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7)シユエト <遭遇>
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何か特別な魔法が使えるのか? シユエトは隣を歩くブランジュにそのようなことを質問したかったが、しかしそれを切り出す暇もなく、あっという間に目的の三階のフロアに到着した。
余りにもあっさりと到着したので、この建物が迷路のように入り組んでいないことが、シユエトは逆に呪わしくなった。
(まだ心の準備が整っていないかもしれない。生きるか死ぬかの戦いに突入するだけの覚悟が)
それは他の二人も同様のようだ。エクリパンとブランジュの緊張の高まりが、嫌になるほどシユエトに伝わってくる。
廊下の奥の部屋のドアが豪快に開け放たれていた。それに気づいて、ブランジュが「あっ」と小さな悲鳴を上げた。
「あの部屋か・・・」
エクリパンが言う。「さっさと入って来いと言ってるかのようだな。奴はここにいる」
開いた扉の向こうに、部屋の調度品も見える。赤いカーペット、木の小さなテーブル、数脚の椅子、大きな姿見の鏡、更に奥の部屋に通じる扉が。
静かだった。音が何かに吸い込まれ、次々と消えているのではないだろうか、そのようなことを疑いたくなるくらいの静寂。いつか見たことのある、思い出のような静けさ。
しかし、この静けさがいつまでも続けばいいのになんて思えない。この静かさは、何かが息を潜めて、こっちを伺っている感じの静かさだ。
「何か異変は?」
シユエトは遠くのダンテスクに向かって問い掛けた。
――ない。さっきから奴のゲシュタルトは変わっていない。しかし君たちの近くにいることは間違いない。
部屋の奥に、もう一つ扉が見える。
その扉も既に開いていた。事前の情報では、確かそこに、我々のターゲットの書斎兼寝室があるはず。
その扉の前に、誰かいることにシユエトは気づいた。一瞬、黒いカーテンが風に揺れているのかと思ったが、そうではない。
人だ。黒い衣を着た人間が立っている。
他の二人もその姿に気づいたようだ。ハッと息を呑んで、ブランジュとエクリパンは同時に足を止めた。
「君たちも魔法使いなら、ガルディアンと契約を結ぶとき、何か代償を払ったはずだ。僕はこの頭の痛み、激烈なる頭痛という代償を払った。余りの痛さに目が霞んでいる。君たちの姿もよく見えない」
「え・・・、誰が喋ってるの?」
ブランジュが呆然とした表情で言った。
「あ、あいつだよ」
エクリパンもブランジュと同様、呆然とつぶやく。
「あ、あいつ? どうしていきなり登場して、私たちに喋りかけてくるのよ!」
「し、知るか」
姿はよく見えない。ただの黒い陰だ。扉の枠が額縁のような役割を果たして、その人物はまるで絵画の中にいるかのようであった。
しかしその扉の傍に立っている黒い陰は、確実に彼らを視認して、こちらに向かって語りかけていることに間違いなかった。
「ある意味、君たちは、最も打ってつけの襲撃時刻を選択したのかもしれない。そしてそれは偶然なんかではなくて、綿密な調査の結果ならば、君たちを褒めないわけにはいかないね」
「よく喋る男だな、お前は!」
エクリパンが大声で怒鳴った。敵にあっさりと奪われた主導権を取り戻そうとするかのように。
しかしそれだけでは失った主導権を取り戻すことが出来はしないと判断したのか、彼は敵に向かってぐんぐんと進んで行く。宝石を取り出して、攻撃魔法を仕掛けようとする。
「待て、エクリパン! 焦るな」
シユエトが引き止めようとする。エクリパンの異常な度胸の良さに感嘆しなくもなかったが、この突進はどう考えて無茶である。
「これ以上近づくな」
