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第1部 宗教の神秘
第1部 第1条 数14
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第1部 第1条 数14
数14
数14は、融合の数である。
数14は、共同の数である。
数14は、普遍の統一の数である。
大いなる神秘の鍵 第1部 第1条 数14では、タロットの14ページ目に描かれている天使、神の聖霊の名前において、最も古い最も神聖な民族ヘブライ人から最初に訴えかけて行って、エリファス レヴィは諸民族や諸国民に訴えかけて行くつもりである。
ヘブライ人よ、イスラエルの子孫よ、なぜ、諸民族や諸国民が運動している最中、不動で、祖先の墓守に留まっているのか?
ヘブライ人の祖先は、ここにはいない。
ヘブライ人の祖先は墓にはいない。
ヘブライ人の祖先は復活している。
(マタイによる福音28章6節「天使は『イエスは、ここにはいない。イエスは、墓にはいない。イエスは、復活している』と話した」)
なぜなら、マタイによる福音22章32節「アブラハム、イサク、ヤコブの神は、死んだ人の神ではない(。肉体の死後も、魂が、精神が、生きている人の神である)」。
なぜ、いつまでも、ヘブライ人は、「割礼」という血の印を子に短剣で刻むのか?
もう神はヘブライ人が他の人々から離れている事を望まない。
ヘブライ人よ、キリスト教徒の兄と成りなさい。
ヘブライ人よ、キリスト教徒と共に、決して血が汚さない祭壇の上の、平和という、イエスの聖体のパンを食べなさい。
モーセの律法は成就されている。
(マタイによる福音5章17節「私イエスは律法を成就するために降臨した」)
ヘブライ人よ、諸々の聖書を読み、全てのヘブライ人の預言者がヘブライ人に正に話していた様に、「ヘブライ人は盲目で頑固な民族であった」と理解しなさい。
ただし、ヘブライ人は、勇気が有る民族、戦いを耐えてきた民族である。
ヘブライ人よ、イスラエルの子孫よ、神の子に成りなさい。
ヘブライ人よ、理解して、思いやりなさい!
神は、殺人の罪というカインの烙印をヘブライ人の額から消し去った。
もう、キリスト教徒は、ヘブライ人が、そばを通るのを見て、「ヘブライ人が通るぞ!」と(馬鹿にして)言わないであろう。
キリスト教徒は、「キリスト教徒の同胞であり、信心におけるキリスト教徒の兄である、ヘブライ人のために場所を空けなさい!」と叫ぶであろう。
毎年、新しいエルサレムで、キリスト教徒は、ヘブライ人と共に、過越祭としてイエスの聖体のパンを食べるであろう。
キリスト教徒は、ヘブライ人の、(唯一の男性神との一体化という、)つる植物ぶどうの木と、(自身の創造という)無花果の木の下で一休みするであろう。
なぜなら、旅人アブラハムとアブラハムの所を旅人に変身して訪れた天使達、外典のトビト記のトビアスと共に旅した天使ラファエルを忘れないために、再び、ヘブライ人は、旅人を受け入れ、迎え入れる、旅人の友に成るであろう。
また、マタイによる福音18章5節で「私イエスの小さい者達のうち最も小さい者を1人でも受け入れ、迎え入れた人は、私イエスを受け入れ、迎え入れた事に成る」と話しているイエスを忘れないために、ヘブライ人は、旅人を受け入れ、迎え入れる、旅人の友に成るであろう。
そのため、もう、ヘブライ人は、家の中で、心の中で、ヘブライ人が異教徒に売ってしまった弟ヨセフに例えられるイエスの保護を拒まないであろう。
なぜなら、飢饉の時にヘブライ人がパンを探したエジプトで、弟ヨセフに例えられるイエスは、強い者に成った。
(マタイによる福音2章で天使は幼子イエスをエジプトに避難させた。)
弟ヨセフは、父ヤコブと弟ベニヤミンを覚えていた。
弟ヨセフに例えられるイエスは、ヘブライ人である兄、ヘブライ人である兄の嫉妬を許した。
弟ヨセフに例えられるイエスは、涙を流しながら、ヘブライ人である兄を抱きしめた。
イスラム教徒よ、熱狂的な信者の子孫よ、イスラム教徒と共にキリスト教徒は「神の他に神は無し! ムハンマドは神の預言者である(と言える)!」と「シャハーダ」というイスラム教の信仰告白を歌うであろう。
ヘブライ人よ、イスラエルの子孫よ、「神の他に神は無し! モーセは神の預言者である!」と話しなさい。
キリスト教徒よ、「神の他に神は無し! (人に成った神)イエス キリストは神の預言者である(と言える)!」と話しなさい。
ムハンマドはモーセの影である。
モーセはイエスの先駆者、前触れである。
預言者とは、何者なのか?
