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Chapter2〈4 クラスの王様〉
ep59 新・クラスの王様①
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“自分が恵まれている”ということは悠真も分かっていた。金銭的にも余裕がある家庭に生まれ、何不自由なく過ごし、過度に甘やかされるわけでもなく両親から大切に育てられてきた。
社交的で幼少期からカリスマ性のあった彼は、友達にも恵まれていた。人好きのする容姿と人を惹きつける性格で誰をも魅了し、何の努力をしなくとも他人の好意を得ることができた。勉強も運動も過不足なく出来て、学校生活は常に順風満帆だ。しかし一方で、何をやっても出来ないで叱られている子供を見ると、なぜこんなことも出来ないのか不思議でならなかった。
小学生になると、自分は人より器用なのだと自覚するようになっていた。だからと言って、他人を見下したり驕ったりすることもなかった。そもそも、そういった人物に対して興味も無かったし、関わろうとも思わなかったのだ。
思春期になり身長が伸びるのに比例して、悠真の周囲に与える影響も大きくなっていった。中学生になるとクラスでの発言権が強くなり、誰もが悠真の顔色を窺うようになった。悠真の言葉全てに肯定し賛同する人間が多くなった。
退屈だった。
まるで空っぽに見える人間関係の中にいることが。何をしても充実感を味わえない、この生活が。あまりにも退屈で――、退屈で――。そしてある日、気づいてしまった。何をしていても満たされないのは、自分自身に何もないからだと。
自分には何もない。生きるうえで特別な問題も、悩むべきコンプレックスも、超えるべき壁も、目指すべき目標も。既に何でもあった悠真には、何かを求める明確な理由がなかったのだ。
何かになろうと思えば、何にでもなれる自信があった。それは若さゆえの万能感ではない。器用で要領のいい彼だからこそ言える明確な事実だ。しかし、何にでも簡単になれてしまう自分の人生に、一体、どれほどの価値があるだろうか。
悠真は最初から何でも持っていた。だからこそ、何も持っていなかった。自分が生きる意味さえも、悠真の中には無かったのだ。
西田のことが気になり始めたのは、そのことに気付いた後からだった。1年の頃から何かと同じクラスになる、不器用で、存在感の薄いクラスメイト。悠真が知る限り、特に西田は何も出来ない人間だった。勉強も、運動も、友人も――出来ることが何も無かった。誰もが認める無能だ。存在自体が価値のない無能。
しかし、そんな無能が自分に重なって見えて仕方なかった。何も持たない西田と、何もなかった悠真。二人がとても似ているように思えて――目障りだったのだ。
2年生の夏休みが開け、話題の転校生の噂は当然悠真の耳にも入ってきた。
全校集会で体育館に集まった時、ふと視線を外した先に転校生らしき人物を見つけた。どこにいても目立つ容姿だ。そしてその人物を見た時、未成年の傷害事件のあった学校のブログ記事で見かけた少年の姿に似ていることに気づいてしまった。
あの事件のことを知っているかと、転校生に聞いてみたいと思った。聞いてみたいと思ったのは、ただの野次馬根性だ。
噂の転校生の存在には興味があったが、わざわざ自分から近づくつもりはなかった。クラスが離れていたし、授業で関わる機会もない。徐々に転校生への興味が薄れかけたころ、廊下で篠原咲乃とすれ違った。
初めて咲乃の目を見た時、心のすべてが震撼した。彼の中にある途方も無い物足りなさに気付いたのだ。そしてそれは、けして満たされることのない物足りなさだった。
何もかもを持っているが故の空虚感。一度は絶望し、諦観した目。どこまでも深い深淵。
そして悟った。転校生はあの事件の当事者だと。転校生の虚無感が、自分の中にあるものと似ているような気がして、悠真は強烈に篠原咲乃に惹かれたのだ。
優秀な咲乃の噂を聞くたびに、無能な西田が目障りに思えた。咲乃に深く共感したのに、同時に無価値に存在している西田と自分が同じであることを認められなかった。見たくなかった。西田と自分が同じだなんて、思いたくない。
その頃から、悠真は西田への当たりが強くなり、西田へのいじめが始まった。
3年生になり、悠真は咲乃と同じクラスになった。実物の咲乃は、本物の天才だった。非凡な能力を持つ咲乃を前にしたとき、悠真は素直に尊敬できたし、そんな咲乃の友人でいられることが嬉しかった。
ある日の放課後、悠真は咲乃に、ずっと聞きたかったことを聞こうとした。初めて廊下で咲乃を目にしたときに確信したことの答え合わせがしたかったからだ。
「篠原ってさ――」
八城台中の傷害事件のこと、知ってる?