相手の魔法使いもそう声を上げた。そして手に持っている傘を、さっと掲げた。
その瞬間、エクリパンが固まったように立ち止まった。
何かの魔法にかけられて、その突進を止められたわけではなさそうだ。エクリパンは自分の身に危険を感じて、攻撃を断念して、これ以上近づくのをやめたようだ。
(い、今、とてつもない殺気が漂ったぞ・・・)
自分の全身の毛が逆立ったことに、シユエトも気づいた。一瞬、自分の肌から全ての感覚が失われたような。
――エ、エクリパン、立ち止まって正解だったぞ。ゲシュタルトの変化が急激だった。
ダンテスクからの声がする。
「い、今更、そんなこと言われても遅すぎるだろ? そのときに声を上げてくれよ。あやうく死ぬところだったじゃないか・・・」
エクリパンが後ずさりしながら、苦笑混じりにそうつぶやいた。
――すまない。しかしこれで攻撃の予兆は掴めた。次には事前に警告出来るかもしれない。
「頼りにしておくよ!」
エクリパンがヤケクソ気味に声を張り上げる。
「君たち、申し訳ないが、もう少し下がって欲しい、廊下辺りまでだ」
敵の魔法使いが傘を振ってそのような指示を出しながら、こっちに向かってゆっくりと歩いてきた。
それにつれ、エクリパンが後ずさりしてくる。
シユエトもブランジュも下がった。まるで敵の魔法使いの指示に従ったような格好であるが、彼らは何らかの圧力を確かに感じている。
「出来ることならもっと広いところで戦いたいのだけど、まだこの街を離れるつもりはないからね。住民から白い目で見られるような派手な行動は慎みたい。廊下で、こっそりやろう」
決して声を張り上げているわけではなかったが、不思議に通る声だった。石壁の反響も手伝ってか、まるですぐ傍で話されているかのようで、一言一言がとても明瞭に聞こえてくる。
若い声だ。いや、敵が若いことを彼らは知っていた。しかし想像以上に若々しい声だった。
あと何歩かで、その魔法使いは光の中に出てくる。手前の部屋のどこかの窓のカーテンが開いているようで、その光が斜めに差し込んでいるのだ。
きっとそのときに、陰に隠れてよく見えない顔があらわになるだろう。
標的を見誤らないよう、彼らは事前にその敵の似顔絵を見せられていて、どのような男を相手にしなければいけないのか把握していた。しかし似顔絵と実際の人物とでは、印象が大きく異なることはあるだろう。
――これ以上、後ろに下がってはいけない。すぐに攻撃をするんだ。敵にペースを握られているぞ。
ダンテスクの声がした。
(安全な場所から、勝手なことを言いやがって)
シユエトは思った。恐怖の固まりそのものが、こっちに近づいてきているような気分だった。戦おうと望んでも、身体も意思も言うことを聞かない。
しかし何が我々を、これ程に脅かしているのだろうか、シユエトはそのようなことも冷静に考えた。
まだこの敵の本当の実力を見せられたわけではない。ダンテスクから聞かされたこの男の情報に怯えているだけかもしれない。直接戦ってもいないのに、確かに後退するなんて屈辱そのもの。
「どうやら君たちは、誰か外部と人間と連絡を取っているようだな」
そのとき魔法使いがピタと足を止めて、そう言った。「面倒だ。そいつも探し出して、殺さなければいけないのか」
本当にわずらわしい、そんな声だった。しかしそれは、部屋の中に入ってきた虫が二匹いることに気づいたのと同じ感じ。ただ単に面倒な作業が追加されたと言っているだけ。
――逃げてはいけない、攻撃を開始しろ。
ダンテスクが更に声を張り上げてきた。
――すぐに雌羊班を突入させる。前と後ろから挟み撃ちするのだ。
(ああ、そうだった、俺たちの戦力はこの三人だけではない。もう一隊、いる)
――突入してくれ、雌羊班!
