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第二章
episode_17 消えた薔薇
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簡素な木の扉を開けて部屋に入ったロザリンデは、振り向いて扉のかんぬきをかけると、ようやく小さなベッドに腰かけてほっと息を吐くことができた。
部屋は狭く、お世辞にも清潔とは言えないし、階下の酒場で酔っ払い達が大声で卑猥な冗談を飛ばして盛り上がっているのが時折聞こえてくる。けれど、今のロザリンデには、どんなに豪華に飾り立てられた寝室よりも、自分に相応しい場所に思えた。
ふと、マティルダのことが思い出されて、ロザリンデの目に涙が浮かんだ。今頃ロチルド伯爵家では大変な騒ぎになっていることだろう。テオドールは烈火のごとく怒り狂っているに違いない。お姉様、大丈夫かしら……。気になるのはそればかりだ。ただでさえお体の調子が良くないお姉様にこんな心労を負わせてしまったことを、心の底から申し訳なく思う。でも、甥や姪はテオドールにとっても血を分けた我が子だし、長男のリッカルトは伯爵家のれっきとした跡継ぎで、次男のリュシアンは生まれた時から次期ムーア子爵家当主として国王陛下から祝福を受けているから、テオドールも迂闊には手は出せまい。それにロザリンデは今日、街にいる間にテオドールに手紙を書き、郵便局に投函しておいた。そこには、もしマティルダや子供達に何かあったら、あなたとゲオルクはお互いにお気に入りな関係だと匂わせる怪文書を社交界にばらまいてやると書いておいたので、脅しとしてはそれなりに効き目があると思いたい。
あとは実家の両親だけど……とロザリンデは考え込んだ。
両親、特に父ウォレスとヘルマンとの関係のことで、どうしてもロザリンデには気になることがある。
ヘルマンの素性を、ウォレスは知っているのではないか。ロザリンデにはそう思えてならないのだ。と言っても証拠は何一つないのだけれど、何というか、ウォレスのヘルマンに対する態度を見ていると、そう思えてならない。
使用人ではなく家族同然に扱い、高等教育を受けさせ、大学に通うために下宿させてやってくれと、当主が直々に娘の嫁ぎ先に頼み込む。ただの孤児にしては、どう考えても至れり尽くせりではないだろうか。それにヘルマンのどこか品のある振舞い……もしかしたらヘルマンは貴族の生まれなのでは? 何か事情があって、あえてムーア子爵家にいたのでは? 幼い頃には分からなかったことが、年齢を重ねるにつれて見えてきて、ロザリンデの疑惑はますます深くなった。
もし本当に、ヘルマンが貴族だったら、ロザリンデとの結婚には何も障壁はなくなる。むしろウォレスは幼馴染の二人が結ばれることを喜んでくれるのではないだろうか。であればいずれ落ち着いたら父には手紙でヘルマンと結婚したことを知らせよう。そして、もしロザリンデが疑うようにウォレスがヘルマンの素性を知っているのだとしたら、真実を打ち明けてもらって、晴れて皆から認められた夫婦になりたい。ああ、その日が来たら……。
ロザリンデの空想を現実に引き戻すかのように、突然、ドアが静かにノックされた。ヘルマンかしら、一体どうしたの……と訝しく思いながら、ロザリンデはドアを細く開けた。
翌朝、八時になっても部屋から出てこないロザリンデを心配したヘルマンは、そっと部屋のドアに手をかけて、鍵がかかっていないことに驚いた。室内に入ると、ベッドは冷え切っていて、使われた形跡がなく、テーブルの上には部屋の鍵が置かれていた。ヘルマンは真っ青になって階段を転がるように駆け下り、宿の外の街道に出てあたりを見回したが、ロザリンデの姿は既にどこにもなく、辻馬車の御者も宿屋のおかみも、誰一人、どこへ行ったのかは知る由もなかった。
