邪悪な魔法使いを殺すため、戦いに参加した九人の魔法使い

ロキ

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49)シユエト <塔2>

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 しかしシユエトの暗殺は失敗する。
 彼は自分の腕を過信過ぎていたのである。あるいは、デシレという老魔法使いを甘く見ていた。

 いや、違う。
 シユエトはただ、デシレだけを甘く見ていただけではない。塔の主になるような上級レベルの魔法使いの実力を軽く見積もっていた。
 少し工夫すれば乗り越えることが出来る壁だと勘違いしていたのだ。
 しかしシユエトとデシレとは、同じ魔法使いであってもレベルが違った。それは壁ではなく、鳥の翼でもなければ越えることが出来ない断崖だったのだ。

 新月のその夜、シユエトは予定通り実行に移った。結果的にただ、この計画が無謀なものだと、強く認識するためだけに。
 確かに何か嫌な予感を感じたのである。これは到底、成功するはずのない計画だと、自分の理性が囁く声が聞こえた気もした。
 しかしこれ以上、計画は引き伸ばすことは不可能であった。
 シユエトは暗殺の前の緊張感に疲れ果てていた。その状態から脱出するために、早く答えが欲しかった。
 そのような精神状態に陥ったときに移した行動が、成功するはずはなかったのかもしれない。

 しかしその瞬間まで、全てはあまりにスムーズに運んだ。
 一度も行き止まりに突き当たらずに、迷路の外に出られたかのように何もかもが円滑に進んでいくから、シユエトはこの日が彼にとって運命の日で、信じられないくらいの偶然が数々起きて、この計画を成功させてくれると確信せずにはいられなかった。

 実際、何一つイレギュラーなことはなかった。
 その塔の主はいつものように同じ席に座り、いつものように家族たちと語らいながら食事をしている。召使いの数も同じ。彼らは彼らの持ち場で、いつもの仕事に精を出している。
 シユエトがかねてから思い描いていた部屋の光景、それと寸分たりとて違うところがない。
 予行練習通りに行動すれば、必ず成功することが出来るシチュエーション。

 シユエトはもはや迷わず、魔法を発動させる。
 目を強く閉じて、身を潜めていた場所から出て、テーブルのほうへ足を踏み出した。

 何も見えない。完全なる暗闇の世界である。
 しかしシユエトにとってその闇は、とてつもなく鮮やかなのである。音と、匂いと、人の気配など、あらゆる情報で満ち溢れた闇。

 シユエトはこの部屋の光景を脳裏に思い描く。
 彼は部屋の配置を完全に記憶している。その記憶の光景が闇の中に浮かぶ。
 その記憶の部屋の上に、音と匂いと気配によって得られた情報を重ねてゆく。するとその闇の世界が、ほとんど目を開けているのと変わらないくらい豊かになる。

 彼は目を開けているときと同じ確かな足取りで、部屋を歩く。
 しかし彼の姿を見ている者は誰もいない。
 彼の前進が、この部屋に何らか異常を起こした気配はない。
 子供たちの話し声は途絶えることなく、塔の主が子供たちに返す相槌の声も変わらない。
 彼らが夕食を咀嚼する音。今、肉を飲み込んだようだ。どっちかの子供のほうが喉を詰まらせて、水の入ったグラスを手に取る。おそらく弟のほうだ。母親が慌てて、水を飲ませている気配。

 あと十五歩。
 十五歩で塔の主の背中に到達する。
 シユエトは目を開けると同時に、塔の主の首筋に向かって魔法を放つつもりである。そのイメージをしっかりと、頭の中に描く。

 あと十歩。
 距離を詰めれば詰めるほど、最初の攻撃によって相手のシールドを破壊することが出来る可能性は上がるはずだ。
 たとえ最初の一撃で殺すことが出来なくても、二発目の攻撃は間髪置かずに行うことが可能である。
 そのときは致命傷を与えるために、ナイフを使わなければいけないが、何の問題があろうか。
 彼の暗殺の骨子は、魔法とナイフでの攻撃の組み合わせ。

 あと五歩。
 彼がこの塔の主になるまで、わずか五歩。
 食事の様子は、さっきまでと何も変わらない。シユエトの気配に気づいた様子はまるでない。老魔法使いはいつもと同じようにワインを飲んでいるようだ。
 もう充分、酒に酔っている頃合。老魔法使いの笑い声が、心なしか大きくなっている。

 あと三歩。
 大丈夫。俺は塔の主になる。この塔を俺のモノにしてやる。子供たちよ、すまないな。
 しかし罪なき死だって存在する。なぜならこの世界は、強い者が欲しい物を奪うことを許されているから。