預言者とは、神を探求する人の代表である。
(神についての人の考えが誤っていても、)神の概念は神の概念である。
人は、他人に神を信じさせた時、神の預言者と成る(と言える)。
ユダヤ教の旧約聖書、イスラム教の聖書クルアーン、キリスト教の福音書は、同一の聖書の3つの異なる解釈である(と言えるかもしれない)。
法は唯一である、のと同じく、(創造主である男性)神は唯一である。
おおっ! イスラム教の理想の女性である、永遠に処女に戻る天女フーリーよ!
おおっ! 神に選ばれた人への報いである、永遠に処女に戻る天女フーリーよ!
永遠に処女に戻る天女フーリーは、聖母マリアよりも美しいのか?
おおっ! 聖母マリアよ! 東の娘よ! 清らかな愛の様な純潔、貞淑よ! 母性による願いの様に大いなる者よ! 降臨して、楽園の神秘と美の秘密を、イスラム教徒の子孫に教えてください!
聖母マリアよ! イスラム教徒の子孫を、新しい縁組みの祭に招いてください!
新しい縁組みの祭では、宝石で輝いている3つの王座の上に、3人の預言者が座るであろう。
イスラム教がかたる「トゥーバの木」は、反らせた湾曲させた枝で、天のテーブルとして、上段を作るであろう。
(
アラビア語で「トゥーバ」は「神の至福」を意味する。
「Tuba-Tree」、「トゥーバの木」はイスラム教がかたる天国の木である。
)
花嫁(である教会)は、月の様に白く、朝の微笑の様に赤い。
全ての民族や国民は、花嫁(である教会)を見るために、押し進むであろう。
もう、全ての民族や国民は、イスラム教がかたるカミソリの刃の様な狭い天国への架け橋である「シラートの橋」を渡る事を恐れないであろう。
なぜなら、イスラム教がかたるカミソリの刃の様な狭い天国への架け橋である「シラートの橋」の上で、救い主イエスは、橋の上をよろけて進む人々のために十字架を広げ、橋の上をよろけて進む人々へ手を伸ばすために、降臨するであろう。
花嫁(である教会)は、橋から落ちてしまった人々のために香るヴェールを広げ、橋から落ちてしまった人々を引き寄せるであろう。
おおっ! 人よ! 拍手して、愛の最終的な勝利をたたえなさい!
死だけが死んだままに成るであろう!
地獄だけが滅ぼされるであろう!
おおっ! ヨーロッパの国々よ! 東はヨーロッパの国々に手を差し伸べている! 一致協力して、北の熊を押し戻しなさい!
(高等魔術の祭儀17章「ガファレルは『古代人が悪の前兆の象徴の全てを天空の北の領域に配置したのには意味が有る』と話している。全ての時代の、不運は、北から来て、南に侵入して、地上に広まる」、「熊、蛇といった動物は、暴虐、強奪、全ての迫害の象徴である」)
最後の戦いは、知と思いやりの勝利をもたらす!
商業、貿易といった交流は、世界の人々の腕を組ませ合う!
新しい文明が、武装した福音から湧き起る!
イエスという同じ唯一の羊飼いの杖の下で、地の全キリスト教徒は、一致協力しなさい!