結局、咲乃には聞けなかった。彼女の沙織の乱入があったのも原因だが、聞いたとしても、絶対にこたえないか、はぐらかされるだろうと分かっていたから。だから、改めて修学旅行の日、咲乃に何を聞こうとしていたのかを尋ねられた時、悠真は全く関係のないことを聞いたのだ。
悠真は咲乃と親しくいられるだけで満足だった。咲乃の中にある物足りなさは、自分と共通するものがあったから。むしろ、その共通点がうれしかった。初めて、自分の物足りなさを受け入れることができた。咲乃が特別であるかぎり、自分が空っぽだとしてもかまわない。それほどまでに、咲乃は悠真にとって強烈な影響を与えた存在だった。
しかし、一つだけ悠真には理解できないことがあった。それは、特別であるはずの咲乃が、無能な人間に対しても対等に扱おうとすることだ。彼の中にある残虐性を知っていたから、余計に混乱した。常に己の中にある不快感に苦しみながら、西田に手を差し伸べる様子を見て、咲乃が変わろうとしているのだと悟った。
凡人に、変わろうとしているのだと。
*
家に帰ると、悠真は力が尽きて泥のように眠った。目覚ましの音で目覚め、学校に行く支度を済ませて外へ出る。沙織からのLINEの通知が何件も来ていたが、すべて無視した。彼女に構っていられる心の余裕はなかった。
今にも振り出しそうな薄暗い空を見上げて、昨日の出来事を振り返る。結局、咲乃は悠真を受け入れなかった。そして、西田を守るため自ら進んで敗北した。
唯一の理解者さえ失ったことへの失望。
ゲームでは咲乃に勝利したはずなのに、残ったのは今まで感じたことのないほどの虚無感だった。その虚無を覗くには絶望が深すぎる。喉の奥が焼けつくような乾き。胸を劈くような痛み。死よりも深い恐怖。今にも呑み込まれそうになる。絶壁に立たされるような感覚。
自分には目標がない。
自分には進路がない。
自分には希望がない。
自分には何もない。
自分には価値がない。
――そんな自分に、生きる意味があるだろうか。
はっと、目をあげた。
悠真は教室にいた。考え事をしたまま習慣的に上履きに履き替えて、ここまで歩いて来たらしい。窓にはカーテンが引かれている。
いつもならもっと騒がしいはずの教室が、今日は不自然なほど静かだ。
悠真に集中する、みんなの視線に戸惑う。いつもの教室とは、明らかに様子が違った。
「あ……、おはよー……」
戸惑いながらも挨拶した。しかし、誰も悠真に返さない。皆緊張した面持ちで、じっと悠真を見つめ続けている。状況が全く分からず、悠真がその場に立ちすくんでいると、背後のドアがしまった。
驚いて振り向く。顔にガーゼを当てた咲乃が悠真に微笑んだ。
「おはよう、新島くん」
「……あ、ぁ……おはよう」
咲乃の顔を見て、警戒して身体が強張った。しかし、咲乃は何事もなかったかのような穏やかな顔をしていた。悠真はますます混乱して立ち竦み、自分の席にかばんを下ろす咲乃を目で追った。
取り敢えず悠真は、警戒しながらも自分の席に着いた。周囲の視線がずっと悠真を追っている。この異様な空気はなんなんだ。意味が分からない。
教室には、クラスメイトの殆どが揃っていた。日下も小林も中川もいるし、村上はいなかったが、村上の仲間たちはそろっている。加奈も高木たちもいる。安藤や竹内もいた。そして、驚くことに西田も、顔中に絆創膏やガーゼを当てた状態で出席していた。
突然、締め切られていたドアが再び開いて、悠真の肩が震えた。
「わりぃ、トイレ行ってた。もうやってる?」
そう言って入ってきたのは、別クラスの神谷だった。久々に神谷が来たことに訝しんでいると、咲乃が首を振って答えた。
「ううん。これから始めるつもり。必要なメンバーはこれで揃ったよ」
「そっか。それじゃあ、はじめっか」
悠真が状況を尋ねる間もなく、神谷が教室の電気を消した。咲乃が何かのリモコンを操作する。
教室のプロジェクターが稼働した。黒板の前につるされたスクリーンに映像が映る。音声のない映像。悠真が咲乃を殴り続ける映像だった。
映像が流れた瞬間、教室の空気が変わった。恐怖に息を呑む音がする。皆が映像に釘付けになる。悠真は呆然とその映像を見て、状況を把握した。
撮られていた。しかし、いつの間に?
