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第三章 忌み人は闇と踊る
忌み人は闇と踊る(4)
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もう!
美弥さんまであんなこと言うんだから!
次の日になってもあたしの胸のもやもやは治まるどころかかえって燻りまくっていました。この嬉野は、世の可愛くて素敵な女の子たちに対して、面と向かって怒りをぶつけることが出来ないという哀しい性を背負っています。だからこそ余計もやもやしてしまっていたのです。
「おはよっ、うれしょん。って、何か朝からお怒りモードじゃね?」
「おはようございます、有海っ! 別に怒ってないですけどっ!?」
「怒ってるし……。激おこじゃんか」
勢い鼻息荒く答えるあたしを見て、有海は呆れた顔付きで肩を竦めます。そこに、そろり、と近づいてきたのは、あたしたちより少し早めに登校していた円城寺さん。ですが、何故だか彼女も困ったような微笑みを浮かべています。
「あらあら。やはり木崎さんには敵いませんわね。あたしも何となく、そうなのかしら? とは思っていたのですけれど、なかなかお声が掛けられなくって……」
「おー、あんこー。やっほー」
有海はそう明るく答えてから、
「もー、木崎さん、とかナシじゃんよー? 有海でいいってば!」
そう付け加えて怒っているような照れてるような表情で頬を膨らませます。それを見た円城寺さんはなお困ったように眉尻を下げて眼を伏せました。あたしはすぐさまフォローします。
「そ、そこまで気にしなくっていいんですよ? 好きなように呼んでもらえれば。でも、あたしも有海も、苗字よりは名前で呼んでもらった方が嬉しいんです。ね、円城寺さん?」
「って、うれしょんだっていまだに『苗字』に『さん』付け呼びじゃんかー」
「あう……し、失敗しました……。え、えっと……ね? き、杏子?」
うわああああ、照れ臭い。世の恋人たちがはじめてカノジョの名前を呼ぶ時の嬉し恥ずかしこそばゆい気持ちが痛いほど良く分かります。いっそ、イケボにしておけばこのモヤモヤは誤魔化せたのでは? と妄想が暴走気味で迷走中。それは円城寺さんも同じご様子らしくって。
「あ……。ええと……あ、有海に……う、うれしょん?」
ぽ、と産毛まで桃色に染めてもじもじと呼んでみる円城寺さん。かわゆすぎかー!
「そーそー」
「うん、ですです! ……って、何も『うれしょん』呼びで統一しなくて良いですからね!? あたし、この馬鹿有海に付けられたその不本意な渾名、イマイチ納得してないんですから!」
「ちょ――イマイチ納得してないってどーゆー意味だし!」
「ぶちっ! ってきたの、意外にもそこなんですか!?」
がるるる……と低い唸り声を漏らし激しく視線の火花を散らすあたしたち二人を交互に見比べつつ、いつもは冷静な円城寺さんはつい堪え切れずに、ぷっ、と吹き出してしまいます。
正直、円城寺さんのこんなに油断した表情を見たのははじめてのことで。
いつもの慈愛に満ちた微笑みを浮かべる聖母様みたいな円城寺さんももちろん好きですけれど、今あたしの瞳に映っている少女らしい愛らしくも無邪気な笑顔もとても素敵だな、って。
「うふふふ。あたし、すっかり忘れていたみたいですわ」
「ん? どしたん?」
「あたしの名前、杏子って言うんだなって。凄く……久しぶりな気がしてしまいましたから」
ごくごく当たり前の話を当たり前ではない調子でとっても嬉しそうに話している円城寺さんを見て、あたしと有海は思わず、きょとん、と顔を見合わせてしまいます。
「それってどういう意味です?」
「ええ、ええ。そう、少し昔の話なのですけれど――」
りーんごーん。
がらり。
今まさに円城寺さんの口から語られんとするタイミングで本鈴が鳴り響き、一限の日本史を担当する千房碧先生が姿を見せました。有海と円城寺さんは急いで自分の席へと戻ります。
「皆さん、授業を始めましょうね。週番さん、お願いします」
「起立――礼――よろしくお願いします」
ま、あとで聞けばいっか――。
根っから単純なあたしは、ぼんやりそう思っていたのです。
◆ ◆ ◆
お昼休みのことでした。
『――だったの! ちょっとショックでしたわ!』
有海と円城寺さんと三人仲良くそれぞれ持ち寄ったお弁当を分け合いっこしつつ食べた後、あたしは無性にお花が摘みたくなってしまいまして、ご歓談中のところ失礼して近場のおトイレへと最低限の淑女らしさを保ちつつ急ぎます。ふう、セフセフ。
