大いなる神秘の鍵

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第1部 宗教の神秘

第1部の要約

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第1部の要約

 対話形式で

 信心、人知、人の理性の対話

人知「信心は神の存在を人知に信じさせる事ができないであろう」

信心「人知には信じるという特権は無いが、人知は神の不在を信心に証明できない」

人知「神の不在を信心に証明するためには、神とは、どのような存在であるか、という定義を先に知る必要が有る」

信心
「人知は、神とは、どのような存在であるか、知る事は無いであろう。
もし人知が、神とは、どのような存在であるか、知っていたら、人知は、神とは、どのような存在であるか、信心に教える事ができたはずである。
信心が、神とは、どのような存在であるか、知ったら、もう信心は、神を信じる必要が無い」

人知「信心は、信じているものを知らないで、信じているのですか?」

信心
「おおっ! 言葉遊びをするなかれ!
人知こそ、信心が信じているものを知らない。
人知は神を知る事ができないので、正に、信心は神を信じているのである。
人知は無限であるふりをするのですか?
人知は有限であるのに?
神秘によって、人知は全ての歩みを止めないのですか?
もし信心が燃えている向上心で神秘を明かさないと、もし人知が『神を知る事ができない』と話した時に信心が『人知には神を知る事ができないので、信心は神を信じ始める』と叫ばないと、神秘は、人知の有限の知を何も減衰させない、人知にとっては無限の未知のままである」

人知「信心の向上心と、信じる対象は、仮定でしかない(。人知にとっては、信心の向上心と、信じる対象は、仮定でしかあり得ない)」

信心
「疑い無く、信心にとっては、信心の向上心と、信じる対象は、確実なものである。
なぜなら、信心の向上心と、信じる対象という仮定が無いと、人知において確実なものについてすら信心には疑わしく成ってしまう」

人知
「もし人知があきらめる所から信心が始めるのであれば、信心は常に早々に余りにも軽率に始める事に成る。
人知の進歩は証拠をもたらす。
人知は、人知の進歩がもたらす証拠を常に向上させて行く」

信心「信心が常に人知の前を進んで行くのであれば、人知の進歩は信心とは無関係では?」

人知
「信心が、進む?!
信心は、永遠の夢想家である。
信心は地を軽視し過ぎである。
信心の足は麻痺している」

信心「信者は信心を伴って進んで行く」

人知
「信者は、盲人であり、盲人を導いている。
せいぜい危険な断崖絶壁には注意しなさい!」

信心
「いいえ。
信者は、盲人には成り得ない。
逆に、信者は、人知と信心という2通りの観点を楽しむ。
人知による観点によって、信者は、人知が地上で見せる事ができるものを見る。
信心による観点によって、信者は、信心が天で見せるものを観じて熟考する」

人知「人の理性は、どう思う?」

人の理性
「人知と信心という畏敬するべき教師達よ、人の理性は、(信心による)心に触れる盲人の例え話や足が麻痺していた中風患者の例え話を、人知が実例で明らかにしてくれる、と思っている。
人知は、『信心は、地上の歩き方を知らない』と非難する。
信心は、『天における、信心による向上と、永遠については、人知の目には見えていない』と話している。
人知と信心は、言い争う代わりに、一致協力するべきである。
人知は、信心、倫理を伴って進みましょう。
信心は、希望と思いやりを人知に教えて、人知を慰めましょう」

人知
「人知と信心の一致協力は、良い理想ではあるが、非現実的である。
信心は、人知に不条理を教えるであろう。
人知は、信心無しで進む事を選ぶ」

信心「人知が不条理と呼ぶものは何ですか?」

人知
「人知の実例に反する信心の考えを、人知は不条理と呼んでいる。
例えば、『神の三位一体として、数3は数1である』事、『イエスとして、神が人に成った』事、といった様な事である。
言い換えると、『無限の者である神が有限を形成している』事、『無限の者である永遠の者である神が(まとっていた肉体が)死んだ』事、『父である神が、無罪である神の息子イエスを、有罪である人の罪の身代わりとして、十字架刑という苦しい目に遭わせた』事などである……」