前記が、進歩が獲得するものであろう。
前記が、世界の人々の運動全体が人々を押し進めて行く先の目標である。
進歩は運動である。
運動は命である。
(「生きる」とは、「進歩する」、「向上する」という事である。)
進歩の否定は、死の肯定であり、死の神格化である。
(「進歩しない」、「向上しない」とは「死んでいる」という事である。)
「悪の存在」がもたらす嫌悪に、論理がもたらす事ができる唯一の応えが、進歩である。
(「悪の存在」という疑問への答えの鍵は「進歩」である。)
全てのものが良いわけではない。
しかし、いつか、全てのものは良く成るであろう。
神は、業を始め、いつか業を終える。
進歩無しでは、悪は、神の様に不変に成ってしまうであろう。
進歩は、(逆方向の進歩である、)堕落が存在している理由を説明する。
進歩は、「哀歌」で地上のエルサレムの破壊を悲しんだ預言者エレミヤを慰める。
諸国は、人々の様に、互いの跡を受け継いで行く。
(神以外に、)不変なものは存在しない。
なぜなら、(神以外の、)全てのものは、完成へ向けて進んで行く。
大いなる人は、死ぬが、死ぬまでの行為の結果を祖国に残す。
大いなる国は、地上から消え去って、歴史の謎を教える星に変わる。
行為によって記された物は、(神の)永遠の書に記されて存在し続ける。
行為によって記された物は、1ページとして、人類の聖書に加えられる。
(ルソーの様に)「文明は悪である」と言うなかれ。
なぜなら、文明は、収穫を実らせる湿った熱気に似ている。
文明は、命の原理と死の原理を速やかに実現させる。
文明は、殺したり、命を与えたりする。
文明は、正しい人と悪人を選び分ける審判の天使に似ている。
文明は、正しい人を光の天使に変える。
文明は、利己的な悪人を動物的人間以下に堕落させる。
文明は、肉体を堕落させるが、(善の知によって、正しい人の)精神を解放する。
創世記6章の巨人に例えられる肉欲の奴隷である不信心な世界の人々の文明は、(反面教師として、)創世記5章のエノクの魂を天に至るまで高めた。
古代ギリシャの酒神バッカスを信じる人々の文明は、(反面教師として、)超越させる形で、オルフェウスの調和した精神を高めた。
ソクラテスとピタゴラス、プラトンとアリストテレスは、古代の世界の全ての向上と全ての栄光を弁明して要約している。
ホメロスの例え話は、歴史よりも正しいまま存在し続ける。
ローマの偉大さを現代まで伝えている物は、アウグストゥスの紀元前1世紀がもたらしたウェルギリウスの不滅の作品しか無い。
そのため、多分、ウェルギリウスをもたらすためにだけ、ローマは世界を戦いで揺るがした。
キリスト教は、東の全ての賢者の熟考の結果である。
東の全ての賢者は、イエス キリストの中で(魂が)再び生きている。
東の全ての賢者の考えは、イエス キリストのキリスト教の中で(精神が)再び生きている。
世界の太陽が昇っている場所に、精神の光は昇っている。
イエス キリストは西を圧倒した。
東の小アジアの太陽の優しい光線は、北の氷柱を照らした。
キリスト教という未知の熱に目覚めさせられて、蟻の群れの様な、新しい人々は、ぼろぼろであった世界に広がった。
死んだ人々の魂は、若返った人々を照らして、若返った人々の中の、命の精神を増やした。
世界には、「率直」を意味する「frankness」と「自由」を意味する「freedom」を自称する一国の国民が存在する。
なぜなら、「率直」を意味する「frankness」と「自由」を意味する「freedom」という2つの言葉は、「France」、「フランス」という名前、言葉と意味が同じである。
常に、フランスは、ある意味、法王よりもカトリックであり、ルターよりもプロテスタントであった。
十字軍のフランス、恋や騎士道物語を歌った11世紀のトルバドゥールや12世紀のトルヴェールといった吟遊詩人のフランス、カール大帝などを歌った武勲詩のフランス、ラブレーのフランスやヴォルテールのフランス、神学者ボシュエのフランスや哲学者パスカルのフランス、フランスという国家は、全ての人々の統合体である。
フランスは、論理と信心の結合を神聖化している国家である。
フランスは、革命と権力の結合を神聖化している国家である。
フランスは、最も気高い、人の気高さと、最も思いやり深い信心の結合を神聖化している国家である。
フランスが、どのように進むか、どのように揺れて変わるか、どのように戦うか、どのように大いなる国家へと成長するか、見なさい!
