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5章 紋章の情報を求めて
24話 新たな旅立ち 第1部完
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焼け焦げた匂いが、まだ鼻の奥に張りついていた。
先ほどまで観客席だった場所はぐちゃぐちゃで、砕けた木の椅子と石片、それから血の跡が、ぐちゃっと混ざって散らばっている。
足元には、俺が叩き伏せた連中が何人も転がっていた。
うめき声を上げてる奴もいれば、気を失って動かないやつもいる。
土陣鋼槍で貫いた傷は、急所だけは外したはずだが、それでも生々しすぎる光景だった。
「やりすぎたな……」
思わず、小さくそうこぼす。
いくら精神防御がなされてるとはいえ、やはり目で見ると来るものがあった。
胸の奥に、さっきの熱と痛みの記憶が、まだじわじわ残っている。
横腹の致命傷は聖癒光のおかげでふさがっているけど、服は破れたままだし、こびりついた血がやたらと生々しい。
少し離れた場所で、エレナが立っていた。
鈴を握ったまま、静かにあたりを見回していた。
白い衣が、血と煤でところどころ汚れていて、それが余計に胸に刺さる。
俺は、エレナの方を見ようとして、視線をそらした。
顔を合わせづらい。
助けてもらったのはこっちなのに、あんな言い方をしたままだ。何から口を開けばいいのか、全然わからない。
沈んだ空気の中で、鈴がかすかに鳴った気がして、俺は思わず肩をすくめた。
「シ…シビさん」
おそるおそるって感じの声が聞こえて、顔を上げる。
エレナが少し離れたところに立ってた。鈴を握る手が、まだかすかに震えている。
「エレナ…えっとだな」
何から言えばいいのか言葉を探してる、その瞬間だった。
「いたぞ!」「こっちだ、煙が上がってる!」
甲冑のぶつかり合う音と、複数の足音が一気に近づいてくる。
街の衛兵が、松明と槍を手にしてどっと劇場跡に雪崩れ込んできた。
首都からそう遠くない場所で、さっきみたいな爆発と戦いの音を派手に鳴らしたんだ。
衛兵が来るのなんて、むしろ当然だよな。今さらだけど。
俺が「さて、どうごまかすか」と頭をフル回転させていたら、その前にエレナが一歩前に出た。
白い衣を正し、鈴を静かに握り直して、衛兵隊長らしき男の前に立つ。
「こちらの者たちは、私とシビさんが制圧いたしましたわ」
エレナの落ち着いた声と、胸元で光る女神アウリスの紋章入りのペンダントを見た隊長は、一瞬だけ目を細めてから、静かにうなずいた。
周りの兵たちも、エレナの姿を見て思わず息を呑んでいる。
無理もないよな。あれだけ派手な戦いのあとに、鈴を下げた白衣の聖女が立ってるんだ。
首都にいる人なら、エレナのことを知らない方が珍しいだろう。
隊長らしき男とエレナが、少しのあいだ何やら話をしている。
俺には聞き取れないくらいの小さな声だけど、要点だけを手短に伝えている感じだ。
ひと通り話し終えると、今度は隊長がこっちを向いた。
「じゃあ、あんたにも話を聞かせてもらおうか」
そんな流れで、俺に簡単な事情聴取が回ってきた。
聞かれたのは三つだけだ。
「まず、なぜここにいた?」
「この有様にしたのは、そちらのあんたか?」
「倒れている連中について、心当たりは?」
変にごまかしても面倒になるだけだ。
俺は素直に答えることにした。
「ギルド経由の依頼だ。最近ここで怪しい集まりがあるって話でな。調査に来たら、あいつらにいきなり襲われた。面は知らねえ。多分、この劇場跡を根城にしてた連中じゃないか?」
隊長はうなりながら周囲を一周見回し、倒れてる奴らの装備と紋章を確認していく。
しばらくして、ふう、と息を吐いた。
「……なるほど。詳しい身元確認はこっちでやる。お前の話は記録しておくが、今のところ拘束する理由はなさそうだ。ギルドにも確認は入れておく」
そう言って、俺たちはあっさり解放された。
助かったのは間違いないんだけど、胸の中の一番の問題は、まだまったく片付いてない。
助けてもらった礼も言ってないし、あんなことをぶつけたエレナに、ちゃんと謝らないといけない。
こういうとき、どうすりゃよかったんだっけな。
また一つ、答えの出ない問題を抱え込んだ気がした。
俺がぐるぐると頭の中で言い訳と謝り方を並べていると、エレナがそっと近づいてきた。
