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〈5 錯綜クインテット〉
ep83 輝け青春、英至中学校体育祭!
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体育祭当日。校庭には、『輝け青春、英至中学校体育祭!!』の横断幕がかけられ、生徒たちは赤・青・黄・緑・橙・桃の5色のはちまきを額に巻いて、校庭に集まっていた。体育祭実行委員による開会式宣言と、各色代表による応援合戦が終わると、競技へと移行する。
体育祭のプログラムによると、最初の種目は1年生による大玉転がしだ。悠真は、青色の鉢巻を首に下げ、観覧席で日下たちと座っていた。
「あっちぃー!! なんでこんな暑い中、体育祭やんなきゃいけねぇんだよ。もっと涼しくなってからやれよー」
悠真の後ろの席で、小林が呻いている。残暑はまだ続き、今日の気温は27度。午後からは最高29度にまで上る予報だ。10月とは言え、気温だけみればほぼ夏日。一応、簡易的な屋根が設けられていると言っても、地面から立ち上る熱気が足元からのぼる。日下も、下敷きで自身の顔に風を送りながら、まぁまぁと小林をなだめた。
「今年最後の体育祭なんだし、楽しくやろうぜ。今年の青組は期待されてんだしさ」
青組が期待されているというのは本当の話しで、なんせ3年2組には、体力テストでトップの成績を誇る、新島悠真と篠原咲乃が揃っている。英至中学体育祭の目玉である3年生のクラス対抗リレーは、ふたりの活躍に期待を寄せる生徒も多いのだ。
「問題は、4組だな。あそこ、神谷いるだろ。あいつ、今年もまた変な作戦立ててるらしい」
「マジ? 毎年毎年、懲りずにやるねぇ~」
悠真は、中川たちが話しているのをぼんやり聞きながら、やる気もなく1年生の競技を眺めていた。3年生のクラス対抗リレーは最終種目だ。それまで随分と時間がある。選択種目である200メートル走も午後からの部だ。午前中の部は観ているだけになる。
暇だ。
「今日は沙織休んでるらしいよ」
悠真の横から、日下が耳うちした。
「あいつ、ここんところ休んでばっかだけど、大丈夫かな」
友人として心配しているのだろう、日下が不安そうに漏らすと、悠真はどうでもよさそうに肩をすくめた。
「ほっとけよ。本人の問題なんだし」
「そうなんだけど」
日下の言葉は、それ以降は続かなかった。劣勢だった青組が追い上げてきたのだ。青組の席から歓声が上がる中、悠真は冷めた目でその光景を眺めていた。
沙織とは、あの日以降一度も会っていない。LINEもインスタも全てブロックしてあるし、終わった恋愛のことをいつまでも言われ続けるのは面倒臭かった。
「いくら振ったからって、冷たすぎねぇか? 別れるならもう少し、本人を納得させる言い方とかあっただろ」
歓声が収まったところで、日下が改めて続けた。日下は仲間を大事にするから、彼らしいと言えばそうなのだが、正直、今の悠真にとっては余計な世話だ。
「今更、何言っても納得しないよ。別れること自体あり得ないと思ってるから」
沙織のことは、悠真が一番知っている。彼女の厄介な部分を、より一番に。
悠真が気怠く言い返すと、日下は諦めたように、それ以上は何も言い返して来なかった。
おっとりとした目尻に黒目の大きな瞳と、たっぷりとした唇、つややかな白い肌、女子の平均身長よりも高い長身に、豊満な胸や腰つき。その、優れた容姿と、物事を白黒に分けるはっきりとした思考や物言いは、女子たちに畏怖や畏敬を抱かせるには十分な存在だった。クラスでは常に女子グループのリーダーで、何事もコントロールしないと気が済まない。彼女は常に、退屈と、それに対する鬱憤や不満を抱いていて、自分より下だと判断した人間を嘲笑うことで、退屈を紛らわせていた。
男の前で自分がどうふるまえば魅力に映るかを心得ており、悠真はそれにまんまと嵌ったわけだが、それ以上に悠真と沙織は、似ているものが多かった。
それは、自分の世界から、気に入らない人間を徹底的に排除したいという欲求だ。自分と価値観の合わない人間を厭うがための。しかし、今の悠真には、かつて沙織と共感しあっていたものに縋りつくほどの熱量はない。
咲乃に敗北してから、まるで空気が抜けたように何も感じなくなってしまった。本当に、自分の中身がすっからかんになってしまったのだ。不思議なことに、あんなに悠真を煩わせていた胸の奥の不快なざわつきも、肩にのしかかっていた重みも、同じように消え去っていた。
