百合短編集

南條 綾

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77 炎の中で、名前を呼ぶ

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 今日も朝の点検を終えて、署内のロッカールームで制服に着替えていると、無線が入った。

「本署、至急出動。渋谷区のマンションで火災発生。煙が確認されている。救急も併せて」

 隣で着替えていた同期の花音かのんが、ぱっと顔を上げた。彼女はいつも冷静で、現場でも頼りになる存在だ。長い黒髪をポニーテールにまとめ、鋭い目つきなのに、笑うとえくぼができる。

 そんな彼女が、私の隣のロッカーを使うようになって、もう三年になる。

「綾、一緒だね」

 花音が小さく微笑んだ。私は頷いて、急いでヘルメットを掴む。心臓が少し速く鳴るのは、火災のせいだけじゃないかもしれない。

 現場に到着すると、七階建てのマンションの四階から黒煙が立ち上っていた。住民はほとんど避難済みだったが、一人、避難が遅れている女性がいるとの情報。

 エレベーターは使えず、階段を駆け上がる。煙が濃くて視界が悪かった。私は先頭を、花音が後ろからついてくる。無線で状況を確認しながら、四階の廊下に到着。指定された部屋のドアは熱を帯びていた。

「綾、私が入る」

 花音が私の前に出ようとする。私は無意識に彼女の腕を掴んだ。

「待って。先頭の私が行く。バックアップはよろしく」

 花音は一瞬、私をじっと見て、それから小さくうなずいた。

 私はドアを蹴破り、中に突入する。リビングで、床に倒れている若い女性を発見。意識はあるが、煙を吸い込んで咳き込んでいる。私はすぐに彼女を抱き上げ、窓際へ運ぶ。

 花音が後ろからエアパックを準備しながら、私をカバーしてくれる。

「綾、早く外へ!」

 外のバルコニーから、はしご車が近づいてくる。私は女性を花音に預け、自分も後を追う。

 無事に地上へ降り、救急隊に引き渡した時には、すでに火は鎮火され始めていた。署に戻って、報告書を書きながら、花音が私の隣に座った。

「さっき、危なかったね」

 彼女の声は低くて、少し疲れている。私はコーヒーを一口飲んで、答える。

「あなたがカバーしてくれたから、大丈夫だった」

 花音は黙って、私の顔を見つめた。いつもより、少し長い時間。

「綾は、いつも先に行きたがる」

「それは……」

 言葉が詰まる。私が先に行くのは、彼女を守りたいからだ。でも、そんなことは言えない。その夜、残業で遅くなった。私と花音だけが署に残っていた。

 シャワーを浴びて、ロッカールームで髪を乾かしていると、花音が入ってきた。彼女もシャワーを浴びたばかりで、髪が濡れている。制服ではなく、私服に着替えている。白いブラウスに、ジーンズ。いつもと違う雰囲気だ。

「綾、まだ帰らないの?」

「うん。ちょっと疲れてて」

 私はドライヤーを止めて、彼女を見た。

 花音は私の隣に座って、自分の髪を拭き始めた。静かなロッカールームに、ドライヤーの音だけが響く。

「今日、ありがとう」

 花音がぽつりと言った。

「私の方こそ」

 私は答えた。でも、花音は首を振る。

「違うの。綾が先に突入してくれて……私、怖かった」

 彼女の声が、少し震えている。私は驚いて、花音を見た。彼女が怖いなんて、初めて聞いた。

「花音が?」

「うん。綾がもし何かあったらって、考えて……」

 言葉が途切れる。花音は目を伏せた。私は、ゆっくりと彼女の手を握った。温かくて、少し震えている。

「私も、怖いよ。でも花音が後ろにいてくれるから進める。」

 花音が顔を上げた。彼女の瞳に、私の姿が映っている。距離が、近い。

「綾……」

 名前を呼ばれて、私は自然と彼女に近づいた。唇が触れる寸前で、花音が目を閉じた。私は、そっとキスをした。柔らかくて、温かくて、少しコーヒーの味がした。キスが終わると、花音が小さく笑った。

「ずっと、したかった」

「私も」

 私たちは、もう一度キスをした。今度は、もっと深く。

 それから、私たちの関係は変わった。仕事中は変わらずプロフェッショナルで、でも二人きりになると、手を繋いだり、キスをしたり。消防士という危険な仕事だからこそ、互いを大切に思う気持ちが強くなった。

 ある日、大規模な倉庫火災があった。炎が激しくて、鎮圧に時間がかかった。私は隊長の指示で内部突入。花音は外でホースを担当していた。

 中は熱気が充満していて、視界が悪い。突然、天井が崩れ始めた。私は咄嗟に身をかがめたが、瓦礫が足に当たって動けなくなった。無線で助けを呼んだ。すぐに花音の声が返ってきた。

「綾!? どこ!?」

「東側……足が……」

 すぐに救助隊が来てくれた。先頭は、花音だった。彼女は瓦礫をどかしながら、私に近づいてくる。

「綾、大丈夫!?」

 彼女の顔が、すすで汚れているのに、泣きそうだった。

 私は笑おうとした。

「ごめん、ドジっちゃった」

花音は私のヘルメットを外して、額にキスをした。

「馬鹿……絶対、助けるから」

 チームは、私を運び出し、無事に病院へ。私は軽い捻挫で済んだが、花音はそれから三日間、私の付き添いで泊まり込みだった。

 退院の日、花音が私のアパートまで送ってくれた。部屋に入ると、花音が後ろから抱きついてきた。

「もう、危ないことしないで」

「消防士なんだから、仕方ないよ」

 私は振り返って、花音を抱きしめた。

「でも、約束する。絶対、帰ってくる」

 花音は私の胸に顔を埋めて、小さく頷いた。

 それから、私たちは一緒に暮らし始めた。消防署では秘密だけど、プライベートでは、普通のカップルみたいに。朝一緒に起きて、コーヒーを淹れて、時にはケンカもする。でも、いつも仲直りする。

 ある冬の日、休みが重なった。私たちは温泉旅行に行った。雪が降る中、露天風呂で二人きり。

「綾、好きだよ」

 花音が私の肩に頭を乗せて言った。私は彼女の手を握る。

「私も。ずっと、一緒にいたい」

 雪が静かに降り続ける中、私たちはキスをした。

 未来はわからない。消防士という仕事は、いつ何が起こるかわからない。でも、今この瞬間、彼女が隣にいる。それだけで、十分だった。

 危険な現場も、穏やかな日常も、全部ひっくるめて、私たちは一緒に歩いていく
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