「ここにいても風邪をひくだけですわ。まずはギルドの方に向かいましょう」
いつも通りの落ち着いた声だったけど、その目はちゃんと俺の体調も見ている。
情けない話だが、ここまで来てまだエレナに気を遣わせてる自分に、心の中でツッコミを入れるしかなかった。
酒場兼ギルド、癒しの炉端に到着すると、外の焼け焦げた匂いとは違う、酒と肉と暖炉の匂いが一気に押し寄せてきた。
さっきまで大騒ぎしてたらしい空気がまだ残っている。
「ちっ、無事だったか」
開口一番、それかよ。
「ギルドマスターが『ちっ』ってなんだよ」
カウンターの奥から顔を出したギルドマスターのリリアは、口では文句を言いながらも、こっちの全身をじろじろ確認している。
多分、本気で心配してくれてたんだろうけど、素直じゃないのがよくわかる。
「私に面倒はかけなかったんでしょうね」
「悪い、多分かけたと思う」
「ガチで何か起きるとは思わなかったんだけど?」
マスターが肩をすくめる。
「どういうことだ?」俺は疑問に思って聞き返した。
「依頼は前から来てたんだよ。最近ここで怪しい集まりがあるってさ。でも首都の近くだろ? 大事にはならないだろうって思ってたんだよ。そしたら、ここからでも花火が見えるレベルでドカンだ。さっきまでみんな騒いでたぞ」
「まぁ無事だったのはみんなが酒で送り出してくれたのと、どこかの誰かさんが援軍を出してくれたおかげだろう」
「まあ、あんたが生きて帰ってきたんなら、それはそれで酒のつまみだ。……ただ、あんたの連れはそう思ってないみたいだけどな。あんたの部屋で話でもすれば?」
その一言に、周囲の冒険者どもが一斉に反応した。
「おいおい、シスター連れ込むとか神の冒涜だろ」
「告解室は二階の個室になりましたってか?」
「お祈りってそういう……」
好き勝手なヤジが飛んでくる。
「そんな中じゃねえよ。神に懺悔することなんかねえよ。静かに酒でも飲んでろ」
軽口を返しながら、エレナの方を見る。
エレナは、さっきから何も言わずに、でもはっきりとした視線で俺を見つめていた。
怒っているのか、呆れているのか、心配しているのか、その全部が混ざったような目だ。
ああ、完全に逃げ道ふさがれたな。俺は小さく息を吐いて、覚悟を決める。
「……行くか。部屋、上だ」
そう言って、エレナを部屋までエスコートすることにした。
俺が、この首都にいるあいだ借りている部屋は、本当に最低限のものでしかない。
来たばかりだから、ベッドと丸テーブルが一脚あるだけだ。
エレナにはベッドの端に座ってもらって、俺は丸テーブルの椅子に腰を下ろした。
「エレナ、ありがとうな」
エレナが腰を下ろした瞬間、俺は立ち上がって、そのまま頭を下げた。
「え…えっと、無事で何よりですわ」
いきなり頭を下げられるとは思ってなかったんだろう。
エレナは目を丸くして、ちょっと上ずった声で返事をしてきた。
「まあ、あれだけ派手なことが起きれば、誰かが来てもおかしくはないけどさ。来るの、かなり早かった感じがするんだが」
俺がそう切り出すと、エレナは少しだけ表情を引き締める。
どうやら、もともと話があってギルドに来たらしい。
そこで、ちょうど俺が調査に出たと聞いて、嫌な予感がして追いかけてきた、という流れだった。
その話を聞いているところで、コンコンとノックの音がした。
扉を開けると、リリアが水の入った木のカップを二つ持って立っていた。
「サービスいいじゃん」
「四か月分の前払いをもらってるからね。これくらいはしないと」
苦笑いしながらそう言って、カップを俺に渡してくれた。
「ありがとう」
ここまで稼いだ金の大半を、この宿の長期滞在費に突っ込んでいる。
正直、面倒がなくて助かるから、そこは文句を言う気はない。
俺は一つをエレナに渡し、自分も椅子に戻って腰を下ろした。
「えっとさ、エレナが来てくれてなかったら、多分命なかったんだろうな」
正面からそう言うと、エレナはカップを持ったまま、少しだけ肩を震わせた。
「びっくりしましたわ。到着した瞬間、今にも倒れそうなシビさんを見たとき、寿命が縮むかと思いましたもの」
「少し、不意打ちを食らってな。…ほんと、助かった。ありがとう」
「無事なら、いいのですわ」
エレナはいつもの穏やかな口調でそう言う。
その言葉が逆に、胸の奥に重く響いた。
「話は、分かってるつもりなんだよ。でも、出来れば拒否をしたい」
