私の邪悪な魔法使いの友人

ロキ

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シーズン1 魔法使いの塔

第八章 7)異様なその光景

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 この日、あの女性の泣き声がやけにうるさかった。
 いつもならば、気がつけば泣き止んでいるというのに、今日はしつこい雨のように、いつまでも止まないのだ。

 しかしこのときはそれどころではなくて、何より私はバルザ殿のことが気に掛かった。
 いつもその泣き声が聞こえるだけで背筋に冷たいものを感じるが、今は風音か虫の音のように、私の耳の中を自然に通り過ぎていくだけだ。
 私は駆け足で謁見の間に向かう。

 とはいえ、謁見の間に向かうのは気が退けた。
 プラーヌスに席を外すように申し渡されたのだ。それなのにその部屋に乗り込んでいけば、プラーヌスの怒りを買うことになるかもしれない。

 いや、それどころか、私は見たくもない場面を目撃してしまう可能性だってある。
 最悪の光景、それはバルザ殿とプラーヌスの対決の光景。バルザ殿が剣を抜き、プラーヌスが魔法で向かい討っているというシーン。
 もちろん、そんなことが起きていれば、身体を呈してでも止めるだけであるが。
 しかしもう手遅れだって可能性もある。既にプラーヌスが、バルザ殿を殺めてしまっていることだって・・・。

 「プラーヌス! バルザ殿はそこにおられるのか?」

 そんな光景は見たくない。私はプラーヌスへ警告を発するように、大声を発しながら謁見の間に向かう。

 「シャグランか!」

 プラーヌスの声が聞こえてきた。広い謁見の間の響いたその声が、階下の私の耳にまで届く。

 「ああ、そうだよ!」

 「バルザ殿はここにおられるよ」

 私はその言葉を聞いて、ホッと息をついた。どうやら最悪な事態は起きていなかったようだ。
 しかも、こっちに来るなとも言われない。私はもはや躊躇することなく、謁見の間に足を踏み入れる。

 しかし謁見の間を見渡し、私は驚愕した。
 そこには異様な光景が広がっていた。
 バルザ殿が膝をついて、泣いおられたのである。

 あのバルザ殿がだ。
 声こそ上げておられなかったが、その瞳から涙は滂沱のごとく流れているようであった。本当に悔しそうに、いつもは厳粛な表情が、激しく歪んでいる。

 まるで父が泣いているのを目撃してしまったようなバツの悪さ。
 いや、バツが悪かろうが、どんなに気まずかろうが、そんなことは関係ない。
 どうしてあのバルザ殿が泣いておられるのか、そっちのほうが重大だ。何かプラーヌスがやらかしたに決まっているのだ! 

 しかし異様だったのはそれだけじゃない。
 彼の隣に女性がいた。
 見たことのない女性だった。ここの召使いではなさそうである。召使いたちよりも、はるかに上等な衣服を着ている。

 その女性も顔を伏せていているので、顔は見えない。
 しかしもしかしたら彼女が、プラーヌスが街から呼び寄せると言っていた劇団の女優かもしれない。
 バルザ殿の大剣を抱えながら、彼女もバルザ殿と同じようにむせび泣いていた。

 更に、向こうには何と、「ワー」と「ギャー」までもが立っているではないか。
 あのカボチャの頭をした怪物たちである。
 私の衛兵として、プラーヌスの魔法が現出させた、幻なのか実態なのかわからない存在。

 ある者たちは膝をついて泣き崩れ、ある者は剣を抱いてむせび泣き、そしてある者はそれを轟然と見下ろしている。
 何だかその光景は、まるで劇の予行演習のようにも見えた。
 バルザ殿と女優が舞台の上に立ち、プラーヌスはそれを演出している監督。
 私にはそんな風に見えたのだ。
 そこには普段の日常を越えた、激情の残り香が漂っている気配がする。あるいはそれがどこか演劇的なのは、そこに女優を職業とする者が混じっているせいかもしれない。

 「プラーヌス、こ、これは?」

 バルザ殿が泣いているところを、見ない振りをするべきだと思っていた。
 しかし思わずそう言ってしまった。

 「話はまとまったよ。バルザ殿はこれからもこの塔のを守ってくれることになった」

 「本当かい。で、でも?」

 私はバルザ殿のほうへ、さりげなく視線を向ける。

 「別に彼をいじめているわけじゃないぞ、シャグラン。妙な誤解はやめてくれ。懐かしい再会に、お二人とも感極まってしまったのだ。そうですよね、バルザ殿?」

 到底そんなふうには見えない。
 しかしプラーヌスがそうだと言えば、そうなってしまう。それがこの魔法使いの塔。プラーヌスの権力。

 「早速、旅で出よう、シャグラン。ルーティアだよ。バルザ殿との誤解はすっかり解消した。これからは彼に安心して塔を任せることが出来る。もはや何の不安もない」

 しかしバルザ殿は、彼の言葉に何の反応を見せることはなかった。
 もしかしたら彼は私がここにいることにも気づいておられないかもしれない。
 それくらい一種の放心状態に陥っておられる。これはどう考えても異常な事態だ。