その声のすぐあと、部屋の奥で爆音が鳴り響いた。その音はあまりに大きくて、一瞬の間、シユエトの聴覚がその働きを停止したほどだ。
ただ巨大な音がしただけではない。奥の部屋で砂煙のようなものが立ち込めている。どうやら窓が破壊されたようだ。
「え、援軍ね?」
「ああ、そうだ」
ブランジュの言葉にエクリパンが頷く。
「これは想像以上だぞ」
「想像以上?」
ブランジュが首を傾げる。
「ああ、一回で撃破したんだ。我らの援軍はかなり心強そうだ」
シユエトもその事実に気づいた。爆音は一回。ということは、雌羊班は一撃で敵の魔法使いが貼っていたシールドを破壊したということ。
シユエトたち牡牛班が、三度以上攻撃を加えても破壊することが出来なかったシールド。それを一撃で破壊することが出来たのだ。それはすなわち、とてつもなく強力なパワーを有している魔法使いが、そっちにいるということである。
その事実を前にして、敵の魔法使いも少し驚いているようだった。
「ふーん、僕の貼ったシールドを一度の魔法で破壊するとはね。はっきり言って、そんなレベルの魔法使いにこれまで遭遇したことはない」
しかし奴はまだ、少しも余裕を失っていなかった。
敵の魔法使いは音のしたほうを振り向きもしない。「おそらく何かカラクリがあるのだろうが。そのカラクリは何だろうか」などとつぶやきながら、背後の音を無視して、再び彼らに向かって歩を進めようとする。
――牡牛班も攻撃を開始しろ! この戦い、勝機が見えたぞ!
ダンテスクの声が上ずっている。彼も雌羊班の攻撃力に驚いているようだった。彼が想像していた以上の威力があったということだろう。
(ダンテスクの言う通り、勝機が見えたかもしれない。いや、むしろこれまで我々は必要以上にビクビクしていただけかもしれない。敵の本当の力も知らず、不確かな情報に踊らされていただけ)
こっちは九人だ。一方、敵はたった一人。
いや、アルゴを殺されたから、1人減って八人になってしまった。しかしそれでもまだ八人もいる。
確かに敵がまるで慌てていないのは不気味ではあるが、もしかしたら虚勢を張っているだけかもしれない。
むしろあまりの衝撃的な事実を前にして、敵の魔法使いも冷静に状況が把握出来ていないのではないだろうか。
「行くぞ、ブランジュ、エクリパン。ありったけの攻撃魔法を奴に叩き込むぞ」
言われるまでもない。そのような表情でエクリパンは既に攻撃の用意をし始めている。
ブランジュはまだ腰が引けているようだが、こっちの旗色が有利になっていることは理解しているようだ。彼女の表情から、さっきまでの怯えは消え去っているようだった。
そのとき、敵の魔法使いの背後、奥の扉の向こうに雌羊班の姿が見えた。窓を壊しただけでなく、無事に部屋の中に侵入することも出来たようだ。それぞれの武器を携えた四人の男女が颯爽と姿を現した。
「雌羊班、侵入成功。すぐに攻撃に移る。牡牛班も助勢しろ!」
向こうで、雌羊班の誰かがそう声を上げた。
おそらくデボシュという男だろうとシユエトは思った。彼とは会合のときに何度か顔を合わしている。
デボシュは戦場を渡り歩く傭兵らしい。「魔法も使える戦士」といった肩書きで、魔法の能力そのものは評価に値しない。しかしその実践での経験は豊かで、間違いなく役に立つはず。
(仕切りたがり屋のいけ好かない男だった。しかし信頼は出来そうな男だ。それにどうやら、この仕事は案外、早々に決着が着くかもしれない)
「おらあ!」そんな雄叫びが聞こえる。デボシュが攻撃魔法を放ったようだ。圧縮した空気を塊にして、それで打撃を与えるという魔法らしい。
もちろん、デボシュ程度の魔法使いの攻撃で、この強敵にダメージを与えることは無理だ。おそらくエクリパンやブランジュ以下の魔法使い。