時に騙され傷つけられても、決して落胆せずに、勝利に夢中に成って、逆境でも勇気を持って行動して、フランスは、笑い、歌い、死んで、(精神の)不死を信じる事を世界の人々に教える。
ナポレオンの親衛隊は降伏せず死にもしない!
ナポレオンの親衛隊が降伏せず死にもしない証拠は、いつの日かナポレオンの親衛隊に成るつもりであるフランスの子孫の熱狂である!
もう、ナポレオンは、人ではない。
ナポレオンは、正に、フランスの精神である。
ナポレオンという、フランスの精神は、世界の人々の第2の救い主である。
フランスの精神であるナポレオンは、象徴として、十字の聖ルイ勲章を要約している五芒星のレジオンドヌール勲章を使徒である騎士に与えた。
ナポレオンが死んだセントヘレナ島と、イエスが死んだゴルゴタの丘は、新しい文明の2つの灯台である。
ナポレオンが死んだセントヘレナ島と、イエスが死んだゴルゴタの丘は、最後の大洪水の虹が作って、古代と現代という2つの世界の間に架ける、巨大な橋の2つの基礎の杭である。
栄光の無い過去が大いなる未来をとらえて飲み込んでしまうと信じられてしまうのか?
いつの日か、タタール人による刺激が、フランスの栄光の約束、神と人の自由の約束を引き裂くと信じられてしまうのか?
前記を信じてしまうくらいなら、「再び、幼子に成って母の胎内に入りたい!」と言っている方が、まだましであろうに!
神の言葉は、「進み続けなさい! 進み続けなさい!」と「さまよえるユダヤ人」に言った。
世界の運命を操る神は、「進みなさい! 進みなさい!」とフランスに叫んでいる。
人は、どこへ進むのか?
多分、人は、未知という底無しの淵へ進む。
(人は、未知という底無しの淵へ進んでも、)構わない!
しかし、人は、過去へは、忘却という墓地へは、ぼろぼろに幼子の時に自ら裂いた産着へは、最初の時代の愚かさへは……、決して、決して、進まない!
数14
数14は、融合の数である。
数14は、共同の数である。
数14は、普遍の統一の数である。
大いなる神秘の鍵 第1部 第1条 数14では、タロットの14ページ目に描かれている天使、神の聖霊の名前において、最も古い最も神聖な民族ヘブライ人から最初に訴えかけて行って、エリファス レヴィは諸民族や諸国民に訴えかけて行くつもりである。
ヘブライ人よ、イスラエルの子孫よ、なぜ、諸民族や諸国民が運動している最中、不動で、祖先の墓守に留まっているのか?
ヘブライ人の祖先は、ここにはいない。
ヘブライ人の祖先は墓にはいない。
ヘブライ人の祖先は復活している。
(マタイによる福音28章6節「天使は『イエスは、ここにはいない。イエスは、墓にはいない。イエスは、復活している』と話した」)
なぜなら、マタイによる福音22章32節「アブラハム、イサク、ヤコブの神は、死んだ人の神ではない(。肉体の死後も、魂が、精神が、生きている人の神である)」。
なぜ、いつまでも、ヘブライ人は、「割礼」という血の印を子に短剣で刻むのか?
もう神はヘブライ人が他の人々から離れている事を望まない。
ヘブライ人よ、キリスト教徒の兄と成りなさい。
ヘブライ人よ、キリスト教徒と共に、決して血が汚さない祭壇の上の、平和という、イエスの聖体のパンを食べなさい。
モーセの律法は成就されている。
(マタイによる福音5章17節「私イエスは律法を成就するために降臨した」)
ヘブライ人よ、諸々の聖書を読み、全てのヘブライ人の預言者がヘブライ人に正に話していた様に、「ヘブライ人は盲目で頑固な民族であった」と理解しなさい。
ただし、ヘブライ人は、勇気が有る民族、戦いを耐えてきた民族である。
ヘブライ人よ、イスラエルの子孫よ、神の子に成りなさい。
ヘブライ人よ、理解して、思いやりなさい!