ですが、個室のドアを閉めて腰を降ろし、ホッとしているあたしの耳に、誰かと誰かの囁き声が聴こえてきたのです。
『あら。それって面白くもない冗談ね。だって、あのみんなの――彼女がってことでしょ?』
『そうよ! あたくしだって、驚きのあまり、思わず悲鳴を上げそうになったんですもの!』
『しーっ! はしたないですわよ? 少しお控えになって?』
これは……まさか。
ですが、周囲に声が漏れて誰かに盗み聴かれるのを恐れたのか、囁きが小さくなって二人の会話の続きがうまく聞き取れません。あたしはお尻丸出しのまま音を立てないようにドアの裏側に耳を押し当てると、頼りない途切れ途切れの音の欠片を必死に拾い集めます。
『あたくしだって……ですわよ? でもこの目で……。間違いありませ……』
『この世には……三人はいると……でしょう? そうだと決めつける……ありません?』
『……仰るのなら……結構ですわ! それでも……お呼びしたら……慌てて……!』
『まあ! ……ないかがわしい場所に……と腕を組んで……だなんて!』
『は、破廉恥ですわ!』
もう! 肝心なところが聞き取れずにもどかしいことこの上ありません。
ですが、恐らくこれは、この前美弥さんが見つけてくれたSNSの投稿同様、学院外での円城寺さんに関連した会話なのではないかとあたしの第六感が訴えています。にしても……いかがわしい? 破廉恥? はてさて、一体どんな場所で見かけたと言うのでしょうか?
……それにですよ?
『……ところであなた……どうしてそんなところに……?』
『……えっ!? そ、それは……あのう……』
ですです。ですよ。
と満足気に頷いているあたしの控え目にもほどがある極めて慎ましやかな鼻が刹那、ぶるり、と震えてしまったかと思うと、止める間もなく勢いに任せて思うがままに――。
……くしゅんっ!
ししししまったぁ!
途端、ひっ!、という小さな悲鳴を残して、囁き合っていた二人は逃げるように踵を返して小走りでトイレから出て行ってしまいます。くううう、もう少し情報を引き出したかったところですが……お尻出しっぱなしだったのが敗因だったのかもしれません。嬉野、一生の不覚。
でも、最後にこれだけは、はっきりとあたしの耳に届いたんです。
『ラ・ハイドレインジァ』――その謎の単語が。
美弥さんまであんなこと言うんだから!
次の日になってもあたしの胸のもやもやは治まるどころかかえって燻りまくっていました。この嬉野は、世の可愛くて素敵な女の子たちに対して、面と向かって怒りをぶつけることが出来ないという哀しい性を背負っています。だからこそ余計もやもやしてしまっていたのです。
「おはよっ、うれしょん。って、何か朝からお怒りモードじゃね?」
「おはようございます、有海っ! 別に怒ってないですけどっ!?」
「怒ってるし……。激おこじゃんか」
勢い鼻息荒く答えるあたしを見て、有海は呆れた顔付きで肩を竦めます。そこに、そろり、と近づいてきたのは、あたしたちより少し早めに登校していた円城寺さん。ですが、何故だか彼女も困ったような微笑みを浮かべています。
「あらあら。やはり木崎さんには敵いませんわね。あたしも何となく、そうなのかしら? とは思っていたのですけれど、なかなかお声が掛けられなくって……」
「おー、あんこー。やっほー」
有海はそう明るく答えてから、
「もー、木崎さん、とかナシじゃんよー? 有海でいいってば!」
そう付け加えて怒っているような照れてるような表情で頬を膨らませます。それを見た円城寺さんはなお困ったように眉尻を下げて眼を伏せました。あたしはすぐさまフォローします。
「そ、そこまで気にしなくっていいんですよ? 好きなように呼んでもらえれば。でも、あたしも有海も、苗字よりは名前で呼んでもらった方が嬉しいんです。ね、円城寺さん?」
「って、うれしょんだっていまだに『苗字』に『さん』付け呼びじゃんかー」
「あう……し、失敗しました……。え、えっと……ね? き、杏子?」
うわああああ、照れ臭い。世の恋人たちがはじめてカノジョの名前を呼ぶ時の嬉し恥ずかしこそばゆい気持ちが痛いほど良く分かります。いっそ、イケボにしておけばこのモヤモヤは誤魔化せたのでは? と妄想が暴走気味で迷走中。それは円城寺さんも同じご様子らしくって。
「あ……。ええと……あ、有海に……う、うれしょん?」
ぽ、と産毛まで桃色に染めてもじもじと呼んでみる円城寺さん。かわゆすぎかー!