 あと一歩。
 勝負のときだ! 
 彼は躊躇なく最後の一歩を踏み出す。
 そして目を開ける。
 塔の主の背中が、すぐ目の前に見えた。白髪の髪が肩まで伸びている。まとっているローブも、その老魔法使いと同じようにくたびれているようだ。
 その背中は農夫のように曲がったりはしていないが、老いを感じさせるような細さ。
 シユエトはそんな老魔法使いに向かって、魔法を放った。

 老魔法使いはテーブルの上席に座っている。右斜め方向に子供たち。左斜めに若い女が座っている。
 シユエトの突然の出現を、若い女が気づいたようだ。いぶかしげな表情が、驚愕に変わっていく。
 それと同時に、凄まじい轟音が部屋中に轟き渡った。シユエトの魔法が老魔法使いのシールドに直撃した音だ。

 シユエトはその渇いた音に違和感を覚えた。
 鼓膜を破るような大きな音だったが、とても期待外れの空虚な音。何かが壊れたという気配がまるでない。
 「うわあ」と叫びながら、子供が立ち上がると同時に、腰を抜かして尻餅をつこうとしている。
 子供たちが尻餅をつく前までに、シユエトはすぐさま次の攻撃に移った。
 老魔法使いだけ、まるで他人事のように食事を続けている。老いのせいで動きが鈍いのか、それともシユエトの攻撃など取るに足らないのか。
 後者だという自覚がシユエトにはあった。
 彼が放った二発目の攻撃も、何も壊すことなく、前と同じように空疎な音を響かすだけであった。
 「あなた!」と若い女が叫んでいる。ようやく老魔法使いが、シユエトのほうに向き直ろうとした。

 「騒がしい鼠め。どこに潜んでおったのだ?」

 老魔法使いがのんびりとした声でそう言ってきた。「楽しい食事の時間を邪魔するのとは、なんという不興な行い」

 シユエトの攻撃魔法は、まるでダメージを与えていなかった。これだけの至近距離からの攻撃なのに、老魔法使いのシールドは貼りたてのようにまっさらだ。
 これほどまでにレベルが違うのか、シユエトはただ呆気に取られていた。
 老魔法使いが指を鳴らす。それと同時に、シユエトのシールドは弾き飛んだ。
 もう一度指を鳴らす。シユエトの右足に焼け付くような痛みが走って、シユエトは呻き声を上げながら、片膝をついた。

 「なんという脆いシールド。攻撃魔法だって微風のようだったぞ。下級レベルの魔法使いが、私に何の用だ?」

 シユエトは死の恐怖よりも、あまりの恥ずかしさに居たたまれない気分だった。
 自分はとんでもない勘違いをしていたようだ。俺のような魔法使いが塔の主に挑戦するなんて。
 身の程知らずにも程がある。シユエトは本当に恥ずかしくて、今すぐに死んでしまいたい気分。

 「しかしここまで接近出来たことは驚きだ。珍しい魔法を使えるようだな」

 老魔法使いが一瞬、表情を曇らせてそう言った。この言葉を聞いて、ようやくシユエトも僅かながら生への希望を感じた。
 何とか逃げなければいけない。このままでは嬲り殺されるはずだから。
 慈悲深い魔法使いなど存在しない。自分に害を為す者は迷いなく殺す。
 シユエトは目を閉じた。そしてもう一度あの魔法を発動させる。

 「おっ、消えた? なんという愉快な魔法!」

 老魔法使いの椅子が倒れる音がした。興奮のあまり、立ち上がったようだ。
 その間にも、シユエトは必死になって出口に向かって這い続けていた。
 右足に強烈な痛みが走る。迫り来る死の恐怖と、激烈な苦痛で意識を失ってしまいそうだ。
 しかし何とか意識を保ちながら、出来るだけ物音を立てず、あらかじめ定めていた記憶の中の逃走ラインを辿って、一刻も早く老魔法使いの許から離れる。

 「どこだ? どこに行ったのだ? 全てのドアを閉めろ。窓の前に見張りを立てろ。絶対にこの鼠を逃がすなよ」

 老魔法使いが召使いたちに命令を発している。その声が近づいてきたり、遠ざかっていったりしている。それは彼がどうあがいても、シユエトの気配を察知出来ない証拠。
 
 シユエトはひたすら息を潜めて、老魔法使いが諦めるのを待つ。
 どれだけ探してもシユエトの姿を見つけ出すことが出来なければ、既にこの部屋から出て行ってしまったと諦めるだろう。
 それまでひたすら耐えるのだ。たとえ数時間、数日かかろうが。

 (俺は生き残る。しかし生き残ったからといって、もはや我が人生に希望など残ってもいないが・・・)
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