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第三章 忌み人は闇と踊る

忌み人は闇と踊る(5)

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 ――ジジッ。


(……で、自己嫌悪に陥っている、そういう訳か)
(まあ……はい)


 一人肩を落とし歩く、あまりパッとしない外見をした某お嬢様学校に通う高校二年生ことあたし――嬉野うれしの祥子しょうこは、左耳から流れ込むざらついたノイズ混じりの声に嘆息し項垂うなだれます。


(仕方ないだろ。そうしょげるなって、柄にもない)


 嬉し恥ずかし花のJKであるあたしの左耳に、超高性能小型通信機という姿を借りて図々しくも絶賛合法潜入中の白兎はくとさんは、大して同情する風でもない事務的な口調で言い放ちます。


白鳥姫オデットと行動を共にしていないと、何処かに潜んでいる相手の尻尾も掴めやしないんだからな。それに、今までのパターンから白鳥姫が帰宅した後はメッセージの頻度も格段に落ちる)
(分かってます分かってます……けど)



 いつもとは違う帰り道。

 そう、あたしはつい先程円城寺えんじょうじさんと別れたばかりなのです。放課後待ち合わせをして、護衛という名目で円城寺さんのご自宅前までエスコート。と言えば聞こえは良いのですが――。


(さて……これで相談事とやらを進める準備が出来た。白鳥姫が家に入るのを確認したか?)
(しませんでしたよ。アドバイス・・・・・どおりに・・・・
(よしよし)



 何が良いもんですか! 人の気も知らないで!



 あたしが自己嫌悪しているその訳は、数少ない友人であり、今回の事件の哀れな被害者でもあるはずの円城寺さん自身の行動を疑い、調べようとしている、その後ろめたさにあります。

 精一杯の笑顔を浮かべて、じゃあまた明日ね、と手を振り口では言いながらも、こうして円城寺さんが外出するのを今か今かと闇に身を潜めて監視している――これじゃあまるで。


「……友情を利用しているみたいだ、ってところか? 気にし過ぎだぜ、祥子ちゃん」
「そうは言いますけどね――!」


 思わず、かっ、となって言い返したところで……あれ? 妙にノイズがクリアですよ?


「後ろだ、後ろ」
「え――!?」
「よっ。……な、寂しかったか?」
「~~~~~!?」


 あたしが振り向くより早く、両肩に優しく手を添え、すぐ真横からぬっと顔を突き出してきたのはつんつんとブリーチの利いた金髪頭。そのあまりの唐突さと距離の近さに、あたしの心臓は今にも飛び出しそうになります。


「ちょ――! ななな何するんですかっ!? ふごふごふごおっ!」
「おいおい、大声出すなって」


 あたしの悲鳴と罵詈雑言は、たちまち白兎さんのほっそりとすべやかな手にすっぽり覆われて尻つぼみになります。もー煙草臭い! こうなったらこっちにも考えがあるんだからねっ!


「こら、暴れるな噛みつくな。気付かれるどころか俺の方が警察のご厄介になるだろうが」
「だだだだってですよ!? いきなり男の人にこんなことされたら――!」





 ……あれ? おかしいですね?





 極度の男性嫌悪症の嬉野です。男性に触れられでもしたら決まって全身に鳥肌が立ち、眩暈めまいと冷汗まみれになって、ともすれば蕁麻疹じんましんまで出てしまうはずだってのに。何とも……ない?


「? な、何だよ、急に黙り込んで……おっと! そら、おめかしした白鳥姫のお出ましだ」


 天然の割石を煉瓦のように積み上げた重厚な外観のいかにもな雰囲気漂う大邸宅。あたしたちが身を潜める角からでも、マンションのオートロック式エントランスを思わせる広く開放的な玄関から出てくる円城寺さんの姿が見えます。ただ、いつも見慣れた制服ではなくって。


「黒のスキニージーンズにグレーのフード付きプルオーバー。ネイビーのボディバッグを袈裟けさけにして、足元はゴツめの赤いハイカットスニーカー。おまけに化粧は控えめでアクセ類は一切無し、と。……何だか別人みたいだな? 随分とマニッシュなファッションじゃないか」