本音を言えば、エレナに来てもらえるなら、どれだけ助かるか分からない。
エレナの呪文は、何度も俺の命を引き戻してくれたし、あの気遣いに何度救われたか知れない。
今回の件だってそうだ。
多分俺は、国かどうかは分からないが、どこか大きな組織に目を付けられた可能性が高い。
エレナには教会の仕事がある。
これからもっと教会での地位も上がって、世の中のために動くんだろう。
そんな人間を、俺みたいな得体の知れない冒険者一人に付き合わせるのは、どう考えてもまずい。
裏側の面倒ごとで、エレナの神経をすり減らせる未来が頭に浮かんで、それがたまらなく嫌だった。
それに、俺なんかと一緒にいたらまずいだろうな、って気持ちがどうしても消えない。
「なぜ、そこまで人を拒否なさるのですか?」
エレナの素直な問いに、思わず声を荒げてしまう。
「してないだろ! 現に下の連中とのやり取りとか、コミュ障じゃやらないだろうが」
「そうやって論点をごまかすのは、卑怯だと思いますわ」
ぐさっと刺さることを、さらっと言ってくる。
「はあ…俺のせいで、死んでほしくないんだよ」
観念して、俺は少しずつ話し始めた。
転生のことは話さなかった。
代わりに、ルークたちのパーティのことを伝えた。
俺自身ではないけど、アヤはきちんと調査をしていなくて、相手をゴブリンだと舐めていた。
結果、全滅した。
あのパーティの技量なら、ゴブリン百匹くらいなら本来は捌けたはずだ。
でも、統率の取れた群れと、強化されたゴブリンたちを前に、判断を誤った。
その結果が、全滅だ。
もし俺が同じ立場でも同じことをしていただと思う。
だからこそ俺の判断ミスで、エレナが死んだり、それに近いことが起きたら、多分俺は耐えられない。
教会で働いているってことは、エレナはこれからも、もっと多くの人のために動く人間になるんだろう。
そんな人材を、俺一人なんかに縛り付けるのは、どう考えても間違ってる。
全部、言葉にして話し終えるころには、俺自身がちょっと息切れしていた。
エレナは、俯きかけた俺の顔をじっと見つめてから、ゆっくりと二度、三度、首を横に振った。
その瞳には、呆れとも違う、何か別の感情が浮かんでいるように見えた。
「これが理由だ」
全部吐き出して、ようやくそう締めくくった。喉の奥がやけに乾いている。
「シビさんの気持ちは分かりましたわ。でも、この先の冒険をずっと一人で行うことはございませんでしょう? 仕事によっては二人とか、多い時は十数人とかもあり得ましょう」
「ああ」
確かに、それはそうだ。依頼の内容次第じゃ、集団で動くことも珍しくない。
「では、わたくしではなくて他の人なら死んでもいいとおっしゃいますの?」
「そんなわけないだろ」
即答した。そこだけは、絶対に譲れない。
「ですが、シビさんの今の論法ではそういうことですわ。多分、この紋章の事件を追っていくことになるのでしょう?」
「ああ」
逃げられないだろうな、とは思っている。
「でしたら、いずれにせよ人手が必要ですわ。それも、気の知れた人が」
「反対に聞くが、なぜ俺なんだ?」
素直にそれが気になった。エレナなら、もっとまともで、ちゃんとした人間を選べるはずだ。
「分かりませんわ。でも、気になるのです。シビさんのことが。それに、その気持ちを知るためにも、手を貸したいと思いますの」
なんだそれ。
はたから聞いたら、ほとんど告白じゃないか。まったく。
「それで教会の仕事をないがしろにしていいわけないだろ?」
「きちんとお祈りも忘れませんわ。それに、シビさんは約束をしましたわ」
「約束か…。それを言われると断りづらくなるじゃねえか」
もちろん覚えている。デュラハンを退治したときに交わした約束だ。
命を粗末にしないこと。あれはエレナとの約束でもある。
「そうですわね。ですが、もう一つ理由がありますの」
「それを聞いてもいいか?」
「司祭様は、わたくしに『人を知りなさい』ともおっしゃいましたわ。旅をして世間を見て、もっともっと人を理解して、わたくし自身も見聞を広げなさいと。あと…わたくしのこの気持ちの意味を知るためにも、必要だと思うのです」
少しだけ言いにくそうにしながら、それでもはっきりと言葉にしてくる。
「俺は多分、これからも信仰の否定をすると思うし、この間みたいな暴言も言うと思うぞ。それでもか」
