大いなる神秘の鍵

エリファス1810

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第1部 宗教の神秘

第1部 第1条 数13

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第1部 第1条 数13

 数13

 数13は、死と誕生の数である。
 数13は、所有と相続の数(、所有と貸与の数)である。
 数13は、社会と家庭の数である。
 数13は、戦いと約束の数である。
 社会の基礎は、権利と義務と善意の交流である。
 権利とは、所有である。
 交流は、不可避の必然である。
 善意とは、義務である。
 (慈愛や物や金銭などを、)与えるよりも多くもらおうとする人や、与えずにもらおうとする人は、盗人である。
 所有とは、公共の福祉の自分の分け前を譲渡する権利である。
 所有とは、公共の福祉を損失させる権利ではないし、公共の福祉を押収する権利ではない。
 公共の福祉の損失や、公共の福祉の押収は、所有ではない。
 (悪い権力者による税金の無駄遣い等による、)公共の福祉の損失や、公共の福祉の押収は、盗みである。
 エリファス レヴィは、「公共の福祉」という言葉を使用した。
 なぜなら、全ての物の真の所有者は神である。
 そして、神は、全ての人が全ての物を所有して分かち合う事を望んでいる。
 人が何をしても、死んだら、この世の物を何も持って行く事はできない。
 あなたから、いつか必ず奪われる物は、実は、あなたの所有物ではない。
 あなたから、いつか必ず奪われる物は、神が、あなたに貸している物に過ぎない。
 使用権に関して言えば、使用権は、労働の結果として(周囲の人から認められて)生じる物である。
 使用権は、耕作の結果として(周囲の人から認められて)生じる物である。
 しかし、労働すら、所有を確実に保証する物ではない。
 耕作すら、所有を確実に保証する物ではない。
 破壊と火を招く、戦争が起きて、所有先を移してしまうかもしれない。
 滅びる物を善用しなさい!
 おおっ! 滅びる物が全て滅びるより先に、あなたは滅びるであろう!
 「利己主義は、利己主義を引き起こす」という事を熟考しなさい。
 「(神によって、)不道徳な金持ちは、貧者が(貧しさから)犯罪を犯してしまう責任を取る羽目に成るであろう」という事を熟考しなさい。
 貧者が正しい人であれば、正しい人である貧者は何を望むか?
 正しい人である貧者は、仕事を望む。
 権利を使用しなさい。
 ただし、義務も果たしなさい。
 金持ちの義務は、富を分け与える事である。
 循環しない富は、死と成る。
 死を蓄えるなかれ!
 死蔵するなかれ!
 循環しない様な形で富を蓄えるなかれ!
 似非学者プルードンは「所有とは盗みである」と話した。
 疑い無く、プルードンは、「所有とは盗みである」と話した時に、吸い取られ搾取された所有物、自由な交流から引き上げられた所有物、公共の共用から引き上げられた所有物について話したかった。
 仮に、「金持ちが富を循環させないで蓄えるのを非難する」のがプルードンの思いであったならば、プルードンは、更に考えを進めて、「金持ちが富を循環させないで蓄えた事による、公共の生活の抑圧は、実際の殺人である」と話したかもしれない。
 金持ちが富を循環させないで蓄えた事による、貧者の餓死や犯罪は、金持ちによる富の独占による犯罪である。
 常に、直感的に、大衆は、金持ちによる富の独占を人類全体に対する裏切り行為と見なしてきた。
 家庭は、結婚がもたらす、自然な社会の1つである。
 結婚とは、生まれて来るかもしれない子のために相互に愛を約束した、愛によって一緒に成った、2人の連合国家である。
 子持ちなのに離婚した人は、不信心者である。
 子持ちなのに離婚した人は、列王紀上3章の「子を真っ二つに切断しなさい」という反応を探って見るための「ソロモンの裁き」における嘘を嘘だとは思わずに実行する事を望むのではないか?
 永遠の愛を誓うのは、稚拙である。
 性欲的な愛は、疑い無く神聖な感情ではあるが、突発的な、思いがけない、瞬発的な物である。
 しかし、相互の愛の約束は、結婚の本質であり、家庭の基本原理である。
 相互の愛の約束の批准と保証は、絶対の信頼と成るはずである。
 嫉妬は、全て、疑心である。
 疑心は、全て、怒りに成る。
 (疑心は、全て、心を苛立たせる。)
 実質の、不倫は、結婚という相互の愛の約束による信頼に対する違反である。
 夫への不満を夫以外の男性に話す女性と、心中の希望や失望を妻以外の女性に話す男性は、実質、結婚による信頼を裏切っている。
 多かれ少なかれ、快楽のささやきに身を任せてしまった事による、一時の感情である、人の心に突然現れた不意打ちだけでも、結婚による信頼に対する背信である。
 さらに、快楽のささやきに身を任せてしまう原因は、恥じる必要が有る、隠す必要が有る、事前に機会を排除して避ける必要が有る、決して不意打ちされない様に実に努める必要が有る、下品な淫らさである。
 倫理道徳は、不倫という醜聞を禁じている。
 貞淑は、不倫という醜聞を禁じている。
