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四章 新たな毒
浪司の問いかけ
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◆ ◆ ◆
ふと物音がしたような気がしてレオニードは目を覚ます。
まだ辺りは暗く、日は昇っていない。窓の外をよくよく見てみると、ほんのわずかに山際のほうが明るくなり始めていた。
しばらくぼんやりしてからハッと息を引く。
「みなも……っ!」
飛び起きて辺りを見渡すが、彼女の姿は見当たらない。ただ冷ややかな空気だけが流れていた。
(……みなもはどこへ行ったんだ?)
ベッドから降りて、レオニードは部屋を出る。
もしかすると目が冴えてしまい、臨時の作業場になっている応接間で薬を調合しているのかもしれない。
そんな淡い希望を持ちながら歩いていけば、廊下の曲がり角からランプの灯りが零れているのが見えた。
もしかしたら彼女かもしれない。
早く確かめたくてレオニードは駆け出す。角を曲がって顔を合わせたのは――。
「おう、レオニード。もしかして起こしちまったか?」
浪司がにっかりと笑ってレオニードに手を振ってくる。
こんな時間に起きているとは……まさか今の今まで賭け事をして、負けて帰ってきたのかと呆れが先行する。
しかしいつもの気さくな表情と態度は変わらずなのに、漂う空気がやけにピリピリする。何か気が立っているような、怒っているような、少なくとも様子が普段と違う。
浪司をうかがっていると、どこからともなく「う……」と低い呻き声が聞こえてくる。
咄嗟に辺りを見渡せば、浪司の足元に誰かが倒れているのが見えた。
ギョッとなってレオニードの目が丸くなる。それに気づいて浪司はランプを動かして足元を照らす。そこには頭から黒い外套を被った者が転がっていた。
「一体ここで何があったんだ……っ?!」
「こいつらはバルディグの密偵だ。お前さんを始末するために来るだろうと思っていたら、案の定来やがった。だからワシが一肌脱いで戦ってやったんだ」
浪司は話をしながら足元の襲撃者を見やる。その目はやけに落ち着き、戦い慣れた気配が漂っている。
彼は本当に浪司……なのか?
夢でも見ているんじゃないかと思いながらも、レオニードは浪司に尋ねる。
「みなもは……みなもはどこへ行ったんだ? まさか密偵に攫われたのか?!」
「結果としては同じことだが、みなもは攫われた訳じゃねぇ。自分からバルディグへ向かったんだ」
言葉数が多い訳ではないのに、浪司の話がうまく頭に入ってこない。
ここで気が動転してはいけないと、レオニードは必死に思考を働かせた。
「どうしてみなもがバルディグへ向かったと分かるんだ? それにバルディグの密偵が、どうして俺を始末しに来ると思ったんだ?」
浪司は腕を組んでひと唸りすると、大きく息をついた。
「教えてもいいが、その前に一つ聞かせてくれ」
「何だ?」
「お前さんは、みなもの人生を――アイツが抱えているものを共に背負う覚悟はあるか?」
言われた瞬間、レオニードの息が止まる。
浪司はずっと間近で見ていたのだ。自分たちの関係に気づいてもおかしくはない。
しかし、みなもの事情までも察しているのか? ずっと彼女が人に知られまいとして、隠し続けていたことなのに。
驚きと警戒で顔が痛いほどに強張る。
妙な動きはないかと注意深く見つめるレオニードへ、浪司は少し表情を和らげた。
「安心しろ、ワシはみなもの味方だ。そして、同じものを追い続けている仲間でもある。みなもはまったく知らないがな」
「浪司……一体何者なんだ?」
「詳しい話は、ワシにお前さんの覚悟を見せてくれたら話す」
声には出さないが、浪司は目を大きく開いて「どうなんだ?」と問うてくる。
答えはすでに出ている。
みなもが告白してくれたあの夜、行くなと引き止め、ずっと自分に縛りつけてしまいたい衝動を覚えた時に。
レオニードは怯まずに浪司を見据えた。
「俺はみなもの抱えているものを共に背負いたい。もう彼が自分を偽らなくても生きていけるように――」
「まったく、お前さんは本当にクソ真面目だな。まだみなもの嘘に合わせてんのか」
真剣に答えたはずなのに、なぜか浪司の目は面白いものを見つけたとばかりに笑っていた。
「ワシはアイツが女の子だっていうのは、ずっと前から知っている。だからワシの前では『彼』扱いしなくてもいいぞ」
「そ、そうか……」
ホッと安堵すると同時に、少しからかわれているような気分になる。
複雑な心境にレオニードが口を堅く結んでいると、浪司は歯をニッカリと見せた。