今なら素直に受け入れられる。自分こそが空っぽだったと。空っぽな人間が縋り付く価値観など、所詮はハリボテでしかない。
自分の中に何もなくなると、冷静にものごとを客観視できるようになる。今の悠真からみた沙織は、ハリボテそのものだ。外側だけキラキラ取り繕って中身がない。自分の狭い価値観が世界の真理だと信じている。学校と言う、小さな社会で築いた、小山程度しかない頂点にしがみつき、地位が脅かされることに怯えている。知性も品性もない愚かなハリボテだ。
今、悠真が沙織を見ても何の感情も湧かない。魅力に感じていた容姿にさえも動かされるものはなくなっていた。その時に改めて、実はとっくの昔に、沙織には冷めていたのだと気付いたのだ。
だから、今更沙織に何を言ったとしても、今の悠真の気持を、沙織は理解できないだろう。
赤組の観覧席がわぁっと沸いた。1年生の大玉転がしは、赤組が勝ったらしい。
悠真の目が、ふと咲乃の席に移る。体育祭が始まったばかりだというのに、咲乃の席は空いていた。
プログラムにミスがあったとか何とかで、体育祭実行員のヘルプに行っているらしい。学級委員の仕事からは明らかに外れているし、本来ならば断っても問題はないはずなのだが、また面倒事をひきうけたのだ。悠真は呆れて、一人ため息をついた。
*
午前中のプログラムは滞りなく進み、昼休憩に入った。
悠真が昼食を終えると、成海の姿がないことに気付いて、あわてて周囲を見渡した。安藤は、昼食を食べ終えたばかりらしく、西田達と教室の隅で喋っている。
急いで成海にLINEの通話をかける。スマホを耳にあてたまま悠真が教室を出て、廊下を走っていると、丁度女子トイレから出てくる成海と鉢合わせた。
「なにやってんの、お前」
沙織が休んでいると言っても、沙織の取り巻きに何をされるかわからない。安全とは言えない状況で、あれほど勝手にいなくなるなと言っているのに、成海の危機感のない振る舞いに悠真は腹が立った。
成海は、悪いと思っているのか、はたまた悠真を怖がっているためか、顔を青くしながら「すみません」と小さな声で謝った。
「ちょっと、お腹の調子が……」
具合が悪そうに答える成海に、悠真は目を細めた。そう言えば、朝から元気がなかったことを思い出す。
「体調悪いの?」
悠真が尋ねると、成海は青ざめた顔で「いや、そこまででは、ない、です」と口ごもった。
「まさか、緊張してる?」
たかが体育祭で?
信じられない気持ちで悠真が問うと、成海は言いにくそうに「まぁ……はい」と答える。相変わらずもごもごした、どん臭い返答に、悠真は苛立ちを隠さずに、ため息を吐いた。
「ムカデ競争はもう終わってるし、あんたが出るのって、後はリレーだけでしょ。何、プレッシャー感じてんだよ」
「……自分の足の遅さを、学校全体に晒すんだと思ったら……なんだか恥ずかしくなってきちゃって……。青組の足も引っ張っちゃうし……それが本当に嫌で……」
このデブは、人の神経を逆なでする天才だと思う。悠真はイライラして、大きく舌打ちした。
「最初から、だれもあんたに期待してない。自意識過剰すぎなんだよ、死ねブス!」
思わず、直接的な暴言が口から飛び出してしまった。言い過ぎたと思った瞬間、案の定、成海の口元が、わなわなと震えている。
「いくら何でも、死ねブスは言いすぎじゃないですか!?」
珍しく成海が言い返してきて、悠真はさらに暴言を吐いた。
「ブスはブスだろ、うぜぇな。走りたくないなら勝手に帰れよ。そんなんだからいじめられんだろ!」
「いじめを正当化する理由に使わないでください! 悪口、暴言、絶対ダメ!」
これではまるで、子供同士の喧嘩だ。しばらく悠真と成海は互いににらみ合った後、急にバカバカしくなったのか、成海はため息をついた。
「帰りたいのはやまやまですけど、ここで帰ったらみんなに迷惑かかるじゃないですか」
自分が足手まといだから帰っていいなんて、思っていない。自分が抜ければ、その代わりに誰かが2回走らなければならないのだ。たとえ、走ることが得意な誰かが代走して、結果勝ったとしても、クラスメイトの心証はよくならないはず。学校と言う小さな社会では、「嫌だったからサボった」は、正当な理由としてみなされない。
「できれば貢献したいですよ。わたしだって、みんなの足を引っ張りたいわけじゃないんです」
小さな声で、成海はこぼす。
「だって、走順を考えたのは、篠原くんなんですよ?」
成海が口にした言葉が意外で、悠真は面食らってまじまじと成海を見た。まさか成海が、逃げ出さずに走ることを選択するとは思わなかったからだ。