信心
「もう人知は神秘について語らないでください。
すでに語られた様に、実際、神秘の事柄は、不条理である。
神について知らない人知は、神の数とは何か知っているのか?
人知は、未知のものからの作用について論理的に判断できるのか?
人知は、思いやりの神秘を理解できるのか?
常に、信心は、人知にとっては不条理である。
なぜなら、もし人知で神秘を理解できたら、人知による原理は、信心による断言を飲み込んでしまう。
もし人知で神秘を理解できたら、人知と信心の差異が無く成る、と言うよりは、もっと良く言えば、信心が存在できなく成ってしまう。
人の理性は、無限の者である神の前では迷ってしまうであろうし、人知による、空間と同じくらい無限な疑問によって永遠に盲目に成ってしまうであろう」

人知
「少なくとも、信心は人知の権限を侵害するべきではない。
また、信心は人知の分野では人知が虚偽であると非難するべきではない」

信心「信心は、人知を侵害した事は無いし、人知を侵害できない」

人知
「それでは! 例えば、『物質の物理的な自然な現実の秩序の中で、自然の法にもかかわらず、処女マリアは処女のまま聖母に成った』と信心は信じた事が無いのですね。
『一欠片の聖体のパンは、人に成った神イエスだけではなく、骨、血管、器官、血を伴った現実の人イエスの肉体でもある』と信心は断言しないのですね。
要約すると、『聖体のパンを食べた信者をある種の人食い人種にする』様な事を信心は断言しないのですね」

信心
「人知がかたった事に、反感を覚えないキリスト教徒はいない。
人知がかたった事は、人知が信心の教えの実際の大まかな意味を理解していない事を十分に証明している。
信心が断言する超自然的な物事は、自然を超越しているので、結果、自然に反しない。
信心だけが、信心による言葉を理解できる。
人知は、信心による言葉を、真意を誤解して、くり返すだけに違いない。
信心は、他に無いので、人知の既知の言葉を用いている。
しかし、人知は、『信心による言葉は不条理である』と感じるのであれば、『信心は、人知がとらえられない意味を人知の既知の言葉に与えている』と判断するべきである。
ヨハネによる福音6章63節で、救い主イエスは、現実の存在についての教えを啓示する時に、『(肉は例えである。霊感にとって実際の)肉は何の役にも立たない。私イエスの、言葉が霊であり命である』と言わなかったか? 言った!
信心は、人に成った神イエスの神秘を、解剖学的な現象としては人知に知らせていない。
信心は、聖体のパンと赤ワインがイエスの血肉、イエスの精神に『化体』している神秘を、化学的な操作としては人知に知らせていない。
人知は、何の権利で、『神秘は不条理である!』と叫ぶのか? 人知には『神秘は不条理である!』と判断する権利は無い!
信心は、人知の既知の全ての物事について判断しない。
人知は、何の権利で、『信心は非論理的に話す』とかたるのか?」

人知
「人知は、信心について理解し始めた、と言うよりは、信心について理解できないと理解した。
人知は信心について理解できないので、人知と信心は離れたままでいよう。
人知は、信心を必要としない」

信心
「信心は傲慢ではないので、信心は、多分、人知が信心の役に立つと認めている。
多分、信心無しでは、人知は非常に悲しみ絶望するであろう。
論理である神が許可しない限り、信心は、人知から離れるつもりは無い」

人の理性
「信心か人知の一方だけに成らない様に良く注意してください!
人の理性には、信心と人知の双方が必要である。
人の理性は、信心と人知無しで何ができるでしょうか?
正しく成るために、人の理性には、知る事と信じる事が必要である。
ただし、人の理性は、知っている事と信じている事を混同してはいけない。
知っている事は、もう信じる対象には成れない。
信じる事ができる対象は、今はまだ知らない事である。
人知の対象と成るのは、既知のものである。
信心は、既知のものに従事せず、既知のものを全て人知に任せる。
信心の対象と成るのは、未知のものである。
人知は、未知のものを探求するかもしれないが、定義できない。
少なくとも一時的に、人知は、人知には批判すら不可能である、信心による定義を受け入れる事を余儀なくされる。
しかし、もし人知が信心を放棄するのであれば、人知は希望と思いやりも放棄する羽目に成ってしまう。
思いやりの存在性と必要性は、信心にとって明らかである、のと同じくらい、人知にとって明らかである。
心理学的な事実として、信心は、人知の分野と関係している。
人の知性の中における神の光の表れとして、人知は、信心の分野と関係している。
そのため、人知と信心は、常に一方が他方を侵害せずに、相互に、認め合い、畏敬し合い、支え合い、必要な場合には助けを与え合う必要が有る。
人知と信心を一致協力させる方法とは、人知と信心を混同しない事である。
人知と信心の間には、矛盾は存在できません。
なぜなら、人知と信心が同一の言葉を用いても、人知と信心は同一の意味を話していない」