「これだからレオニードは、みなもの信用を得られたんだな。なら、ワシもお前さんを信用しよう」
浪司は軽く目を閉じて深呼吸する。
そして再びまぶたを開いた時、彼の目から人懐っこい明るさが消えた。
「みなもがフェリクス将軍の解毒剤を作った時から、ワシもアイツの仲間がバルディグにいると確信した。だからワシは独自にバルディグの密偵を見つけて、情報を聞き出したんだ。ナウムがみなもを連れて行きたがってるっていう情報をな」
もう二度と聞きたくないと思っていた名に、レオニードは露骨に顔をしかめる。
ベスーニュの街でみなもから、ナウムが「オレの所に来い」と自分のものに
したがる言動を受けたと知った時には、怒りで理性が飛びそうになった。
それと同時に、自分にも同じ願望があることに気づいてしまい、己に腹が立った。
我を忘れてはいけないと、レオニードはどうにか怒りを抑えこむ。
「その情報、本当なのか?」
浪司は「間違いない」と大きく頷いた。
「ナウムはみなもに執着している。だから親密な関係になったお前さんを始末するだろうと思って、注意を払っていたんだ。そうしたら案の定、部下に襲撃させてきやがった」
「そうだったのか……だが俺のことよりも、みなもを引き止めることが先決じゃないのか? ナウムの元で何をされるか分からないというのに」
「確実に言えることは、ナウムはみなもを殺す気はないが、レオニードを殺したがっていた。どんな病でも治る薬があっても、死んじまったら効かん。だからワシはお前さんを優先したんだ。それに――」
わずかに浪司の目が細くなり、その目に苦渋の色を浮かべる。
「ワシらがずっと探していたものが見つかりそうなんだ。もしワシが引き止めたとしても、みなもはナウムの元へ行っただろうな」
確かに彼女の性格を考えれば、そうなるだろうとはレオニードにも予想がつく。
きっと力づくで止めようとしても、睡眠薬か、麻痺の毒を使って、ここから離れただろう。
今まで求めていたものが目の前にぶら下がっているのに、待てというのは酷な話だとは思う。
ただ、それでも行って欲しくはなかった。
ここへ残って欲しかったと願うのは、自分勝手なワガママだと分かっていても。
レオニードが思い詰めていると、浪司がおもむろに近づいて顔を覗き込んでくる。
「これからワシはバルディグへ向かって、みなもへ会いに行く。レオニード、お前さんはどうするんだ?」
「俺も行く。バルディグの毒に対抗できる存在を失う訳にはいかないこともあるが――」
小さく頷いてから、レオニードはグッと硬く拳を握る。
「――あんな男に、彼女を渡してたまるか」
ふと物音がしたような気がしてレオニードは目を覚ます。
まだ辺りは暗く、日は昇っていない。窓の外をよくよく見てみると、ほんのわずかに山際のほうが明るくなり始めていた。
しばらくぼんやりしてからハッと息を引く。
「みなも……っ!」
飛び起きて辺りを見渡すが、彼女の姿は見当たらない。ただ冷ややかな空気だけが流れていた。
(……みなもはどこへ行ったんだ?)
ベッドから降りて、レオニードは部屋を出る。
もしかすると目が冴えてしまい、臨時の作業場になっている応接間で薬を調合しているのかもしれない。
そんな淡い希望を持ちながら歩いていけば、廊下の曲がり角からランプの灯りが零れているのが見えた。
もしかしたら彼女かもしれない。
早く確かめたくてレオニードは駆け出す。角を曲がって顔を合わせたのは――。
「おう、レオニード。もしかして起こしちまったか?」
浪司がにっかりと笑ってレオニードに手を振ってくる。
こんな時間に起きているとは……まさか今の今まで賭け事をして、負けて帰ってきたのかと呆れが先行する。
しかしいつもの気さくな表情と態度は変わらずなのに、漂う空気がやけにピリピリする。何か気が立っているような、怒っているような、少なくとも様子が普段と違う。
浪司をうかがっていると、どこからともなく「う……」と低い呻き声が聞こえてくる。
咄嗟に辺りを見渡せば、浪司の足元に誰かが倒れているのが見えた。
ギョッとなってレオニードの目が丸くなる。それに気づいて浪司はランプを動かして足元を照らす。そこには頭から黒い外套を被った者が転がっていた。
「一体ここで何があったんだ……っ?!」
「こいつらはバルディグの密偵だ。お前さんを始末するために来るだろうと思っていたら、案の定来やがった。だからワシが一肌脱いで戦ってやったんだ」
浪司は話をしながら足元の襲撃者を見やる。その目はやけに落ち着き、戦い慣れた気配が漂っている。
彼は本当に浪司……なのか?
