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24 珈琲の香りと君の微笑2 クリスマスの灯り
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十二月二十五日、クリスマス当日。街はイルミネーションに包まれていて、窓の外を見下ろすたびに、小さな光の粒がゆっくり流れていくのが見えた。カフェ「ビーンズ・ハート」の店内も、いつもより少しだけきらびやかだ。入口の横には背の高いツリーが立ち、カウンターの上には小さなライトと赤いリボンが並んでいる。ガラス越しに見える街のイルミネーションと混ざり合って、いつもの店が少しだけ別の場所みたいに感じられた。
焙煎したての珈琲の香りに、ジンジャーとシナモンの甘い匂いが混ざって、いつもの朝とは違う空気になっていた。
私と香織ちゃんは、朝からずっと動きっぱなしだった。ツリーのオーナメントを整えたり、窓際にキャンドル型のライトを並べたり、限定メニューのジンジャーブレッドラテの仕込みをしたり。手も気持ちも、ずっとクリスマスでいっぱいだった。
「おはよう、香織ちゃん。今日のイベント、成功させよう」
私はバックヤードでエプロンを差し出しながら、香織ちゃんに微笑んだ。少しだけ胸が高鳴る。今日はただのイベントじゃない。恋人になって初めて迎える、私たちのクリスマスの朝だ。
香織ちゃんは、受け取ったエプロンを胸にぎゅっと抱きしめてから、私に一歩近づいてくる。
「綾さん、楽しみ。ラテアート、二人でハート作ろうよ」
頰がほんのり赤く染まっていて、そのまま背伸びをして、私の唇に軽くキスをくれた。
触れた時間は短いのに、心臓の鼓動だけは一気に早くなる。バックヤードの白い蛍光灯さえ、少しだけ柔らかく見えた。
開店してからは、ゆっくり浸っている暇なんてなかった。限定のジンジャーブレッドラテは想像以上の人気で、エスプレッソマシンの音と、ミルクを温めるスチーム音が絶え間なく響く。ドアベルが鳴るたびに、新しいカップルや家族連れが入ってきて、小さな店の中が笑い声で満たされていく。
「香織ちゃん、ラテアートお願い」
「はい、綾さん。今のうちに二つ分、ハート描いちゃいますね」
香織ちゃんは、湯気の立つカップをそっと両手で支え、真剣な顔でミルクピッチャーを傾ける。細い白い線が、茶色の表面にすっと描かれていき、少しずつハートの形になっていく。そのたびに、お客さんから「わあ」と小さな歓声が上がり、拍手が起こる。
カウンター越しにその横顔を眺めながら、胸の奥がじんわり温かくなった。表情は真面目なのに、出来上がったハートを見せるときだけ、少しだけ誇らしそうに笑う。その笑顔がたまらなく好きだと、あらためて思う。
午後、ピークを過ぎて店内の空席が目立ち始めた頃。いつもの常連のマダムが、カップを揺らしながら言った。
「あなたたち、いい雰囲気ね。クリスマスにぴったりだわ」
何気ない一言なのに、胸の奥までまっすぐ刺さる。私は思わず視線をそらし、耳まで熱くなるのを感じた。香織ちゃんは「も、もう」と小さく笑いながらも、嬉しそうに肩をすくめている。
その反応だけで、私の鼓動はまた落ち着かなくなった。
ひと段落ついたところで、私たちはバックヤードで短い休憩を取ることにした。狭いスペースに置かれた椅子に並んで腰を下ろすと、一気に全身の力が抜けていく。
さっきまでの喧騒が、ドア一枚を隔てて遠くに感じられた。
「ねえ、香織ちゃん」
私はエプロンのポケットから、小さな瓶を取り出した。
透明なガラスに、濃い茶色の豆が少しだけ詰められている。
「これ、香織ちゃんの好きなエチオピア産の珈琲豆だよ。勉強するときとか、家で淹れるとき、私を思い出してくれると嬉しいなぁ」
自分でも少し気恥ずかしくなる。気持ちはそうなんだけど、本当にこれは、恥ずかしい言い方でしまったと思った。
香織ちゃんは、指先で瓶を撫でるように持ち上げて、目を輝かせた。
「綾さん……うれしい。こんな可愛い瓶に入れてくれて。キッチンの一番いい場所に飾りますね。それで、ここに来られない日も、ちゃんと綾さんの事を思い出します」
そう言ってから、今度は自分のバッグを探り、小さく息を吸い込む。
「私からも、渡したいものがあって」
取り出されたのは、深いワインレッドの毛糸で編まれたマフラーだった。ところどころ目が揃っていないのが、むしろ愛おしさも感じられた。