信心「おおっ、では、姉妹である人知よ、人知と信心の一致協力について、どう思いますか?」

人知
「『人知と信心は、悲しむべき誤解によって分裂しているが、今後は共に進める』と人知は思っている。
しかし、信心は、様々な宗教のうち、どの宗教に人知を結びつけたいと望んでいるのか?
人知は、ユダヤ教徒に成るのか、カトリック教徒に成るのか、イスラム教徒に成るのか、プロテスタントに成るのか?」

信心「人知は、知のままで、普遍に成る」

人知
「言い換えると、もし人知が信心を正しく理解できていれば、人知は普遍、カトリックに成るのですね。
しかし、人知は、様々な宗教について、どう思うべきなのですか?」

信心
「宗教(や人)は、行いによって判断しなさい。
真の思いやりを探しなさい。
(悪人は自分に都合の良い人に愛想良くしたり権力者に媚びへつらうが、悪人の思いやりは見せかけの偽物の思いやりである。)
真の思いやりを見つけたら、『真の思いやりが、どの宗教の物であるか?』真の思いやりに尋ねなさい」

人知「真の思いやりは、宗教裁判と『サン バルテルミの虐殺』の虐殺者の宗教であるカトリックであるキリスト教の物ではない事は確かですね」

信心「真の思いやりは、St. John the Almoner、フランシスコ サレジオ、ヴァンサン ド ポール、フランソワ フェヌロン、その他多数の宗教であるキリスト教の物である」

人知「もし宗教が多数の善をもたらした事を認めるのであれば、宗教は多数の悪事を行った事も認めなさい」

信心
「出エジプト記20章13節で『殺すなかれ』と話している神の名前をかたって人が殺す時、
『(正しい人であれば、)敵を許しなさい』と命じている人に成った神イエスの名前をかたって人が迫害する時、
マタイによる福音5章15節で『升で光明を隠さない』様に教えているイエスの名前をかたって、人が闇を増殖させる時、
神の法が正に非難している犯罪を神の法のせいにするのは正しいであろうか?
もし正しくありたいと望むのであれば、『宗教が存在するにもかかわらず、地上で悪人は多数の悪事を行っている』と話しなさい。
しかし、また、宗教は多数の善行をもたらさなかったか?
宗教は、大衆が知らない、多数の献身、多数の自己犠牲をもたらした!
全ての悲しい務めの一翼を担うために、全ての快楽を放棄した男性と女性の双方の気高い心を考慮に入れたか?
労苦と祈りに身をささげた魂を考慮に入れたか?
善行をして、善行と共に道に散って行った人を考慮に入れたか?
孤児と老人のための保護施設、病人のための病院、悔い改めた人のための修道院を建てた人を考慮に入れたか?
孤児院といった、慎ましいが栄光に満ちた施設は、キリスト教会の歴史に満ちあふれている、現実の善行の業績である。
宗教戦争と異端者への迫害は、未開の時代の政治による物である。
さらに、異端者も、殺人者であった。
プロテスタントによる、ミシェル セルヴェへの私刑の火刑を忘れたのか?
宗教裁判と『サン バルテルミの虐殺』を憎んだプロテスタントの革命家による、依然として、人道と理性の名前において、くり返された、カトリックの祭司への虐殺を忘れたのか?
『常に、人は冷酷である』のは真実である。
しかし、『祝福』と『許し』が合言葉である宗教であるキリスト教の教えを人が忘れた時だけ、人は冷酷に成るのである」

人知
「おおっ! 信心よ! それでは、もし人知が信心を信じる事ができなくても、人知を許してください。
しかし、今、人知は、なぜ信心が神や宗教を信じるのか知りました。
人知は、信心の希望を畏敬して、望みを信心と共有しています。
しかし、人知は、探求して、発見する必要が有る。
探求するために、人知は、疑う必要が有る」

人の理性
「それでは、行動しなさい! 探求しなさい! おおっ! 人知よ!
ただし、信心からの神託を畏敬しなさい!
人知による疑いが普遍の光明の中に穴を残してしまう時は、信心が穴埋めする事を許しなさい!
人知と信心は、分かれて、進みなさい。
ただし、人知と信心は、互いに頼り合って、進みなさい。
そうすれば、人知と信心は、迷わないであろう」
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