悠真が思っていた津田成海は、無能で、根性無しで、最初から何事も簡単に諦めるような弱い人間だと思っていたからだ。
成海の、ささやかな意地のようなものに気付いて、悠真は何と答えたらいいのかわからずに、結局、何も返す言葉が出なかった。
体育祭のプログラムによると、最初の種目は1年生による大玉転がしだ。悠真は、青色の鉢巻を首に下げ、観覧席で日下たちと座っていた。
「あっちぃー!! なんでこんな暑い中、体育祭やんなきゃいけねぇんだよ。もっと涼しくなってからやれよー」
悠真の後ろの席で、小林が呻いている。残暑はまだ続き、今日の気温は27度。午後からは最高29度にまで上る予報だ。10月とは言え、気温だけみればほぼ夏日。一応、簡易的な屋根が設けられていると言っても、地面から立ち上る熱気が足元からのぼる。日下も、下敷きで自身の顔に風を送りながら、まぁまぁと小林をなだめた。
「今年最後の体育祭なんだし、楽しくやろうぜ。今年の青組は期待されてんだしさ」
青組が期待されているというのは本当の話しで、なんせ3年2組には、体力テストでトップの成績を誇る、新島悠真と篠原咲乃が揃っている。英至中学体育祭の目玉である3年生のクラス対抗リレーは、ふたりの活躍に期待を寄せる生徒も多いのだ。
「問題は、4組だな。あそこ、神谷いるだろ。あいつ、今年もまた変な作戦立ててるらしい」
「マジ? 毎年毎年、懲りずにやるねぇ~」
悠真は、中川たちが話しているのをぼんやり聞きながら、やる気もなく1年生の競技を眺めていた。3年生のクラス対抗リレーは最終種目だ。それまで随分と時間がある。選択種目である200メートル走も午後からの部だ。午前中の部は観ているだけになる。
暇だ。
「今日は沙織休んでるらしいよ」
悠真の横から、日下が耳うちした。
「あいつ、ここんところ休んでばっかだけど、大丈夫かな」
友人として心配しているのだろう、日下が不安そうに漏らすと、悠真はどうでもよさそうに肩をすくめた。
「ほっとけよ。本人の問題なんだし」
「そうなんだけど」
日下の言葉は、それ以降は続かなかった。劣勢だった青組が追い上げてきたのだ。青組の席から歓声が上がる中、悠真は冷めた目でその光景を眺めていた。
沙織とは、あの日以降一度も会っていない。LINEもインスタも全てブロックしてあるし、終わった恋愛のことをいつまでも言われ続けるのは面倒臭かった。
「いくら振ったからって、冷たすぎねぇか? 別れるならもう少し、本人を納得させる言い方とかあっただろ」
歓声が収まったところで、日下が改めて続けた。日下は仲間を大事にするから、彼らしいと言えばそうなのだが、正直、今の悠真にとっては余計な世話だ。
「今更、何言っても納得しないよ。別れること自体あり得ないと思ってるから」
沙織のことは、悠真が一番知っている。彼女の厄介な部分を、より一番に。
悠真が気怠く言い返すと、日下は諦めたように、それ以上は何も言い返して来なかった。
おっとりとした目尻に黒目の大きな瞳と、たっぷりとした唇、つややかな白い肌、女子の平均身長よりも高い長身に、豊満な胸や腰つき。その、優れた容姿と、物事を白黒に分けるはっきりとした思考や物言いは、女子たちに畏怖や畏敬を抱かせるには十分な存在だった。クラスでは常に女子グループのリーダーで、何事もコントロールしないと気が済まない。彼女は常に、退屈と、それに対する鬱憤や不満を抱いていて、自分より下だと判断した人間を嘲笑うことで、退屈を紛らわせていた。
男の前で自分がどうふるまえば魅力に映るかを心得ており、悠真はそれにまんまと嵌ったわけだが、それ以上に悠真と沙織は、似ているものが多かった。
それは、自分の世界から、気に入らない人間を徹底的に排除したいという欲求だ。自分と価値観の合わない人間を厭うがための。しかし、今の悠真には、かつて沙織と共感しあっていたものに縋りつくほどの熱量はない。
咲乃に敗北してから、まるで空気が抜けたように何も感じなくなってしまった。本当に、自分の中身がすっからかんになってしまったのだ。不思議なことに、あんなに悠真を煩わせていた胸の奥の不快なざわつきも、肩にのしかかっていた重みも、同じように消え去っていた。
今なら素直に受け入れられる。自分こそが空っぽだったと。空っぽな人間が縋り付く価値観など、所詮はハリボテでしかない。