「はい。わたくしも、言うべきことはきちんと言って、シビさんに分かっていただくつもりですわ」
真正面からそう返されて、思わず天井を仰ぎたくなった。
「はぁ~~~~…そうだな。今さらほかの連れを探すにしても、僧侶は絶対に必要だしな。…頼めるか?」
情けないことに、顔が熱くなるのが自分でも分かった。
多分、上目遣いでエレナを見ていたんだと思う。普段よりもエレナの顔が高く見えて、そう思ったら余計に恥ずかしくなってくる。
これじゃ本当に女じゃねえか。
「くすっ。珍しく年相応なシビさんの態度ですわね。こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ。まずは司祭様にも了解をもらわないといけませんわね」
「教会に戻るんだろ?」
「はい。今日はこのまま戻りますわ」
「なら、昼近くに顔を出すって伝えておいてくれ」
「了解いたしましたわ」
エレナは立ち上がると、軽く一礼して部屋を出ていった。
閉まった扉を見つめながら、胸の奥がじわっと重くなる。
翌日、俺は教会に向かい、司祭とエレナに面会を取った。
「昨日は大変だったそうじゃな、シビよ」
開口一番、司祭様がそんなことを言ってきた。
「まあ、そのことで、お聞きしたいなと思うのですが」
「おぬしは、国が動いたと読んでいるようじゃが、それは間違いじゃ。なぜなら昨日のあの時間帯、わしらはずっと会合で議論をしておったのだからな。信じるか信じないかは、お主に任せましょう」
「いえ、信じますよ」
あの老司祭が、ここで嘘をつく理由はない。
「一応、許可は下りたよ。ただし条件付きでな」
「条件とは?」
「このエレナを連れていくことじゃ。この事件はかなり大きい。それなりの技術を持った人材も必要じゃろう」
「それと、監視役ですか?」
「そう思ってもらって構わんよ。エレナはアウリス神への信仰が強い神官でもある。嘘は言わぬでな。前回の事件のときも、本来は言わなくてもいいことまで、きちんと話してくれたからの」
そう言って、司祭様は年齢不相応なウインクをよこしてきた。
こんなことになるんなら、この数日間、二人して悩んでた俺たちがバカみたいじゃないか。
「とはいっても、その紋章の情報を得るのに一番の場所は、ここではない」
「だったら、何のために俺は……」
「話を最後まで聞かぬのは損じゃよ、シビ」
司祭様は肩をすくめながら、一枚の地図を俺の方へ滑らせてきた。
「これは?」
「この地図の町のどこかに、その紋章のことが記されておる」
エレナは地図に目を落とした瞬間、はっと息を呑んだ。
「司祭様、ここは……もしかして」
「そうじゃ。ここは城塞都市バステルじゃ」
「ここって、どういう場所なんですか?」
「どの国にも属さぬ城塞都市よ。悪厄の都市、魔の都、犯罪都市……悪い異名はいくらでもある街じゃ」
「なんでそんなとこが存在するんだ」
「最初は、ただのスラムだったと聞く。それがどんどん大きくなり、犯罪者やら、わけありの連中やら、果ては魔物まで一緒くたに暮らすようになった。数十年前、周辺の国々が治安維持のために軍を送ったらしいが、意味はなかったそうじゃ。魔物も、その門から外には出てこん。ゆえに各国が出した結論は一つ、『手を出すな』じゃ。犯罪者なども流れ込む、そういう町なんじゃよ」
「めっちゃヤバいじゃねえか」
思わず素で漏れた。
「だから、やらなくてもよいのだ。女性二人で行くには、過酷すぎる」
「何で、そこに紋章が?」
そう聞いた俺に、司祭様はもう一枚、羊皮紙を見せてきた。
そこには、例の紋章と、その使い方らしき断片的な説明、そして地名が書かれていた。
それは、さっき聞いた城塞都市バステルの昔の地名だった。
「エレナ?」
俺が横を見ると、エレナは迷いなく顔を上げた。
「もちろん行きますわ。それに、アウリス神の教えを広めることもできるかもしれませんもの」
この状況で、そういう前向きさが出てくるあたり、本当に聖女だよな。
「分かった。なら、司祭様。エレナをお借りします。そして、危なくなったらエレナだけでも逃がしますので、ご安心を」
「本人は否定すると思うのじゃが……お主も、自分の身はしっかり守るようにな」
「はい。なら行こうかエレナ」
「ご一緒いたしますわ、シビさん」
ステンドグラスを通して差し込んだ太陽光が、エレナの横顔をやわらかく照らす。
その姿は、聖女に見えたことは内緒にしておこう。
