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第三章
episode_22 あの人と同い年
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それはテレーゼにとって、根耳に水としか言いようのない報せだった。今から二十五年前、エーリッヒの孫が生まれてすぐに何者かに誘拐されたことは既に聞かされていたが、まさかその孫息子が生きていて、しかも来週、ここに戻って来るとは。テレーゼは困惑して、膝の上で握り締めた両手を見つめたまま黙り込んでしまった。
「黙っていてすまなかったね、テレーゼ」
「えっ」
声をかけられて我に返ったテレーゼが顔を上げると、侯爵が申し訳なさそうな顔でテレーゼを見つめていた。テレーゼは優しく微笑んで、テーブルの上に置かれた夫の手にそっと触れた。
「謝らないで下さいまし。わたくしのことなどお気になさる必要はありません。でもどうしましょう、来週だなんて。お出迎えの支度が間に合うかしら」
「急な話で驚いただろう。だが事情が事情なだけに、諸々極秘に進める必要があったんだよ。ここの社交界の連中に気づかれるとうるさいのでね。何、難しく考える必要はない。次期侯爵家当主としてのお披露目も急がねばならないが、それはおいおい考えるとして、まず何よりも孫がこの屋敷で快適に生活できるように気を配ってやってもらえないだろうか。……彼にとってここは他人の家のようなものだろうからね」
「ええ、もちろん。エーリッヒ、お孫さんが見つかって、本当に良うございましたわね。今日のあなたはわたくしの知っているエーリッヒとは別人みたいよ。顔色もいいし、目の輝きが違うわ。やはり喜びは人に生きる力を与えるのですね」
「ははは、そうかもしれないな。ああ、長かった。ようやく私の願いが叶ったよ。これで侯爵家の爵位を次の世代に譲り渡すことができる。それさえ無事に終われば、私はもういつ死んでも悔いはない」
「まあ、何てこと仰るの。まだまだ長生きして下さらなくては困りますわ」
侯爵がこんなふうに声を上げて笑うことなど、めったにないことだ。それだけ喜びもひとしおなのだろう。その姿を見てテレーゼは侯爵の宿願が叶ったことを心から祝福したが、同時に不安の影がヒタヒタと背後に忍び寄ってくるのを否定できなかった。来週から、年若い男性と一つ屋根の下で生活しなければならないのだ。今から二十五年前……ということは、あの人と同い年……。できることならエーリッヒの孫と言う青年についてもう少し詳しく訊きたかったが、テレーゼは言葉を飲み込んだ。
相手がどんな人間であろうとも、テレーゼ……ロザリンデが願うことはただ一つ、自分に必要以上に関心を持たないでほしいということだけだった。彼がどんな環境で育って来たのかは知る由もないが、エーリッヒの話しぶりから推察するに、王都の貴族社会に繋がりがあるわけではなさそうだ。ならば顔を見られても大丈夫だろう。次期リンデーホルフ侯爵からしたら、自分より年若い女性をおばあ様などと呼ぶことは異様に思えるかもしれないが、何よりもその肩書がきっと自分を守る砦になってくれるはず。テレーゼはそう考えて、ざわつく胸をどうにか落ち着かせた。
それからの一週間はあっという間に過ぎた。テレーゼは侯爵に頼まれるまま、メイドに指示を与え、ずっと閉め切っていた当主の寝室と書斎を整えた。やがて週が明け、凍った石畳についた轍の上をゆっくりと進むガラガラという車輪の音が近づいてきて、やがて侯爵家の馬車寄せで停まった。
「黙っていてすまなかったね、テレーゼ」
「えっ」
声をかけられて我に返ったテレーゼが顔を上げると、侯爵が申し訳なさそうな顔でテレーゼを見つめていた。テレーゼは優しく微笑んで、テーブルの上に置かれた夫の手にそっと触れた。
「謝らないで下さいまし。わたくしのことなどお気になさる必要はありません。でもどうしましょう、来週だなんて。お出迎えの支度が間に合うかしら」