 不倫という醜聞は、全て、劣悪である。
 人は、慎み深い人が名前を言わない器官を所有しているからといって、淫らではない。
 人は、性器を所有しているからといって、淫らではない。
 人は、恥部を所有しているからといって、淫らではない。
 しかし、人は、性器を誇示すると、淫らに成る。
 人は、恥部を誇示すると、淫らに成る。
 夫よ、家庭の恥を隠しなさい。
 笑いものにする大衆の前で、妻を裸にするなかれ。
 妻よ、夫婦間の性行為における不愉快事を公に広く知らせるなかれ。
 家庭にとっての恥を赤裸々にする事や、夫婦間の性行為における不愉快事を公に広く知らせる事は、「自分は金銭などで自分の性的な物を売る」と世論に公言する様な物である。
 結婚による信頼を保持するには、気高いほどの勇気が必要である。
 結婚による約束は、大いなる人だけが全体を理解できる勇気による約束である。
 破綻する結婚は、結婚ではない。
 破綻する結婚は、良くある、性行為である。
 夫を捨てた女性は、何者に成るか、わかるか?
 夫を捨てた女性は、もはや妻ではないし、未亡人でもない。
 それでは、夫を捨てた女性は、何者に成るのか?
 夫を捨てた女性は、(神の王国や国家の)名誉国民から、淫らな放蕩者であっても仕方が無い人、背信者、裏切者に成り下がってしまう。
 なぜなら、夫を捨てた女性は、処女でもないし、神の法的には結婚可能な女性でもない。
 妻を捨てた男性は、元妻を性的に売る様な者である。
 妻を捨てた男性は、名誉を汚して殺された女性の不倫相手の男性に適用する様な、悪評を受けるのが相応しい。
 真の結婚が存在するとすれば、真の結婚とは、神聖であり、解消できない物である。
 しかし、気高い知性と心を持つ夫婦でなければ、真の結婚は、あり得ない。
 (人とは異なり、)動物は結婚しない。
 動物的人間として生きている人は、動物的人間の本質による、不可避の不運を経験する羽目に成る。
 当然ながら、絶え間無く、動物的人間は、不運をもたらす未遂罪を犯す羽目に成る。
 動物的人間の約束は、約束違反の多数の未遂罪と成って、偽物の約束と成る。
 動物的人間の結婚は、不倫の多数の未遂罪と成って、偽物の結婚と成る。
 動物的人間の愛着は、愛を違える多数の未遂罪と成って、愛の偽物と成る。
 動物的人間は、常に要求して待つだけで、望んで行動する事は決して無い。
 動物的人間は、常に約束するが、決して実現しない。
 動物的人間には、法の抑圧的な面だけが当てはまる。
 動物的人間は、子は持てるかもしれないが、家庭は決して持てない。
 (動物的人間は、子を作れるが、正しい家庭を作れない。)
 結婚と家庭は、知性と自由意思を持つ人、(肉欲から)自由な人、完全な人が持つ事のできる権利である。
 また、裁判記録を尋ね、親殺しの記録を読みなさい。
 親殺しの切り落とされた首から、黒いヴェールを外しなさい。
 結婚と家庭が何であると考えていたか、死んだ親殺しに尋ねてみなさい。
 どんな乳を飲んでいたか、死んだ親殺しに尋ねてみなさい。
 どんな愛撫を名誉として授けられていたか、死んだ親殺しに尋ねてみなさい……。
 そして、知性と思いやりのパンを子に与えない全ての親よ、良い見本と成る善行によって父親らしい権威を批准しない全ての親よ、震えなさい!
 悲惨な境遇の子は、精神的に心的に孤児であり、悲惨な境遇の生まれの復讐を親にする。
 家庭が持っている、威厳と神聖さの性質を帯びる物の全てにおいて、今まで以上に、大衆が家庭の価値を認めていない19世紀に人は生きている。
 (目先の)物質的な利益が、知性と思いやりを殺している。
 大衆は、経験による教訓を軽蔑している。
 (大衆は、失敗する事を軽蔑している。)
 通りの辺りで、邪悪な聖職者は、神の物を金銭で売り歩いている。
 肉体が精神を侮辱している。
 大衆は、忠義面した顔に、偽物の笑顔を浮かべている。
 最早、理想主義は無いし、正義は無い。
 (中絶や育児放棄などによって、)父と母は人の命である子を殺している。
 勇気を持ちなさい!
 忍耐しなさい!
 重犯罪者が行くべき場所まで、19世紀の大衆は行き着くであろう。
 19世紀の大衆が犯す重犯罪を見てみなさい!
 何て悲惨であろう!
 厭戦が、19世紀の大衆の顔を覆っている黒いヴェールであろう……。
 フランス革命の死刑囚移送車が走っていて、王冠をかぶった権力者が震えながら後を追う……。
 まもなく歴史が更なる世紀である19世紀を裁いて、大衆は残骸で出来た大きな墓の上に「ここ(19世紀)に、親殺しの世紀、神とイエス キリストを殺した世紀が終わった!」と記すであろう。
 戦いにおいて、人には、死なないために、他人を殺す権利が有る。
 しかし、人生という戦いにおいて、無上の権利は、他人を殺さないために、死ぬ権利である。
 知と思いやりは、死ぬまで抑圧に抵抗するべきであるが、殺すにまで至るべきではない。
 勇気が有る人よ、あなたを傷つけた敵の命は、あなたの手中にある。
 なぜなら、勇気が有る人よ、あなたは、あなたに対して思いやりが無い他人である、敵の命の主人である……。
 勇気が有る人よ! 敵を許しなさい! 敵を許すという偉大さで、敵を圧倒しなさい!