それくらい、思わず見とれるほど綺麗だった。
さて、行くか。悪厄の都まで。
第一部 完
先ほどまで観客席だった場所はぐちゃぐちゃで、砕けた木の椅子と石片、それから血の跡が、ぐちゃっと混ざって散らばっている。
足元には、俺が叩き伏せた連中が何人も転がっていた。
うめき声を上げてる奴もいれば、気を失って動かないやつもいる。
土陣鋼槍で貫いた傷は、急所だけは外したはずだが、それでも生々しすぎる光景だった。
「やりすぎたな……」
思わず、小さくそうこぼす。
いくら精神防御がなされてるとはいえ、やはり目で見ると来るものがあった。
胸の奥に、さっきの熱と痛みの記憶が、まだじわじわ残っている。
横腹の致命傷は聖癒光のおかげでふさがっているけど、服は破れたままだし、こびりついた血がやたらと生々しい。
少し離れた場所で、エレナが立っていた。
鈴を握ったまま、静かにあたりを見回していた。
白い衣が、血と煤でところどころ汚れていて、それが余計に胸に刺さる。
俺は、エレナの方を見ようとして、視線をそらした。
顔を合わせづらい。
助けてもらったのはこっちなのに、あんな言い方をしたままだ。何から口を開けばいいのか、全然わからない。
沈んだ空気の中で、鈴がかすかに鳴った気がして、俺は思わず肩をすくめた。
「シ…シビさん」
おそるおそるって感じの声が聞こえて、顔を上げる。
エレナが少し離れたところに立ってた。鈴を握る手が、まだかすかに震えている。
「エレナ…えっとだな」
何から言えばいいのか言葉を探してる、その瞬間だった。
「いたぞ!」「こっちだ、煙が上がってる!」
甲冑のぶつかり合う音と、複数の足音が一気に近づいてくる。
街の衛兵が、松明と槍を手にしてどっと劇場跡に雪崩れ込んできた。
首都からそう遠くない場所で、さっきみたいな爆発と戦いの音を派手に鳴らしたんだ。
衛兵が来るのなんて、むしろ当然だよな。今さらだけど。
俺が「さて、どうごまかすか」と頭をフル回転させていたら、その前にエレナが一歩前に出た。
白い衣を正し、鈴を静かに握り直して、衛兵隊長らしき男の前に立つ。
「こちらの者たちは、私とシビさんが制圧いたしましたわ」
エレナの落ち着いた声と、胸元で光る女神アウリスの紋章入りのペンダントを見た隊長は、一瞬だけ目を細めてから、静かにうなずいた。
周りの兵たちも、エレナの姿を見て思わず息を呑んでいる。
無理もないよな。あれだけ派手な戦いのあとに、鈴を下げた白衣の聖女が立ってるんだ。
首都にいる人なら、エレナのことを知らない方が珍しいだろう。
隊長らしき男とエレナが、少しのあいだ何やら話をしている。
俺には聞き取れないくらいの小さな声だけど、要点だけを手短に伝えている感じだ。
ひと通り話し終えると、今度は隊長がこっちを向いた。
「じゃあ、あんたにも話を聞かせてもらおうか」
そんな流れで、俺に簡単な事情聴取が回ってきた。
聞かれたのは三つだけだ。
「まず、なぜここにいた?」
「この有様にしたのは、そちらのあんたか?」
「倒れている連中について、心当たりは?」
変にごまかしても面倒になるだけだ。
俺は素直に答えることにした。
「ギルド経由の依頼だ。最近ここで怪しい集まりがあるって話でな。調査に来たら、あいつらにいきなり襲われた。面は知らねえ。多分、この劇場跡を根城にしてた連中じゃないか?」
隊長はうなりながら周囲を一周見回し、倒れてる奴らの装備と紋章を確認していく。
しばらくして、ふう、と息を吐いた。
「……なるほど。詳しい身元確認はこっちでやる。お前の話は記録しておくが、今のところ拘束する理由はなさそうだ。ギルドにも確認は入れておく」
そう言って、俺たちはあっさり解放された。
助かったのは間違いないんだけど、胸の中の一番の問題は、まだまったく片付いてない。
助けてもらった礼も言ってないし、あんなことをぶつけたエレナに、ちゃんと謝らないといけない。
こういうとき、どうすりゃよかったんだっけな。
また一つ、答えの出ない問題を抱え込んだ気がした。
俺がぐるぐると頭の中で言い訳と謝り方を並べていると、エレナがそっと近づいてきた。
「ここにいても風邪をひくだけですわ。まずはギルドの方に向かいましょう」
いつも通りの落ち着いた声だったけど、その目はちゃんと俺の体調も見ている。