「そーそー」
「うん、ですです! ……って、何も『うれしょん』呼びで統一しなくて良いですからね!? あたし、この馬鹿有海に付けられたその不本意な渾名、イマイチ納得してないんですから!」
「ちょ――イマイチ納得してないってどーゆー意味だし!」
「ぶちっ! ってきたの、意外にもそこなんですか!?」
がるるる……と低い唸り声を漏らし激しく視線の火花を散らすあたしたち二人を交互に見比べつつ、いつもは冷静な円城寺さんはつい堪え切れずに、ぷっ、と吹き出してしまいます。
正直、円城寺さんのこんなに油断した表情を見たのははじめてのことで。
いつもの慈愛に満ちた微笑みを浮かべる聖母様みたいな円城寺さんももちろん好きですけれど、今あたしの瞳に映っている少女らしい愛らしくも無邪気な笑顔もとても素敵だな、って。
「うふふふ。あたし、すっかり忘れていたみたいですわ」
「ん? どしたん?」
「あたしの名前、杏子って言うんだなって。凄く……久しぶりな気がしてしまいましたから」
ごくごく当たり前の話を当たり前ではない調子でとっても嬉しそうに話している円城寺さんを見て、あたしと有海は思わず、きょとん、と顔を見合わせてしまいます。
「それってどういう意味です?」
「ええ、ええ。そう、少し昔の話なのですけれど――」
りーんごーん。
がらり。
今まさに円城寺さんの口から語られんとするタイミングで本鈴が鳴り響き、一限の日本史を担当する千房碧先生が姿を見せました。有海と円城寺さんは急いで自分の席へと戻ります。
「皆さん、授業を始めましょうね。週番さん、お願いします」
「起立――礼――よろしくお願いします」
ま、あとで聞けばいっか――。
根っから単純なあたしは、ぼんやりそう思っていたのです。
◆ ◆ ◆
お昼休みのことでした。
『――だったの! ちょっとショックでしたわ!』
有海と円城寺さんと三人仲良くそれぞれ持ち寄ったお弁当を分け合いっこしつつ食べた後、あたしは無性にお花が摘みたくなってしまいまして、ご歓談中のところ失礼して近場のおトイレへと最低限の淑女らしさを保ちつつ急ぎます。ふう、セフセフ。
ですが、個室のドアを閉めて腰を降ろし、ホッとしているあたしの耳に、誰かと誰かの囁き声が聴こえてきたのです。
『あら。それって面白くもない冗談ね。だって、あのみんなの――彼女がってことでしょ?』
『そうよ! あたくしだって、驚きのあまり、思わず悲鳴を上げそうになったんですもの!』
『しーっ! はしたないですわよ? 少しお控えになって?』
これは……まさか。
ですが、周囲に声が漏れて誰かに盗み聴かれるのを恐れたのか、囁きが小さくなって二人の会話の続きがうまく聞き取れません。あたしはお尻丸出しのまま音を立てないようにドアの裏側に耳を押し当てると、頼りない途切れ途切れの音の欠片を必死に拾い集めます。
『あたくしだって……ですわよ? でもこの目で……。間違いありませ……』
『この世には……三人はいると……でしょう? そうだと決めつける……ありません?』
『……仰るのなら……結構ですわ! それでも……お呼びしたら……慌てて……!』
『まあ! ……ないかがわしい場所に……と腕を組んで……だなんて!』
『は、破廉恥ですわ!』
もう! 肝心なところが聞き取れずにもどかしいことこの上ありません。
ですが、恐らくこれは、この前美弥さんが見つけてくれたSNSの投稿同様、学院外での円城寺さんに関連した会話なのではないかとあたしの第六感が訴えています。にしても……いかがわしい? 破廉恥? はてさて、一体どんな場所で見かけたと言うのでしょうか?
……それにですよ?
『……ところであなた……どうしてそんなところに……?』
『……えっ!? そ、それは……あのう……』
ですです。ですよ。
と満足気に頷いているあたしの控え目にもほどがある極めて慎ましやかな鼻が刹那、ぶるり、と震えてしまったかと思うと、止める間もなく勢いに任せて思うがままに――。
……くしゅんっ!
ししししまったぁ!
途端、ひっ!、という小さな悲鳴を残して、囁き合っていた二人は逃げるように踵を返して小走りでトイレから出て行ってしまいます。くううう、もう少し情報を引き出したかったところですが……お尻出しっぱなしだったのが敗因だったのかもしれません。嬉野、一生の不覚。
でも、最後にこれだけは、はっきりとあたしの耳に届いたんです。
『ラ・ハイドレインジァ』――その謎の単語が。
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