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第一章 溜息は少女を殺す

溜息は少女を殺す(10)

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「さっき、最後に何を渡されたんです?」
「ん? ……ああ、これ?」



 今は三人揃ってエレベーターの中。他には誰もいません。もう一粒の涙も流してない美弥みやさんは、スカートのポケットから折り畳まれた紙切れを取り出すと、怪訝けげんそうに眉をしかめます。



「………………これ、何?」
「えっと、あたしが聞いてるんですが」
「ん」
「いやいやいや! あたしが開けるんですか!?」
「んっ」

 仕方ないですね、もう。自分でもかなり物足りない胸元に、ぐいぐい、と遠慮なく押し付けられた紙切れを渋々受け取り、開いてみますとそこには。

「自宅の住所と電話番号っぽいですね。あと『いつでも訪ねてきてね』って書いてあります」
「……いらない」
「じゃあ俺が」
「す――捨てますっ! あたしが責任をもって捨てますっ!」
「ちぇ。……って、じ、冗談だって! 本気にするなよ、祥子ちゃん」

 そういって笑いながら、白兎はくとさんはあたしの肩に手を置き、耳元に囁きかけました。



(どうだった? ウチのペットは大したもんだろ? あれがみゃあの特技でね?)
(特技……ですか?)
(特殊体質って言ったらいいかもな。みゃあにかかれば誰も抗えない。淫魔サキュバスも真っ青だ)
(そういう白兎さんはどうなんです?)
(あー。俺は飼い主だからな。心配ないんだ)



 白兎さんはそれだけを告げると、訝し気に振り返った美弥さんに見つかる前に、すっ、と元の位置に戻りました。



 どういう意味なんでしょうか?
 もう、嬉野、さっぱりなんですけど。



 美弥さんも美弥さんです。今はまた前を向いてカウントアップされていく電光掲示板をじっと見つめているその顔は、いつもと同じ、感情の読み取れない陶器のように無機質で透明なビューティーフェイス。けれど、ついさっき受付嬢相手に見せたあの激しい感情のうねりは一体何だったのでしょう。最初から騙すつもりだった? それともただの演技? とてもあたしにはそんな風には思えなくって――。



 それに、白兎さんも白兎さんです。

 いくら何でも人を掴まえて、『淫魔』だなんて酷すぎませんか? 両性愛者バイセクシャルだとも言っていましたっけ。なのに、『自分は飼い主だから問題ない』っていうのも矛盾しすぎていて余計に混乱してしまいます。あたし自身、自分の意志で美弥さんに甘えたりじゃれついたりしてしまいましたが、それが嘘の、造られた、与えられた感情だなんて到底信じられなかったのです。

 この人たち……何か変です。変ですよ。



 でも、いくら考えてみても答えなんて出る筈もなくって、じきに、ぽーん、と軽快な音が鳴り響き、エレベーターは目的の五階に到着していました。

「フロアマップを見る限り、途中で邪魔は入らなさそうだな。……良し、行くぞ」

 一直線の廊下には人影はありません。一番奥が五十嵐さんのいる五一一号室みたいです。

 おっかなびっくりきょろきょろ視線を泳がせるあたしを尻目に、白兎さん美弥さんはまるで散歩にでも出かけるみたいな足取りで進んで行きます。人一倍用心している筈なのに、あたしだけ逆に挙動不審者に見えますよね、これ。小心者なんですもん、仕方ないじゃないですか。



 こん、こん。



(ちょ――!)
(レディの部屋に入るのにノック無しじゃ失礼だろ? ……返事はないな)

 がらり、と引き戸を開けると、広い病室の窓際に一つきりあるベッドの上に、窓から差し込む優し気な陽光を浴びて眠る白衣の少女が横たわっていました。微かな寝息を立て、その推定Bカップ(嬉野調べ)の胸元が規則的に上下しているのが分かります。





 つまり――生きている!





「はぁ……ホント、無事で良かった……!」
「だな」

 またまた白兎さんがあたしの髪の毛を、くしゃり、とやり、それを少々むっとした顔で頬を膨らませながら見つめ返すと、背中の真ん中を、ぽん、と押されました。

 その拍子にあたしはよろけて二、三歩前へ――。

「………………誰?」

 し、しまったぁあああああ!

 ぱちり、と開いた栗色の瞳があたしを見つけて不思議そうに瞬きました。なので、仕方なくあたしは引き攣った笑顔らしきものを浮かべ、こう告げます。

「あ、あのう……えっと。同じクラスの嬉野うれしのですよ、五十嵐さん」
「あ……? ああ、『いいんちょ』じゃない。どうしたの?」
「………………えっと。その『いいんちょ』って呼び名、何処まで浸透してるんです?」

 途端、美弥さんのっぽい指先があたしの背筋の敏感な部分をつついたので、我に返ります。

「じゃなくて。……心配したんですよ? お加減はどうですか、五十嵐さん?」
「心配……? あ、そっか……」

 五十嵐さんは一瞬いぶかし気に眉を顰めたかと思うと、やがて諦めたように深々と溜息を一つつきました。そして、寝返りを打つように誰もいない窓の方へと顔を背けてしまいます。

貴女あなたには関係ないから。放っておいてくれない?」



 それは、あの時、円城寺さんに向けて放たれた言葉と同じもの。

 拒絶――。



 それを耳にした途端、何だかあたしは無性に悲しくなってしまいまして、じわり、と涙が溢れ、視界が歪んでいくのを感じました。とうとう堪え切れず、すん、と鼻を鳴らすと、今まで背中を向けていた五十嵐さんが姿勢を変えて、困ったようにうっすら微笑みながらあたしのお粗末な泣き顔を見つめていました。

「……ごめん。泣いちゃうとは思わなくって。あたしなんかのために」
「『あたしなんか』なんて悲しい言葉、五十嵐さんは口にしちゃ駄目ですっ!」
「え……? え?」

 自嘲気味に吐き捨てられたその台詞に感情を掻き毟られて、気が付いた時には勝手にあたしの口は悲鳴に似た叫びを上げていたのです。戸惑い、偽りの微笑みを浮かべることすらできなくなった五十嵐さんに向けて、あたしは押し殺した叫びを続けざまに投げつけました。

「どんなに悲しくたって、どんなに苦しくたって、『あたしなんか』なんて言葉を使っちゃ絶っ対に駄目です! 駄目なんですよ、五十嵐さん! 貴女は陸上部所属で、次世代のエースで、校内ランキングだって二年生の中で一〇番以内に入るとびっきりの美少女なんですよ!?」

 あとから思えば、ここまでは――ギリギリセーフだったかも、と思うんです。

「密かに、あー仲良くなりたいなー、いちゃいちゃしてみたいなー、そんな風に思っている子は大勢いるんです! そう、このあたし、嬉野がそうなんですから! そんな五十嵐さんに『あたしなんか』なんて言葉を使われちゃったら、この嬉野なんて、この先、どうやって生きて行けばいいんですか! ニンゲン以下ですか!? ダンゴムシレベルなんですかぁあああ!」



 はい、アウト。

 でも、五十嵐さんはちょっと照れ臭そうに笑ってくれたんです。こんな嬉野に向かって。
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