情けない話だが、ここまで来てまだエレナに気を遣わせてる自分に、心の中でツッコミを入れるしかなかった。
酒場兼ギルド、癒しの炉端に到着すると、外の焼け焦げた匂いとは違う、酒と肉と暖炉の匂いが一気に押し寄せてきた。
さっきまで大騒ぎしてたらしい空気がまだ残っている。
「ちっ、無事だったか」
開口一番、それかよ。
「ギルドマスターが『ちっ』ってなんだよ」
カウンターの奥から顔を出したギルドマスターのリリアは、口では文句を言いながらも、こっちの全身をじろじろ確認している。
多分、本気で心配してくれてたんだろうけど、素直じゃないのがよくわかる。
「私に面倒はかけなかったんでしょうね」
「悪い、多分かけたと思う」
「ガチで何か起きるとは思わなかったんだけど?」
マスターが肩をすくめる。
「どういうことだ?」俺は疑問に思って聞き返した。
「依頼は前から来てたんだよ。最近ここで怪しい集まりがあるってさ。でも首都の近くだろ? 大事にはならないだろうって思ってたんだよ。そしたら、ここからでも花火が見えるレベルでドカンだ。さっきまでみんな騒いでたぞ」
「まぁ無事だったのはみんなが酒で送り出してくれたのと、どこかの誰かさんが援軍を出してくれたおかげだろう」
「まあ、あんたが生きて帰ってきたんなら、それはそれで酒のつまみだ。……ただ、あんたの連れはそう思ってないみたいだけどな。あんたの部屋で話でもすれば?」
その一言に、周囲の冒険者どもが一斉に反応した。
「おいおい、シスター連れ込むとか神の冒涜だろ」
「告解室は二階の個室になりましたってか?」
「お祈りってそういう……」
好き勝手なヤジが飛んでくる。
「そんな中じゃねえよ。神に懺悔することなんかねえよ。静かに酒でも飲んでろ」
軽口を返しながら、エレナの方を見る。
エレナは、さっきから何も言わずに、でもはっきりとした視線で俺を見つめていた。
怒っているのか、呆れているのか、心配しているのか、その全部が混ざったような目だ。
ああ、完全に逃げ道ふさがれたな。俺は小さく息を吐いて、覚悟を決める。
「……行くか。部屋、上だ」
そう言って、エレナを部屋までエスコートすることにした。
俺が、この首都にいるあいだ借りている部屋は、本当に最低限のものでしかない。
来たばかりだから、ベッドと丸テーブルが一脚あるだけだ。
エレナにはベッドの端に座ってもらって、俺は丸テーブルの椅子に腰を下ろした。
「エレナ、ありがとうな」
エレナが腰を下ろした瞬間、俺は立ち上がって、そのまま頭を下げた。
「え…えっと、無事で何よりですわ」
いきなり頭を下げられるとは思ってなかったんだろう。
エレナは目を丸くして、ちょっと上ずった声で返事をしてきた。
「まあ、あれだけ派手なことが起きれば、誰かが来てもおかしくはないけどさ。来るの、かなり早かった感じがするんだが」
俺がそう切り出すと、エレナは少しだけ表情を引き締める。
どうやら、もともと話があってギルドに来たらしい。
そこで、ちょうど俺が調査に出たと聞いて、嫌な予感がして追いかけてきた、という流れだった。
その話を聞いているところで、コンコンとノックの音がした。
扉を開けると、リリアが水の入った木のカップを二つ持って立っていた。
「サービスいいじゃん」
「四か月分の前払いをもらってるからね。これくらいはしないと」
苦笑いしながらそう言って、カップを俺に渡してくれた。
「ありがとう」
ここまで稼いだ金の大半を、この宿の長期滞在費に突っ込んでいる。
正直、面倒がなくて助かるから、そこは文句を言う気はない。
俺は一つをエレナに渡し、自分も椅子に戻って腰を下ろした。
「えっとさ、エレナが来てくれてなかったら、多分命なかったんだろうな」
正面からそう言うと、エレナはカップを持ったまま、少しだけ肩を震わせた。
「びっくりしましたわ。到着した瞬間、今にも倒れそうなシビさんを見たとき、寿命が縮むかと思いましたもの」
「少し、不意打ちを食らってな。…ほんと、助かった。ありがとう」
「無事なら、いいのですわ」
エレナはいつもの穏やかな口調でそう言う。
その言葉が逆に、胸の奥に重く響いた。
「話は、分かってるつもりなんだよ。でも、出来れば拒否をしたい」
本音を言えば、エレナに来てもらえるなら、どれだけ助かるか分からない。
エレナの呪文は、何度も俺の命を引き戻してくれたし、あの気遣いに何度救われたか知れない。
今回の件だってそうだ。