「しかし、人を脅かす虎を殺すのは禁じられているのか?
もし人面虎、虎の様に他人を食い物にする人であれば、人に食い物にされる方が良い(のかもしれない)。
けれども、人を食い物にする人を殺して良いか等について、倫理道徳は何も言っていない。
しかし、もし人面虎、虎の様に他人を食い物にする人が私の子を脅かしたら、他人を食い物にする人を殺すのは禁じられているのか?」

「あなたに、自然が自ら応える事を許しなさい!」

 古代ギリシャには、敵を殺したハルモディオスとアリストゲイトンの祭と像が有った。
 外典のユディト記には敵を殺したヘブライ人の女性ユディトが、士師記3章には敵を殺したエフドが神聖な人として記されている。
 士師記16章30節には、無上の象徴の1つとして、両目をえぐられて盲目にされて鎖で拘束されたサムソンが「ペリシテ人と共に死のう!」と叫んでペリシテ人がねつ造した偽の神ダゴンの神殿の2つの柱を引き倒し(て敵を殺し)た、と記されている。
 けれども、考えてください。
 仮に、イエスが死ぬ前にローマへ行き短剣を当時のローマ皇帝ティベリウスの胸に突き立てたら、死刑執行人と当時のローマ皇帝ティベリウスでさえも許して実際に死んだ様に、イエスは世界の人々を救えたであろうか? いいえ!
 ブルータスは、カエサルを殺して、ローマ人の自由を守れたか? いいえ!
 カエレアは、ローマ皇帝カリギュラを殺したが、ローマ皇帝クラウディウスとローマ皇帝ネロに場所を作っただけに終わった。
 暴力によって暴力に対して抗議すると、暴力を正当化して、暴力の増殖をもたらしてしまう。
 実に、善による悪への勝利、自制による利己心への勝利、許しによる思いやりの無さへの勝利は、キリスト教の秘訣であり、永遠の勝利の秘訣である。

「私は、地がアベルの殺害から未だに血を流していた場所を見た事が有る」

 そして、地がアベルの殺害から未だに血を流していた場所には、涙の細い小川が流れていた。
 何世紀もの導きの下で、涙の細い小川の中に涙を落として、無数の人が進歩して行った。
 永遠の真理は、悲しげに身をかがめて、無数の人が落とした涙を見つめた。
 永遠の真理は、無数の人が落とした涙を1つずつ数えた。
 無数の人が落とした涙は、1つの血の染みを洗い清めるのに決して十分ではなかった。
 しかし、古代と現代という2つの時代の間に、古代人と現代人という2つの時代の大衆の間に、血の気は無いが、光を放つ象徴である、イエス キリストが降臨した。
 血と涙の地に、イエスは、兄弟愛、同胞愛、友愛という、つる植物ぶどうの木を植えた。
 イエスが地に植えた、兄弟愛、同胞愛、友愛という、つる植物ぶどうの木、神の木は、根で血と涙を吸い上げて、未来の(神の)子達を思いやりに夢中にさせる様に運命づける美味しい赤ワインに変えた。
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