 瞬時に対象者の外見をデータ化して羅列する白兎さんの観察眼には驚かされましたが、それよりあたしは今まさに目にしている光景があまりに非現実的すぎて言葉がうまくでません。


「あれが円城寺さん……? 円城寺さんなんですよね?」
「じゃなけりゃ何処の誰だってんだよ、祥子ちゃん。そんなことより後を追う、付いてこい」


 あたしは呼び寄せられるがまま白兎さんにならって、何処かへ出かけようとしている円城寺さんの後を追うことにします。止まれ――来い――隠れろ――待て。白兎さんの右手から次々と繰り出される無言のハンドサインがあたしの行動を支配します。忙しなくひたすら忠実に、命じられるがままに従っているだけでもう精一杯。一体何処へ向かっているのでしょう。



 と、突然。



「!?」


 白兎さんがあたしの大して細くもない腰に両腕を廻し、壁に押し付けるように抱きかかえ。


「――しっ! ちょっと動くな声出すな、祥子ちゃん。白鳥姫が警戒してこっちを見てる」


 ……近い。近いです。というか、壁ドンってこんな距離感なんですか頭おかしいんじゃないですか。あたしの心臓はバクバクを通り越しズキズキと激しくうずき脈動して、今にも口からおえっと吐き出してしまいそうになります。何か――何か気を紛らわすことができるものは。



 あ――。



 わずかに上目遣いで見上げた白兎さんの横顔は、抜けるように白くてすべやかで、やっぱり双子である安里寿ありすさんにとっても良く似ている、その時そう気付いたのです。髭の剃り跡なんてまるで見当たらないし、男性の象徴たる喉仏だってほとんど目立たないくらい。睫毛は羨ましいほど長くて緩やかに天へとカーブを描いています。唯一の違いは左目の下の黒子くらいで。



「――くぞ? おい、聴こえてるか、祥子ちゃん?」
「あ……は、はい! 聞いてました聞いてました!」
「そう答える奴は決まって人の話をまるで聞いてないんだ、まったく……。おい、いいか?」


 白兎さんはあたしの身体を解放すると振り返り、お互いを落ち着かせる程度に少し距離を取ってから、鼻先に人差し指を拳銃のように突き付けてこう言います。


「俺は白鳥姫の後を追う。やっぱり鍵になるのは例の『ラ・ハイドレインジァ』だったみたいだ。だが……あー、無理強いしないぞ? さすがに制服姿のJKにはちょっとアレだし……」
「……はい?」


 ガラにもなく急に歯切れ悪くもごもごと口ごもる白兎さん。
 この人、今更何言ってるんですかね。

 だからあたし、すっ、と息を吸ってから、きっぱりとこう言ってやったんです。


「ここまで連れて来て、帰れ、はひどくないですか!? あたし、そのつもりで来たんです!」
「ば、馬鹿! 声が大きいって!」


 さすがにむっとして強めのトーンで言い返した途端、白兎さんはその声の大きさに慌てて周囲を気にするようにきょろきょろと見廻します。それから声を抑えて諭すように続けました。


「その台詞、完全に誤解される奴だから! お前、『ラ・ハイドレインジァ』が一体なんなのか、まるで分かってないだろ!? まあ、知らなくって当然っちゃあ当然なんだけどな……」
「知らないから白兎さんにお願いしたんですもん、教えて下さい、って。駄目……ですか?」
「だぁあああ!? それ以上もう喋るな! 誤解しか生まねえから!!」



 うーん。
 何を慌てているんでしょうね?



 怒りを通り越して呆れ始めているあたしに白兎さんはこう言ったのでした。


「あー。あれだ……。いいか? 『ハイドレインジァ』は、英語で『紫陽花あじさい』のことだ」
「……はぁ?」
「あー。『紫陽花』をそのまま音読みで読むと……どうなる? で、ここがまさしくそれだ」
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