大いなる神秘の鍵

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第1部 宗教の神秘

第1部 第1条 数11

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第1部 第1条 数11

 数11

 数11は、(勇気といった)心の力の数である。
 数11は、戦いの数である。
 数11は、殉教の数である。
 理想のために死んだ人は、全て、殉教者である。
 なぜなら、理想のために死んだ人の心中では、精神の向上が、動物的人間としての恐怖に勝利していた。
 戦いの中で倒れて死んだ人は、全て、殉教者である。
 なぜなら、(他者のための)戦いの中で死んだ人は、他者のために死んだのである。
 餓死した人は、全て、殉教者である。
 なぜなら、餓死した人は、生きるという戦いの中で、打ち倒されて死んだ戦士の様な者である。
 (生きるとは、戦いである。)
 権利を守るために死んだ人は、義務の犠牲者と同じくらい、献身によって、神聖である。
 権力に対する大いなる戦いや革命では、双方で等しく、殉教者達が倒れて死んでいる。
 権利は、義務の基礎である。
 人の義務とは、人の権利を守る事である。
 何が罪と成るのか?
 権利の誇張は罪に成る。
 殺しと盗みは、社会への否定と成る。
 殺しと盗みは、王位を奪って自分勝手に戦う個人による孤立した独裁である。
 疑い無く、罪は抑制されるべきである。
 社会は自己防衛する必要が有る。
 しかし、他者を処罰する権利が有ると過分に主張できるほど、正しい大いなる清らかな人は存在するか? いいえ!
 それゆえ、戦いの中で倒れて死んだ全ての人に、安らかな眠りを!
 不法な争いの中で死んだ全ての人にさえ、安らかな眠りを!
 なぜなら、戦いや争いの中で死んだ全ての人は、自分の首、自分の命を賭けて亡くなったのである。
 戦いや争いの中で死んだ全ての人は既に自分の命を支払っている。
 だから、戦いや争いの中で死んだ全ての人に、これ以上、何を求める事ができようか? いいえ! できない!
 勇気を奮って忠義を尽くして戦った全ての人に、敬意を!
 裏切者と臆病者は本当に恥を知りなさい!
 ルカによる福音23章とマタイによる福音27章で、イエス キリストは2人の盗人の間で死んで、悔い改めていた方の盗人をイエス自身と共に天に連れて行った。
 マタイによる福音11章12節で、イエスは「天の王国は激しい力を受容する。激しい力が天の王国を勝ち取るであろう」と話している。
 神は、神の全能の力を、思いやりに与えてくれる。
 神は、憎悪に勝利する事を好む。
 ただし、ヨハネの黙示録3章16節で、神、人に成った神イエスは、生ぬるい人を口から吐き出す(様に、神の心で出来ている神の王国に受け入れない)、と話している。
 人の義務とは、仮に、ほんの一瞬の間だけでも、正しく人生を生きる事である!
 一日間だけでも、一時間だけでも、王位に在る事、正しく人生を生きる事は、優れている!
 たとえ、仮に、「ダモクレスの剣」の下でも、アッシリアの最後の王サルダナパールの燃やされた宮殿の上でも、正しく人生を生きる事は、優れている!
 しかし、正しく人生を生きる事よりも、「私は、マタイによる福音5章3節の『心において貧しい人達』の王である事を望む。私の王座は、イエスが十字架にはりつけにされて人の身代わりに成って人を救ったゴルゴタの丘である事を望む」と話して、俗世の全ての頂点の権力をイエスの足下にも及ばないと見る事は優れている。
 他者を救うために死んだ人は、他者を殺す人よりも、強い者である。
 孤立した罪も、孤立した罪のつぐないも、存在しない。
 (
 全てのものは芋づる式に繋がっている。
 存在は全てである。
 )
 (自分の中だけで完結する)個人だけの徳も、無駄に成る献身も、存在しない。
 欠点が有る全ての人は、全ての悪の共犯者と成る。
 (
 欠点が無い人は存在しない。
マタイによる福音19章17節「完全に善い者は神だけである」
 )
 完全に邪悪ではない人は、全ての善い事に参加できる。
 そのため、常に、苦しみは、人道的な、人としての正しい道にかなった、罪のつぐないと成る。
 断頭台の上で切り落とされた全ての頭を、殉教者の頭として、たたえても良い。
 また、そのため、最も気高く最も神聖な殉教者は、自分自身の良心に問いかけ、受けようとしている罰に相応しい罪を自身に見つけ、自分を討つ用意が出来ている剣を敬って、「正義が行われます様に!」と言う事ができた。
 ローマの地下墓所カタコンベの清らかな犠牲者であるキリスト教徒よ!
 キリスト教徒に相応しくない似非信者が虐殺したヘブライ人とプロテスタントよ!
 ラベイとレ カルムの祭司達よ!
 フランス革命時のジャコバン派の「恐怖政治」の犠牲者達よ!
 殺されたフランスの王党派達よ!
 犠牲に成る順番が来てしまった革命家達よ!
 自分の骨をこの世に散らした、大いなる軍の戦士達よ!
 処刑された全ての人達よ!
 労働者達よ!
 闘士達よ!
 各種の勇者達よ!
 主神ゼウスの雷もワシも恐れなかったプロメテウスの勇気ある子孫達よ!
 散った、あなたたちの遺灰に、あらゆる栄光を!
 あなたたちの思い出に、安らかな眠りと敬意を!
 あなたたちは、(人の)進歩における英雄である!
 あなたたちは、人性の殉教者である!
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