しかし次の攻撃のためのカモフラージュにはなる。
(先程、窓に貼られていたシールドを一回で破壊した魔法は、アンボメという少女の魔法に違いない。彼女の魔法が奴に通用するのであれば、我々は勝つ)
そのアンボメの姿も見える。彼女はデボシュの隣に、ふらふらしながら立っている。
その隣にはシャカルという男も。そしてルフェーブも。雌羊班は全員揃っているようだ。
(大丈夫、勝てる。何も恐れる必要はない。我々が計画した作戦は完璧のはずだから)
余りにもあっさりと到着したので、この建物が迷路のように入り組んでいないことが、シユエトは逆に呪わしくなった。
(まだ心の準備が整っていないかもしれない。生きるか死ぬかの戦いに突入するだけの覚悟が)
それは他の二人も同様のようだ。エクリパンとブランジュの緊張の高まりが、嫌になるほどシユエトに伝わってくる。
廊下の奥の部屋のドアが豪快に開け放たれていた。それに気づいて、ブランジュが「あっ」と小さな悲鳴を上げた。
「あの部屋か・・・」
エクリパンが言う。「さっさと入って来いと言ってるかのようだな。奴はここにいる」
開いた扉の向こうに、部屋の調度品も見える。赤いカーペット、木の小さなテーブル、数脚の椅子、大きな姿見の鏡、更に奥の部屋に通じる扉が。
静かだった。音が何かに吸い込まれ、次々と消えているのではないだろうか、そのようなことを疑いたくなるくらいの静寂。いつか見たことのある、思い出のような静けさ。
しかし、この静けさがいつまでも続けばいいのになんて思えない。この静かさは、何かが息を潜めて、こっちを伺っている感じの静かさだ。
「何か異変は?」
シユエトは遠くのダンテスクに向かって問い掛けた。
――ない。さっきから奴のゲシュタルトは変わっていない。しかし君たちの近くにいることは間違いない。
部屋の奥に、もう一つ扉が見える。
その扉も既に開いていた。事前の情報では、確かそこに、我々のターゲットの書斎兼寝室があるはず。
その扉の前に、誰かいることにシユエトは気づいた。一瞬、黒いカーテンが風に揺れているのかと思ったが、そうではない。
人だ。黒い衣を着た人間が立っている。
他の二人もその姿に気づいたようだ。ハッと息を呑んで、ブランジュとエクリパンは同時に足を止めた。
「君たちも魔法使いなら、ガルディアンと契約を結ぶとき、何か代償を払ったはずだ。僕はこの頭の痛み、激烈なる頭痛という代償を払った。余りの痛さに目が霞んでいる。君たちの姿もよく見えない」
「え・・・、誰が喋ってるの?」
ブランジュが呆然とした表情で言った。
「あ、あいつだよ」
エクリパンもブランジュと同様、呆然とつぶやく。
「あ、あいつ? どうしていきなり登場して、私たちに喋りかけてくるのよ!」
「し、知るか」
姿はよく見えない。ただの黒い陰だ。扉の枠が額縁のような役割を果たして、その人物はまるで絵画の中にいるかのようであった。
しかしその扉の傍に立っている黒い陰は、確実に彼らを視認して、こちらに向かって語りかけていることに間違いなかった。
「ある意味、君たちは、最も打ってつけの襲撃時刻を選択したのかもしれない。そしてそれは偶然なんかではなくて、綿密な調査の結果ならば、君たちを褒めないわけにはいかないね」
「よく喋る男だな、お前は!」
エクリパンが大声で怒鳴った。敵にあっさりと奪われた主導権を取り戻そうとするかのように。
しかしそれだけでは失った主導権を取り戻すことが出来はしないと判断したのか、彼は敵に向かってぐんぐんと進んで行く。宝石を取り出して、攻撃魔法を仕掛けようとする。
「待て、エクリパン! 焦るな」
シユエトが引き止めようとする。エクリパンの異常な度胸の良さに感嘆しなくもなかったが、この突進はどう考えて無茶である。