愛する人との結婚式を目前にして、ロザリンデ・ムーア子爵令嬢は、忽然とその姿を消した。
そして、四年の月日が流れた。
部屋は狭く、お世辞にも清潔とは言えないし、階下の酒場で酔っ払い達が大声で卑猥な冗談を飛ばして盛り上がっているのが時折聞こえてくる。けれど、今のロザリンデには、どんなに豪華に飾り立てられた寝室よりも、自分に相応しい場所に思えた。
ふと、マティルダのことが思い出されて、ロザリンデの目に涙が浮かんだ。今頃ロチルド伯爵家では大変な騒ぎになっていることだろう。テオドールは烈火のごとく怒り狂っているに違いない。お姉様、大丈夫かしら……。気になるのはそればかりだ。ただでさえお体の調子が良くないお姉様にこんな心労を負わせてしまったことを、心の底から申し訳なく思う。でも、甥や姪はテオドールにとっても血を分けた我が子だし、長男のリッカルトは伯爵家のれっきとした跡継ぎで、次男のリュシアンは生まれた時から次期ムーア子爵家当主として国王陛下から祝福を受けているから、テオドールも迂闊には手は出せまい。それにロザリンデは今日、街にいる間にテオドールに手紙を書き、郵便局に投函しておいた。そこには、もしマティルダや子供達に何かあったら、あなたとゲオルクはお互いにお気に入りな関係だと匂わせる怪文書を社交界にばらまいてやると書いておいたので、脅しとしてはそれなりに効き目があると思いたい。
あとは実家の両親だけど……とロザリンデは考え込んだ。
両親、特に父ウォレスとヘルマンとの関係のことで、どうしてもロザリンデには気になることがある。
ヘルマンの素性を、ウォレスは知っているのではないか。ロザリンデにはそう思えてならないのだ。と言っても証拠は何一つないのだけれど、何というか、ウォレスのヘルマンに対する態度を見ていると、そう思えてならない。
使用人ではなく家族同然に扱い、高等教育を受けさせ、大学に通うために下宿させてやってくれと、当主が直々に娘の嫁ぎ先に頼み込む。ただの孤児にしては、どう考えても至れり尽くせりではないだろうか。それにヘルマンのどこか品のある振舞い……もしかしたらヘルマンは貴族の生まれなのでは? 何か事情があって、あえてムーア子爵家にいたのでは? 幼い頃には分からなかったことが、年齢を重ねるにつれて見えてきて、ロザリンデの疑惑はますます深くなった。
もし本当に、ヘルマンが貴族だったら、ロザリンデとの結婚には何も障壁はなくなる。むしろウォレスは幼馴染の二人が結ばれることを喜んでくれるのではないだろうか。であればいずれ落ち着いたら父には手紙でヘルマンと結婚したことを知らせよう。そして、もしロザリンデが疑うようにウォレスがヘルマンの素性を知っているのだとしたら、真実を打ち明けてもらって、晴れて皆から認められた夫婦になりたい。ああ、その日が来たら……。
ロザリンデの空想を現実に引き戻すかのように、突然、ドアが静かにノックされた。ヘルマンかしら、一体どうしたの……と訝しく思いながら、ロザリンデはドアを細く開けた。
翌朝、八時になっても部屋から出てこないロザリンデを心配したヘルマンは、そっと部屋のドアに手をかけて、鍵がかかっていないことに驚いた。室内に入ると、ベッドは冷え切っていて、使われた形跡がなく、テーブルの上には部屋の鍵が置かれていた。ヘルマンは真っ青になって階段を転がるように駆け下り、宿の外の街道に出てあたりを見回したが、ロザリンデの姿は既にどこにもなく、辻馬車の御者も宿屋のおかみも、誰一人、どこへ行ったのかは知る由もなかった。
愛する人との結婚式を目前にして、ロザリンデ・ムーア子爵令嬢は、忽然とその姿を消した。
そして、四年の月日が流れた。
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