自分の中に何もなくなると、冷静にものごとを客観視できるようになる。今の悠真からみた沙織は、ハリボテそのものだ。外側だけキラキラ取り繕って中身がない。自分の狭い価値観が世界の真理だと信じている。学校と言う、小さな社会で築いた、小山程度しかない頂点にしがみつき、地位が脅かされることに怯えている。知性も品性もない愚かなハリボテだ。
今、悠真が沙織を見ても何の感情も湧かない。魅力に感じていた容姿にさえも動かされるものはなくなっていた。その時に改めて、実はとっくの昔に、沙織には冷めていたのだと気付いたのだ。
だから、今更沙織に何を言ったとしても、今の悠真の気持を、沙織は理解できないだろう。
赤組の観覧席がわぁっと沸いた。1年生の大玉転がしは、赤組が勝ったらしい。
悠真の目が、ふと咲乃の席に移る。体育祭が始まったばかりだというのに、咲乃の席は空いていた。
プログラムにミスがあったとか何とかで、体育祭実行員のヘルプに行っているらしい。学級委員の仕事からは明らかに外れているし、本来ならば断っても問題はないはずなのだが、また面倒事をひきうけたのだ。悠真は呆れて、一人ため息をついた。
*
午前中のプログラムは滞りなく進み、昼休憩に入った。
悠真が昼食を終えると、成海の姿がないことに気付いて、あわてて周囲を見渡した。安藤は、昼食を食べ終えたばかりらしく、西田達と教室の隅で喋っている。
急いで成海にLINEの通話をかける。スマホを耳にあてたまま悠真が教室を出て、廊下を走っていると、丁度女子トイレから出てくる成海と鉢合わせた。
「なにやってんの、お前」
沙織が休んでいると言っても、沙織の取り巻きに何をされるかわからない。安全とは言えない状況で、あれほど勝手にいなくなるなと言っているのに、成海の危機感のない振る舞いに悠真は腹が立った。
成海は、悪いと思っているのか、はたまた悠真を怖がっているためか、顔を青くしながら「すみません」と小さな声で謝った。
「ちょっと、お腹の調子が……」
具合が悪そうに答える成海に、悠真は目を細めた。そう言えば、朝から元気がなかったことを思い出す。
「体調悪いの?」
悠真が尋ねると、成海は青ざめた顔で「いや、そこまででは、ない、です」と口ごもった。
「まさか、緊張してる?」
たかが体育祭で?
信じられない気持ちで悠真が問うと、成海は言いにくそうに「まぁ……はい」と答える。相変わらずもごもごした、どん臭い返答に、悠真は苛立ちを隠さずに、ため息を吐いた。
「ムカデ競争はもう終わってるし、あんたが出るのって、後はリレーだけでしょ。何、プレッシャー感じてんだよ」
「……自分の足の遅さを、学校全体に晒すんだと思ったら……なんだか恥ずかしくなってきちゃって……。青組の足も引っ張っちゃうし……それが本当に嫌で……」
このデブは、人の神経を逆なでする天才だと思う。悠真はイライラして、大きく舌打ちした。
「最初から、だれもあんたに期待してない。自意識過剰すぎなんだよ、死ねブス!」
思わず、直接的な暴言が口から飛び出してしまった。言い過ぎたと思った瞬間、案の定、成海の口元が、わなわなと震えている。
「いくら何でも、死ねブスは言いすぎじゃないですか!?」
珍しく成海が言い返してきて、悠真はさらに暴言を吐いた。
「ブスはブスだろ、うぜぇな。走りたくないなら勝手に帰れよ。そんなんだからいじめられんだろ!」
「いじめを正当化する理由に使わないでください! 悪口、暴言、絶対ダメ!」
これではまるで、子供同士の喧嘩だ。しばらく悠真と成海は互いににらみ合った後、急にバカバカしくなったのか、成海はため息をついた。
「帰りたいのはやまやまですけど、ここで帰ったらみんなに迷惑かかるじゃないですか」
自分が足手まといだから帰っていいなんて、思っていない。自分が抜ければ、その代わりに誰かが2回走らなければならないのだ。たとえ、走ることが得意な誰かが代走して、結果勝ったとしても、クラスメイトの心証はよくならないはず。学校と言う小さな社会では、「嫌だったからサボった」は、正当な理由としてみなされない。
「できれば貢献したいですよ。わたしだって、みんなの足を引っ張りたいわけじゃないんです」
小さな声で、成海はこぼす。
「だって、走順を考えたのは、篠原くんなんですよ?」
成海が口にした言葉が意外で、悠真は面食らってまじまじと成海を見た。まさか成海が、逃げ出さずに走ることを選択するとは思わなかったからだ。
悠真が思っていた津田成海は、無能で、根性無しで、最初から何事も簡単に諦めるような弱い人間だと思っていたからだ。
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