咲乃からの視線を感じて、悠真が目を向ける。咲乃の瞳の中に、ぐらりと暗いものが蠢いた。
「ゆ、悠真……?」
加奈が名前を呼んだ。恐怖と驚愕で顔が強張っている。
「ち、ちがっ……!」
咄嗟に事実を否定しようとして、口をつぐんだ。こんな映像を前にして、悠真が何を言ったところで、いったい誰が信じるだろうか。
「……どう、やって……」
社交的で幼少期からカリスマ性のあった彼は、友達にも恵まれていた。人好きのする容姿と人を惹きつける性格で誰をも魅了し、何の努力をしなくとも他人の好意を得ることができた。勉強も運動も過不足なく出来て、学校生活は常に順風満帆だ。しかし一方で、何をやっても出来ないで叱られている子供を見ると、なぜこんなことも出来ないのか不思議でならなかった。
小学生になると、自分は人より器用なのだと自覚するようになっていた。だからと言って、他人を見下したり驕ったりすることもなかった。そもそも、そういった人物に対して興味も無かったし、関わろうとも思わなかったのだ。
思春期になり身長が伸びるのに比例して、悠真の周囲に与える影響も大きくなっていった。中学生になるとクラスでの発言権が強くなり、誰もが悠真の顔色を窺うようになった。悠真の言葉全てに肯定し賛同する人間が多くなった。
退屈だった。
まるで空っぽに見える人間関係の中にいることが。何をしても充実感を味わえない、この生活が。あまりにも退屈で――、退屈で――。そしてある日、気づいてしまった。何をしていても満たされないのは、自分自身に何もないからだと。
自分には何もない。生きるうえで特別な問題も、悩むべきコンプレックスも、超えるべき壁も、目指すべき目標も。既に何でもあった悠真には、何かを求める明確な理由がなかったのだ。
何かになろうと思えば、何にでもなれる自信があった。それは若さゆえの万能感ではない。器用で要領のいい彼だからこそ言える明確な事実だ。しかし、何にでも簡単になれてしまう自分の人生に、一体、どれほどの価値があるだろうか。
悠真は最初から何でも持っていた。だからこそ、何も持っていなかった。自分が生きる意味さえも、悠真の中には無かったのだ。
西田のことが気になり始めたのは、そのことに気付いた後からだった。1年の頃から何かと同じクラスになる、不器用で、存在感の薄いクラスメイト。悠真が知る限り、特に西田は何も出来ない人間だった。勉強も、運動も、友人も――出来ることが何も無かった。誰もが認める無能だ。存在自体が価値のない無能。
しかし、そんな無能が自分に重なって見えて仕方なかった。何も持たない西田と、何もなかった悠真。二人がとても似ているように思えて――目障りだったのだ。
2年生の夏休みが開け、話題の転校生の噂は当然悠真の耳にも入ってきた。
全校集会で体育館に集まった時、ふと視線を外した先に転校生らしき人物を見つけた。どこにいても目立つ容姿だ。そしてその人物を見た時、未成年の傷害事件のあった学校のブログ記事で見かけた少年の姿に似ていることに気づいてしまった。
あの事件のことを知っているかと、転校生に聞いてみたいと思った。聞いてみたいと思ったのは、ただの野次馬根性だ。
噂の転校生の存在には興味があったが、わざわざ自分から近づくつもりはなかった。クラスが離れていたし、授業で関わる機会もない。徐々に転校生への興味が薄れかけたころ、廊下で篠原咲乃とすれ違った。
初めて咲乃の目を見た時、心のすべてが震撼した。彼の中にある途方も無い物足りなさに気付いたのだ。そしてそれは、けして満たされることのない物足りなさだった。
何もかもを持っているが故の空虚感。一度は絶望し、諦観した目。どこまでも深い深淵。
そして悟った。転校生はあの事件の当事者だと。転校生の虚無感が、自分の中にあるものと似ているような気がして、悠真は強烈に篠原咲乃に惹かれたのだ。
優秀な咲乃の噂を聞くたびに、無能な西田が目障りに思えた。咲乃に深く共感したのに、同時に無価値に存在している西田と自分が同じであることを認められなかった。見たくなかった。西田と自分が同じだなんて、思いたくない。
その頃から、悠真は西田への当たりが強くなり、西田へのいじめが始まった。
3年生になり、悠真は咲乃と同じクラスになった。実物の咲乃は、本物の天才だった。非凡な能力を持つ咲乃を前にしたとき、悠真は素直に尊敬できたし、そんな咲乃の友人でいられることが嬉しかった。
ある日の放課後、悠真は咲乃に、ずっと聞きたかったことを聞こうとした。初めて廊下で咲乃を目にしたときに確信したことの答え合わせがしたかったからだ。
「篠原ってさ――」
八城台中の傷害事件のこと、知ってる?