「綾さん、温かくしてね。通勤のときも、仕込みのときも。クリスマスの約束、守れてよかった」
立ち上がった香織ちゃんが、私の首にそっとマフラーを巻いてくれる。その手つきが優しくて、毛糸の温もりよりも先に、指先の熱さが伝わってくる。
閉店時間になる頃には、外のイルミネーションはさらに輝きを増していた。最後のお客さんを見送って、店内を片付け、レジを締める。シャッターを半分まで下ろしてから、私は香織ちゃんの手をそっと握った。
「行こっか」
「はい」
冷たい夜気の中へ一歩踏み出すと、白い息がふわりと舞い上がる。
通りの街路樹には、小さなライトが無数に巻き付けられていて、雪の代わりに光の粒が降っているみたいだった。
足元のアスファルトは少し湿っていて、街灯の明かりを反射している。
雪が、ちらちらと降り始めた。肩に落ちた小さな白いかけらが、すぐに溶けて消えていく。そのたびに、香織ちゃんが「わあ」と小さな声を上げて、空を見上げた。
繋いだ手から、その高揚した鼓動が伝わってくる気がする。
少し歩いた先の小さな公園に、ベンチが一つぽつんと置かれていた。私たちはそこに並んで座り、コンビニで買った紙コップのココアを分け合った。ココアの甘い香りが、さっきまでのジンジャーブレッドラテを思い出させる。
「今日、一日あっという間でしたね」
「うん。ずっと忙しかったけど……楽しかった。香織ちゃんが横にいてくれたからかな?」
そんな本音をぽつりとこぼしたら、香織ちゃんはココアのフタを見つめたまま、小さく笑った。
横顔が街灯に照らされて、まつげの影が頰に落ちる。その一つ一つが、どうしようもなく愛しい。
ふと、香織ちゃんが私の方を向いた。真っ直ぐな視線が、冬の空気よりも尖って胸に届く。
「綾さん、来年も、再来年も。その先も……ずっと一緒にクリスマス過ごそう」
それは願いというより、そっと差し出された約束のように聞こえた。
胸の奥がきゅっと締め付けられて、言葉が出てこない。私はただ、強く頷くことで返事をした。
香織ちゃんが、少しだけ照れたように笑ってから、視線をそっと伏せる。
長いまつげが揺れて、その影が頰に落ちたのを見て、私はココアのカップをベンチに置き、そっと身を寄せた。
距離が自然に縮まって、触れそうで触れないところまで近づいたとき、唇が重なった。
雪の粒子がゆっくりと舞う中で、二人の手はぎゅっと重なったまま離れなかった。そのぬくもりが、店の灯りよりも、街のイルミネーションよりも、ずっとはっきりと胸の中を照らしていた。
焙煎したての珈琲の香りに、ジンジャーとシナモンの甘い匂いが混ざって、いつもの朝とは違う空気になっていた。
私と香織ちゃんは、朝からずっと動きっぱなしだった。ツリーのオーナメントを整えたり、窓際にキャンドル型のライトを並べたり、限定メニューのジンジャーブレッドラテの仕込みをしたり。手も気持ちも、ずっとクリスマスでいっぱいだった。
「おはよう、香織ちゃん。今日のイベント、成功させよう」
私はバックヤードでエプロンを差し出しながら、香織ちゃんに微笑んだ。少しだけ胸が高鳴る。今日はただのイベントじゃない。恋人になって初めて迎える、私たちのクリスマスの朝だ。
香織ちゃんは、受け取ったエプロンを胸にぎゅっと抱きしめてから、私に一歩近づいてくる。
「綾さん、楽しみ。ラテアート、二人でハート作ろうよ」
頰がほんのり赤く染まっていて、そのまま背伸びをして、私の唇に軽くキスをくれた。
触れた時間は短いのに、心臓の鼓動だけは一気に早くなる。バックヤードの白い蛍光灯さえ、少しだけ柔らかく見えた。
開店してからは、ゆっくり浸っている暇なんてなかった。限定のジンジャーブレッドラテは想像以上の人気で、エスプレッソマシンの音と、ミルクを温めるスチーム音が絶え間なく響く。ドアベルが鳴るたびに、新しいカップルや家族連れが入ってきて、小さな店の中が笑い声で満たされていく。
「香織ちゃん、ラテアートお願い」
「はい、綾さん。今のうちに二つ分、ハート描いちゃいますね」
香織ちゃんは、湯気の立つカップをそっと両手で支え、真剣な顔でミルクピッチャーを傾ける。細い白い線が、茶色の表面にすっと描かれていき、少しずつハートの形になっていく。そのたびに、お客さんから「わあ」と小さな歓声が上がり、拍手が起こる。
カウンター越しにその横顔を眺めながら、胸の奥がじんわり温かくなった。表情は真面目なのに、出来上がったハートを見せるときだけ、少しだけ誇らしそうに笑う。その笑顔がたまらなく好きだと、あらためて思う。