多分俺は、国かどうかは分からないが、どこか大きな組織に目を付けられた可能性が高い。
エレナには教会の仕事がある。
これからもっと教会での地位も上がって、世の中のために動くんだろう。
そんな人間を、俺みたいな得体の知れない冒険者一人に付き合わせるのは、どう考えてもまずい。
裏側の面倒ごとで、エレナの神経をすり減らせる未来が頭に浮かんで、それがたまらなく嫌だった。
それに、俺なんかと一緒にいたらまずいだろうな、って気持ちがどうしても消えない。
「なぜ、そこまで人を拒否なさるのですか?」
エレナの素直な問いに、思わず声を荒げてしまう。
「してないだろ! 現に下の連中とのやり取りとか、コミュ障じゃやらないだろうが」
「そうやって論点をごまかすのは、卑怯だと思いますわ」
ぐさっと刺さることを、さらっと言ってくる。
「はあ…俺のせいで、死んでほしくないんだよ」
観念して、俺は少しずつ話し始めた。
転生のことは話さなかった。
代わりに、ルークたちのパーティのことを伝えた。
俺自身ではないけど、アヤはきちんと調査をしていなくて、相手をゴブリンだと舐めていた。
結果、全滅した。
あのパーティの技量なら、ゴブリン百匹くらいなら本来は捌けたはずだ。
でも、統率の取れた群れと、強化されたゴブリンたちを前に、判断を誤った。
その結果が、全滅だ。
もし俺が同じ立場でも同じことをしていただと思う。
だからこそ俺の判断ミスで、エレナが死んだり、それに近いことが起きたら、多分俺は耐えられない。
教会で働いているってことは、エレナはこれからも、もっと多くの人のために動く人間になるんだろう。
そんな人材を、俺一人なんかに縛り付けるのは、どう考えても間違ってる。
全部、言葉にして話し終えるころには、俺自身がちょっと息切れしていた。
エレナは、俯きかけた俺の顔をじっと見つめてから、ゆっくりと二度、三度、首を横に振った。
その瞳には、呆れとも違う、何か別の感情が浮かんでいるように見えた。
「これが理由だ」
全部吐き出して、ようやくそう締めくくった。喉の奥がやけに乾いている。
「シビさんの気持ちは分かりましたわ。でも、この先の冒険をずっと一人で行うことはございませんでしょう? 仕事によっては二人とか、多い時は十数人とかもあり得ましょう」
「ああ」
確かに、それはそうだ。依頼の内容次第じゃ、集団で動くことも珍しくない。
「では、わたくしではなくて他の人なら死んでもいいとおっしゃいますの?」
「そんなわけないだろ」
即答した。そこだけは、絶対に譲れない。
「ですが、シビさんの今の論法ではそういうことですわ。多分、この紋章の事件を追っていくことになるのでしょう?」
「ああ」
逃げられないだろうな、とは思っている。
「でしたら、いずれにせよ人手が必要ですわ。それも、気の知れた人が」
「反対に聞くが、なぜ俺なんだ?」
素直にそれが気になった。エレナなら、もっとまともで、ちゃんとした人間を選べるはずだ。
「分かりませんわ。でも、気になるのです。シビさんのことが。それに、その気持ちを知るためにも、手を貸したいと思いますの」
なんだそれ。
はたから聞いたら、ほとんど告白じゃないか。まったく。
「それで教会の仕事をないがしろにしていいわけないだろ?」
「きちんとお祈りも忘れませんわ。それに、シビさんは約束をしましたわ」
「約束か…。それを言われると断りづらくなるじゃねえか」
もちろん覚えている。デュラハンを退治したときに交わした約束だ。
命を粗末にしないこと。あれはエレナとの約束でもある。
「そうですわね。ですが、もう一つ理由がありますの」
「それを聞いてもいいか?」
「司祭様は、わたくしに『人を知りなさい』ともおっしゃいましたわ。旅をして世間を見て、もっともっと人を理解して、わたくし自身も見聞を広げなさいと。あと…わたくしのこの気持ちの意味を知るためにも、必要だと思うのです」
少しだけ言いにくそうにしながら、それでもはっきりと言葉にしてくる。
「俺は多分、これからも信仰の否定をすると思うし、この間みたいな暴言も言うと思うぞ。それでもか」
「はい。わたくしも、言うべきことはきちんと言って、シビさんに分かっていただくつもりですわ」
真正面からそう返されて、思わず天井を仰ぎたくなった。
「はぁ~~~~…そうだな。今さらほかの連れを探すにしても、僧侶は絶対に必要だしな。…頼めるか?」
