大いなる神秘の鍵

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第1部 宗教の神秘

第1部 第1条 数15

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第1部 第1条 数15

 数15

 数15は、対立の数である。
 数15は、普遍性の数である。
 現在、キリスト教は、2つの教会に分けられている。
 文明的なカトリック教会と、(質素過ぎる粗野な建物である教会に、冷淡な事務員の様な粗野な服装の聖職者といった、)粗野なプロテスタント。
 進歩的なカトリック教会と、停滞的なプロテスタント。
 自発的なカトリック教会と、受容的なプロテスタント。
 カトリック教会は、諸国を、統治したし、常に統治している。
 なぜなら、権力者は、カトリック教会を畏敬している。
 プロテスタントは、全ての独裁に従った。
 プロテスタントは、(過去のイギリスなどでの独裁が、)キリスト教を奴隷にするための手段でしかない。
 自発的なカトリック教会は、人にとっての神、人のための神を理解している。
 カトリック教会だけが、(思いやりといった、)神の神性の解説者としての、人に成った神の言葉イエスの神性を信じている。
 結局、法王の絶対性とは、信心による普遍の決議が認めた、知による独裁、以外の何物であろうか? 法王の絶対性とは、信心による普遍の決議が認めた、知による独裁である!
 法王の絶対性について、人は、「当代随一の天才が法王に成るべきである」と言うかもしれない。
 どうして、天才が法王に成るべきであろうか? いいえ! 法王が天才である必要は無い!
 実は、「標準的な人が法王に成るべきである」。
 実は、「標準的な人が法王に成る」方が、より相応しい。
 「標準的な人が法王に成る」事で、法王の無上性は、より神聖に成るばかりである。
 なぜなら、「標準的な人が法王に成る」事で、法王の無上性は、ある意味、より人的に成る。
 「標準的な人が法王に成るべきである」事を、敵意や不信心な無知よりも、諸々の出来事が大きな声で物語ってはいないか? はい! 「標準的な人が法王に成るべきである」事を、敵意や不信心な無知よりも、諸々の出来事が大きな声で物語っている!
 カトリック教国のフランスが、よろめく歴代の法王を一方の手で支え、他方の手で進歩という軍団の先頭に立って戦うための剣を持っているのが見えないのか?
 カトリック、ユダヤ教徒、トルコのイスラム教徒、プロテスタントは、すでに同じ旗印の下で戦った。
 ヨーロッパをモデルにした改革後の1844年から1923年までのオスマントルコの新月旗は、カトリックやプロテスタントなどのラテン十字の元に集まった事が有る。
 カトリック、ユダヤ教徒、トルコのイスラム教徒、プロテスタントは、共に、ロシアといった、外国の侵略と外国の動物的に成ってしまった正統な教えの侵略に対して戦った。
 カトリック、ユダヤ教徒、トルコのイスラム教徒、プロテスタントが共に戦った事は、永遠の既成事実である。
 使徒ペトロの椅子に座る法王は、粛々と、新しい考えを認めて、カトリックは進歩的である、と公言した事が有る。
 カトリックのキリスト教の祖国は、知の祖国であり、美術や芸術の祖国である。
 福音の永遠の神の言葉イエス、目に見える証拠によって、生きている、人に成った神イエスは、未だに、世界の人々の光である。
 新しいユダヤ教の似非信者よ、黙りなさい!
 諸学派の憎むべき口伝よ、黙りなさい!
 プロテスタントの一派である長老派教会の傲慢よ、黙りなさい!
 ジャンセニスムの非論理よ、黙りなさい!
 ヴォルテールの酷い知識が正に多大な汚名を着せた、キリスト教の永遠の教えについての、恥ずべき迷信的な全ての誤った解釈よ、黙りなさい!
 ヴォルテールとナポレオンは、カトリックとして死んだ。
 未来のカトリックの教えが、どうあるべきか知っているか?
 未来のカトリックの教えは、ヴォルテールの批判の酸で試された黄金の様な、キリスト教徒のナポレオンの精神が世界という(神の)王国で実現した、福音の教えに成るであろう。
 諸々の出来事は、進む意思が無い人を、引きずって行くか、踏みにじるであろう。
 再び、無数の不運が世界を覆うかもしれない。
 多分、いつの日か、ヨハネの黙示録の軍団が、4人のこらしめるもの、ヨハネの黙示録9章14節の4人の神の使者を解放するかもしれない。
 聖所は清められるであろう。
 厳しい神聖な清貧が、よろめく人を支えるために、打ち倒されたものを建て直すために、神聖な油オリーブオイルを全ての傷に塗油して癒すために、使徒を派遣するであろう。
 独裁と無政府主義という2つの血に飢えた奇形は、少しの間だけ互いに取っ組み合って支え合った後で、互いをぼろぼろに裂き合って滅ぼし合うであろう。
 未来の政府は、自然において家庭が人に見せる理想の政府、宗教界において法王という羊飼いの位階制が見せる理想の政府に成るであろう。
 ヨハネの黙示録20章といった使徒の口伝には、神に選ばれた人が千年間イエス キリストと共に統治する、と記されている。
 言い換えると、一連の何世紀もの間、神に選ばれた人は、知と思いやりを権力という重荷にささげて、普遍の家族である世界の人々の利益と富を統治するであろう。
 神に選ばれた人が千年間イエス キリストと共に統治する時、ヨハネによる福音10章16節の約束によると、唯一の羊の群れ(キリスト教会)と唯一の羊飼い(イエス)だけに成るであろう。
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