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5 I will kill this lamb (A)
#1
しおりを挟む五月上旬、ある金曜の昼下がり。クロエとワカは市電に揺られ、とある場所に向かっていた。二人が向かっているのは
ある宗教施設。
いわゆる礼拝堂を備えた基督教系の教会でT市にも信者がそれなりに多いらしい。
「それ未成年略取だよ。逮捕されたら 3ヶ月以上7年以下の懲役に処する、よ」
「おやおや、詳しいですねぇクロエさん」
「けッ!行政書士の資格取るときに刑法の範囲で習ったんだよ。そしてワカちゃん、なんか馬鹿にしてるでしょ?」
「いえいえ、滅相もございません」
軽口を叩き合う二人。その風景は仲の良い母子、もしくは年の離れた姉妹に見えたかもしれない。
「それにしてもワカちゃんの知り合いが、あの『教会』の紹介状を寄越して来るなんて……なんか偶然ってすごいなァ~~!」
「おやおや、なにやら『教会』と因縁があるようで」
「そうなんだよね、わざわざ半休とって君の付き添いするためにここまで来たのを後悔するぐらいにはあるんだよねェ~~ッ!!」
平日の昼下がり、ということもあってか乗客もまばらな車内にはどこか穏やかな空気が流れていた。二人の会話も自然とそのテンポに重なっていく。
「…重ねて言うけれど、あのオソレって子。よくこんな紹介状をでっち上げられたわね。ちょいと怪しくない?」
クロエの疑念を含んだ問いに、目を伏せ黙り込むワカだったがそれも一瞬のこと。微笑を浮かべ、片目を見開く。
「──大丈夫ですよ、少なくともクロエさんに迷惑を掛けることはないでしょうし、第一あちらはあなたのことに一切興味ないみたいですから…それにしても…」
ワカはオソレからあの日渡された封筒─紹介状と謎のリングが入った─の中からヒョイと指輪をつまみ上げると陽光にかざす。一見すると象牙のような素材で出来たシンプルなリングだが、その表面は見る角度によって不思議な輝きを放つ。ありきたりな表現になってしまうが、まるで虹をとてつもない力で凝縮したような艶やかな白い指輪だった。この世にこのような美しいモノが存在するとは……ワカはリングを凝視し何度めかになる感嘆のため息を漏らす。
「あのさぁ、その指輪もだけど、手紙に
『あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の長々し夜を ひとりかも寝む』って恥ずかしげもなく書いて寄越してるような連中と関わるのはホント止めてほしいんだけどォ!」
数日前、山奥の聞いたことのない住所からワカ宛に届いた手紙。真新しい便箋に美しい字で綴られた古風な和歌。同封された手作りクッキー。クッキーは一旦小鳥や野良猫に毒味させて然る後、二人で食べた。正直美味かった。◯ルボンのより。
「……とにかく、アタシにそっくりなトヨミさん、だっけ?ちょっとおかしい人なんじゃないの?クッキー作るのは上手いみたいだけど……小学生くらいの女の子に恋歌の和歌を送って寄越すなんて異常者だよ、しかも柿本人麿なんて…」
「──面白い人でしたよ。まあ確かに<普通>ではなかったですが……なんか古井戸から這い出てきた気もするし……あれっ?」
ワカ達の腰かけるロングシートの対格線上、つり革に掴まる中年男性の腰の辺りを小柄な影がスッと通り過ぎた。その影が今度は一両編成の車両の最後尾付近、OL風の女性のバッグから慣れた手つきで財布を抜き取る。
(ひっ!?)
ワカにはそれが視認できた。自分の五感が特別に鋭いのか?それともこの土地自体がああいった怪異に満ちているのか?……恐らく後者だろう。ここはそういう街なのだ。ワカは心得ている。
(───な、なにアレ!…ドロボー!?)
『それ』と目があった。輝く虹彩、ピンと立った両耳、体毛でふっくらした尻尾。服装は適度に流行を押えた無難なもの、ただただ獣の部位が奇妙だった……
猫、いや狸だろうか?でもどう見ても普通の乗客じゃあない。
『それ』がクロエを飛び越し、ワカのリングをもぎ取おうと手を伸ばした。
んぅう~!!瞬間『それ』が小さな呻き声を上げる。
──はい、そこまで。咄嗟にクロエが横合いから『それ』の肩と腕をしっかりと押さえ込む。
「あー、ゴメンね。なんかコレ欲しかったみたいね。」
呆気にとられるワカの眼前で『それ』は、離せ!とばかりに身を捩っていたが、やがてぐったりとワカの座るシートに座り込む。クロエを間に挟んで。
はぁ……まったく油断ならないわね。
急に大人しくなった『それ』にクロエが呆れ混じりに努めて優しくゆっくりと語りかける。
「君、いい度胸ししてるね。けどスリはいけないよ」
「……」
「……ええっと、スリのことはとりあえず置いといて……君、お名前は?」
「……」
「どこから来たのかな?」
「……」
「お父さんかお母さんは一緒に乗ってないの?」
「……」
クロエが根気強く質問を続けていくが、『それ』は一向に答えようとしない。
───もしかしてこいつ、喋れないんじゃあないか?クロエがそう感じ始めたとき、ワカが『それ』の胸ぐらを乱暴につかみ、無理やり引き立たせようとする。
「ちょっとアナタ、失礼じゃない!返事ぐらいしなさい!」
ありゃ、この子意外と沸点低い?クロエが慌てて仲裁に入る。
「君達ちょっと待って!あんまり騒が──」
言葉は最後まで紡がれなかった。次の停留所を告げる車内アナウンスが流れる。そこは二人が降車予定の停留所のひとつ前、駅名はその名もネコノメ。『ネコノメ、ネコノメ、停車します。次の停留所はK倉教会前、K倉教会前……。
狼みたいなおねえやんと真っ黒いお嬢はん、ほんまおおきになぁ。
先ほとは打って変わり『それ』は流暢に挨拶するやスルリと昇降扉に移動し下車していった。運賃は…ちゃんと支払ったのか…?わからない。
「なに今の…」「……何だったんですかね……」
二人は顔を見合わせた、だがクロエは苦笑いを浮かべながらもその瞳は決して笑っていない。
「ああいう状況には慣れっこ……と言いたいところですが……あのスリの子、どうにも引っかかるんですよねぇ……。あの場にいた他の皆さんの反応見る限りだと私達だけがあの子のこと見えていたようなので……あ、ほら次ですよ降りる準備してください!」
はいはい…クロエが適当に相づちをうちながら車窓の
景色に視線を移したところで─紙封筒を覗いていたワカの顔がみるみる青ざめてゆく……。
「……クロエさん。やられました」
「あン?どしたの?」
「紹介状……オソレさんからの手紙、消えちゃいました……」
「はあぁ~~っ?」
つづく
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