 「プ、プラーヌス、こんな場面を見せつけられて、何の不安もないって言われても、まるで説得力はないよ!」

 私は思わず声を荒げた。

 「僕にもわかるように説明してくれよ。さもないと・・・」

 「そもないと?」

 プラーヌスの秀麗な眉がピクリと上がった。

 「君を嫌いになりそうだけど・・・」

 「僕を嫌いそうになるだって? 何を愚かなことを言っているのだ、シャグラン。僕は何も嘘を言ってはいない。本当に、僕とバルザ殿は確かな紐帯で結ばれた。僕は君を信頼しているのと同じくらい、今はバルザ殿のことも信頼している。まあ、確かに僕とバルザ殿との間には秘密もある。君には言えないちょっとした秘密がね。様々な誤解、行き違い、それで彼に憎まれてしまったこともあったようだ。しかし全ては解決したんだよ」

 プラーヌスは私のほうにゆっくりと近づきながらそう言ってきた。

 「その秘密というのは、僕にも話せないってことなのかい?」

 「それはバルザ殿にとっても都合が悪い話しなんだ。察して欲しいね」

 そう言われると、それ以上追求することは出来なくなった。私は下を向いて、口篭ってしまう。

 「わ、わかった、君を信頼していいんだね・・・」

 もちろん、この程度の言い訳を聞かされたくらいで、プラーヌスを信頼することなんて出来ない。
 出来るわけがない。しかしこれ以上、プラーヌスを追求する気にもなれなった。

 プラーヌスとバルザ殿の間には何かある。
 しかしそこに踏み込むには、まだ私には覚悟が足りない。
 プラーヌスを憎む覚悟が私にはないのだ。

 「もちろんだよ、シャグラン」

 プラーヌスはそう言って、ニコリと微笑む。私もその微笑に対して、曖昧な笑顔を返す。

 そのとき塔の窓の外から、馬蹄の響きと鬨の声が、風に乗ってかすかに聞こえてきた。
 私とプラーヌスは同時にそれに気づいた。
 見張り台のほうからも、鐘の音の鳴る音が響き始める。
 もう何度も聞き慣れている。蛮族襲来の報せだ。

 「バルザ殿、お仕事ですぞ。いつものお客さんがやってきました」

 プラーヌスがそう言って、バルザ殿のほうに視線を向ける。
 しかしバルザ殿はプラーヌスの言葉に一顧だにしなかった。
 もしかしたら、これだけうるさく鳴り響く鐘の音にも気がついておられないのかもしれない。
 彼は依然として同じ姿勢のまま、ただ謁見の間の床に呆然と視線を落としている。

 「まあ、いいだろう。今日くらいは戦いを休まれてかまわない。この塔には六十人の部隊がいる。あなたが存分に鍛え上げた部下たちが。シャグラン、やつらを現場に向かわせてくれ」

 「で、でも」

 「六十人の部隊から、一人抜けただけだ。この一戦くらいなら問題なく戦えるだろう」

 プラーヌスはそう言いながら、黒いローブを翻して塔の見張り台に向かって歩いていった。
 見張り台から、塔の眼前で繰り広げられる戦いを見渡すことが出来る。
 プラーヌスもバルザ殿不在の部隊に、いくらか不安を感じているのかもしれない、彼らの戦い振りを見定めようとしているようだ。

 私は急いで傭兵たちが駐屯している場所に向かおうとした。
 彼らの多くが、私やアビュと共に、バルザ殿を見送るため塔の出口で待っていた。彼らはまだそこにいるかもしれない。

 しかしバルザ殿不在で戦うのはどう考えても不安だ。
 バルザ殿自身も言っておられたではないか。私が去ったあと、彼らだけで戦わせるのは出来るだけやめさせて頂きたいと。

 とはいえ蛮族たちが襲来したのだ。
 それを撃退するのが塔の番兵の仕事。

 「待て、シャグラン、その必要はなかったぞ。君もこっちに来るんだ」

 しかし謁見の間の階段を下りようとしたとき、私を引き止めるプラーヌスの声が聞こえてきた。
 私は取って返して、見張り台のほうに向かう。

 見下ろすと、私たちの眼下に、武装した傭兵が次々と現れ、整然と隊列を組んでいく姿が目に入った。

 「さすがバルザ殿が鍛え上げた部隊だ。司令官がいなくても、すぐに出動出来る態勢になっているのだね。本当に感心させられるよ」

 バルザ殿を見来るために待っていた傭兵たちは、蛮族襲来の報せを聞いて、すぐに戦闘準備を整えたようだ。

 これまで副長だった者がバルザ殿に代わり、新たにこの部隊の隊長を勤めるようだった。
 バルザ殿がいなくても士気は高いのか、掛け声がここまで聞こえてくる。
 隊列を組み終えた部隊は、その新たな隊長の指示のもと、襲来してくる蛮族に向かって突進していった。
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