結局、咲乃には聞けなかった。彼女の沙織の乱入があったのも原因だが、聞いたとしても、絶対にこたえないか、はぐらかされるだろうと分かっていたから。だから、改めて修学旅行の日、咲乃に何を聞こうとしていたのかを尋ねられた時、悠真は全く関係のないことを聞いたのだ。
悠真は咲乃と親しくいられるだけで満足だった。咲乃の中にある物足りなさは、自分と共通するものがあったから。むしろ、その共通点がうれしかった。初めて、自分の物足りなさを受け入れることができた。咲乃が特別であるかぎり、自分が空っぽだとしてもかまわない。それほどまでに、咲乃は悠真にとって強烈な影響を与えた存在だった。
しかし、一つだけ悠真には理解できないことがあった。それは、特別であるはずの咲乃が、無能な人間に対しても対等に扱おうとすることだ。彼の中にある残虐性を知っていたから、余計に混乱した。常に己の中にある不快感に苦しみながら、西田に手を差し伸べる様子を見て、咲乃が変わろうとしているのだと悟った。
凡人に、変わろうとしているのだと。
*
家に帰ると、悠真は力が尽きて泥のように眠った。目覚ましの音で目覚め、学校に行く支度を済ませて外へ出る。沙織からのLINEの通知が何件も来ていたが、すべて無視した。彼女に構っていられる心の余裕はなかった。
今にも振り出しそうな薄暗い空を見上げて、昨日の出来事を振り返る。結局、咲乃は悠真を受け入れなかった。そして、西田を守るため自ら進んで敗北した。
唯一の理解者さえ失ったことへの失望。
ゲームでは咲乃に勝利したはずなのに、残ったのは今まで感じたことのないほどの虚無感だった。その虚無を覗くには絶望が深すぎる。喉の奥が焼けつくような乾き。胸を劈くような痛み。死よりも深い恐怖。今にも呑み込まれそうになる。絶壁に立たされるような感覚。
自分には目標がない。
自分には進路がない。
自分には希望がない。
自分には何もない。
自分には価値がない。
――そんな自分に、生きる意味があるだろうか。
はっと、目をあげた。
悠真は教室にいた。考え事をしたまま習慣的に上履きに履き替えて、ここまで歩いて来たらしい。窓にはカーテンが引かれている。
いつもならもっと騒がしいはずの教室が、今日は不自然なほど静かだ。
悠真に集中する、みんなの視線に戸惑う。いつもの教室とは、明らかに様子が違った。
「あ……、おはよー……」
戸惑いながらも挨拶した。しかし、誰も悠真に返さない。皆緊張した面持ちで、じっと悠真を見つめ続けている。状況が全く分からず、悠真がその場に立ちすくんでいると、背後のドアがしまった。
驚いて振り向く。顔にガーゼを当てた咲乃が悠真に微笑んだ。
「おはよう、新島くん」
「……あ、ぁ……おはよう」
咲乃の顔を見て、警戒して身体が強張った。しかし、咲乃は何事もなかったかのような穏やかな顔をしていた。悠真はますます混乱して立ち竦み、自分の席にかばんを下ろす咲乃を目で追った。
取り敢えず悠真は、警戒しながらも自分の席に着いた。周囲の視線がずっと悠真を追っている。この異様な空気はなんなんだ。意味が分からない。
教室には、クラスメイトの殆どが揃っていた。日下も小林も中川もいるし、村上はいなかったが、村上の仲間たちはそろっている。加奈も高木たちもいる。安藤や竹内もいた。そして、驚くことに西田も、顔中に絆創膏やガーゼを当てた状態で出席していた。
突然、締め切られていたドアが再び開いて、悠真の肩が震えた。
「わりぃ、トイレ行ってた。もうやってる?」
そう言って入ってきたのは、別クラスの神谷だった。久々に神谷が来たことに訝しんでいると、咲乃が首を振って答えた。
「ううん。これから始めるつもり。必要なメンバーはこれで揃ったよ」
「そっか。それじゃあ、はじめっか」
悠真が状況を尋ねる間もなく、神谷が教室の電気を消した。咲乃が何かのリモコンを操作する。
教室のプロジェクターが稼働した。黒板の前につるされたスクリーンに映像が映る。音声のない映像。悠真が咲乃を殴り続ける映像だった。
映像が流れた瞬間、教室の空気が変わった。恐怖に息を呑む音がする。皆が映像に釘付けになる。悠真は呆然とその映像を見て、状況を把握した。
撮られていた。しかし、いつの間に?
咲乃からの視線を感じて、悠真が目を向ける。咲乃の瞳の中に、ぐらりと暗いものが蠢いた。
「ゆ、悠真……?」
加奈が名前を呼んだ。恐怖と驚愕で顔が強張っている。
「ち、ちがっ……!」
咄嗟に事実を否定しようとして、口をつぐんだ。こんな映像を前にして、悠真が何を言ったところで、いったい誰が信じるだろうか。
「……どう、やって……」
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