の表情を浮かべた彼の耳元で、僕はことさらゆっくりとこう続けた。
「『ムペンバ効果』なんて言ったけど、今やったのはそこまで大げさなものじゃない。ただ単に、怒りのあまりうっかり全身を僕の前にさらけだした君に、お茶を浴びせただけなんだから」
「そ……それで……どうして、こう……」
「やっぱり説明が必要そうだ。……あ、いやいや! 僕だってさ、それほどくわしくないよ?」
がくがくと歯を鳴らして震える大月大輔のカラダを解放してやる。彼は両腕で自分のカラダをかき抱くが、元より保温性能の乏しい衣服ではどうにもならなかった。がくり、と膝をつく。
「『気化熱』ってヤツを利用したんだ。さっき君にかけたのは、二本目の保温ボトルに入っていた紅茶だよ。このボトル、割といいヤツでさ? 六時間後なら八〇℃くらいあるはずなんだ」
ボトルに書かれていた文字は消えかけていたが、十二時間後でも六〇℃をキープするらしい。
「さっき君にかかった瞬間、大量の湯気が出たよね? でも、ヤケドするほどじゃない。それが狙いじゃないからね。あの時、液体である水は『気体』になった――つまり、蒸発したんだ。水は蒸発する時――気体に変化する時に熱を必要とする。そう、周囲から熱を奪ったのさ」
「しゅ――周囲……つ……つまり……僕のカラダから……か……」
「そういうこと」
「くそ――」
真冬の雪の中でも凍えなかった大月大輔は、今や凍死寸前の状態だった。
うっ血したような真紫の唇が震えながら僕にこう伝える。
「今回は……ぼ……僕の……負けだ……。だが……いずれ……この僕が……決着をつける……」
そして――。
じわり、と溶けていくように大月大輔の姿は雪の大地の中へと吸い込まれて消えたのだった。
――ざぶり!
慢心ゆえの油断があったのか、はたまた勝利へのゆるぎない自信があったのか、大月大輔は僕の手元から放たれた保温ボトルの中身をまともに全身に浴びることとなった。
だが――それだけだ。
「はは……」
ステンレスの保温ボトルとはいえ、もう僕らが家を出てから数時間はゆうに経過している。淹れ立てなら自他ともに認める猫舌の僕には到底飲めも舐められもしないシロモノだったが、今であればもうそこまでの温度ではない。
「ははは……なんだよ、これ」
不意をつかれ、激しい動揺をあらわにした大月大輔だったが、その落差に苦笑しはじめた。
「おい、少年? これがなんだっていうんだ? ただの少し熱いお茶じゃないか。これで――」
「ちなみに、さっきロコと飲んでいたのはミルクココアの方な」
「そんなことは聞いていない! ……まあ、どうでもいいことか。君はもうここで終わり――」
「まあまあ。少し落ち着こうぜ。化学のハナシとかしながらさ?」
そう気楽な調子で言葉をかけた僕は、大月大輔のカラダをハグするようにして抱き留めた。
「お、おい! 僕に、この僕に、貴様のような不届き者とこのようなことをするような――!」
「いいから、いいから。……あのさ? 『ムペンバ効果』って知ってるかい?」
囁くような僕のセリフが耳元に届いたのか、大月大輔は、びくり、とカラダを震わせた。
いや――大月大輔の誇りと名誉にかけて、それは訂正しておかなければなるまい。
彼のカラダは、現実の寒さに耐えかねて、ぶるぶると激しく震えていたのだから。
「いやね――?」
見る間に苦痛の表情を浮かべた彼の耳元で、僕はことさらゆっくりとこう続けた。
「『ムペンバ効果』なんて言ったけど、今やったのはそこまで大げさなものじゃない。ただ単に、怒りのあまりうっかり全身を僕の前にさらけだした君に、お茶を浴びせただけなんだから」
「そ……それで……どうして、こう……」
「やっぱり説明が必要そうだ。……あ、いやいや! 僕だってさ、それほどくわしくないよ?」
がくがくと歯を鳴らして震える大月大輔のカラダを解放してやる。彼は両腕で自分のカラダをかき抱くが、元より保温性能の乏しい衣服ではどうにもならなかった。がくり、と膝をつく。
「『気化熱』ってヤツを利用したんだ。さっき君にかけたのは、二本目の保温ボトルに入っていた紅茶だよ。このボトル、割といいヤツでさ? 六時間後なら八〇℃くらいあるはずなんだ」
ボトルに書かれていた文字は消えかけていたが、十二時間後でも六〇℃をキープするらしい。
「さっき君にかかった瞬間、大量の湯気が出たよね? でも、ヤケドするほどじゃない。それが狙いじゃないからね。あの時、液体である水は『気体』になった――つまり、蒸発したんだ。水は蒸発する時――気体に変化する時に熱を必要とする。そう、周囲から熱を奪ったのさ」
「しゅ――周囲……つ……つまり……僕のカラダから……か……」
「そういうこと」
「くそ――」
真冬の雪の中でも凍えなかった大月大輔は、今や凍死寸前の状態だった。
うっ血したような真紫の唇が震えながら僕にこう伝える。
「今回は……ぼ……僕の……負けだ……。だが……いずれ……この僕が……決着をつける……」
そして――。
じわり、と溶けていくように大月大輔の姿は雪の大地の中へと吸い込まれて消えたのだった。
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