夢でも見ているんじゃないかと思いながらも、レオニードは浪司に尋ねる。
「みなもは……みなもはどこへ行ったんだ? まさか密偵に攫われたのか?!」
「結果としては同じことだが、みなもは攫われた訳じゃねぇ。自分からバルディグへ向かったんだ」
言葉数が多い訳ではないのに、浪司の話がうまく頭に入ってこない。
ここで気が動転してはいけないと、レオニードは必死に思考を働かせた。
「どうしてみなもがバルディグへ向かったと分かるんだ? それにバルディグの密偵が、どうして俺を始末しに来ると思ったんだ?」
浪司は腕を組んでひと唸りすると、大きく息をついた。
「教えてもいいが、その前に一つ聞かせてくれ」
「何だ?」
「お前さんは、みなもの人生を――アイツが抱えているものを共に背負う覚悟はあるか?」
言われた瞬間、レオニードの息が止まる。
浪司はずっと間近で見ていたのだ。自分たちの関係に気づいてもおかしくはない。
しかし、みなもの事情までも察しているのか? ずっと彼女が人に知られまいとして、隠し続けていたことなのに。
驚きと警戒で顔が痛いほどに強張る。
妙な動きはないかと注意深く見つめるレオニードへ、浪司は少し表情を和らげた。
「安心しろ、ワシはみなもの味方だ。そして、同じものを追い続けている仲間でもある。みなもはまったく知らないがな」
「浪司……一体何者なんだ?」
「詳しい話は、ワシにお前さんの覚悟を見せてくれたら話す」
声には出さないが、浪司は目を大きく開いて「どうなんだ?」と問うてくる。
答えはすでに出ている。
みなもが告白してくれたあの夜、行くなと引き止め、ずっと自分に縛りつけてしまいたい衝動を覚えた時に。
レオニードは怯まずに浪司を見据えた。
「俺はみなもの抱えているものを共に背負いたい。もう彼が自分を偽らなくても生きていけるように――」
「まったく、お前さんは本当にクソ真面目だな。まだみなもの嘘に合わせてんのか」
真剣に答えたはずなのに、なぜか浪司の目は面白いものを見つけたとばかりに笑っていた。
「ワシはアイツが女の子だっていうのは、ずっと前から知っている。だからワシの前では『彼』扱いしなくてもいいぞ」
「そ、そうか……」
ホッと安堵すると同時に、少しからかわれているような気分になる。
複雑な心境にレオニードが口を堅く結んでいると、浪司は歯をニッカリと見せた。
「これだからレオニードは、みなもの信用を得られたんだな。なら、ワシもお前さんを信用しよう」
浪司は軽く目を閉じて深呼吸する。
そして再びまぶたを開いた時、彼の目から人懐っこい明るさが消えた。
「みなもがフェリクス将軍の解毒剤を作った時から、ワシもアイツの仲間がバルディグにいると確信した。だからワシは独自にバルディグの密偵を見つけて、情報を聞き出したんだ。ナウムがみなもを連れて行きたがってるっていう情報をな」
もう二度と聞きたくないと思っていた名に、レオニードは露骨に顔をしかめる。
ベスーニュの街でみなもから、ナウムが「オレの所に来い」と自分のものに
したがる言動を受けたと知った時には、怒りで理性が飛びそうになった。
それと同時に、自分にも同じ願望があることに気づいてしまい、己に腹が立った。
我を忘れてはいけないと、レオニードはどうにか怒りを抑えこむ。
「その情報、本当なのか?」
浪司は「間違いない」と大きく頷いた。
「ナウムはみなもに執着している。だから親密な関係になったお前さんを始末するだろうと思って、注意を払っていたんだ。そうしたら案の定、部下に襲撃させてきやがった」
「そうだったのか……だが俺のことよりも、みなもを引き止めることが先決じゃないのか? ナウムの元で何をされるか分からないというのに」
「確実に言えることは、ナウムはみなもを殺す気はないが、レオニードを殺したがっていた。どんな病でも治る薬があっても、死んじまったら効かん。だからワシはお前さんを優先したんだ。それに――」
わずかに浪司の目が細くなり、その目に苦渋の色を浮かべる。
「ワシらがずっと探していたものが見つかりそうなんだ。もしワシが引き止めたとしても、みなもはナウムの元へ行っただろうな」
確かに彼女の性格を考えれば、そうなるだろうとはレオニードにも予想がつく。
きっと力づくで止めようとしても、睡眠薬か、麻痺の毒を使って、ここから離れただろう。
今まで求めていたものが目の前にぶら下がっているのに、待てというのは酷な話だとは思う。
ただ、それでも行って欲しくはなかった。
ここへ残って欲しかったと願うのは、自分勝手なワガママだと分かっていても。
レオニードが思い詰めていると、浪司がおもむろに近づいて顔を覗き込んでくる。
「これからワシはバルディグへ向かって、みなもへ会いに行く。レオニード、お前さんはどうするんだ?」
「俺も行く。バルディグの毒に対抗できる存在を失う訳にはいかないこともあるが――」
小さく頷いてから、レオニードはグッと硬く拳を握る。
「――あんな男に、彼女を渡してたまるか」
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