情けないことに、顔が熱くなるのが自分でも分かった。
多分、上目遣いでエレナを見ていたんだと思う。普段よりもエレナの顔が高く見えて、そう思ったら余計に恥ずかしくなってくる。
これじゃ本当に女じゃねえか。
「くすっ。珍しく年相応なシビさんの態度ですわね。こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ。まずは司祭様にも了解をもらわないといけませんわね」
「教会に戻るんだろ?」
「はい。今日はこのまま戻りますわ」
「なら、昼近くに顔を出すって伝えておいてくれ」
「了解いたしましたわ」
エレナは立ち上がると、軽く一礼して部屋を出ていった。
閉まった扉を見つめながら、胸の奥がじわっと重くなる。
翌日、俺は教会に向かい、司祭とエレナに面会を取った。
「昨日は大変だったそうじゃな、シビよ」
開口一番、司祭様がそんなことを言ってきた。
「まあ、そのことで、お聞きしたいなと思うのですが」
「おぬしは、国が動いたと読んでいるようじゃが、それは間違いじゃ。なぜなら昨日のあの時間帯、わしらはずっと会合で議論をしておったのだからな。信じるか信じないかは、お主に任せましょう」
「いえ、信じますよ」
あの老司祭が、ここで嘘をつく理由はない。
「一応、許可は下りたよ。ただし条件付きでな」
「条件とは?」
「このエレナを連れていくことじゃ。この事件はかなり大きい。それなりの技術を持った人材も必要じゃろう」
「それと、監視役ですか?」
「そう思ってもらって構わんよ。エレナはアウリス神への信仰が強い神官でもある。嘘は言わぬでな。前回の事件のときも、本来は言わなくてもいいことまで、きちんと話してくれたからの」
そう言って、司祭様は年齢不相応なウインクをよこしてきた。
こんなことになるんなら、この数日間、二人して悩んでた俺たちがバカみたいじゃないか。
「とはいっても、その紋章の情報を得るのに一番の場所は、ここではない」
「だったら、何のために俺は……」
「話を最後まで聞かぬのは損じゃよ、シビ」
司祭様は肩をすくめながら、一枚の地図を俺の方へ滑らせてきた。
「これは?」
「この地図の町のどこかに、その紋章のことが記されておる」
エレナは地図に目を落とした瞬間、はっと息を呑んだ。
「司祭様、ここは……もしかして」
「そうじゃ。ここは城塞都市バステルじゃ」
「ここって、どういう場所なんですか?」
「どの国にも属さぬ城塞都市よ。悪厄の都市、魔の都、犯罪都市……悪い異名はいくらでもある街じゃ」
「なんでそんなとこが存在するんだ」
「最初は、ただのスラムだったと聞く。それがどんどん大きくなり、犯罪者やら、わけありの連中やら、果ては魔物まで一緒くたに暮らすようになった。数十年前、周辺の国々が治安維持のために軍を送ったらしいが、意味はなかったそうじゃ。魔物も、その門から外には出てこん。ゆえに各国が出した結論は一つ、『手を出すな』じゃ。犯罪者なども流れ込む、そういう町なんじゃよ」
「めっちゃヤバいじゃねえか」
思わず素で漏れた。
「だから、やらなくてもよいのだ。女性二人で行くには、過酷すぎる」
「何で、そこに紋章が?」
そう聞いた俺に、司祭様はもう一枚、羊皮紙を見せてきた。
そこには、例の紋章と、その使い方らしき断片的な説明、そして地名が書かれていた。
それは、さっき聞いた城塞都市バステルの昔の地名だった。
「エレナ?」
俺が横を見ると、エレナは迷いなく顔を上げた。
「もちろん行きますわ。それに、アウリス神の教えを広めることもできるかもしれませんもの」
この状況で、そういう前向きさが出てくるあたり、本当に聖女だよな。
「分かった。なら、司祭様。エレナをお借りします。そして、危なくなったらエレナだけでも逃がしますので、ご安心を」
「本人は否定すると思うのじゃが……お主も、自分の身はしっかり守るようにな」
「はい。なら行こうかエレナ」
「ご一緒いたしますわ、シビさん」
ステンドグラスを通して差し込んだ太陽光が、エレナの横顔をやわらかく照らす。
その姿は、聖女に見えたことは内緒にしておこう。
それくらい、思わず見とれるほど綺麗だった。
さて、行くか。悪厄の都まで。
第一部 完
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