「急な話で驚いただろう。だが事情が事情なだけに、諸々極秘に進める必要があったんだよ。ここの社交界の連中に気づかれるとうるさいのでね。何、難しく考える必要はない。次期侯爵家当主としてのお披露目も急がねばならないが、それはおいおい考えるとして、まず何よりも孫がこの屋敷で快適に生活できるように気を配ってやってもらえないだろうか。……彼にとってここは他人の家のようなものだろうからね」
「ええ、もちろん。エーリッヒ、お孫さんが見つかって、本当に良うございましたわね。今日のあなたはわたくしの知っているエーリッヒとは別人みたいよ。顔色もいいし、目の輝きが違うわ。やはり喜びは人に生きる力を与えるのですね」
「ははは、そうかもしれないな。ああ、長かった。ようやく私の願いが叶ったよ。これで侯爵家の爵位を次の世代に譲り渡すことができる。それさえ無事に終われば、私はもういつ死んでも悔いはない」
「まあ、何てこと仰るの。まだまだ長生きして下さらなくては困りますわ」
侯爵がこんなふうに声を上げて笑うことなど、めったにないことだ。それだけ喜びもひとしおなのだろう。その姿を見てテレーゼは侯爵の宿願が叶ったことを心から祝福したが、同時に不安の影がヒタヒタと背後に忍び寄ってくるのを否定できなかった。来週から、年若い男性と一つ屋根の下で生活しなければならないのだ。今から二十五年前……ということは、あの人と同い年……。できることならエーリッヒの孫と言う青年についてもう少し詳しく訊きたかったが、テレーゼは言葉を飲み込んだ。
相手がどんな人間であろうとも、テレーゼ……ロザリンデが願うことはただ一つ、自分に必要以上に関心を持たないでほしいということだけだった。彼がどんな環境で育って来たのかは知る由もないが、エーリッヒの話しぶりから推察するに、王都の貴族社会に繋がりがあるわけではなさそうだ。ならば顔を見られても大丈夫だろう。次期リンデーホルフ侯爵からしたら、自分より年若い女性をおばあ様などと呼ぶことは異様に思えるかもしれないが、何よりもその肩書がきっと自分を守る砦になってくれるはず。テレーゼはそう考えて、ざわつく胸をどうにか落ち着かせた。
それからの一週間はあっという間に過ぎた。テレーゼは侯爵に頼まれるまま、メイドに指示を与え、ずっと閉め切っていた当主の寝室と書斎を整えた。やがて週が明け、凍った石畳についた轍の上をゆっくりと進むガラガラという車輪の音が近づいてきて、やがて侯爵家の馬車寄せで停まった。
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おほほ、まだ孫息子がヘルマンだと決まったわけじゃないですから…(苦しいな💦)
やはりロザリンデの父の行動が気になりますかね。彼が誘拐の実行犯じゃないといいんですけど、まずは祖父と孫息子との感動の対面を済ませてからでないと話が進まないので、もう少しお付き合い下さい!
テレーゼの正体はやはりそうでしたね。
侯爵は身体が弱ってあまり(いや全然?)おセッセできないのに娼館に通っていたのですか?もしかしてお触りして喜んでいたエロ親父?
ヘルマンが侯爵家の跡継ぎということは、このエロ親父侯爵の息子か孫なのでしょうかね。それとも全然別の侯爵家なのかしら。
やはりテレーゼの正体はそうでした!
侯爵は身体が弱ってはいますが、その土地の領主様なので、娼館のマダムと面識があるのです…(説明不足だったかしら💦)
でもおセッセできなくてもお触り全開で喜ぶこともありますから、たまにはそういう夜もあったかもしれませんね。
むむ、このテレーゼというのは、もしかして……
でもその前の3年半、彼女はどうしていたんでしょう?
舞台の袖に向かって張り出した部分の2階のボックス席からは舞台を横から見ることになるのですか? 劇場のことはよく分からないんですが、正面のほうが見やすくてよさそうです。でもカーテン閉めてアハン、ウフン……とやるなら、どこでも同じですが。男やもめを貫いてきた人のよさそうな侯爵は実は変態で、劇場のボックス席でテレーゼ(仮)にあんなことやこんなことをやっているんじゃないかと妄想してます。
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