神は、殺人の罪というカインの烙印をヘブライ人の額から消し去った。
もう、キリスト教徒は、ヘブライ人が、そばを通るのを見て、「ヘブライ人が通るぞ!」と(馬鹿にして)言わないであろう。
キリスト教徒は、「キリスト教徒の同胞であり、信心におけるキリスト教徒の兄である、ヘブライ人のために場所を空けなさい!」と叫ぶであろう。
毎年、新しいエルサレムで、キリスト教徒は、ヘブライ人と共に、過越祭としてイエスの聖体のパンを食べるであろう。
キリスト教徒は、ヘブライ人の、(唯一の男性神との一体化という、)つる植物ぶどうの木と、(自身の創造という)無花果の木の下で一休みするであろう。
なぜなら、旅人アブラハムとアブラハムの所を旅人に変身して訪れた天使達、外典のトビト記のトビアスと共に旅した天使ラファエルを忘れないために、再び、ヘブライ人は、旅人を受け入れ、迎え入れる、旅人の友に成るであろう。
また、マタイによる福音18章5節で「私イエスの小さい者達のうち最も小さい者を1人でも受け入れ、迎え入れた人は、私イエスを受け入れ、迎え入れた事に成る」と話しているイエスを忘れないために、ヘブライ人は、旅人を受け入れ、迎え入れる、旅人の友に成るであろう。
そのため、もう、ヘブライ人は、家の中で、心の中で、ヘブライ人が異教徒に売ってしまった弟ヨセフに例えられるイエスの保護を拒まないであろう。
なぜなら、飢饉の時にヘブライ人がパンを探したエジプトで、弟ヨセフに例えられるイエスは、強い者に成った。
(マタイによる福音2章で天使は幼子イエスをエジプトに避難させた。)
弟ヨセフは、父ヤコブと弟ベニヤミンを覚えていた。
弟ヨセフに例えられるイエスは、ヘブライ人である兄、ヘブライ人である兄の嫉妬を許した。
弟ヨセフに例えられるイエスは、涙を流しながら、ヘブライ人である兄を抱きしめた。
イスラム教徒よ、熱狂的な信者の子孫よ、イスラム教徒と共にキリスト教徒は「神の他に神は無し! ムハンマドは神の預言者である(と言える)!」と「シャハーダ」というイスラム教の信仰告白を歌うであろう。
ヘブライ人よ、イスラエルの子孫よ、「神の他に神は無し! モーセは神の預言者である!」と話しなさい。
キリスト教徒よ、「神の他に神は無し! (人に成った神)イエス キリストは神の預言者である(と言える)!」と話しなさい。
ムハンマドはモーセの影である。
モーセはイエスの先駆者、前触れである。
預言者とは、何者なのか?
預言者とは、神を探求する人の代表である。
(神についての人の考えが誤っていても、)神の概念は神の概念である。
人は、他人に神を信じさせた時、神の預言者と成る(と言える)。
ユダヤ教の旧約聖書、イスラム教の聖書クルアーン、キリスト教の福音書は、同一の聖書の3つの異なる解釈である(と言えるかもしれない)。
法は唯一である、のと同じく、(創造主である男性)神は唯一である。
おおっ! イスラム教の理想の女性である、永遠に処女に戻る天女フーリーよ!
おおっ! 神に選ばれた人への報いである、永遠に処女に戻る天女フーリーよ!
永遠に処女に戻る天女フーリーは、聖母マリアよりも美しいのか?
おおっ! 聖母マリアよ! 東の娘よ! 清らかな愛の様な純潔、貞淑よ! 母性による願いの様に大いなる者よ! 降臨して、楽園の神秘と美の秘密を、イスラム教徒の子孫に教えてください!
聖母マリアよ! イスラム教徒の子孫を、新しい縁組みの祭に招いてください!