「これ以上近づくな」
相手の魔法使いもそう声を上げた。そして手に持っている傘を、さっと掲げた。
その瞬間、エクリパンが固まったように立ち止まった。
何かの魔法にかけられて、その突進を止められたわけではなさそうだ。エクリパンは自分の身に危険を感じて、攻撃を断念して、これ以上近づくのをやめたようだ。
(い、今、とてつもない殺気が漂ったぞ・・・)
自分の全身の毛が逆立ったことに、シユエトも気づいた。一瞬、自分の肌から全ての感覚が失われたような。
――エ、エクリパン、立ち止まって正解だったぞ。ゲシュタルトの変化が急激だった。
ダンテスクからの声がする。
「い、今更、そんなこと言われても遅すぎるだろ? そのときに声を上げてくれよ。あやうく死ぬところだったじゃないか・・・」
エクリパンが後ずさりしながら、苦笑混じりにそうつぶやいた。
――すまない。しかしこれで攻撃の予兆は掴めた。次には事前に警告出来るかもしれない。
「頼りにしておくよ!」
エクリパンがヤケクソ気味に声を張り上げる。
「君たち、申し訳ないが、もう少し下がって欲しい、廊下辺りまでだ」
敵の魔法使いが傘を振ってそのような指示を出しながら、こっちに向かってゆっくりと歩いてきた。
それにつれ、エクリパンが後ずさりしてくる。
シユエトもブランジュも下がった。まるで敵の魔法使いの指示に従ったような格好であるが、彼らは何らかの圧力を確かに感じている。
「出来ることならもっと広いところで戦いたいのだけど、まだこの街を離れるつもりはないからね。住民から白い目で見られるような派手な行動は慎みたい。廊下で、こっそりやろう」
決して声を張り上げているわけではなかったが、不思議に通る声だった。石壁の反響も手伝ってか、まるですぐ傍で話されているかのようで、一言一言がとても明瞭に聞こえてくる。
若い声だ。いや、敵が若いことを彼らは知っていた。しかし想像以上に若々しい声だった。
あと何歩かで、その魔法使いは光の中に出てくる。手前の部屋のどこかの窓のカーテンが開いているようで、その光が斜めに差し込んでいるのだ。
きっとそのときに、陰に隠れてよく見えない顔があらわになるだろう。
標的を見誤らないよう、彼らは事前にその敵の似顔絵を見せられていて、どのような男を相手にしなければいけないのか把握していた。しかし似顔絵と実際の人物とでは、印象が大きく異なることはあるだろう。
――これ以上、後ろに下がってはいけない。すぐに攻撃をするんだ。敵にペースを握られているぞ。
ダンテスクの声がした。
(安全な場所から、勝手なことを言いやがって)
シユエトは思った。恐怖の固まりそのものが、こっちに近づいてきているような気分だった。戦おうと望んでも、身体も意思も言うことを聞かない。
しかし何が我々を、これ程に脅かしているのだろうか、シユエトはそのようなことも冷静に考えた。
まだこの敵の本当の実力を見せられたわけではない。ダンテスクから聞かされたこの男の情報に怯えているだけかもしれない。直接戦ってもいないのに、確かに後退するなんて屈辱そのもの。
「どうやら君たちは、誰か外部と人間と連絡を取っているようだな」
そのとき魔法使いがピタと足を止めて、そう言った。「面倒だ。そいつも探し出して、殺さなければいけないのか」
本当にわずらわしい、そんな声だった。しかしそれは、部屋の中に入ってきた虫が二匹いることに気づいたのと同じ感じ。ただ単に面倒な作業が追加されたと言っているだけ。
――逃げてはいけない、攻撃を開始しろ。
ダンテスクが更に声を張り上げてきた。
――すぐに雌羊班を突入させる。前と後ろから挟み撃ちするのだ。
(ああ、そうだった、俺たちの戦力はこの三人だけではない。もう一隊、いる)
――突入してくれ、雌羊班!