午後、ピークを過ぎて店内の空席が目立ち始めた頃。いつもの常連のマダムが、カップを揺らしながら言った。
「あなたたち、いい雰囲気ね。クリスマスにぴったりだわ」
何気ない一言なのに、胸の奥までまっすぐ刺さる。私は思わず視線をそらし、耳まで熱くなるのを感じた。香織ちゃんは「も、もう」と小さく笑いながらも、嬉しそうに肩をすくめている。
その反応だけで、私の鼓動はまた落ち着かなくなった。
ひと段落ついたところで、私たちはバックヤードで短い休憩を取ることにした。狭いスペースに置かれた椅子に並んで腰を下ろすと、一気に全身の力が抜けていく。
さっきまでの喧騒が、ドア一枚を隔てて遠くに感じられた。
「ねえ、香織ちゃん」
私はエプロンのポケットから、小さな瓶を取り出した。
透明なガラスに、濃い茶色の豆が少しだけ詰められている。
「これ、香織ちゃんの好きなエチオピア産の珈琲豆だよ。勉強するときとか、家で淹れるとき、私を思い出してくれると嬉しいなぁ」
自分でも少し気恥ずかしくなる。気持ちはそうなんだけど、本当にこれは、恥ずかしい言い方でしまったと思った。
香織ちゃんは、指先で瓶を撫でるように持ち上げて、目を輝かせた。
「綾さん……うれしい。こんな可愛い瓶に入れてくれて。キッチンの一番いい場所に飾りますね。それで、ここに来られない日も、ちゃんと綾さんの事を思い出します」
そう言ってから、今度は自分のバッグを探り、小さく息を吸い込む。
「私からも、渡したいものがあって」
取り出されたのは、深いワインレッドの毛糸で編まれたマフラーだった。ところどころ目が揃っていないのが、むしろ愛おしさも感じられた。
「綾さん、温かくしてね。通勤のときも、仕込みのときも。クリスマスの約束、守れてよかった」
立ち上がった香織ちゃんが、私の首にそっとマフラーを巻いてくれる。その手つきが優しくて、毛糸の温もりよりも先に、指先の熱さが伝わってくる。
閉店時間になる頃には、外のイルミネーションはさらに輝きを増していた。最後のお客さんを見送って、店内を片付け、レジを締める。シャッターを半分まで下ろしてから、私は香織ちゃんの手をそっと握った。
「行こっか」
「はい」
冷たい夜気の中へ一歩踏み出すと、白い息がふわりと舞い上がる。
通りの街路樹には、小さなライトが無数に巻き付けられていて、雪の代わりに光の粒が降っているみたいだった。
足元のアスファルトは少し湿っていて、街灯の明かりを反射している。
雪が、ちらちらと降り始めた。肩に落ちた小さな白いかけらが、すぐに溶けて消えていく。そのたびに、香織ちゃんが「わあ」と小さな声を上げて、空を見上げた。
繋いだ手から、その高揚した鼓動が伝わってくる気がする。
少し歩いた先の小さな公園に、ベンチが一つぽつんと置かれていた。私たちはそこに並んで座り、コンビニで買った紙コップのココアを分け合った。ココアの甘い香りが、さっきまでのジンジャーブレッドラテを思い出させる。
「今日、一日あっという間でしたね」
「うん。ずっと忙しかったけど……楽しかった。香織ちゃんが横にいてくれたからかな?」
そんな本音をぽつりとこぼしたら、香織ちゃんはココアのフタを見つめたまま、小さく笑った。
横顔が街灯に照らされて、まつげの影が頰に落ちる。その一つ一つが、どうしようもなく愛しい。
ふと、香織ちゃんが私の方を向いた。真っ直ぐな視線が、冬の空気よりも尖って胸に届く。
「綾さん、来年も、再来年も。その先も……ずっと一緒にクリスマス過ごそう」
それは願いというより、そっと差し出された約束のように聞こえた。
胸の奥がきゅっと締め付けられて、言葉が出てこない。私はただ、強く頷くことで返事をした。
香織ちゃんが、少しだけ照れたように笑ってから、視線をそっと伏せる。
長いまつげが揺れて、その影が頰に落ちたのを見て、私はココアのカップをベンチに置き、そっと身を寄せた。
距離が自然に縮まって、触れそうで触れないところまで近づいたとき、唇が重なった。
雪の粒子がゆっくりと舞う中で、二人の手はぎゅっと重なったまま離れなかった。そのぬくもりが、店の灯りよりも、街のイルミネーションよりも、ずっとはっきりと胸の中を照らしていた。
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