新しい縁組みの祭では、宝石で輝いている3つの王座の上に、3人の預言者が座るであろう。
イスラム教がかたる「トゥーバの木」は、反らせた湾曲させた枝で、天のテーブルとして、上段を作るであろう。
(
アラビア語で「トゥーバ」は「神の至福」を意味する。
「Tuba-Tree」、「トゥーバの木」はイスラム教がかたる天国の木である。
)
花嫁(である教会)は、月の様に白く、朝の微笑の様に赤い。
全ての民族や国民は、花嫁(である教会)を見るために、押し進むであろう。
もう、全ての民族や国民は、イスラム教がかたるカミソリの刃の様な狭い天国への架け橋である「シラートの橋」を渡る事を恐れないであろう。
なぜなら、イスラム教がかたるカミソリの刃の様な狭い天国への架け橋である「シラートの橋」の上で、救い主イエスは、橋の上をよろけて進む人々のために十字架を広げ、橋の上をよろけて進む人々へ手を伸ばすために、降臨するであろう。
花嫁(である教会)は、橋から落ちてしまった人々のために香るヴェールを広げ、橋から落ちてしまった人々を引き寄せるであろう。
おおっ! 人よ! 拍手して、愛の最終的な勝利をたたえなさい!
死だけが死んだままに成るであろう!
地獄だけが滅ぼされるであろう!
おおっ! ヨーロッパの国々よ! 東はヨーロッパの国々に手を差し伸べている! 一致協力して、北の熊を押し戻しなさい!
(高等魔術の祭儀17章「ガファレルは『古代人が悪の前兆の象徴の全てを天空の北の領域に配置したのには意味が有る』と話している。全ての時代の、不運は、北から来て、南に侵入して、地上に広まる」、「熊、蛇といった動物は、暴虐、強奪、全ての迫害の象徴である」)
最後の戦いは、知と思いやりの勝利をもたらす!
商業、貿易といった交流は、世界の人々の腕を組ませ合う!
新しい文明が、武装した福音から湧き起る!
イエスという同じ唯一の羊飼いの杖の下で、地の全キリスト教徒は、一致協力しなさい!
前記が、進歩が獲得するものであろう。
前記が、世界の人々の運動全体が人々を押し進めて行く先の目標である。
進歩は運動である。
運動は命である。
(「生きる」とは、「進歩する」、「向上する」という事である。)
進歩の否定は、死の肯定であり、死の神格化である。
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「悪の存在」がもたらす嫌悪に、論理がもたらす事ができる唯一の応えが、進歩である。
(「悪の存在」という疑問への答えの鍵は「進歩」である。)
全てのものが良いわけではない。
しかし、いつか、全てのものは良く成るであろう。
神は、業を始め、いつか業を終える。
進歩無しでは、悪は、神の様に不変に成ってしまうであろう。
進歩は、(逆方向の進歩である、)堕落が存在している理由を説明する。
進歩は、「哀歌」で地上のエルサレムの破壊を悲しんだ預言者エレミヤを慰める。
諸国は、人々の様に、互いの跡を受け継いで行く。
(神以外に、)不変なものは存在しない。
なぜなら、(神以外の、)全てのものは、完成へ向けて進んで行く。
大いなる人は、死ぬが、死ぬまでの行為の結果を祖国に残す。
大いなる国は、地上から消え去って、歴史の謎を教える星に変わる。
行為によって記された物は、(神の)永遠の書に記されて存在し続ける。
行為によって記された物は、1ページとして、人類の聖書に加えられる。
(ルソーの様に)「文明は悪である」と言うなかれ。
なぜなら、文明は、収穫を実らせる湿った熱気に似ている。
文明は、命の原理と死の原理を速やかに実現させる。
文明は、殺したり、命を与えたりする。
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文明は、正しい人を光の天使に変える。
文明は、利己的な悪人を動物的人間以下に堕落させる。
文明は、肉体を堕落させるが、(善の知によって、正しい人の)精神を解放する。
創世記6章の巨人に例えられる肉欲の奴隷である不信心な世界の人々の文明は、(反面教師として、)創世記5章のエノクの魂を天に至るまで高めた。
古代ギリシャの酒神バッカスを信じる人々の文明は、(反面教師として、)超越させる形で、オルフェウスの調和した精神を高めた。
ソクラテスとピタゴラス、プラトンとアリストテレスは、古代の世界の全ての向上と全ての栄光を弁明して要約している。
ホメロスの例え話は、歴史よりも正しいまま存在し続ける。