その声のすぐあと、部屋の奥で爆音が鳴り響いた。その音はあまりに大きくて、一瞬の間、シユエトの聴覚がその働きを停止したほどだ。
ただ巨大な音がしただけではない。奥の部屋で砂煙のようなものが立ち込めている。どうやら窓が破壊されたようだ。
「え、援軍ね?」
「ああ、そうだ」
ブランジュの言葉にエクリパンが頷く。
「これは想像以上だぞ」
「想像以上?」
ブランジュが首を傾げる。
「ああ、一回で撃破したんだ。我らの援軍はかなり心強そうだ」
シユエトもその事実に気づいた。爆音は一回。ということは、雌羊班は一撃で敵の魔法使いが貼っていたシールドを破壊したということ。
シユエトたち牡牛班が、三度以上攻撃を加えても破壊することが出来なかったシールド。それを一撃で破壊することが出来たのだ。それはすなわち、とてつもなく強力なパワーを有している魔法使いが、そっちにいるということである。
その事実を前にして、敵の魔法使いも少し驚いているようだった。
「ふーん、僕の貼ったシールドを一度の魔法で破壊するとはね。はっきり言って、そんなレベルの魔法使いにこれまで遭遇したことはない」
しかし奴はまだ、少しも余裕を失っていなかった。
敵の魔法使いは音のしたほうを振り向きもしない。「おそらく何かカラクリがあるのだろうが。そのカラクリは何だろうか」などとつぶやきながら、背後の音を無視して、再び彼らに向かって歩を進めようとする。
――牡牛班も攻撃を開始しろ! この戦い、勝機が見えたぞ!
ダンテスクの声が上ずっている。彼も雌羊班の攻撃力に驚いているようだった。彼が想像していた以上の威力があったということだろう。
(ダンテスクの言う通り、勝機が見えたかもしれない。いや、むしろこれまで我々は必要以上にビクビクしていただけかもしれない。敵の本当の力も知らず、不確かな情報に踊らされていただけ)
こっちは九人だ。一方、敵はたった一人。
いや、アルゴを殺されたから、1人減って八人になってしまった。しかしそれでもまだ八人もいる。
確かに敵がまるで慌てていないのは不気味ではあるが、もしかしたら虚勢を張っているだけかもしれない。
むしろあまりの衝撃的な事実を前にして、敵の魔法使いも冷静に状況が把握出来ていないのではないだろうか。
「行くぞ、ブランジュ、エクリパン。ありったけの攻撃魔法を奴に叩き込むぞ」
言われるまでもない。そのような表情でエクリパンは既に攻撃の用意をし始めている。
ブランジュはまだ腰が引けているようだが、こっちの旗色が有利になっていることは理解しているようだ。彼女の表情から、さっきまでの怯えは消え去っているようだった。
そのとき、敵の魔法使いの背後、奥の扉の向こうに雌羊班の姿が見えた。窓を壊しただけでなく、無事に部屋の中に侵入することも出来たようだ。それぞれの武器を携えた四人の男女が颯爽と姿を現した。
「雌羊班、侵入成功。すぐに攻撃に移る。牡牛班も助勢しろ!」
向こうで、雌羊班の誰かがそう声を上げた。
おそらくデボシュという男だろうとシユエトは思った。彼とは会合のときに何度か顔を合わしている。
デボシュは戦場を渡り歩く傭兵らしい。「魔法も使える戦士」といった肩書きで、魔法の能力そのものは評価に値しない。しかしその実践での経験は豊かで、間違いなく役に立つはず。
(仕切りたがり屋のいけ好かない男だった。しかし信頼は出来そうな男だ。それにどうやら、この仕事は案外、早々に決着が着くかもしれない)
「おらあ!」そんな雄叫びが聞こえる。デボシュが攻撃魔法を放ったようだ。圧縮した空気を塊にして、それで打撃を与えるという魔法らしい。
もちろん、デボシュ程度の魔法使いの攻撃で、この強敵にダメージを与えることは無理だ。おそらくエクリパンやブランジュ以下の魔法使い。
しかし次の攻撃のためのカモフラージュにはなる。
(先程、窓に貼られていたシールドを一回で破壊した魔法は、アンボメという少女の魔法に違いない。彼女の魔法が奴に通用するのであれば、我々は勝つ)
そのアンボメの姿も見える。彼女はデボシュの隣に、ふらふらしながら立っている。
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