ローマの偉大さを現代まで伝えている物は、アウグストゥスの紀元前1世紀がもたらしたウェルギリウスの不滅の作品しか無い。
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死んだ人々の魂は、若返った人々を照らして、若返った人々の中の、命の精神を増やした。
世界には、「率直」を意味する「frankness」と「自由」を意味する「freedom」を自称する一国の国民が存在する。
なぜなら、「率直」を意味する「frankness」と「自由」を意味する「freedom」という2つの言葉は、「France」、「フランス」という名前、言葉と意味が同じである。
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十字軍のフランス、恋や騎士道物語を歌った11世紀のトルバドゥールや12世紀のトルヴェールといった吟遊詩人のフランス、カール大帝などを歌った武勲詩のフランス、ラブレーのフランスやヴォルテールのフランス、神学者ボシュエのフランスや哲学者パスカルのフランス、フランスという国家は、全ての人々の統合体である。
フランスは、論理と信心の結合を神聖化している国家である。
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フランスは、最も気高い、人の気高さと、最も思いやり深い信心の結合を神聖化している国家である。
フランスが、どのように進むか、どのように揺れて変わるか、どのように戦うか、どのように大いなる国家へと成長するか、見なさい!
時に騙され傷つけられても、決して落胆せずに、勝利に夢中に成って、逆境でも勇気を持って行動して、フランスは、笑い、歌い、死んで、(精神の)不死を信じる事を世界の人々に教える。
ナポレオンの親衛隊は降伏せず死にもしない!
ナポレオンの親衛隊が降伏せず死にもしない証拠は、いつの日かナポレオンの親衛隊に成るつもりであるフランスの子孫の熱狂である!
もう、ナポレオンは、人ではない。
ナポレオンは、正に、フランスの精神である。
ナポレオンという、フランスの精神は、世界の人々の第2の救い主である。
フランスの精神であるナポレオンは、象徴として、十字の聖ルイ勲章を要約している五芒星のレジオンドヌール勲章を使徒である騎士に与えた。
ナポレオンが死んだセントヘレナ島と、イエスが死んだゴルゴタの丘は、新しい文明の2つの灯台である。
ナポレオンが死んだセントヘレナ島と、イエスが死んだゴルゴタの丘は、最後の大洪水の虹が作って、古代と現代という2つの世界の間に架ける、巨大な橋の2つの基礎の杭である。
栄光の無い過去が大いなる未来をとらえて飲み込んでしまうと信じられてしまうのか?
いつの日か、タタール人による刺激が、フランスの栄光の約束、神と人の自由の約束を引き裂くと信じられてしまうのか?
前記を信じてしまうくらいなら、「再び、幼子に成って母の胎内に入りたい!」と言っている方が、まだましであろうに!
神の言葉は、「進み続けなさい! 進み続けなさい!」と「さまよえるユダヤ人」に言った。
世界の運命を操る神は、「進みなさい! 進みなさい!」とフランスに叫んでいる。
人は、どこへ進むのか?
多分、人は、未知という底無しの淵へ進む。
(人は、未知という底無しの淵へ進んでも、)構わない!
しかし、人は、過去へは、忘却という墓地へは、ぼろぼろに幼子の時に自ら裂いた産着へは、最初の時代の愚かさへは……、決して、決して、進まない!
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エフ=宝泉薫
青春
ヒロインは痩せ姫。
姫自身、あるいは周囲の人たちが密かな本音をつぶやきます。
だから「姫言」と書いてひめごと。
別サイト(カクヨム)で書いている「隠し部屋のシルフィーたち」もテイストが似ているので、混ぜることにしました。
語り手も、語られる対象も、作品ごとに異なります。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
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本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
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